各回の授業情報
- 第01回 04月15日(月)
- 第02回 04月22日(月)
- 第03回 05月06日(月)
- 第04回 05月13日(月)
- 第05回 05月20日(月)
- 第06回 05月27日(月)
- 第07回 06月03日(月)
- 第08回 06月10日(月)
- 第09回 06月17日(月)
- 第10回 06月24日(月)
- 第11回 07月01日(月)
- 第12回 07月08日(月)
- 第13回 07月15日(月)
- 第14回 07月22日(月)
授業のZOOM情報
- ZOOMURL
- ミーティングID: 947 5910 1683
- パスコード: 014506
Google classroom
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授業で使用する資料
- 【work1-1】 第01回 学びの軸をつくる(締切:授業時間内)
- 【work1-2】 第01回 学んだことの記録(締切:4月16日まで)
- 提出したかどうかの確認はフォーム内に存在する「回答の送信をコピーする」の機能を使用してください。
学んだことの記録
安全の定義について、よく考えさせられた。多くの人にとって安全でも、自分や家族にとっては安全ではないかもしれない。防犯や防災も同じで、大多数に向けた情報だけを頼りにするのではなく、私たち一人一人が自分自身にとっての安全のために考え、対策していく必要があると分かった。 まだ1回目の講義だが自分が安全について具体的な対策ができていないことを怖く感じている。また、「安全」ではあるが「安心」ではないことがあると知った。人が感覚的に決めて報道される「安全」は自分にとっての「安全」が保障されるものではないと学んだ。 小さい頃から安全に気を付けて行動しましょうと言われてきたが、安全とはどういうものかを改めて聞かれた時、回答に困ってしまった。フォームでは危機的状況のない暮らしという回答をしたが、果たして危機的状況のない暮らしを実現することは可能なのか。いくら安全を意識して生活していても思わぬ所から危機が襲ってくることもあるうえに、自分では安全な暮らしを望んでいても勝手に「まぁ大丈夫だろう」という気持ちで安全を意識せずに安心して暮らしてしまうため、自分が今すべきことはなんなのかをよく考えたいと改めて思った。 最後に教えていただいた、今の世の中における「安全の定義」が個人的にかなり衝撃でした。日本は安全だから、と日頃無意識的にも意識的にも思って過ごしてきたのですが、安全の定義があまりにも曖昧だったので、少し怖くなりました。自分のことは自分で守らなければならないのかなと思います。 安全は社会的合意に基づく約束事になっているから情報を集めて自分にとっての安全を確保することが必要だということを学んだ。自分にとっての安全を確保するために情報リテラシーを高めていきたい。安心安全二分法で安全は科学的なもの、安心は主観的なものとされていたがデータのない領域では安全もひとつに定まらないということが印象に残った。 実際に安全や災害について考えてみると思っているよりも考えられていないことが多いと感じた。建築物を建てる段階でも考えなければいけないタイミングが必ず来るし、法規についても地震力や積雪についても考えていかなければならないので様々なことを考えられるようにしたいと考えた。今後の授業を受けて実際に建築設計をするときや、大きな建築物の設計をする際にも考えたいと思った。 私は生まれてから災害や事件に遭ったことが1度もない。地震も私が暮らしていた香川県では震度4以上を経験したことがない。非常に幸運なことだとは思うが、その分災害などに対する知識や危機感が十分でないと感じている。南海トラフ巨大地震がもうすぐ来ると何年も言われ続けているためもし私が新潟にいる時におきた場合、自分だけでなく同じように大きな被害を経験したことがない家族が心配でならない。今回の講義で世の中の安全の定義について学ぶことができた。社会的合意に基づく約束事であるため安全という言葉の絶対性が学ぶ前より薄れた。自分の身を守るために判断する力や基準となるものさしをこの講義で身につけていきたい。災害が絶えない日本に住んでいるからこそこの講義を受ける必要性を強く感じた。 安全の定義について考えたことが今までなかったので、改めて考えることも辞書の引用では無い安全の考え方の話もとても面白かったです。また、先生の経歴や院での研究について詳しく知ることができてこの授業に対する関心が強まりました。 99.9%安全とされていても、その0.1%に当てはまる人が存在しているという事は安全とは言いきれないのだと今回の話で実感しました。また、履修学生の多くが防犯防災対策をしていて、自分の対策意識のうすさが伺えたので気をつけたいと思いました。 安全であることは当たり前ではないとおもわなければいけないと再認識出来た。また、普段から防犯対策や災害に備えての準備などをしておかなければならないと改めて準備の重要さを感じることができた。これから少しづつ意識して備えていきたい。 安全は社会的合意に基づく約束事として人が感覚的に決めたことで、自分の身の安全を守るためには自分で防災や防犯の対策を調べることも大切だと学びました。私は小中高の避難訓練などで地震の際に扉を開けカーテンを閉めるなどの行動や避難バックを準備するなどを学んできましたが、避難バックに消費期限等を考え食品や飲料品は入れていないのでこの授業を通して改めて学びを深めたいと思いました。 今回の授業のwork1-1にて、不安に思っている質問のところで感染症ではなく、地震などの自然災害が多かったのは今年のはじめに能登半島地震などが起こっていたからではないかと思いました。このことから、感染症への不安が少しずつ薄まってきて今までの日常が取り戻されているとともに、コロナ感染前のように自然災害への不安がより高まってきているのでは無いかと考えました。 本日の授業を聞いて、安全や安心という言葉の意味を改めて考えさせられました。多くの言葉の意味はなんとなくで捉えていますが、同じように安心という言葉も感覚的に感情優先で考えられているのだとわかりました。そしてその感情を生み出すためには具体的な対策や用意が必要なのだとも感じました。 “今日の講義で特に印象に残っているのは安全の定義だ。安全とは悪い影響が一切及ぼされないことだと思っていたが、事前に定めた基準よりも影響が小さければ安全であると知り驚いた。 その基準は何に基づいてどのように定めているのかに興味があるため、今後の講義で知ることができたら嬉しい。” レジリエンスという言葉が初めて聞いたので印象的でした。ビジネス用語の横文字はかなり苦手意識があるのですが、今回の授業のおかげでひとつ覚えることができました。しなやかな復興力を表す言葉として響きもよく頭に残りました。 今日は自分が思っていたよりも災害には多くの種類があることをしることができました。また、安全とは何か、防災防犯に取り組んでいるかを再確認するきっかけになり、この授業で学びながら備えもするようにしたいと思いました。最終的には防犯防災グッズや災害時に役に立つものを作れるようになりたいです。 ” 私は、授業で話していらっしゃった通り安全の基準がおもっていたよりも少しアバウトなところが残虐的だなと思いました。まるで多数決のような。そういう基準の決め方には些か疑問が残る点もいくつか。 幸いな事に私は災害という災害にあったことはなく(地震等による停電などはあるがそれくらい)今まで生きてこれたので、どちらかと言うと多数派に入りはするのですが、もし私が被災する側だったら、その価値基準はとてもじゃないけど許せないなとおもいます。” 今回の講義では「安全」という言葉を改めて学ぶことができました。今までは安全という言葉を「絶対大丈夫」と同義だと思っていたので、100万人に1人は安全ではなくても安全と定義されると知り衝撃でした。また、防災に関するアンケートでみんな意外と緊急用の食物を保存していたり、避難ルートを確保していたり災害時に備えてるんだと知りました。普段生活していて防災について考えることはあまり無いので自分も対策しなくてはいけないなと思いました。 これまでに日本で起こった災害について深く学ぶ機会はなかなかないのでこれを機にしっかり勉強したいです。また、そこからこれからの安全について考えていくのが楽しそうだと思ったので積極的に参加できるように頑張ります。educationの意味や空間という言葉の成り立ちなど余談的なものだったかもしれませんがとてもためになりました。 「安全」という言葉の意味を疑問に思って深く調べるようなことはこれまでの人生で一度もなかったので、今回の授業が改めて考えるきっかけになりました。その中で、人が感覚的に決めている部分があり、全てにおいて安全ではないという言葉が特に印象に残りました。多くの人が安全だというものも自分にとっては例外かもしれないことを初めて感じたので、この授業を通して、自分にとっての安全を確立していけたらいいなと思いました。 今回1番の印象に残っているものは、安心と安全の違いだ。そもそもこの言葉について深く考えたこともなかったため、違いというものも意識指定なかった。授業で確かにニュアンスとしては似ているが、安全はどこか固いものに感じるし、安心は温かみを感じる。その違いは授業で言ってた通り、客観的なものか、主観的なものの意味の違いなのかと知ることができた。 私は大阪出身で、今まで大きな災害には遭ったことが無かったのですが、能登半島地震で新潟におり、初めて震度6弱を経験しました。その経験から、改めて安全に対する価値のようなものを感じたように思います。今回の講義で、改めて災害や防犯の意識を高められたらと思います。 アンケートの災害や事故を体験したことがあるかという回答で、ある、ないが半々で少し驚きました。自分は福島出身で毎年のように大きな地震を経験してるように思います。それぐらい地震が多いです。なので、まだそういう体験がない人にもこの講義を聞いて、自分ができる備えや意識を持つことが大切だと思いました。 安全というものは「社会的合理に基づいた決まりごと」となっている。だがほとんどの人が無事でいられることを安全、としてしまったときにそこから漏れてしまった人のことを考えなければならないというのはよくわかった。誰かにとって安全でも、誰かにとっては安全ではないかもしれない状況があるのだということをしっかり意識して生活していく必要があると感じた。 私が今回印象に残ったのは自分の思う安全と世の中の安全に違いがあったことである。あくまでも政府の基準から安全が定められていることに驚いた。また飲料水にも発ガン性が含まれているということも普段あまり意識していないことだったので考えたことすらなかった。日本は水道のインフラがととのっておりきれいな水がいつでもでる環境で生きているがそれもいつまで続くかわからないので、ある程度の知識をもってうまく関わっていきたいと思う。 回復力のある町をつくる話が印象に残りました。どんなにいい空間を作ったとしてもその空間が崩れてしまった場合、人がまた来れるような空間に戻せなかったら意味がないなと思いました。崩れてしまってもそこからどう立て直していくかのスピードや立て直しやすさが大事だなと思いました。 “今回の初回授業を通して、初めにお話しされていた福本先生の取り組みがすごく印象に残りました。実際に被災地に行き地域復興のために取り組もうと思ってもそう簡単には進まないことを知りました。人々の傷ついた心にまず寄り添うことからスタートし、だんだんと話してくれることから図面で確認するという地道な作業の先にやっと復興に向けて本格的にスタートしていけるんだなと感じました。 実際に現地に行く、見る、聞く、体験する、このことはモノ作りにおいてとても大切なことだと思います。自分もこのことは普段作品を作るにあたり意識しようと心がけていますがどうしても締切に追われると、期限内に終わらせようと蔑ろにしがちな時もあります。 ですが今回の初回の講義でこのことの大切さを改めて感じました。” “自然があり、空間があり、生活がある。という考え方がとても印象に残っている。普段の生活がなんの上に存在するかを考えてはこなかった。普段の生活は空間があるから成り立ち、その空間は自然が存在するから成立するもの。つまり、私たちは多くのもの、ことの支えによって生きることができているし、もちろん死んでしまうこともある。この生活の背景に存在するものの存在を考えることが安全・安心に近づく一歩なのかなと深く感じた。 実際アンケートをした時に自分の安全・安心を考える意識がとても低いと感じた。まだそんなに長い間生きているわけではないが、私の人生の側には災害が常に存在したことは間違いない。これによって慣れてしまったのかどうかは分からないが、安全に対する意識、これは決して忘れてはいけないものだと改めて思うことができた。 ” 実際に過去に行った活動についてお話してくれた時にでてきた、被災地域の方々への調査の仕方がとてもいいなと思いました。大きな災害があったときに、テレビなどのメディアを見ていて、被災者の気持ちをあまり考えていない記者に少しイライラというか、考えてないな、インタビュー受ける側が少しかわいそうだと思ってしまうことがあったのですが、そこの相手のことをしっかりと考えて調査をされていたというのがすごくいいなと印象に残りました。 “住民に詳細を聞く時に、精神的に話をしてくれるのかな?と思ったが、やはり時間をかけて関係性を作らないといけないのだと再認識した。被災地ではなくても、街に部外者が入っていく際には心を開いてもらえるまで同じ時間を過ごす必要があるのだと思う。 ワークショップの写真で皆地べたに座っており、柔らかい雰囲気を感じて良いなと思った。” “私が「安全」だと思っていたものは「安心」あるいは「油断」なのではないかと考え直す必要があると感じました。 アンケートの中で危機を感じるものを選択する項目がありましたが、私は竜巻や日照り・干ばつなどをあまり身近な危機と感じられず、選択しませんでした。 つい先月初めてコロナに感染し、油断から対策が甘くなっていたことを痛感したので、今一度安全に過ごすということを理解したいと思います。(本文188字)” 深く考えたことはありませんでしたが、「安全」が自分には当てはまらない可能性があるものとして定義されていることが怖く印象に残りました。1人も取りこぼさずに安全に過ごすことは難しいですが、これに限らず大多数が良いから良しとされていることは他にもあるだろうなと思いました。 まずは福本先生が研究室で行なっている様々な活動が改めてエンタメ要素的にも、コミュニケーションのためにも、地域のためにもとても役にたっていると思いました。安全について日頃は漠然としたイメージしかありませんでしたが今日の講義を受けて、安全とは何か考え直すきっかけになりました。 毎年のように災害が起こっている今の世の中を生きていくために、防災・防犯について積極的に学んでいきたいと思う。あと具体的に何をしたいのかは決まっていないが、人の助けになることがしたいと思っているので、ここで知識を蓄えて自分にできることを模索していきたい。 安全とは何か、私は戦争や災害に巻き込まれない場所にいることだと思っていました。他の生徒の色々考えて書き込んだ意見もみれて面白かったです。水を飲んでガンになるリスクを例にあげていたが可能性は比較的低く、自分が許容できる範囲の危険のことを安全というのだと学びました。 今日はガイダンスと少し授業の内容に入り空間安全論がどういった授業なのかを教わりました。誰しもが考えてみると被害にあっていた経験があると聞き私は大きな被害は無かったけれど九州北部豪雨や熊本地震、今回の能登半島地震など色々な災害を経験しているなと思いました。また安全の定義を初めて知ったのですが、これは全員が納得できる定義なのかと少し疑問に感じました。経験があるからこそできることがあると思い、この講義を通して安全な空間とはどのようなことなのかを考えていきたいと思います。 “安全を「自分事」の規模で考えることにより、正しい目線で(建造物あるいは場所の)安心・安全を模索できるということ 「安全」の決め方やその基準は曖昧なものであり、場合場合に合致した対応をしていくことが重要である。” 安全が、全てに科学的根拠があるとは限らないということには驚きました。安全と聞くと100パーセント信用してしまいますし、特に安全ですと言われていなくても、この平和な日本で売られているものなら安全だろうという前提で買い物をしたりしています。災害に対ししても、津波到達予測などをみてここは絶対にこないだろう、自分は大丈夫という気持ちがまだ少しあるように思います。ここ数年で少しずつ実感していますが、何が起きてもおかしくないくらい世界が急速に変化していることを忘れずにいたいです。 福本先生が東日本大震災においてどんな活動をしていたのか具体的に知らなかったので、今日活動を知って驚きました。私は福島県出身で、福島の学生は多かれ少なかれ必ずと言っていいほど被災された方の話を聞く機会や実際に震災遺構を訪れる機会があるので、福本先生の言っていた話はよく分かります。福本先生が見せてくださった写真も高校の学習旅行で行った場所によく似ていて、もしかしたら訪れたことがある場所かもしれません。私も津波の被害が無かったとはいえ被災したひとりなので、当時のことは今でも鮮明に覚えていますし、今でも地震にトラウマに近いものがあります。福本先生が仰っていたように、『いまの率直な気持ちを伝えてください』などの質問は、どんな答えを期待されているのか、どんな反響を呼びたいのかということも考えてしまっていい気分はしません。しかし、当事者が半ば諦めムードになってしまって希望を見いだせない時、復興させるのだ、町おこしをするんだ、と、率先して動き前を向かせてくれる方の存在はとてもありがたいと感じます。そうやって過去から教訓を得て、次に起こるかもしれない災害の被害を減らしていこうとすることが、空間安全論を学ぶ意味なのかなと思いました。自助と共助の話は、私も思うところがあるので話を聞けるのを楽しみにしています。 授業内のアンケートを通して、自分は他の学生と比べて、防災・防犯に対する意識が高いということに初めて気づきました。身の安全を常に確保しておくことは難しいですが、万が一に備えて常に警戒しておくことは大切だと思います。今後も今の意識を忘れずに過ごしたいです。 先生が災害についてのテーマで博士号を取得した話が印象に残りました。とても重い出来事なので、それについて考えることも調べることも大変なものをあえて選んで、多くの時間をかけて学んだ姿勢や実績が本当に素晴らしいなと感じました。私は災害で被害に遭った経験はほぼありませんが、だからこそこの話題について正面から向き合っていくべきなのかなと感じました。災害などのリスクは他人事ではないので、「知らない、分からない」で終わらせないで、自分で調べたりこの授業を通して少しでも意識を高めていきたいです。 今回の講義の前半でおっしゃっていた東日本大震災関連の研究について聞き、当時のことを思い出しました。私はまだ幼稚園児でしたが山形県に住んでいて震源地に近かいこともあり、記憶に残っています。子供ながらにテレビや周りの大人達の物々しい雰囲気も覚えています。小学生に上がってからも被災してくる転校生が多くて地震の影響の大きさを感じていました。WORK-1のアンケートで防災に対しての準備は万端か質問がありましたが、防災バックの準備はしていましたが、食料備蓄やハザードマップで確認したことはありませんでした。今回をきっかけに防災・防犯対策を十分に行っていると言えるように準備したいと強く思いました。 防災意識について考え直す機会になりました。授業を通して東日本大震災のことが思い浮かびました。東日本大震災の時は私は保育園児で、地震があって家に帰ることになったということぐらいしか覚えていません。当時テレビでなにか大変なことが起きているなとあまり理解できていなかった気がします。当時の私のような子供に向けた防災のアイデアがあるといいなと思いました。授業内で紹介された防災トランプは子供から大人まで使えるいいアイデアだと思いました。 私は日本の中でも災害が少ない地域出身だったので日常が脅かされるような大規模な災害は経験したことがなく、被災地がどのように復興していくのか全く考えたことがなかったということに気づき驚きました。また、完全な安全というものはなく個人によっても定義が変わり、自分の中で安全と危険の線引きを考える必要があるのだと学べたのでもう少し自分がいる環境について考えたいです。 福本先生が実践してこられた取り組みの中で、被災者の方にインタビューをしてそれで終わりにせず、一緒に時間を過ごしながら解決策を模索していったという活動が、被災者の方に寄り添ってひとりひとりの安全に考慮した取り組みをされてきたのだと分かり、その心がけの重要性を感じました。 私は以前に大きな災害を受け、身を持って体験している立場ですが、その災害が過ぎ去ってしばらくした後の自分はどういった行動をとっていたのかあまり覚えておらず、正しい判断をしてその後の生活を送っていたとは思えませんでした。そういった過ちを今後に引き延ばしにしないのが空間安全論の目的だと感じました。今回の授業で印象に残っているのは、日々生きていて空間と私たちは接触し合い互いの影響し合うということを改めて認識させられ、災害に関わらず、人と人との間にも現れる目に見えない空間も何らかの影響を与えているということを念頭におきたいと思いました。 今日の授業において、アンケート結果を見た際に防災、防犯対策をしているかという質問に対して半数の人がしているが十分ではないという回答が印象に残りました。特に普段から防災対策についてニュースやSNSを通して情報を見ることができる今、防災意識の高まりは十分にあると思いますし、実際に行っているという人も多いことが結果としてわかります。また、自身が行っている防災対策について自由に回答ができる項目でも多くの対策をしていることが見て取れました。そんな中でも防災対策に関して十分ではないと感じているというのはなぜだろうと思いました。先ほどニュースやSNS等で防災関連の情報が多くあると言いましたが、情報が多すぎてどこから始めたらいいのか分からなかったりそこからの情報だけが全てというわけではないのも現実です。私たちはどの情報を信じるか選択することができますが多すぎるあまりに十分に対策ができていないのだと思っているのかなと考えました。 安全は世の中の大多数の人を基準に作られているというお話の中で、もし自分がその対象外だったらと考えるとぞっとしました。災害時には障がい者、高齢者、外国人などは圧倒的に不利である一方、最近では避難呼びかけの多言語対応が話題になっていました。この授業で安全について学びながら、視覚デザイン学科の学生としてユニバーサルデザインへの造詣を深めていけたらと思います。 アンケートを行った際に、最も恐れていることが「地震」だったことについて、最近各地で大きな地震が頻繁にあるから、私を含め多くに人が安心できていないんだなと感じました。でもいつ何が起きてもいいように、防災バッグや非常食の準備など、自分一人で行えることがきっとあるので、近々自分を安心させるためのものとして取り組んでいけたらと思います。福本先生が東日本大震災の際に、被災された方々と同じ時を過ごして話を聞いたとおっしゃていて、親族などの大切な人や大切な場所を失い、心に深い傷を負ってしまった方々に寄り添った上で復興のために全力を注ぐ姿がとても素敵で感心しました。これから空間安全論を通して、少しでも安心な未来が作られるような考え方を身につけられたらと思います。 空間安全論という講義名から災害などに対する対策や復興支援について考えることは予想できていたが、コミュニティデザインについても学ぶことができるということがわかり、自分が今後取り組みたいことに繋がると感じた。初回のアンケートからそれぞれの危険だと感じている災害などについての統計を知れて興味深かった。 福本先生はなぜ東日本大震災での復興に取り組んだのか気になりました。市民たちとの関係値が薄く簡単には話を伺えない中で活動をしようと決めたきっかけがあれば知りたいです。そして、実際に町の復興後に市民が集まっている画像を見て、その行動力で実現性のある活動をされていたことがすごいと感じました。 被災地をどうやって回復していくかの話で、被災地の方々に寄り添う形で調査をしているというのがとても印象に残りました。被災者の方々の心を蔑ろにしてしまうような調査を行った結果の課題解決は、本当に課題を解決したことにはならないと思うので、とても良い調査ステップだと思いました。 “学んだこと 情報集めの方法 インタビューではなく一緒に時間を過ごす中で段々に知っていくという方法がある。 空間の漢字的意味 空っぽの部分と寸法、で構成されている。 安全の漢字的意味 女性も家で安らげる、道具が集まった、加工がきちんとできた状態のこと。 世の中で使われる安全の決め方 決めた基準より被害が起こっているかどうかで決まる。 考えたこと 直接的なインタビューの代わりに、時間を共に過ごすことは、被災者の気持ちを悪くせずに情報を集めて今後に繋げられるいい方法だと思ったので私もこれから参考にしたいと思いました。 安全といわれていることと、自分が被害を受けるかどうかは別だと知りました。安全の基準が低ければその分被害も少なくなるので、安全という言葉だけで安心せずに、何を持って安全としているのかを確かめるようにしたいと思います。” 漢字の成り立ちから「空間」を解説していただき、理解が深まった。門に日が差し込む様を「間」と表現するのがかっこいいと思い、印象に残っている。安全は社会的合意として使われている言葉と知り、被害を受けた側について情報を集める必要性を感じた。 “社会問題をコミュニケーションによって解消していくという物事の捉え方がとても素敵だと思いました。私は福島県出身で、津波被害はなかったものの実際に被災しました。住んでいたまちもお店の壁や道路に亀裂が走ったり、水漏れがしたりと大変だったことを思い出し、先生がおっしゃっていた自律的に回復するまち、『回復力がある町づくり』というのが非常に興味深かったです。あと、直接授業には関係ないのですが、福本先生の被災した方々に寄り添って時間を過ごして話を聞く、というのが感動しました。実際、当時のマスコミの対応が本当に嫌なものだったので・・・心に寄り添うことが本当に大切なんだと思います。 前期の講義、よろしくお願いします。” “安全というものは人の感じる印象としての側面が大きいと思っていたので、安全が社会的合意を基準に成り立っているというところには納得させられる物がありました。 リスクに対する懸念というのはどこまでも発生しうるので仕方ないですが、社会的合意に基づく安全に対して不十分に感じる時がたまにあります。” 自分が思う危険よりのとても多くの視点からの危険を知りました。災害だけでなく、事故や病のことも考えないと自分の「安全」を守れないなと感じました。また、国の言う「安全」と自分の身の「安全」はこんなにも違って、自分の安全についてもっと関心を持たなければいけないとも感じました。 今回の授業で、災害で被災された方々からお話を聞いたという話題があった。幼い頃からテレビ番組でそのようなインタビューを見ていたのだが、月日を経るごとにどこか疲れているような印象を受けることが多くなった。放送して語り継ぐことも大切だとは思うが、何度も語れば復興が勝手に進むわけではないのだと複雑な気分になった。また、現在社会的に用いられている「安全」は絶対的なものではないという点についても、リスクに敏感になり過ぎてもリスクを無視し過ぎてもいけないバランスが難しいと感じた。 安全という単語に関して、実際に質問されると悩んでしまいました。これまで自分の認識があやふやになってしまっていたことに気づき、初めてどういったことか深く考えるきっかけになったと感じました。自分自身今年のお正月に起きた地震の影響で実家が断水したり地割れしている箇所があったのを目の当たりにしたりして、あの時は『自分の安全』について全く考えられていなかったのだなと思いました。個人にとっての安全と世間にとっての安全を噛み合わせることが難しいということについて、能登半島地震の時に身に沁みて感じました。自分が支援する側でも自分も災害を受ける可能性があることを理解しなければいけないし、被害を受けた側でも冷静に対応できるように日頃から認識を深める必要があると感じました。 社会で使われる「安全」の定義が印象的でした。今までは害がないから安全のように思っていたけど、実際はどれだけの人にとって害があるか、という反対の視点だと知りました。他にも自分の認識と社会での定義が異なっていることは多くある気がして、この授業でも見つけて再認識していきたいです。 私が今回の授業で印象に残ったことが二つあります。一つはコミュニケーションを大切にすることです。ただ知識や知見を高めるだけではなく、周りの人と問題について議論したり、考えたりしてアプローチしていく所が必要であることを学びました。もう一つは、空間と安全について、空間は環境や人との距離などいくつも見出せるところがあり、安全は心的外傷というよりかみんながこのレベルなら絶対に安全だという社会的合意を基準に安全を決めていることも学習しました。今回で空間安全論について何を学んでいくのかが大まかに理解できたと思います。次の講義も頑張って取り組もうと思います。 大きな災害が起こった時には復旧するための支援が重要なことが重要なことだと思っていたが、災害での甚大な被害を減じる対策や被災地域が自律的に回復することができるレジリエントなたくましい都市作りなどの土台の部分も重要になってくることが理解でました。また、印象に残った一つとして『津波で壊滅した集落の再生』の研究の話で出てくる研究するための土台で大事にしていたことが現地の人へのコミュニケーションだったので現地の状況や被災の雰囲気や気持ちなどが伝わってくる濃い話でした。その話で出てきた防風林が自分の地元である沖縄にも馴染みがあるので印象深く、福本先生のまちづくりの考えの5%が防風林であったのがダイレクトなの地域の特色だと感じ面白かったです。安全について自分ごとのように考えることは今までなく、今回自分の安全の条件は他人とは違うのかもしれないということが分かり、安全に対する認識が少し変化し、『自分ごと』に考える大事さに気づきました。 “この講義では自分の身の回りに起きるであろう危険をイメージすることが大切だとわかりました。私は大きな災害や犯罪による大きな被害を受けたことがないので、この機会に考えを深めていきたいです。 安全という言葉についても考えさせられました。多くの人の安全が世の中では安全と表されていることが分かりました。 また、先生は被災された方と時間を過ごすことで少しずつ話を聞いていったという話が印象に残りました。先生のように、話を聞いて復興の手助けしたい人や、テレビの取材をして全国の人に被災地の状況を伝えたいという人たちが、被災された方に話を聞くのはとても難しいことだったろうと感じました。” “今回の授業では安全について基本的な認識についてから考えることができたと思います。 安全についての話は印象的で、科学的根拠というものより社会的合意の上に安全というものができているということ。深く考えた事がなかったからこそ、その危うさにゾッとしました。津波や災害のたびに安全がというもの簡単に覆されると感じてきていましたが、食品一つにおいても安全が保障されていることはなく、安全性についてもう一度考えていかなければいけないと感じました。 ” “今回の授業を通して、災害や安全にまつわるトピックを学んでいく過程では、実際の数字に基づくデータ以上に人の感情を慎重に扱う必要があると感じた。 東日本大震災の復旧支援活動において、私たちのインタビューが人々の傷口を広げてしまったように、安全が社会的合意という「感情の集合」によって定められているように、空間安全論を学ぶということは人々が災害や安全に対してどう感じているか、どう行動するかを学ぶことであるように感じられた。 また、災害や犯罪を「自分ごとで考える」という点について、アンケートから造形大生の中でも防災・防犯の意識が未だに定着していない事実が読み取れ、非常に衝撃的で印象に残った。 今年1月の地震の際、私は埼玉の実家に帰省していたため身の危険は無かったが、長岡に残った友人たちと連絡を取っていく中で、いつ日常が壊れてしまってもおかしくない時代に生きていることを再認識させられた。 学生の多くが新潟県外から進学し、長岡で一人暮らしをしていることから、自分の身を自分自身で守るためにも、この空間安全論の授業で学ぶことはこれからの大学生活において大切になってくるのではないかと思った。 前期の約4ヶ月を通して災害と犯罪、そしてそれを取り囲む人々の行動について学び、自分の制作活動に活かしていきたい。 これからどうぞよろしくお願いします。” “私はアンケート1-1で防災を行なっているかという質問になしと回答しましたが、共有された結果で防災や安全について意識が高い方がとても多く驚きました。加えて何もしていないという危機感が自分の防災の意識を高めるいいきっかけになりました。周りの意識を知るということも防災になるのかと思いました。まずは防災カバンから作ってみようと思います。 その後の社会的合意に対する安全について多数派が安全と回答していた際に自分がもし多数派に入っていなかったら安全とは言えないというお話を聞いた時どきりとしました。災害について何度も忘れてはいけない、覚えておくことなどの記事や話を聞きますが忘れてはいけないのは自分がいつでも災害の当事者になり得るという意識であり、危険の感覚を忘れてしまうことが一番危険だなと実感しました。” 今回の講義を聞いて、安全の定義は一言で表すと簡単に出来るかもしれないが、人によって「安全」はそれぞれなのかなと思いました。世の中で使われる「安全」は被害が起きないこと、不安要素がないことだと考えましたが、実際被害が起きないことはないし、被害が起きれば誰しも不安は付きものだなと思いました。また、その不安要素は様々な度合や方面に向けられるとも感じました。この講義は自分ごとで「安全」を考えると言っていましたが、それで終わらず、周りのことも考えられる学習にしていきたいなと感じています。 “被災地復興の観点から、「被災しにくい街作り」という取り組みはよく耳にしていました。その話を聞く中で、「災害」という避けて通れないものをしにくくするという行為は現実問題難しいのではないかという疑問がありました。 今回講義で紹介された「回復力のある街づくり」という視点は新しい視点で実現面もあり、また上記の疑問の解決案でありました。災害という避けて通れないものを、「自分のできない範囲の課題」だと問題を切り分けて考えその上で、自分たちにできることはなんだろう?という疑問から「自分たちでできることの最善策」を考えて物事に取り組んでいる姿勢が学びになりました。空間と安全の視点で大切な事は「誰にとって何が危険なのか」「どんな被害を受けるのか」「対策や教訓は何か」ということであり、「安全」とは「社会的合意」に基づく約束事。すべてに科学的根拠があるわけではなく人が感覚的に決めている部分がある 全てにおいて「安全」ではない。ということを学びました。 印象に残った事の一つとして、自分が行っていた「福祉」×「芸術」がテーマで老人ホームで、利用者さんの目の前でお話しながらライブペイントを行う行為は「コミュニティーデザイン」や「アートコミュニケーション」である事を認識しました。 この行為は、どのような事の位置付けになるのか疑問に思っていたので特に印象に残った次第です。” 私は安全とひと口に言っても様々な捉え方があるよなと思っていましたが、アンケートで皆さん本当に様々な意見が出ていて面白いと思いました。その中でも、安全というのは100%がないものだと思うので、「危険を出来るだけ取り除いた状況」と回答しました。 安全であることは当たり前ではないとおもわなければいけないと再認識出来た。また、普段から防犯対策や災害に備えての準備などをしておかなければならないと改めて準備の重要さを感じることができた。これから少しづつ意識して備えていきたい。 被災された方々へのインタビューをする際に、一緒に時間を過ごすことで被災された方々の心に寄り添って話を聞いたと仰っていたことが印象に残っています。どんな状況でも思いやりの心を持ち、相手の気持ちを配慮することは、自分がやりたいことがあるときほど大切にするべきだと思いました。能登地震で家族を多く亡くしてしまった方が何度も取材を受けていました。そのときは、とてつもなく辛いだろうなと同情することしかできなかったのですが、今考えると生活と家族を失ってとても想像できないほど心が苦しい状況の方に、見ず知らずの記者が囲みこんで取材するというのは少し思いやりが欠けているのではないかと思います。今後はただそのままニュースを受け取るだけでなく、被災された方の気持ちを自分なりにくみ取っていきたいと思います。また福本先生が大切にされている、「じぶんごとで考える」を意識し、自分の防災対策を見直すとともに、正しい災害の知識、防災を周りの人に広め、社会全体の意識の向上に貢献していきます。 今回は空間や安全の定義から、私たちの防災・防犯意識について考える事が出来ました。私は東日本大震災を保育園の卒園式の時期に体験し、山形県の実家も掛け軸がゆらゆらと揺れ、停電したので夜は家族でガスコンロを使って食事したことを覚えています。最近では新潟県での地震で、飲み物が入っていたコップが倒れ、カーペットに飲み物が染み込んだのが大変でした。これから空間の安全について学んでいき、プロダクトデザインをする者の立場から製品を通して空間の安全を考えていきたいと思います。 今回の講義で私は、「大勢の人が安全であっても、少数安全とは言えない環境にある人がいる」という言葉がとても印象に残りました。今まで自分が生きてきた中で、絶体絶命な状況や、命の危機を感じたことが無いのでそのような考えに至らなかったけど、この言葉から今自分が安心して暮らせるのはとてもありがたいこと、難しいことなんだなと改めて実感しました。 “世の中における安全の定義は、社会的合意に基づく約束事であるということが印象に残った。また、感覚的に決めている部分があるということについて個人的に、”メディアが何かしら科学的根拠に基づく様な数値を用いる”事によって、安全だと感じる、妄信的に信じる人もいたりするような……とふと思った。他には、高学歴や名誉教授の肩書きがある人物が発信しているから、など。 上記の例のように、安全かどうかについて、メディアから受け取る情報においては特に人は感覚的に安全を決めていると思う。” “文部科学省の「安全」「安心」は客観と主観それぞれに基づいて定義されいていると聞いて納得したはずが、現代における「安全」の決め方の手順を聞いても、基準がいつの間にか「社会的合意に基づく約束事」という主観的な判断になっているということに気づきませんでした。まだどこか他人事で、自分が十万人のうちの一人になる可能性について深く考えられていないのだと思います。自分自身の安全対策と社会全体でのリスクヘッジは必ずしも噛み合うわけではないことを常に念頭におかなければならないと感じました。 ただ、私の地元栃木県は平野かつ海なし県で気候も治安も比較的穏やかなため、身近なところで起こる不幸はあまりなく、防災・防犯対策などを自分ごととして受け止める感覚があまり育っていないと感じています。しかし、いつどこで起こるかわからない災害に対して今のままではいけないという気持ちもあるため、より自分の体験に基づいて理解を進めていけたらと思います。” 安全と安心の違いに意識した事がなかったので漢字の成り立ちから意味を捉える方法は良いなと感じた。使われている漢字の意味からその言葉の解釈を考察するのも面白いと思った。アンケートで安全とはの問いに対して人によって捉え方が違うことがわかり面白いと感じた。災害や防犯の意識をどれくらいしているのかなどの結果が円グラフで見られたので自分と他の人との比較がわかるのは良い事だと感じた。 アンケートの結果を見て、防災・防犯意識がみんなおおよそ同じくらいだったのがとても印象的でした。やはりみんな自然災害よりも人的災害のほうが身近に感じている為、そっちのほうが強めに意識しているのかなと思いました。 今回印象に残ったものは講義後半で出てきた「安全」「空間」の漢字から安全、空間のあり方を考えるもので、改めて漢字ってよく出来ているなと感心しました。もしかしたらこうして漢字の成り立ちをよく観察することで見えてくる本質や時代時背景が新たな発見をもたらしてくれるのではないかと感じました。今後アイデア展開などで行き詰まった時は参考のひとつにしていこうと思います。 安全とは、全てに科学的な根拠があるのではなく、社会的合意に基づく約束事であるという話が印象に残っています。確かに、全ての事象において安全であるという根拠を提示することはできないと思います。言葉でいう「安全」は、辞書的な意味と異なることを理解していないと捉え方か変わると感じました。 空間と安全の言葉自体について考える話が普段あまり深く考えることのない話題でした。空→穴+工(何かしらの作用によってなにもなくなった領域)、間→門+日(何かと何かの関係)、安→家+女(女性も家で安らげる)、全→人+工(道具がきちんと集まった加工がきちんとできた)。ここの話は面白くて印象に残りました。 今回の授業では安全を多角的に考えることができました。アンケート結果から統計をとったり、漢字からその意味を考えたらすることで安全とはただ一言に危険から身を守るでは表せない時感じました。また、地震など大きな災害に目を向けがちだが、感染症などより身近に存在する小さな災害にも目を向けようと思いました。 空間と安全、それぞれの意味について一度考えることで今までと違った認識が得られました。特に安全の方はいざその意味を答えようとすると何も思いつかず、知っている気でいても実はわかっていないような言葉が他にもたくさんあるんだなと思いました。そして、実際の”安全”の使われ方はもっと社会的であり、すべてのものにおいて完全な安全を実現することはすごく難しいんだとわかりました。 元旦に起きた地震で一時避難をしたこともあり、今まで遠いことだと無意識に感じていた災害を身近な、いつどこにでも起こりうる脅威であると実感しました。授業概要での「ジブンゴトとして考える」ことをこれからも忘れることなく持続していけたらと感じました。ワークショップ楽しみです! 自分の考える安全と世の中や他の人の考える安全は少しずつ違っているのだなと感じました。安全に対する意識は人それぞれ違うけれど、それに対する取り組みは積極的に行ったほうがいいと思うし、全員が意欲的に取り組んで知識の共有なども行うべきだと思いました。どんなに注意をしていても自然災害は必ず起こってしまうので準備ができるうちに対策をし、いざという時にいかにベターな行動をすることができるか、考えるべきではないかと感じました。 安全と安心の違いについて、今まで特に考えたことはなかったけれど、振り返ると無意識のうちにその二つを使い分けていたなと感じた。でも、講義で言っていたとおり「安全」が科学の面で使われているケースが減っているなと思った。交通ルールでも「安全地帯」と安全のつくものはあるけれど、開放的で車が侵入することもできるし車が突っ込んできても全く安全ではないなと、言葉の意味や傾向を鵜呑みにして何も対策をしないのは危ないなと学んだ。 “今回の授業で、わたしが学んだことは、建築・環境デザインでは三つの軸からできていて、生活軸(ひと、こと、もの)、空間軸(街路、建物、空地)、自然軸(地形、水、緑)から成り立っているということです。 また、アンケートで、ほとんどの人が災害の対策が出来ていないということに驚きました。日本は災害大国なのにも関わらずいかに、私を含め日本人の災害意識が低いのか再確認させられました。” “ 安全を分解して考えた時、私は安心と万全が思いついた。だから、安から家や女、全から人や工などは全く思いつかなくて面白く印象に残った。 災害に対して自分がなにも準備していなくて、改めてもっと対策をしないとと思った。天気に興味があるので、大雨などを逆に活かしたまちづくりを、考えてみたいです。” “危険な災害は何かというアンケートで、2020年に疫病、感染症の項目について危険だと思う人が多かったのはなるほどなと思った。また、地震は頻繁に大きいものが起こっており、身近にあるとても危険な災害として強く認識されているのだろうなと感じた。 また、災害に遭われた方のインタビューに疲れてしまっていたというエピソードも印象深かった。確かに、自分自身が災害に遭ったら、それどころではないだろうし、先が見えない中で、災害に遭っていない人に、わざわざ話したくないだろうなと思った。無神経なことを言われるかもしれない可能性が高いし、話しても共感できないでしょと冷たく思ってしまうかもしれないと感じた。” 今回の講義では、地域調査から研究を進めた先生のお話が印象に残っています。特に被災した方々から、無理やり聞き取りを行うのではなく、聞こえてくる内容などをもとに研究、調査を行っているというのが、地域住民への配慮や、まちのデザインという着地点に向けた活動内容がしっかり関連されていてとても参考になりました。最後にあった安全についての認識は、万人に当てはまるものではないという事実を再認識しました。社会的合意のもとでの安全であるという普段特に気にしていなかった内容なだけに、自分や他者の安全とは何なのか、改めて考える機会になりました。 今回の授業で印象深いと感じたところは、先生が行ってきた東日本の復旧活動だ。他の授業でも先生のこれまでの体験談などを聞いてきたが今回、写真も加え改めて考える機会があった。実際自分は東日本を受けたときは5歳で保育園の年長であった。当時は何があったのか理解できていなっかった。先生方がとても慌てていた。それほど大きな揺れであったのだろう。年を重ねるにつれ地震についていろいろなことを学んできた。先生の話ももっと聞いてみたい。 “東日本大震災の被災状況を実際にどうやって調べたかを知ることができました。被災された方に直接話を聞くこと自体難しく、とても時間をかけて調べたことも分かりました。その中で、福本先生は被災された人々と一緒に時間を過ごし、生活をすることでぽろっと出た言葉を聞き逃さず話を聞くことでよりリアルな感情を知れたのだと思いました。 安全とは何かと考える時に、言葉の意味を調べるのも大事だけど、画像で検索して視覚的に見ることで言葉への理解を深めることができると学びました。” “自分が今まで経験してきた災害の中で、大雨や洪水、土砂崩れがありますが、大きな被害を受けることはありませんでした。自分の家は最近建てられ始めた集合住宅で、過去の災害から学んだことを生かされた地形なのかなと疑問をもてるいい機会になれたと思いました。 また、自分にとっての安全と、近くにいた友達にとっての安全が違っていたので、人それぞれの価値観があることを知りました。安全というのは人それぞれの感覚ということなので、自分で何が安全なのか考え直すいい機会にもなったと思いました。” 自分は弱い地震は何度も経験してますが、地面が割れたり、家が倒壊したり津波が来るなど大きな被害を受けた事も実際見た事がありませんが、アンケート結果を見て自分が思っている以上に大災害を経験している人が多かった事にとても驚きました。 安全とは何かと聞かれると、意外と答えられないものだなと思いました。例えば、今自分の身は安全であると勝手に思い込んでいますが、それは自分がたまたま危険な目に遭っていないから言えることで、安全が侵害される可能性はいくらでもあります。そう考えると、安全というのは時と場合によって変わるものだなと思いました。 今回の授業で印象に残っているのは、災害などを経験したことのある人が想像以上に多かったということです。自分は経験したことのない身であったので、経験のある人はもっと珍しいものだと思っていました。しかし今日のアンケート内容を見て、災害を受けたことがないということが幸運であり、同時にありがたいことなんだなと改めて感じさせられました。しかしながらこれから先の人生、一度は災害に遭うことがあるかもしれません。そうなってしまった時のために、日頃からの備えをもっと心がけようと感じました。 少し空間安全の観点からずれてしまうのですが、東日本大震災の集団移転の話が印象に残りました。被害に遭われた方に最後まで寄り添い続けた福本先生もそうなのですが、移転が完了したのが2015年という話を聞き、心にくるものがありました。私は東日本大震災を経験こそしましたが、それほど実害の無かった地域で、揺れは怖かったですが、そこまで気持ちを引きずるようなことはありませんでした。震災が起こった直後はテレビで連日被害の様子を見ていましたが、時が経つにつれ、日常に戻り、きっと2015年は「震災からもう4年も経ったのか」なんて考えていたと思います。そんなふうに私が生きている一方、同じ日本の中で、震災の被害から立ち直っている最中の人がいたかと思うと、すごく胸が締め付けられる思いでした。そんな、人間に甚大な被害を与える災害について私は今までどこか他人事で、この授業を通して、安全と災害について、自分なりに考えを深めていけたらと思います。 人間は誰しも安全を求めていると私は考えています。被災、事故、事件等のニュースが日々絶えない今ですが、私自身が実際に体験したことはあまりありませんでした。意識が薄れていることが自覚できたと共に、今回の講義で安全とは何かを考えるきっかけになりそうだと思いました。 安全についての認識だけでも住んでいる地域や環境・経験によって違っていて、改めて空間安全論についてどういったことを学ぶのか、また自分がこの授業の中で何を考えたら良いのかを考えることができました。建築の分野を学ぶなかで、他の授業とも自分の中でリンクして取り組めたらいいなと思います。 私は今回の授業で安全とは何か少しだけわかった気がしました。この授業を受けたあと個人的にも、安全とはどんなことか調べてみました。すると、個人、組織、社会さまざまなレベルで安全性を重視しているところが違うことがわかりました。なので、規模によって変わる安全について興味を持ちました。 東日本大震災は12年前のことですが、本当につい最近のことのように思います。それ以来何かあった時のために非常用の水や食料品などを家に溜めておくようになりました。空間安全論で学ぶ内容はすごく大事なことだと思うので、一回を大事に受講したいです。 安心の安の成り立ちについて、昔は治安が良くなったから家で仕事をしている女の人が何事もなく過ごせる状態が安心だよねという話を聞いて、なるほど!!!と思いました。今はそれが普通なので気にしたことはありませんでしたが、家で一人でいても怖い思いをしないのはすごいことだと改めて思いました。 能登半島の地震で珠洲市に住む友人が被災し、車で何日も生活したり家中のものが跡形もなく壊れていたり、地面が割れ信号が倒れている写真などが送られてきて衝撃を受けました。それもあり、今回の授業は人ごととは思えなかったです。そんな間近に被災した人がいながら、自分は全く防災に備えていないことに気がつきました。家族と防災グッツについて話し合いたいと思いながら授業を聞いていました。 今日は初日でしたが、空間安全ということで、私は授業内の危ない、不安に思うことのアンケートで、どの空間を切り取っても危ないことを特に印をつけました。地震や火事などが多いのも納得でした。また、そのための対策は具体的にはできていないと思い、詳しく調べていきたいと思いました。 “安全という言葉一つとっても様々な解釈があることから、自分と全く同じように考える人はいないのだと思いました。 また、先に自分の考えを提出してから先生の話を聞いていくスタイルの授業形式は先に何も考えずに聞くよりも深まりがあると思いました。 世にあふれる様々な問題がコミュニケーション不足のために生じているという先生の考えを聞いてから、私が最近、近所の畑仕事をしているおばあさんに挨拶をするようにしていることが問題解決の1歩を踏み出しているように思えました。 また、「空間」や「安全」という漢字を分析することでそこに込められた意味を知ることができるところが面白いと思いました。” 講義中にあったワークで危険だと思う災害や事故に全てチェックをつけた結果、確か日照り、少雨の項目に多くの人がチェックを入れていなかった。私もその1人である。生まれも育ちも日本な私からすると、多雨な我が国ではどちらも経験したことがないためそれらに対する危機感が薄いのだと思う。しかし、地球温暖化が進んだ未来では日本もこのような課題に頭を抱える日が来るのかもしれない。 今回の講義を通して、自然災害や人為的脅威に対する対策を過去の事例から対策できるようにいろんな意見を取り入れながら、地域や個人レベルでの安全意識を高めることを目標に空間安全論を学ぼうと考えました。講義内のアンケートでは自分に似たような意見、反対の意見など、多様な視点からの議論を通じて、より実効性のある安全対策ができるよう努めたいと思います。(170文字) 安全とは、社会的合意に基づく約束事だということが印象に残っています。定義されていることには人が感覚的に決めている部分もあり、確かに、一般的に安全だと言われていることでも、少し不安だなと思うことがこれまでありました。「安全」は色んな視点から考えることが大切だと思いました。 より良い社会を作るには人と人の関わりが大切で、その場所を形成する空間について私はこの授業で学べたら良いと考えています。そのために自分にとっての安全の判断基準、リテラシーを見る目を養っていこうと思います。 “東日本大震災の画像を初めてしっかりみてこんなに恐ろしくて、一瞬で全てが無くなるんだと怖くなりました。この授業を通して安全について深く考え、自分の中で答えを出していこうと思います。 実家では防災グッズを持っていましたが、一人暮らしになってから防災グッズを持っていないので揃えないとなと思いました。” 東日本大震災の現場に関わって研究をしていたことを初めて知った。6年の長い時間をかけていたことに驚いたけど、震災で心に傷を負った人からすると当時のマスコミには本当に疲れていただろうなと思う。自分自身が好きなバンドで震災発生時から現在まで東北や熊本、能登などで復興の活動を行っている方がいて、今まで復興支援の活動やどれだけ支援が行き届いていないかを見ていてもその団体に募金することしかできていないので、この講義で改めて考えを深めて、休みの期間にボランティアに行ければと思った。 自然災害や事故など、さまざまな災害を理解し、そこから経験や教訓を学び、対処方法を身につけることが重要です。これによって、自身の視点から、自分のいる空間で起こりうるさまざまな危険について明確な認識を持ち、適切な対処ができるようになります。 災害にあった時から立ち直す為の行動や、支援するされる関係を溶かすコミュニティを考える事がこれから講義を受講する中で大切だと感じました。またジブンゴトとして考える事も大事であり、今まで災害について考える時は自分以外の情報を元に対策を考えていたけれど、これからは自分がそうだったら、という視点をもって対策や教訓を考えるべきだと思いました。また安全とはについて考える時に、私は精神的な問題だと考えましたが、社会的合意に基づく約束事だと言われてすごく腑に落ちました。確かに社会的に安全と言われている圏内の外に居るか、中に居るかでは精神面の安心感も実際に自分の身に危険があるか無いかでも全く違うと思いました。レジリアントな都市という単語がとても印象的で日本は災害後の回復が早いため回復力があるという点では世界的に見ても上位だと思いました。 防犯意識が低いことを自覚する機会になりました。安心と安全の違いについて、客観的であるか主観的であるかの違いがあるということに気付かされました。特に違いに注目せずに同じように捉えていました。しかし防犯や防災に安心感を持って対策をしていても主観的な対策には意味がなく、客観的に状況を見て安全と言える対策ができるように心がけたいと思いました。そのことを意識できたことが学びであったと思います。 ” 東日本大震災を経験したこと、そして建築家を目指しているということから、私は「復興とは何か」という問いの答えを自分の中で導く必要があると感じています。 私は福島県福島市出身で、津波などの致命的な被害はなかったものの、小学生時代は外で遊べなかったり、常に線量計を首からぶら下げたりする生活を送っていました。 しかし、私たち福島の子供たちは、様々な復興支援プログラムを通してよい経験をさせていただきました。例えば心理的なケアを目的としたキャンプでは、福島で普通に暮らしていたら出会えないような大人と出会い、憧れ、職業選択の幅も大きく広がりました。(そして、建築の道を選びました。) しかし、常々思っていたのは、「フクシマの子」というフィルターが強くかかりすぎていたということです。復興支援をしている自分に酔っている大人たちからおもちゃのように扱われたり、ずけずけとプライベートに立ち入ってくるような心無い取材を受けたりした経験から、見世物にされている感覚が常に付きまとっていました。 そして、最もあきれたのは、原発事故後の賠償金や補助金などのお金のばら撒きによって、住民たちが変な方向に走ってしまったことです。私の祖父母は飯舘町という帰還困難区域に指定された町に住んでおり、震災後は避難生活を余儀なくしました。飯舘村の住民は、広大な土地を所有している人が多く、東京電力から振り込まれた賠償金はとんでもない額だったそうです。お金の使い方をよく知らない飯舘村の人々は、ある人は高級外車を何台も購入して他人に自慢し、またある人はギャンブルで破産するなど、「震災プチバブル」に乗った大人たちの姿を見るのは、子供ながらに苦しかったです。人間の醜さが凝縮されたような、そんな「復興」を見た私は、もっと他に被災者の未来を豊かにする支援の方法があったのではないかと思っています。 今回の授業を聞き、やはりこれらの問題の発生原因も、「コミュニケーション不足」であったということが分かりました。空間とは何か、安全とは何か、復興とは何か。これらについて、感情と科学の間のバランス感覚を養い、建築設計やまちづくりに還元できるようになりたいです。” 今回の授業では、授業名でもあるように人が生活しているそれぞれの空間で起こる災害とそれに対する策を持ち安全を作ることの大切さについて学んだ。災害に対して強いまちを作ることだけでなく、被害を受けたコミュニティが復興するための回復力のあるまちを作ることも重要になってくることが印象的だった 身近な危険や不安を思い浮かべた時に、地震や洪水などの自然災害や不審者に対してはとてもイメージがしやすいと感じましたが、あまり経験がない火山の噴火やテロなどといった危険には意識が低くなりがちだなと感じました。東日本大震災の被害を知っていても、能登地震が起こるまで日本海側には津波は来ないから大丈夫だと認識していたので、経験することが一番防災意識を高められるのかなと思いました。 長岡に来てから自分の身に何か起きたことがなく、比較的治安の良い街だと思っていたが人から聞くと不審者情報が割と頻繁に出ていたり、今回のアンケートで事故にあった人がいることがわかって自分視点だけだと分からないことは多いのだと分かった。また、自分たちが不安だという要素の上位が年度によって変わるというのも面白かった。 “安全とは何かを初めて考えて、自分がすごくぼんやりとその言葉を捉えていたことに気がついた。まず安心・安全という言葉が浮かび、安心はすぐにイメージできたが、安全は時間がかかった。安心は個人の感覚によるものなのに対し、安全はより一般的に広げた解釈になるのですぐに思い浮かばなかったのだと思う。 「安全」といっても確実なものではなく、自分にとっての安全とは何かを考えることは、災害や感染症などリスクが多い今必要な事だと学んだ。この授業を通して、自分事として安全について考えていきたい。” 今までは「安全」と「安心」の意味の違いについて深く考えたことがなく、ほぼ同義であるという認識でした。今回の授業で、これらの言葉の意味の違いを理解することができましたが、先生がおっしゃっていたように、安全と安心の線引きが曖昧になってしまう場合があるという点が、非常に興味深かったです。 今回のwork1-1で「安全」とはどのよう意味か?という項目があり、かなり悩んでしまった。漠然としたイメージはあったけれど、やはりそれを言語化するのは難しいし、まだまだ思考が浅い証拠だなとも思った。自分にとっての「安全」、みんなにとっての「安全」をこれからこの空間安全論の授業を通して深く考えていきたいと思う。 今回の講義では、東日本大震災の時の話が特に印象に残っています。復興のプロジェクトを進めていく中で被災者に話を聞く際に気をつけることなど自分が今まで考えたことがなかった視点での話が多くありとても感心しました。また、自分は中越地震が起こった年に生まれたので小学校や中学校で当時の震災のことについて何回か学びましたが実際に避難をしたりするような大きな災害を体験したことがありません。そのためこれからの空間安全論でより災害にたいしての知識を深めていくことで安全に対しての意識を高めていきたいです。 想像していたより災害や事故などが多いことに改めて気づかされた。私は東日本大震災の揺れや津波も経験していないので、対処法や備えも何も知らずこの授業を聞いて不安になった。安全を確保し、安心につなげるようにまずは知って行きたいと思った。 安心と安全の違いについて安全と言われた方が説得力があるような気がしていた背景には安全という言葉に客観的な視点が入っているからということを学べた。また、安全という言葉が100%物事を保証する言葉でないことを認識することができた。誰かにとっては安全で誰かにとっては命を脅かす存在にもなるアレルギー食品のようだなと思った。 今回の授業を通して、私たちの暮らしに影響する災害や安全とは何かについて考えることができました。私が四国出身で南海トラフ地震が起こることをとても恐れています。しかし、それらの不安は家庭で十分と言えるほどの防災対策を行えていないことが影響しているのではないかとアンケートを通じて思いました。また、「安全とは何か」「誰にとって何が危険なのか」ということを考えることが大切だということを学びました。これからの授業を通して深掘りして考えていこうと思いました。 これまで漠然と捉えてきた「安全」について、いざどんなものかと考えるととても難しかったです。薬の副作用などで「○%の人にしか発症しないので安全です」など言われているのをみて「発症している人いるのに安全と言っていいのか?」と思っていました。今回の講義を受けて世間のいう安全が「社会的合意に基づく約束事」であったと知り、これまでの疑問の回答を教えてもらいました。 私は福島出身で東日本大震災を経験したことがあります。その時の揺れは本当に恐ろしくて、今でも夢に見ます。アラートがなる夢を幾度か見ます。こないだの石川の地震を経験して長岡でも起きな揺れが発生したので本当に怖かったです。今日の空間安全論の話を聞いて自身の体験を思い出し、私も防災に対する意識を改めようと思いました。とてもためになった授業になる気がします。 自然をテーマに建築を考えていたときに、「人がいなくなった後の建築」という本の中でもレジリエンスという言葉が出てきた。色々な視点からこの言葉が出てきていることに、長い時間の中において考えるという価値観の大切さを感じた。 “今回の授業では安全についての定義や教授の被災地に対する行動について学びました。被災者の方々へのメディアの関わり方があまり良くないこと、実際に本人からお話を聞けるまでにとても長い時間がかかることを知りました。 世の中の考える安全の歪さについても学びました。” “私は出身が福島県いわき市なので3.11の震災を6歳で経験した。 まだ小学校にも上がっていないのに当時の記憶は驚くほど鮮明にある。 当時私は幼稚園の自由時間で建物の中にいたが、窓がカタカタしてることに気づいて先生にそれを言おうとしたら震度6弱本震がきた。 そのあともすごく鮮明に覚えている。 それもあってか、防災に対してとても関心が高く、一人暮らしの今もすぐに家を出れるように防災グッズを玄関においてある。(202字)” 安全とは人それぞれ違い、感覚的なものであるので絶対的な安全はないということを前提として、どうすればより安全か仮説を立てたりなどして最善を目指すことが安全とはなにかを考える上で大切だということがわかりました。 「安全」とは社会的合意に基づく約束事だと聞いてとても曖昧なものだと思った。その合意も被害を受けてない側から受けた側になるとその合意は無くなってしまうものであり、決めた基準よりも被害が起こってしまったり事実とは異なっても害があるという認識が広がってしまうと「安全」という認識は一瞬でなくなる可能性があると考えるととても不安定なものだと思った。先日、紅麹が体に害があると報道させて紅麹に対して安全という認識が変わった人が少なからずいたと感じる。自分自身もそれを安全なものという認識を変えていた。その後紅麹は体に害にならないと報じられたが、最初の情報で不安を感じた人がいたことは変わらないので摂取するものにかぎらずモノや環境、空間に関しても「安全」かどうかの社会的合意を聞ける基準となる情報を出す場合は細心の注意が求められると思った。 「安全とはなにか」を深く考えるきっかけになった。災害や事故など、危険なものは様々な種類が存在し、それらから身を守り、安全な状態にするということは必要なことでありながら難しいことでもあると感じた。私は北海道出身で、東日本大震災や胆振東部地震などを経験しているので、自分の体験談から学びに生かせることがないか今後の授業を通して考えていきたい。 “私の姉は新潟県内の建設業界で働いている。元日に起こった石川県の地震によって地盤隆起及び基準点の移動が発生したが、石川県内ではこれらの調査の人員が不足しているため、県外からの人員の要請が出されている。姉が働く会社は主に国や県からの仕事を受注しているため、災害時にはこれらの要請を受け様々な他県に向かうことになる。 災害の復興において、基準点のズレは致命的で速やかに対処しなければならない問題である。どのような建造物であっても三角点や水準点を基準にして図面を制作しているため、今回のような大きな地盤の変化は復興支援の遅れに繋がる。今回の災害の映像を見て、今までは津波や地震が恐ろしいと思うのが主な感想だったが、災害と共にある日本の「安全」とは、見えない様々な側面からも支えられているものだと授業の中の話と身近な人を結び付けて感じている。” 大学生になってから新しい土地で新しい環境で一人暮らしになり、慌ただしい生活の中防災や安全についてしっかりと考える機会はありませんでした。なのでこの授業をきっかけにここではどういう災害が起きやすく、もしその災害が起きたらどこに行けばいいのかなど調べようと思いました。世の中で使われている安全というものを今まで深く考えたことがなかったので安全という言葉の中にもいくつかの安全があるということを学びました。自分の基準としていた安全とはどのくらいなのか考えたいです。 “東日本大震災のときに、被災者の実態を調査するために、福本先生が実際に現地を訪れていて、時間をかけてそこで過ごしながら徐々に被災者の方の心を開いていって様々なお話を聞くことが出来たというお話を聞いて、やはり、そういう大変な時にこそ、被害の大きさなど、表面上の事だけを調査するのではなく、被災者の心に寄り添うことが一番大切なことだと学びました。 提出が遅れてしまいすみません。” 単純な建物の強度の話だけではなく、人々が安全に暮らしていける生活空間そのものをデザインしていく、という理念が興味深かった。「暮らしやすさ」をよりいろいろな視点から見ていくことで、私自身も空間の安全とはどういうことかということを考えていきたい。 空間の安全という言葉は聞き慣れておらず、ピンと来ていない部分が多かったが、授業を通してそれらの言葉の解像度が高まった。空間は「場所」という言葉とほぼ同じ意味だという認識であったが、そもそも哲学や数学などの分野によって意味が異なるもので、空間安全論での空間は何もない空というところに人やものが作用しあって関係ができているものであると学んだ。加えて、人と人を取り巻く建物や自然を合わせて空間について考えていくことができるのだと感じた。安全という言葉は、自分が危険でないことを指すような、どちらかといえば主観的な印象が強かったが、授業を通してむしろ客観的な意味合いが強いことが分かって驚きだった。社会で言われている安全が自分にとっての安全とは限らないことを踏まえ、今まで意識していなかった安全の基準を考える姿勢を身につけたいと感じた。 “今日の講義を聞いて防災における地域の人たちの関係性について改めて考えさせられました。 地域の方がに寄り添った行動をすることが、復興に向けて必要なことだと思います。そのためには、災害を受けた地域を知ることが大切であり、地域のイベントなど交流できる機会に積極的に参加することが大切だと感じました。” “私はアンケート1-1で防災を行なっているかという質問になしと回答しましたが、共有された結果で防災や安全について意識が高い方が多く驚きました。加えて何もしていないという危機感が自分の防災の意識を高めるいいきっかけになりました。周りの意識を知るということも防災になるのかと実感しました。まずは防災カバンから作ってみようと思います。 その後の社会的合意に対する安全について多数派が安全と回答していた際に自分がもし多数派に入っていなかったら安全とは言えないというお話を聞いた時どきりとしました。災害について何度も忘れてはいけない、覚えておくことなどの記事や話を聞きますが忘れてはいけないのは自分がいつでも災害の当事者になり得るという意識であり、危険の感覚を忘れてしまうことが一番危険なのかなと実感しました。” 地震で被災された人達のためにインタビューをしながら元々建っていた建物を調べて図を渡すという行動を行っていて実際被害に遭われた人はどういう気持ちだったのかなと思いました。壊れた建物が復元するために必要かもしれないと思うと自分としてはとても嬉しいなと思います。 “ インタビューよりも被災者の楽しい時間を増やすために時間を共に過ごすという方法があると知りました。今までにあるやり方に問題点を見つけて方法から変えて同じ目的を果たすということについて私も考えてみたいと思いました。 安全だと言われていれば無条件に信用してしまっていましたが、合意に基づく約束事だと知って、考えてみないと気づかないこともあるんだと思いました。言葉の定義は気になったらその都度調べてみたいと思います。” 思えば今まで「安全」という言葉を漠然と使い、それは親や行政によって享受されるものだという風に考えていたように思います。私の地元、富山では地震が少なく、日本中の災害などのニュースもどこか他人事のようにしか捉えられていませんでした。そのことに気づけただけでもこの授業を受講した意味があったかと思います。 “自分はデザイン学科の学生ですが、今回この空間安全論を学ばせて頂きました。私は新潟出身なのですが、中越大震災の際には生まれておらず、実際に体験した大きな地震は東日本大震災となります。初めて災害による身の危険を実感した地震です。 ” “病院に行ってから動画を見る時間をうまく取れず、今の提出になってしまいました。大変申し訳ございません。 1回目の空間安全論の講義を受け、自分が受けた過去の災害や現在被災している方々について振り返って考える時間になりました。私は東日本大震災当時は福島の飯舘村という、居住制限をかけられた区域に住んでいたため、避難、引っ越しを余儀なくされました。地震のみであればまだそこでのびのびと暮らせたものの、続けて原発が起こってしまったことを見て、災害は二次災害が必ず起こるものなのだなと再確認しました。また今回の講義の最後で全てにおいて「安全」ではないという言葉がしっくりくる出来事だったなと思います。 work1のこれからやりたいことで答えた、生まれた村の復興や村おこしに携わることができれば良いなと思います。 ” “安全というものが必ず保証されているわけではないことを改めて気づくことができた。 地震などの災害も、大きな被害を受ける確率はそこまで高くないが、日本人ならば一度は皆大小の差はあれど経験したことがあるだろうから、そのとき感じた恐怖感を忘れることなく胸にとどめておき、自分の住んでいる地域以外のどこかで大きな被害がでたときは進んで支援に勤め、被災地の方々の迅速な安全の確保に協力することが大切だと思う。” “福本先生が被災地で活動されていることを知らなかったので驚いた。また、地震をニュースのように悲惨さを伝える側ではなく、冷静に調査して研究する人を初めて見たので驚いた。日本のような地震が起きやすい国でいかに安全に過ごし、もし災害が起きた時に自分の身を守り安全を保つということはとても大切だと感じた。 ” 今回の話を聞いて、安全とは案外すぐ崩れてしまうものなのだと思った。能登半島の話題が出たが、その当時、自分はちょうど新潟に帰省していた。正月の雰囲気でゆったりしていた時に、3.11レベルの強大な地震に襲われ、本気で恐怖に包まれた。日頃から備えておくことの重要性を本当に感じた瞬間だった。 質問の内容で自分にとって安全とは何かと聞かれた時最初は自分の身に害がなければ安全と思いましたが、後になってから環境やガス、電気、水道、などが停まっていても果たして安全なのか、そして災害に限らず食品の衛生面での安全性など、安全というのは一つで括るのは難しいと思いました。 事が起こったときに周りの声掛けがあることの重要性がわかりました。自分は今まで思っていなかったのですが、大きな災害や戦争の場所や映像を見るとしんどくなって息が苦しくなるのだと今回の授業や今までの経験から自分を知ることができました。当事者だったわけでもないのですがこのような辛さを少しでも減らすために防災の意識を高めていきたいと思いました。 はじめのアンケートに答えるとき、選択肢を読みながら、自分は地震が起きた時に自分以外の命が危険にさらされていたら手をさしのべられるか、身近にいる大切な人のみならずその時目の前にいる誰かを助けることが出来るか、ということを考え込んでしまった。 もし今災害が起こったと想像したときに、慌てふためく未来しか見えなくて周りを冷静に見ることはできないのだろうなと思いました。改めて東日本大震災の映像を見ると自然の前では何もできない人間の無力さを痛感して、そのとき何ができるのだろうと考えました。まずは自分の命を守りきること、その後に周りを見てみんなで支え合うことを心がけたいと思います。今は顔見知り程度の人でもいいから知り合いを増やしていきたいです。 ある時のテレビで、災害が起こったとき自治会や行政(この場合は市役所だった)も動かなくてはならないけれどその市役所の人たちもまた被災者なのだとということを話すものを見ました。これには衝撃を受けました。しかし確かに言っていることは当然であり救助や支援をする側だからと言って被災者でないなんてことはないのだと。今回の授業の中で思い出しました。 やはり、コロナウイルスなどに脅威を振るわれた去年や一昨年とは違い、能登半島震災などが記憶に新しい中、地震というのもに皆が恐怖を抱いているということは必然的であると感じました。その他の災害でもなかなか聞くことのない災害があり、知らないうちに被災とかもあり得るのでしょうか。 津波の映像が一番印象深かったです。映像から被災した時の絶望感や無力感をとても感じた。また、正常化の偏見という言葉が刺さりました。心のどこかで、どうにかなるんじゃないかみたいな気持ちがありましたが、考えないといけないんだと直感的に理解しました。 私は石川県出身で元旦はちょうど帰省しており、車内で震度六弱を体感しました。福井よりの方に住んでいたため幸い被害はほとんどなかったのですが、祖父母が二人暮らしをしており祖父が自宅療養中で避難に時間がかかってしまいました。災害時に自分たちだけでなく、祖父母のような身を守るすべが少ない方たちの避難のことも災害がおこるまえに考えていきたいと感じました。
授業で使用する資料
- 【work2-1】 第02回 学びの軸をつくる(締切:授業時間内)
- 【work2-2】 第02回 work2-2 学習前後の比較(締切:授業時間内)
- 【work2-3】 第02回 学んだことの記録(締切:4月23日まで)
- 提出したかどうかの確認はフォーム内に存在する「回答の送信をコピーする」の機能を使用してください。
学んだことの記録
自分が思っている以上に津波の恐怖が出てきた。小さいときにテレビで見たものよりも恐怖を感じた。私は映像で見ただけだが、実際に体験した人は一生忘れることができないことだと思った。災害が起きた際は自分の命が最優先だと思うが、ちょっとした声掛けができればそれが共助に繋がっていくと思う。そのために、地域の住民との交流など現在の環境で考えていかなければいけないことがたくさんあると思う。地域のために貢献するなど今の自分にできることがなにかを考えて生活を送っていきたい。 被災した地域にいたので、あのような映像を小学から高校までなん度も見させられた事がある。その頃はあまりにも頻繁に見ていたので逆に脳が慣れてしまっていたが、今久しぶりにこういった映像を見ると改めて精神にくるものがあった。当時は家族が周りにいたが今は一人暮らしなので、もしそういった事が起きた時はなるだけ友人と助け合いたいと思った。 自身の動画を見る前は正直授業として防災についての話を聞いていたし、私が死の実感など一ミリも感じることはなかった。土地直下型地震?や南海トラフのことを怖いと常日頃感じてはいたが、実際自分が本当に死ぬなど一瞬にして消え去ってしまうことを現実的には考えれていなかった。でも動画を見た後、非常に今までの恐怖がよりリアルなものに変わっていった。あの波を見た瞬間私は死ぬんだと悟った。自分たちに迫り来る波をただただ見つめる光景、どんどん足場がなくなっていき波に挟まれる状況非常に足がすくんだ感じがした。私はその後の先生の話が動画を見る前とは違い、素直に入ってくる感じがした。脳みそに少しでも情報を入れなきゃと思った。 “共助は難しい、という話について。 私は長岡に来て3年目ですが、アパートに住んでいてまだ一回も冬の間に雪かきをしたことがありません。住民の皆さんもやらなければいけないことは分かりつつも、なかなか忙しさを言い訳にできておらず、住民の方と関わる機会を逃しています。このように、大学に通っていて災害に遭い、共助が必要になった場合にお互いを日頃から認識していないと助けたい思いがあっても助けられないし、助けてもらえないと今回の話を聞いて強く感じました。学生な街ではこのようなケースがもっと顕著だと思います。なので、もっと学校が主体となって学生と地域住民を繋ぐイベントや清掃活動などを企画してもいいのではと感じました。” “私は今回の講義を受けて、改めて自然災害にもっと普段から意識を向けて生活していきたいです。講義内での動画も、津波の近くで撮っているものがありましたが、まず私は逃げて欲しいと思いました。なぜあの状況下でも動画を回そうという気持ちになるのかとても疑問でした。 多分それくらい私達は普段から平和慣れしているんじゃないかと思います。 いつ自分や大切な人に災害が降りかかるかわからないので、改めて頭にそのことを意識して生きていきたいと思います。” 当時のリアルな映像を見ることで災害の恐ろしさを改めて実感しましたし、この恐怖心は忘れてはならないと思いました。一人暮らしを始める際、親が防災リュックを買ってくれました。しかし、実家の家族はそもそも防災リュックを持っていません。家族にも1人ひとつリュックを持つよう、話してみようと思います。日頃の備えを万全にしておきたいです。 自助共助公助についての知識はあったが共助の難しさについて考えたことは無かったので新しい気づきになった。確かに普段からある程度の交流をしていない人を災害で自分もパニックになっているであろうタイミングで気にかけることができるか、と言われると難しいと思った。少しでもいいから近所の人と交流を持てると互いの生存に直結すると感じた。 南三陸町の川だったはずの場所が瓦礫などでグシャグシャになっている様子を見て衝撃を受けた。崩れすぎてどこがどこかわからないという状況にあったと聞き、驚いた。なんとなく、自分は災害に巻き込まれないだろうという謎の思い込みを持っていたが、それは正常化の偏見というもので多くのひとは災害で自分が亡くなるとは思っていないということを学んだ。自分は関係ない、ということはない、いつ災害が来ても動けるように知識をつけたり、対策をしておかなければならないと実感した。 自分の中での「防災」の意識がいかに低いか、またいかに無知かを知りました。いざ緊急地震速報から津波の映像を見てみると、速報を聞いてすぐカバンを持ってドアを開けて行動、できるのではなくただただ現実を受け止められず、これが今自分のみに起きていることなのだと理解できずただただ呆然としている自分自身の姿の方が容易に想像できてしまいましyた。最初のアンケートで「自分の身は自分で守れるが、他者を守れるかわからないな」と考えていましたが想像以上に災害はあっというまでした。大切な人、自分の身に置き換えて取り組むことを前提にしようと思えました。 映像を見て当時のことが鮮明に思い出されました。福島出身であの時は6強の地震が自分の地区に来ました。まだ小1だった私は隣の家のお姉さんに助けてもらったのを覚えています。その時は1人では何もできない年齢で、初めての経験だったので近所のお姉さんには感謝しています。その時は助けられる側でしたが、今度は助ける側になれればなと思います。 被害者数に自分を加えられるかという問いが一番印象に残った。この言葉を聞いた時にハッとした印象が残っている。実際被害者数に自分は加わってはいなかった。心のどこかで自分は被害は受けないだろうと思っていた。大きな災害が起きた時代に生きてはいるが、直面んしたわけではない私とって災害はそれくらいなのかとショックを覚えた。 私は被災していないがそれでも心が辛くなる映像だった。東日本大震災では、自助の意識が強い人があまりいなかったのも津波の被害がとても大きくなった原因だと考える。津波はここまで来ないだろうと考えたり、家を捨てて逃げることに躊躇することで逃げ遅れる人が多数いたのだと思う。そのことを教訓に今年発生した能登半島地震では、アナウンサーの人が必死の形相と声で今すぐ逃げることを呼びかけていたのだと感じた。私は大きい地震を体験したことは無い。しかしすぐ逃げられるように防災リュックや、逃げるルート、避難場所の確認、持ち物を考えておくことが重要だと今回の授業で感じた。 「自助・共助・公助」の言葉は耳にしたことはあったんですけど意味は理解していなかったので今回の講義をきっかけに学ぶことができました。自分の住んでいる地域では定期的に町内会でのイベントがあって、ご近所さんたちと関わることが多くあります。実際自信を経験した時も町内会のイベントのおかげかお互いに助け合ってこれたので共助は本当に大事だと講義で共感することができました。 今回の講義を経て私はまだ災害や防災を真に自分ごととして捉えることが出来ていなかったんだと感じた。自助が出来なければ共助は出来ない、私はその自助すらも出来ていなかったのだとわかることが今、出来てよかったと思う。今改めて自助についての考え方を学んだことで共助への心がけも少しずつ出来るようになっていきたい。講義の中で共助はただ現地に行って支援活動をするだとか、そういうことだけではなないなと感じた。近所の人と助け合う、声を掛け合うという行為はSNSや通信伝達が発展した現代なら遠くにいる人間でもできるのではないかと思った。 東日本大震災の映像を見て、津波の恐ろしさを再確認しました。日本は東日本大震災を経験して色んなことが変化していったと思います。連絡を取り合えるようにLINEができたり、余震が続く可能性があるから1度揺れが止まっても安心できないこと、津波がどれだけ大きな力を持っているかなど。自助も共助も先人の経験に助けられることが多いとおもいました。自分が誰かを助ける側になれるのかと思っていましたが、声掛けだけでも誰かの力になれるなら、災害がおきた時は積極的に周りをよく見て助ける側になりたいです。 “災害の被害者の中に自分が含まれているかもしれないという言葉にはっとした。災害で自分の大事な人を失うかもしれないと本気で考えたことはなかった。自分ごとで考えると、失ってからでは遅い、絶対失いたくないと思うから、そのための対策することが面倒だとは思わなくなった。 普段から連絡を取っておき、何かあった時に相手の状況をある程度知っている状態、すぐ連絡が取れる状態にしておこうと思う。 津波の映像を見た。以前も見ているはずだが、何度観ても言葉を失う衝撃的なものだった。 今後起こるであろう大きな地震を防ぐことは出来ないから、起きた時に自分の大切なものをどう守るか、その後どう助け合って生きていくか、具体的に考えて行動に起こしていこうと思った。” 東日本大震災の動画はいつ見ても不安と恐怖を呼び起こすように思います。当時叔母の姉が陸前高田市に住んでおり、私も夏休みに遊びに行ったことがあります。家の場所は海から歩いて20秒ほどでとても近い距離にありました。震災時、叔母たちは地震がきた後「津波が来る」と言いまだニュースでも津波の発表が来る前に気付いたそうです。 事が起こったときに周りの声掛けがあることの重要性がわかりました。自分は今まで思っていなかったのですが、大きな災害や戦争の場所や映像を見るとしんどくなって息が苦しくなるのだと今回の授業や今までの経験から自分を知ることができました。当事者だったわけでもないのですがこのような辛さを少しでも減らすために防災の意識を高めていきたいと思いました。 “被害者予想数を見て、そこに自分が含まれていると考えたことがあるか?という問いが一番印象に残っています。今まで予想数や実際の震災後の被害者数を見ても数字としてしか捉えていませんでした。そこに自分が含まれているかもしれない、大切な人が含まれているかもしれないと思うと被災しないように防災意識を高めなければと今まで以上に強く思いました。 個人的に東日本大震災は怖く、大きな衝撃をもたらした災害であると思ってはいましたが、どこか対岸の火事のような気持ちでいました。しかし、石川に帰省中正月の能登半島地震を直で受けて自分事として捉えるようになりました。被害を受けて初めて災害に強い意識を持つというのは極めて遅い対応だと思うので、被害を受けていない内に防災意識を高めて行動することが大切だと改めて強く思いました。 能登半島地震で地元石川県が大きな被害を受けたので、復旧支援プロジェクトにはとても興味があります。” 大きな地震が起きた時、今までは自分の身を守ることで精一杯だったのですが、ペットを飼い始めてからは、自分よりもペットを優先して守っていたということに今さっき気付きました。自分ごとですが、それがかなり印象に残っています。命の尊さは人を動かす力になるのだと、今回の講義で学ぶことができました。 “今まで普通教育の中でも散々言い聞かされてきた防災の話ですが、私は未だに大きく被災した経験がなく、本当に自身の防災に関する意識が弱いなと感じます。そのように理解していながら、支援活動に参加をしたことはありません。話を聞いて気持ちだけは一瞬傾くものの、行動の域までは届かないことばかりで、授業内のアンケートでも復旧支援は「できる気がしない」に票を入れました。おそらく表立って言えないだけで、面倒くさい気持ちもどこかにはあるんだろうなと思います。自分に体力がないことや、何をすればいいのかよくわからないということも理由としてあるかもしれません。 ただ今回先生が話されていたように、自分にとって大切なものから考えてみることは確かに防災において大事な一歩目になりそうだなと感じました。” 映像を見て、自分は災害に遭ったら生き残れるのかどうかを改めて考えてみると、怪しいなと感じました。いざという時の備えはしていますが、自然災害は人間が抗えるようなものではないので…。でも自分の大切な人たちには生きていて欲しいので、その人たちを守れるよう勉強頑張ります。 私は富山県出身で、今年の能登半島地震で初めて震度5強を体験しました。富山県は今まで地震が少ない県として県内では認知されており、実際に石川県と新潟県で地震があっても富山だけは地震がないということが何度かありました。そのことから、富山県は災害の備えをしていない家庭が多いと問題になっていたことがあります。私自身その富山県の特性にあぐらをかいており、まさか自分が震度5強を体験するとは思っていませんでした。そして、体験してやっと、災害が他人事ではないと心から思えるようになりました。小学生ぶりに東日本大震災の被害の大きさを見て、自分の中の災害に対する考え方があの時から変わったんだと強く感じました。変わってよかったです。 防災と言うと、災害から身を守るための建物や、備えなどを想像していましたが、災害から強いひとを育てるという事もあると知りました。自分は災害から強い人だとは思えないので、危ないなと思いました。地震は体験しているのですが、実際に自分の身に大きな被害があったことはないので、どこかで安心しているからだと思うので、他人事だと思わずに対策していきたいです。 “地元では親の影響もあり近隣の人方との交流は割とある方だと思うのですが、長岡に引っ越してきてから本当に周り住む方々との関わりがなく、今後就職等をしても近所づきあいが出来るかと言われると正直あまり自信がないのですが、いざという時に共助できる程度の人間関係は築いておきたいなと思いました。 先日丁度能登半島の地震を経験したので生々しい映像がこの前体験したものと重なって地震の恐ろしさを改めて体感しました。” “共助は難しいというお話の際に、各々が自助を行うことでいっぱいいっぱいだから共助まで考えがまわらないからという理由もあるのではないかと感じていた。だが、最後の東日本大震災を経験した受講者の方の文書を読み共助がすごく大きいことじゃなくてよくて、ただ声をかけるだけ他者と会話することという小さなことでも共助になるということにはっとさせられた。 あの場にもし自分がいたら恐怖と困惑で冷静な判断は絶対にできないと思った。家族とすぐに会えない今、長岡にいる時に大震災が起きてしまったらと考えることがよくあるが毎度不安に襲われるため、まずは自分の命を守るために防災を想像にせず日常にあるもの近い存在のものとして考えていきたいと思った。” “今回は実際に東日本大震災の当時の映像を見るなどして、防災について理解を深めました。防災は災害にあった際、危険の原因と守るべきものが同時に起こり、それを防いだり回避したりすること、または被害があった場合回復しようと努力することと学びました。また、自助、共助、公助の違いについても学びました。自助は自分の命を助ける行為、共助は近所や知り合いで助け合う行為、公助は公的な救援、支援などのことで、巨大災害時には機能が落ちることが多いため、ひとと共助しあうことは災害時でも特に必要になることだと感じました。公助といっても難しいことではなく、単なる励ましの言葉でもその場の人にとって強い力になるということを知りました。 正直なところ、まだ一度も被害という被害に遭っていないので、被災者の気持ちを押しはかることは難しいです。ですが自分を尻目に何事もなく世間が進んでいくのが被災者にとって特に辛いことかなと思いました。支援を行うこと自体が現地の方にとって助けになったら良いと思います。” 今このフォームを入力してくる間にも動画のような災害が起こる可能性があるとすると、少しでも早く災害への準備や周囲の人との繋がり、声かけが大切なのだと感じた。若くて自由な足で動ける身だからこそ自助を速やかに行い、自分から共助へと動き出す必要があると思うので自助が全員出来れば誰も被災しないとはいえ自分だけの意識にならないように気をつけていこうと思う。 “私は自助がままならないほど大きな被害に遭ったことはありませんが、授業後半にお話があった”励ましが助けになった”というお話にとても共感しました。 年始に起きた能登半島地震の時に長岡にいたのですが、地震が起きた際に友人に自分の家に泊まってもらうことになりました。恐怖や不安から一緒にいたいというだけの行動でしたが今思い返すとこれも共助に該当するのかなと思いました。 被害は大きくなかったにしろ私は友人と一緒に過ごしてとても安心感がありましたし、誰かと一緒にいられること、不安をわかり合えること、声が聞こえることなど様々な点で助けられていました。 誰かを心配すること、不安だと声をあげることから共助が始まるのではないかなと考えました。” 災害において、薄情ですが私はどこか他人事と感じてしまう事が多いです。どこかで「自分なら大丈夫だろう」と速報がでても動かないことが多いです。きっといつかバチが当たるだろうなと感じます。東日本大震災のとき、私の地域は多少の揺れと停電を経験したのみでした。だからその時も大したことはないと思っていたのです。しかし、ニュースや新聞を、当時の記事を見た時に自分がここにいたら間違いなく死亡者に入っていただろうなと確信がもてました。きっと、亡くなった方のなかにも私と同じような考え方をした人、いたのでは無いかなと思います。まだこれからも安全を約束されているとは思えません。今からでも、危機感を持っておこう。そう思えました。 普通に暮らしていてこんな津波が突然起こったら絶対に逃げられないと思ってしまった。長岡市は内陸だから津波の心配はないが、防災に対する備蓄などの対策を普段から怠ってはいけないと思った。避難経路を確認しておいたりしても良さそう 今回印象的だったのは沢山あります。中でも東日本大震災の映像を見てものすごい大きい地震だったと話で聞くことはありましたが、映像で見ることはあまりなかったので見た時衝撃を受けました。津波が堤防を超えて船を軽々と動かしながら流れてくる映像を見て初めて本当に実際起こった事だったのかと実感しました。この授業が始まってから自分の立場になってモノを考えることを意識していたつもりですが、実際の映像を見て恐怖を感じた時に自分の命を守る行動さえもできなくなるんじゃないかと不安になりました。ですが、今回の映像を見てリアルに自分の立場になって感じ取れたことは、実際に起こった際に少しでも役立つ体験になるんじゃなかとも思いました。また、防災グッズや避難場所などの確認も計画的にやっていきたい気持ちも高まったので行動に移していきたいです。 津波の動画を見て建物の上に車が乗っていたり、川だった所が壊れた建物や車で埋まっていたり、逃げ遅れた人達がいたり叫ぶ人達が映っていてとても胸が苦しくなりました。動画でしか当時の状況が分からないけど、実際その場にいたらもっとパニックになっているだろうなと思いました。 3.11の映像が非常に恐ろしかったです。自分が小学校入学前のことなので覚えていることはグレーの大波が街を飲み込む映像だけだったのですが、今回改めて災害に遭った人の存在を再認識して本当に恐ろしく感じました。また最初に流れたニュース映像も規模の大きさに段々気付くという展開に、画面の前で凍りつきそうでした。今晩眠れるか心配です。「輪島市の復旧支援プロジェクトに興味があるか」の質問で、現地に行きたいと答えましたが、軽い気持ちで答えたのではありません。実際に行って見てみることで、少しでも自分の防災意識を高めることに繋がると考えたからです。想像より重労働だと思いますが、自分や人の命を救える可能性が少しでも上がるなら、経験しておいて損はないと思います。 “東日本大地震の時のニュースの映像を見て、自分はそこまでの地震や津波を経験したことがないので、被災者の方々の気持ちは計り知れませんが、いまだにあの規模の災害が日本で起きたということに驚きというか、信じられないくらいに思ってしまいます。しかしそれはまだ、自分の住んでいる地域にいつか大きな災害が起こるかもしれないという危機感を持てていないからそう思ってしまうのだと気づきました。これからはいつ自分や自分の大切なひとに何があるかわからないという意識を持って、自助、共助、公助をできるようにするために考えたり、大切な人には日頃から感謝や話すことを怠らないでいようと思えました。 ” “長岡に来るまでは関西出身の私にとって東北はとても遠い場所という認識でした。そのため身近に感じることができず、ニュースの中の世界のように感じていた部分がありました。しかし、この大学に来て出会ったあの子がこの震災の中にいたと考えると視点が少し変わり、今までよりさらに色んな感情が湧いてきました。 また、東日本大震災を機に地震速報の仕方が変化したとは聞いていましたが、予想以上に今とは異なっていて驚きでした。” “正常化の偏見についてが印象に残りました。私は東日本大震災の時の記憶は全くなく、ニュースで見た記憶もありません。今日のような映像は防災についてのニュースや授業の中で見たことはありましたが、怖いとしか思っていなかったように思います。能登半島地震のニュースでも、今起こっているということに驚きと怖さを感じただけでした。もし今の私がこんなに大きな災害に合ったら助からないだろうと自分事として考えたのは今日が初めてでした。 最後の共助の話を聞いて、あんなに見たこともない大きな波が襲ってきて、家が流れて、自分の暮らしてきた街が壊れていくのを見た時、私もきっと立ち尽くしてしまうだろうと思いました。それに、周りの人の声掛けはとても力になり、支えになるだろうと思いました。 能登半島復旧支援プロジェクトは興味がありますが、体験したことのない自分に何ができるか不安な気持ちです。” 今回の授業は実際の地震の映像や津波の被害など視覚的もインパクトの強い授業でした。東日本大震災の時私は保育園でどこで何が起きているのかや地震のことなどあまりよくわかっていませんでした。成長するにつれてだんだんと災害についての認識はついていきますが改めてまた映像を見るとかなりショッキングで、ここに自分一人でいたら生き残れる未来が正直見えないなと感じました。そんな時に誰かがいてくれたらと考えると、いざという時の周りとの関係は生きる上でどれだけの心の支えになるのだろうかと考えました。まずは自分でできることからしっかりと災害について考えないといけないなと感じました。 “首都直下地震が予想されている中、ご近所付き合いが希薄・一人暮らしが多くなっている現代において、何かあった時に気にかけてくれる存在や関係を作ることが必要だと知った。 毎回災害の情報を知るたびに、自分はまだ当事者意識が持てていないと実感する。映像や体験を見て酷いとは思ってもやはり体験をしたことがないから防災意識が持てないと思っていた。しかし今回の「示された人数に自分が含まれているか?」という質問を受けて、体験してしまった時にはもう自分の命がないかもしれないという考えには変化することができた。” “災害とは漢字的には、災いがあって、害を受ける人がいると言う意味。 こうやって分解して考えてみると、災いがあっても害がなければいいと考えることができてわかりやすかったです。 害を防ぐ方法としては堤防など場所を作ったり、人を育てたり、災害のメカニズムを明らかにしたりする方法がある。 ニュースなどの報道は全体的な話で実感が湧きにくいけれど、自分の大事な守りたいものを考える機会を作ることで実感が湧きやすくなると知りました。私の守りたいものは家族や友達などの身近な人たちなので、自助を第一優先にしながらも、離れた家族が災害に遭ってしまったらどのように連絡を取るかや、友達が困っていたら自分はどのように助けられるかなどを決めておきたいと思いました。” “自助と共助、公助についての話が聞けて良かったです。私は、幸運なことに3.11で自分の近しい人を亡くすことは無かったのですが、私の知り合いは違いました。もし自分の近い人が亡くなると考えたら、ひねくれた考えですし冷酷だと分かっていても、どうしても『他の人はいいからまずは自分が助かることだけ考えて』という言葉が出てしまいます。 それでも、今回の講義の最後に仰っていた、『励ましの言葉も共助だ』という話を聞いて、私にも覚えがあることに気づきました。当時幼稚園年長最後の月だった3月私は今の実家に引っ越してきました。それから少したった11日、震災が起き、揺れが納まってスーパーから家に帰ってきた後も周りに知り合いはほとんどおらず、どうすればいいのか分かりませんでした。そんなとき、近所の人は集まって声を掛け合い、お菓子をくばっていたのです。私もそのお菓子をもらい、妹と二人で食べました。私の地域は水もとまり、割れたガラスで散乱していましたが、近所の小学生は既に走り回って遊んでおり、母が私に『小学生のお兄さん達は元気ですごいね』とつぶやいたのを思い出しました。水が出る家から分けてもらったり、情報を交換したりしていて、私も共助に沢山助けられてきました。今回の授業で、そのことを思い出すことが出来て良かったです。” 危険を回避するにも被害から回復するにも、確かに情報は個人ではなく社会単位でしか出されないということに納得した。被害者数の数字を見た時も、そういった「災害は広い社会の話」というイメージによって自分を織り交ぜて考える余地が塞がれている気がした。また、今年初めの地震は一人暮らしのアパートで経験し、実家よりも恐ろしく感じられたため、正常化の偏見はその時自分が慣れた土地にいるかによっても変わると思った。 今回の講義では、東日本大地震の映像を見て、地震・津波の怖さを再認識しました。地震では起こった直後の放送局の人たちが慌てている様子で異常事態だと伝わり、当時の自分が見ていたらとても怖く感じていただろうと思いました。そして津波の映像は、こんなに近くから撮影された映像を見るのは初めてで津波の動きに驚きました。押し寄せる波はすごい勢いで一瞬で建物や車、電柱なども飲み込んで行ってしまうんだと知りました。波ではなく黒い怪物のようだなと思いました。また、私は「共助」という言葉を意味までは知っていましたが深く考えたことはなかったので今回の紹介された学生さんの作文を読み、人と人の助け合いは会話という些細なことでも十分効果を発揮するんだなと学びになりました。 今回の講義で印象に残っているのは、東日本大震災の映像と、共助についてです。2011年当時、自分は保育園生でしたが、小さいながらに揺れた時のことをかなり鮮明に覚えています。多くの命を奪ったこの災害を、絶対に忘れてはいけないと思います。今後の人生、自分の身の回りでこのような災害が起こらないとは限りません。もしも起きてしまった時には、自助はもちろん、共助の精神を大切にしたいです。周りの人と声を掛け合い、みんなで力を合わせて乗り越えることができるようにしたいと感じました。 この間、NHKの特番を見ていて残念に思っていました。日本は、自助、共助の精神が強いところは素晴らしいですが、公助が他国と比べて欠けているんじゃないかなと。震災と復興が自己犠牲、自己責任のような風潮が気にくわないです。 能登半島地震の際、アパートで強い揺れを感じたときに、ひとりだったためにとても恐怖を感じたのを思い出し、それがこれまでで1番災害を身近に感じた瞬間でした。その時の経験も今日の震災の映像も、大災害を自分事と感じられていないことの危機感を強く感じました。 自助という言葉は知っていましたが、共助及び公助は初めて聞きました。実際に災害が発生した際に最も素早く機能しやすく、また個人的な行いで日々から用意しておきやすいのは自助ということで、日常的に意識して1人1人が対策していけたらいいなと思いました。一方で、大きく人を救うように重要なのは共助・公助であるようなので、そちらも大切に動いていけるようになるべきなんだろうと感じました。 「防災」などの言葉について新しい理解をすることが出来た。自然現象や個人の影響で不利益が生じることを防ぐだけに留まらず、人の育成、メカニズムを明らかにするなど未来への行動も言葉に含まれていることを理解した。また今回の授業で印象に残っているのは東日本大震災の映像である。当時は山形に住んでいたて記憶に残っているが、この地震で大切な人を亡くした訳でもなく津波の被害もない場所だったが、久しぶりに映像を見たら涙が止まらなくなって自分の感情の大きさに驚いた。当時は幼稚園児だったが小さいながらにありえない状況であることを感じていたのだと再確認した。あの時は親の後ろを歩いていれば安心だったが、今は一人暮らしだと思うと不安に思った。この不安を少しでも補えるように知識や避難バック保存食の準備を強化したい。 やはり津波の映像が印象的でした。私の地元には海がないので津波は画面越しでしか見たことがありません。全てが持っていかれる大波を見て想像を絶する被害なんだと改めて感じました。やはり海に憧れはあるものの、付近に住みたいとは思えなくなります。 初めのアンケートで「あなたが旅行で東京・横浜に訪れた際、大地震が起きた場合どのような立場になるか」という質問で私は、とっさに周りを見て隠れられそうなテーブルがあれば入ったり、外にいる場合は窓や建物など、崩れそうな場所から離れたり’自分の身の安全を優先する’と考えていました。しかし、アンケート結果を見ると自分の命を守る立場、誰かに助けてもらう立場、他者の命を助けることを支援する立場の順で結果が出ました。旅行など不慣れな場所にいる場合、揺れた後は避難場所も分からないので自分も誰かに助けてもらうことになると思いました。まず自分の身の安全を確保したあと、周りや近所にいる地域の方へ声をかけられるようになりたいと思いました。 まず被害者数の表の1が自分になるかもしれないという認識をすることが重要だということに共感しました。自分の地域に土砂災害が起きた時に両親が災害派遣で呼び出されて不可能だったことも理由ではありますが、避難を行いませんでした。幸い死者が出ることはありませんでしたがあたり一帯下水や土砂だらけになっていました。自分の地域が土砂災害に見舞われる一年前に同県で同じく土砂災害が起きていたにもかかわらず、当事者意識を持つことなく危機感を感じていなかったのだと気づきました。 今回の授業で初めて自助と公助という言葉の意味を知ることができました。幸いにも僕は大きな地震を身をもって体験したことはないのですが、もし仮に大きな地震が今自分が住んでいる地域で起こったとしたときに自分がなにを優先的にすべきかを考えるいいきっかけになりました。 “地元が福島で私自身も震災の恐ろしさを身をもって経験しましたが、今回久しぶりに映像を見てやっぱり怖いものは怖いと思いました。そしてやっぱりあの時も声を掛けてくれた大人、助けてくれた大人がいた事を思い出しました。地震後直ぐに近所の人たちが集まって一人暮らしの高齢者の家に声をかけに行っていたこと、カップラーメンや水などを分けてくれたこと、ガソリンスタンドやお店の情報を分けてくれたこと、あの時はなんとも思いませんでしたが、今考えると凄くありがたいことだったなぁと再認識しました。 食料の不足や心的負担による暴動など有り得たかもしれないのに、それよりも協力と助け合いで不安を乗り越えたあの時のことは忘れてはならないし、忘れられないと思いました。” 地震や津波の映像を見て、自然災害による破壊力の恐怖を改めて感じました。春休みに石川県の七尾にいた時、倒壊している建物や屋根にブルーシートが被さっているたくさんの家をこの目で見て、地震の規模の大きさを実感しました。しっかりと対策を取っていたとしても、実際に災害が起きるとパニックになってしまったり自分達で対応しきれなかったりしそうだなと思いました。 私は正直、今回の授業を受けるまで自分が災害で死ぬとは思ってもいませんでした。でも、実際のニュースや映像を見てなんとも言えない気持ちになりました。もし災害に自分が巻き込まれてしまったとき、私はどのような行動を取るべきなのかしっかりと考えていきたいと思います。自助・共助・公助のことも聞いたことはあったけど意味は知らなかったので詳しく調べようと思います。 私は福島県出身であり、東日本大震災の大きな揺れを経験しました。今回の授業で東日本大震災発生時のニュースを拝見しましたが、当時の自分がもしそのニュースを見た時にどういった行動をとって、身の安全を確保することができたかと聞かれると、厳しいと感じました。母がそばに居合わせていたので母の賢明な判断により、大きな揺れから身を守ることができましたが、もし、母がその場に居合わせておらず、自助ができていなかったかもしれないと思うとゾッとしました。今はまさに一人暮らしで身内の助けが届かない場所に置かれているので、反省を生かして自助がしっかり機能できるように気を引き締めていです。近所付き合いなどを大切にし、顔を覚えてもらい、共助も可能な関係にしたいです。 災害は害をもたらす何かしらの「原因」と害を受ける「誰か、何か」がいて初めて起こるということは学びになりました。今回の講義で東日本大震災が起こったときの実際のニュース映像を見て、今もしこの規模の地震が起こったとしたら自分は安全な状態でいられるか考えてみたときに、やはり不安の感情の方が大きいなと思いました。それは地震や津波、その他の災害に関する知識がまだまだ乏しいこと、そして、十分な防災対策(備蓄など)が行えていないことが原因として考えられるなと思いました。今回、自助、共助、公助の三つについても学習しましたが、自分の命は自分で守ることはもちろん誰かの助けになれるような存在になりたいと感じました。過去の大きな災害時にもそのような誰かの助けで命が助かった人はたくさん存在すると思います。起こっていないから大丈夫などと思わず事前に備えを日頃からしていこうと思います。 私は実際に大きな災害で被害にあったことはありませんが、本当に目の前で津波が襲ってきていたり、建物が崩壊していたりする現場を目の当たりにした時、人と協力して避難できるのか、ましてや自分の命でさえしっかり自分で守り切れるのか、とても不安になりました。ですが、明日は我が身。いつ南海トラフ地震が来るか分からない今、しっかりとした対策を常日頃心がけ、自助、共助をいつでも行えるように覚悟を持って生活していくことが重要だと思いました。 ニュースで見て災害の悲惨さに同情した。被災地の人達を助けてあげる必要があると強く感じたが、地震の被災地では余震も多く怖いので実際に僕が現地に行くことは今後ないと思う。しかし、募金箱に小銭を入れることくらいはしたいと考えるようになった。 “『報道される情報はあなたのためではありません』という話の中で先生が仰っていた、「失って初めて気づくのでは遅い 自分が今触れられる大事なものについて考える」といった内容について思ったことがある。 大切なものが多いと大変かもしれないなと思ってしまった。普段は、ネットの関係での友人や、長岡市・もしくは他の場所で、縁あり関わり、出逢った人達のことを大切に考えているし、無事に過ごしていて欲しいと思っている。 しかし、今日のwork1ですぐに出てきて想った人、書いた人や環境が身近に手に届く本当に大切なものなのかもしれない。 大切だと想う人やものに順位付けすることは余りしたくないが、やはり自分の手に届く範囲というのはとても狭いと思う。 防災について、大切に想うものを通して自分ごととして捉えることは大事なことであり、自分の手に届く範囲の大切なものを失わない為に学ぶことが必要だと思った。 その学ぶことの一つとして、支援活動に取り組むことも手段なのではと考えた。 もし活動をするとして、被災した場所やそこに住む人に、活動を通して心を傾けることを、綺麗ごとの様に自分の善であるとは思いたくない。対外的・社会的には善いことと捉えられるだろうが、活動をするならば、結局は自分自身のこと、自分本位であることは身に刻んで取り組みたいと感じる。何故ならば、”自分が社会的に善いことをしている”という意識は、単なる自己陶酔になりかねないからであり、自分自身に関連する場所、大切なものがある活動地でなかった場合、その場の人に本当の意味で心を傾けることは出来ないと考えるからだ。 自分も人間であるから、全てに心を傾けられる、おとぎ話に出てくるような聖人なのではない。きれい事だけでは活動は出来ない。 活動する際には勿論、その場・そこにいる人に心を傾けている状態ではあるが、100パーセントではないであろうことを身に刻み、社会的善といった自己陶酔に陥ることはなく、結局は自分本位であることをは忘れないで、そこに在ることが大事だと、私は思う。 ” “助け合いがテーマだと今回の授業を見て思いました。私は東日本大震災で実際に被災しました。保育園に通っていた私は高台に逃げましたがそこまで迎えに来てくれたのが近所に住む友達のお母さんでした。祖母が迎えに来てくれようとしていたらしいのですが、足が震えて迎えに行けないことを見越して代わりに来てくれたそうです。小学生だった姉も近所のお父さんが迎えに来てもらったそうです。この話を聞いて助け合いがいかに大切か身に染みました。 もう一つこれは助け合いという類に入るかわかりませんが、当時市役所で津波の緊急放送をされていた職員の方が津波に流されるまで放送をし続けていたそうです。これは今日話していた助け合いの言葉のどの部類に入るかわかりませんがこうゆう人もいたということを知ってほしいですし、教訓にしてほしいです。” 自分は東日本大震災の時小学一年生で、関西に住んでいたことから全く被害はありませんでした。今回実際に流れたニュース映像は、当時の自分も目にしていたと思いますが、全く記憶に無く、改めて被災地の様子に衝撃を受けました。実際に能登半島地震で被災しても、防災・災害についてどこか人ごとのように感じてしまうなと、今回の受講で感じました。 特に印象に残っているのは東日本大震災の津波の映像です。10年以上経ったとはいえその記憶は鮮明に残っているし、この記憶を伝えていくべきだとも思いました。「自分だったら助かるはず」と過信することなく、自分ができる災害対策を行なったり、(例えば今だと)能登半島地震の支援を行なったりと自分なりに考えて行動したいなと思います。 今回の講義を聞いて、防災の意味、「自助」「共助」「公助」それぞれの役割や必要性について学ぶ事ができました。元々「自助」と「公助」の必要性は言葉の通りだと理解していましたが、「共助」は近所の方と避難をするときに声を掛け合って、避難できなかった人を無くす取り組みだと思っていました。ですが、講義の最後に中学生が書いた作文に「心の支え合い」と書いていたのはとてもハッとしました。津波が来ている動画内で少し聞こえてきた「こっちに来い」という冷静な言葉が聞こえた時も同じような感情になったのですが、自分が助かるという希望が芽生えた時、他人であってもあのような言葉で一人でも救われるのではないかと感じました。もちろん日々の防犯対策は大切ですが、同じ状況に立っている人たちの命や心を救われる言葉が「共助」の本質でもあるのかなと思いました。 私自身、災害に巻き込まれるわけが無い、災害で死ぬわけが無いと思っていた。普段の生活の中で、災害や防災について考える機会自体が少ないのだと思う。だからこそ自分の大事なものを守れるのは自分しかいないという意識は大切だと感じた。誰かが助けてくれると思っているから、自分で考える機会が少なくなっているのかもしれない。 物理的な備蓄や準備だけでなく、常日頃から万が一の事態のことを考えて、それに対する心構えをしておくことが大切だと思った。いざというときに動けるか動けないかはその心構えがあるかどうかによることが大きく、自分もこれから意識しようと思った。 今回の講義で学んだことは、ニュースで報道される防災の情報は、全て自分たちが活用できる情報ではないということです。全ての情報を鵜呑みにするのではなく、自分たちが必要な情報を積極的に取り入れることが大切だとわかりました。 わたしのすんでいた香川県では地震がすくなく、山の影響で津波もほとんどこないとされています。なので市民のほとんどは地震にたいしてあまり危機感がなく、おそらく避難準備も行き届いていません。しかし動画のような地震やさらに大きな地震がおきた時そのような人たちはたとえ身を守ることができたとしても食料や衣類など生活必需品が枯渇することになります。しかも香川県が位置する四国は離島で支援も難しくなるかもしれません。動画をみて自分自身や家族の状況を見直すと本当に他人事ではないのだなと思いました。だからこそ被災した地域には遠隔でもいいから支援して、自分達がこまったときお互いに助け合える環境を目指したいと思います。また、日頃から地域の人と関わりをもち、災害時に声かけがしやすいようにすることも大切だと思いました。 当時の地震が起きた時の様子や津波の映像を見て、改めて地震やそれによって引き起こされる津波の恐ろしさを感じた。今まで自分自身は山の上で暮らしてきたので、3.11以前沿岸沿いで暮らしていた人達に地震によって津波が来るかもしれないという認識が日頃あったか分からないが、自分がもし東日本大震災が起きる前に海の近くに住んでいたとして、大きな地震が起きた時こんなに大きな津波が来ることは信じられなかっただろうなと思った。津波から逃れられたかも分からないと感じた。災害が多い日本で暮らすために、一つ一つから学んで忘れないようにしたい。 今日の授業では「共助」について深く考えました。もし自分が被災した時、周りの助けなしでは生き延びれないと思います。しかしもし自分が被災した時、周りのひとにまで声をかけたりして非難する余裕があるだろうかと考えると、あまりその自信はありませんでした。もし自分がその立場だったら自分が逃げることで精一杯になってしまいそうだからです。実際に被災した時の心にゆとりを増やすためにも、日頃から防災に対する意識を高めておくことが大切だと改めて感じました。 私の住んでいる町内は高齢者がとても多くて若者が少ないので、災害が起きた時に共助ができるか心配になった。防災訓練もハザードマップもないので今後よく確認しておきたい。東京にいるときに災害に遭ったらなんて考えたこともなかったので、大きな避難場所を確認しておきたい。 共助について印象に残ったことがあります。共助とは災害時に互いに助け合うことだと知り、私には難易度が高いと思いました。しかし先輩の東日本大震災の体験談を聞いて、声を掛け合ったり励ましたりするだけでも助けになると聞いて驚きました。人を瓦礫の中から救い出すとか、おぶって逃げるとか壮大なことを考えていましたが、励ましあうことなら私でもできそうだと思いました。また、実際に災害に遭った時、自分が他人を助ける立場になるか、自分を助けるだけで精一杯か、などということは初めて考えました。実際に大きく揺れて津波がきて、と考えると飲み込まれて死んでしまうイメージしか湧きませんでした。震災当時幼かったし被害があまりなかったこうして具体的にイメージできるのは、被災して映像を提供してくれている方や語りつごうとしてくれている方達のおかげだと改めて感じました。 災害の被害に対して各々が現地で行う必要がある行動としてまず挙げられることは、自助としての自分自身の安全の確保であるが、実際にその場で必要とされている行動は共助であるとされていることがわかった。被災した自分を考えた時に、我々は潜在的に自分が被害に逢う事がないと思うバイアスを有しているため、現実としてその状況を想定する事が難しい。だからこそ、自分がどうしようもなく時に、周囲の人に助けを求めたり、逆に周囲の人を助けられるような行動を進んで行うことが望ましいと理解できた。 今回の講義では防災について勉強した。報道される防災情報は自分一人のためだけではなく、社会全体へのメッセージとして扱われていることが分かった。また、自助と共助の違いや正常化への偏見など、当たり前のことに対する疑問や問題点を改めて理解することができた。私は津波を経験したことは無いが、津波に対する恐怖心や警戒心は恥ずかしいことではなく常に持ち続けることが防災にも繋がると考えた。 東日本大震災の被害をメディアを通してしかみたことがないため、いまだに現実に起こったこととして受け止めきれていない自分がいます。自分の身に周りに災害が起きたらどうするか考えても、実際には何も対策を行ってはいません。こういった災害が現実にあることを受け止めて、ちゃんと向き合って考えれるようにしたいです。 天災の恐ろしさを改めて深く感じました。当時の動画やニュースの録画からでも伝わる緊迫感とその様子が何度観ても危機感を感じさせられました。平和に生活ができている今、いざと言う時の為にできる限りの備えをして置かなければならないと考えました。 現地で被害を受けた津波の映像を見て人間の手ではどうすることもできない自然そのものの恐ろしさを改めて感じました。自宅が香川県なので南海トラフ巨大地震の津波に関するハザードマップを見てみると津波自体は来ない地域ではあるけれどデータが予想でしかないので油断しないようにしたいと思いました。共助というものが難しいと感じていましたが、近所の人と日頃から挨拶をして面識をお互いに持っておくだけなら自分でもできそうだと感じました。 今日は改めて東日本大震災の被害の大きさと恐ろしさを痛感しました。自分は今まで大きな災害の被災は経験したことがないので、自分にできることは小さなことでも支援しようと思いました。能登半島地震において一部の方ではありますが、能登半島地震の被害を受けた方へほんの少しの支援をしました。この経験を忘れずに生かしていきたいです。 小学生の頃、防災学習や避難訓練など身近にあったものが歳を重ねるにつれて遠いものになっていきました。自分たちがどこへ避難すれば良いのか、その際になにを持っていくかなど曖昧で朧気なものしか思い浮かばなかったので少し怖くなりました。 授業で被災地の映像を見て、災害が人々に残す心の傷(トラウマ)についてよく考えた。心のケアが必要だというのは大前提として、あの状況を目の前で見たことによって負う傷は、単なるトラウマには留まらないと考えた。 今回の講義で東日本大震災の映像を観て、災害の恐ろしさを改めて感じることができました。高校の修学旅行の時に津波の被害にあった小学校に行った時周りは更地だったのであまり津波の恐ろしさというものを感じられませんでした。しかし、今回の映像で実際に津波が押し寄せている映像を観て自分が想像していた何倍も酷くてとてもショックを受けました。また、自分がもしそのような状況にあったらどのような行動を取れば良いのか改めて考える機会を得られました。 今回映像で出てきた津波の様子を見て、当時小学生の私が学校から帰ってきてテレビをつけたとき、大きな船がどんどん沖の方へ引き摺られていくのを映画じゃないかと疑っていたことを思い出した。それくらい意味のわからない津波の大きさと恐ろしさを、その記憶を今後に活かすために忘れてはいけないと思った。地震や津波を伝えるアラートがなったときに思わず体が身構えてしまったけれど、その反応はすぐに何かを決断できる良い傾向だとも思った。 教授が言っていた、失ってからその大切さに気づくが、失ってからでは遅いという言葉が特に印象的だった。私は原因は思い当たらないが、幼い頃から家族を失うのを人一倍恐れている。自分が帰省を終えて長岡に戻ってくる時も、一人で眠りにつく前も、もし家族に先立たれてしまったらどうしようと不安になる。だからこそ大切な人を失わないために、少しでも多く防災について学び、対策や備えをしておこうと思った。 今日は改めて自助・共助・公助の大切さを知ることができました。言葉自体の意味は理解していましたが、実際に起きた震災の映像を見て、次に大きな震災が起きた時に自分たちが行動できるかと言われると、自分を守ることで精一杯になってしまう気がしました。自助も大切ですが、大きな震災となると、地域の人と声をかけあって逃げたり、避難所での生活を共にしたりとほかの人たちとも関わる必要が出てきます。したがってもっと震災を自分ごととして捉え、今から地域の人達との関わりを作っておくことはいいことなのかもしれないと思いました。 “今回の授業では、実際の映像が流れた。特に、何回聞いてもなれない地震速報。テレビやスマホの音は本当に心臓に悪い。 先生からの質問で出てきた死亡、負傷の質問で自分は自分自身を入れることができなかった。先生から言われてやっと気づいたのだ。なぜ、自分が被災者側に立つことができなかったのかこれからよく考えていきたい。 ” 今回の講義で流れた映像のような地震が再び起こったとき、自助・共助ができればいい。と考えましたが、実際そんな簡単な話ではないと思います。では、どうすればできるだけ自助・共助ができるようになるのかをしっかり前もって考え、行動することが大切であると今回の講義で学びました。 「防災」という言葉をより身近にそしてリアルに考えなければならないと思いました。テレビなどで見る災害はどうしても自分ごととして捉えることが難しく、いざという時の備えだったり、どのように行動するべきかのようなことはあまり考える機会はなかったが今回の授業を機に自分の住んでいる地域のつながりを感じてみたりやもしもの備えを始めてみたいと思った。また、授業の最後の方に紹介された実際の被災者である先輩の話もかなり印象に残った。自分がいざ被災する立場になった時、どうしても自分の精神を正常に保つのに精一杯になりそうだがそういう状況でこそ他人を気遣ったり思いやることが自分の安心感だったり共助の精神につながるんだなと思った。 防災や避難を心がけようと思うことはあっても実際に行動に移したり、避難訓練に参加すことはしないことをあらためて考えさせられました。能登半島地震の時も当日は揺れに警戒していましたが、次の日には一日中バイトをして考える暇もありませんでした。日常が非日常に変わる瞬間があるということを心に留めたいと思います。 東日本大震災直後のニュースは自分の家ではテレビがつかなくなってしまったのでよく知らなかったが、能登半島地震の時のようなアナウンサーの怒号があまりないという事に気が付いた。当時はまだ津波が来ることの恐ろしさがニュース越しでは伝わらず、この東日本大震災があったから色々な人が危機管理について考えるようになったのだと思う。今後南海トラフなど大地震が予想されているが、その時自分がとる行動についてもう一度よく考えていきたい。 私は、今自分が住んでいる場所で災害が起きたら自分の身は守れると思っていて、旅行や所用で行った東京などでは人の助けがないと生き残れないと思っています。でも今住んでいる地域で災害が起きた時には、せめて人助けができる余裕を持てるようになりたいと思いました。長岡にも出張で来ている人や旅行で来ている人がいて、避難場所が分からなかったり避難グッズを持っていないことが多いと思うので、そういった人の助けになれればいいなと思いました。それから「死者23000人 負傷者123000人 要救助者58000人」の画像を見て、自分が含まれることは全く考えていませんでした。怪我をしたら人助けどころか自分の身も守れないと思います。 “年始の地震の際私は被害は受けませんでしたが、揺れを経験しただけでもかなりの恐怖を感じました。それ以降、防災バッグを準備しておくなどして自助の備えをしておこうと何度も考えたのですが、なかなか実行はできずにいました。 ですが今回の授業を受け、本当に災害に遭った際のために自助の備えをしておく大切さを強く感じたので、今日からでも準備し始めようと思います。 また、共助という言葉は今回初めて知ったのですが、災害時以外でも心細い時における他人との関わりは本当に心の支えになると感じているので、そちらも同時にとても大切にしていきたいと思いました。” 災害時は共助が本当に大事だと知りました。しかし、緊急時はパニックになって怯えているかハイになっているかだと思います。なので災害後に生き残れたら、自分のメンタルを安定させて周りの人の支援の手伝いをしたいと思います。 緊急地震速報の映像を見て、久しぶりに恐怖を感じました。今日の授業では、私は起こりうる全ての災害が自分は死なない災害と思い込んでいることに気付かされました。いつ来るかわからない災害から自分自身を救うための備えについて、考えて家族と共有していこうと思います。そして、日頃人と人の関わりを積極的に行い、困ったときには助け合いの精神を育んでいこうと考えました。 今回の空間安全論を受け、自助と共助の大切さを感じました。東日本大心ん際の当時は私はまだ年長さんで助けられる側の人間だったため、何もわかっておらず何もできませんでしたが、もし今度これから大きな災害があるときは助ける側に回れるように常に心がけています。ただしどんな災害、被害においてもまずは自助、自分の安全を確保することが大切であると思いました。何事も命あっての物種なので、自分も相手も全て助けるという理想はできないかもしれないけれど、災害に備え近場の人や地域の人と避難訓練や防災意識を高め、相互的に自分と相手の身を守れる環境を作り上げていきたいと思いました。 東日本大震災や阪神淡路大震災も生まれる前か小さい頃の話でどこか物語を聞いているような現実味のない話として聞いてしまっていた。当時の映像を見て真っ黒な海に飲まれていく街を見て早く災害への備えを整えないといけないと思った。能登半島地震では大学の友人が石川出身で心配することしかできなかったので悔しい体験をした。 “昨年の後期に文化財保護についての講義を聞いた後、文化財レスキューという被災した文化財を整理・保存する取り組みがあることを知りました。何度か石川の美術館や博物館に足を運んだり観光をしたりしたことで愛着のある土地でもあるので、何か力になれないかとボランティアの情報を多少追っています。 今年は就活と卒制という個人的に大きなイベントでかかりきりになってしまうかもしれないのですが、どんなに遅くなっても自分の得意な分野で協力できたらと思っています。(本文219字)” 自分が海無し県に住んでいたこともあり、津波に対してあまり実感がなく、映像の中のものという意識があったことを今日の講義で気づきました。死者数、行方不明者、要救助者の人数を出された時、自分はいつの大地震のデータだろうと考えていました。もう少し自分の身近に起きうることだと考えるようにしたいです。 今できることとして自助の意識を高めようと思いました。能登半島地震を近くで受けた際、家族の中でさえ避難派と避難したくない派で対立してしまいました。どうしようもない状況の中で、改めて動画を見ても大きな震災や津波を前にして自分ができることは何もないのではないのかいう気持ちになりますが、声かけなど気持ちを支える行動を取れるよう今日の授業を心に留めていきたいです。 津波の映像はとてもショッキングな映像でした。映像を見るだけで大きな恐怖を感じ、もし被災したら冷静に判断して避難することができるだろうかと不安にもなりました。恐ろしさを改めて実感し、防災に力をいれるべきだと再確認しました。また、共助の大切さを知りました。声を掛け合い、励まし合うことがどれだけ人の心を救うのか、被災された学生の方の文章を読み、知ることができました。 “今回の講義の中で、日常について改めて考えました。 調べてみると「人間生活の、日々繰り返される当たり前の状態」という風に書かれていました。今回、東日本大震災の映像を見て、津波が押し寄せる映像もですが、私は津波後の瓦礫と化した建物の情景を想像したときの虚しさのようなものが最も印象に残っています。災害時、最優先すべきは自助ですが、残された人々同士が声かけかけあう事、たったそれだけの共助でも人の支えになると感じました。備えあれば患いなし、これからを生きる私あっちにとって、後悔をしないために最も考えるべきことのように思いました。 ” 今回の授業途中で流れた、緊急地震速報を知らせるメロディー、あの音を聞くといくら映像を見ているだけと考えても緊張を感じてしまいます。このメロディーはあの有名ギターリストジミへんどジミ・ヘンドリックスが多用したコード通称ジミヘンコードを応用させているそうです。同じような構成音で真反対のメロディーを作ることができる、そんなところに少し面白さを感じました。 災害とは何なのかを説明するのが意外と難しいと感じた。災害は害を受ける生き物や建物がある。地元は大阪の住宅街なのですが、お隣さんの顔すら知らないので、共助の場面になると苦労しそうだと感じた。正常化の偏見は本当にそうだと感じた。被害者の数を見たときに、自分や家族を入れる発想がなかった。 “自助、共助、公助ワードとしては聞いたことがあるが詳しい意味を今回改めて知ることができ、また有事の際はこの有効性も変わってくることを学んだ。やはり自助というのは融通がきくし、実用的なので、優先して考え、実行できるようにしたいと思います。 よく災害時に政府の行動が遅いと政府批判する様子が見られます。もちろん時や場合によって異なりますが、この自助、公助、公助の仕組みを詳しく理解できると冷静な判断ができると考えました。” “今回も言葉を分けることで意味を理解しました。災害を未然に防ぐ取り組みとは具体的にどういうものなのかというところまで深掘りしていくことでより理解が深まりました。災害に強い場所をつくること、災害に強い人を育てること、原因や対象についてメカニズムを明らかにすることが未然に防ぐ取り組みだと知りました。 また、テレビやラジオなどの報道はあなたのためではないという言葉が印象的でした。その地域などの情報は出ますが、家族の安否はわからないし、自分自身が危険な場合どう行動するかも最終的には全て自分の判断しなければなりません。どう行動すればいいかパターンごとに考えておくことが大切だと感じました。 さらに、共助では、事前に知り合いであることでしやすさが上がることがわかりました。実際に私は近所の人と挨拶をすることでしか関わりがなく、顔を覚えたり、どこに誰が住んでいるかまでは把握していません。どうすればかかわりを持つことができるのか考えていきたいと思いました。” 今回の授業では津波の恐ろしさやそれに対して対策をとっていないと最悪の事態になることもあるので事前の準備が大切だと分かりました。個人での準備はもちろん、地域での防災イベントや町会での声かけ練習なども積極的に参加していきたいと思いました。 今日は津波の映像が出たのでそれが一番衝撃的だったし考えさせられました。あんなに大きな被害が出ることも予想できない中でとても人を助けるということはできないなと考えさせられました。それができないからこそせめて自分の命は自分で守るために防災を学びたいと思いました。 今回の空間安全論では、地震や津波などの災害においての自助、共助、公助について学びました。授業の中で、東日本大震災の地震の映像や津波の映像を見ました。東日本大震災から12年が経った今見ても、すごく心が締め付けられるような感覚がありました。印象に残っていることは、津波の映像で高台にいた人々が津波が足元に来るまでずっと押し流される家や車を見ていたことです。人は、実際に目の先で災害が起こっていても、足元や目の前に来るまで「自分は大丈夫」だと感じてしまうのかなと考えました。そんな時に、いち早く「逃げろ」と声を出せる人、頭の回転を早くしてこれから起きることを予測して動くことが共助において大事な役割になると思いました。 今回の福本先生の講義で特に印象に残っていることは東日本大震災と共助のことです。2011年に大震災と共に津波が東北地方を襲い、約2万3000人の人々が亡くなりました。当時私は幼く、よく分かっていませんでしたが、親が福島を含む災害地に物資の支援をしていたことを覚えています。年が経つにつれてその悲惨さと色んな事実を知りました。そして当時の親の行動からも日本全国の人々が助け合って、災害復興を行ってきたのだと感じ感動しました。これから先また地震は必ずあるでしょう。地球に住む限り、災害は逃れられません。これからさき起こりうる災害に対してどれだけ対策をし、そして起こった時、共助の心を忘れずに行きたいと思います。 今回の授業は防災について改めて認識するいい機会になったと感じました。東日本大震災の映像を見て、実際にあの勢いの津波が襲ってきたら逃げるのに必死になり、きっと周りのことを見られず多くのものを失うと感じました。そんなことなりたくないので、地震や津波などの自然災害についてある程度の知識はつけておきたいなと感じました。これから先起こるとされている南海トラフ地震はとてつもなく大きいらしいので、自分は生き残れるだろうと言った安直な考えは捨ててしっかりと災害対策をしていきたいと感じました。 映像の当時、どんなニュースが流れ、どんな情報が出ていたのか、見たのかもしれませんが、あまり覚えていません。今回、地震発生時のニュースを見て、津波の危険性をニュースですぐに話すようになったのは、この時のことからなのだと感じました。また、映像を見て、公助が行われるまでに、助け合うことが大切であると感じました。しかし、災害時に自分の命を守るための行動ができるのかとも思いました。 “久々に東日本大震災の映像を見ました。当時のニュースの記憶は曖昧ですが、地震が起きた瞬間のことはよく覚えています。あの映像を見たあとで、被災した際、ひとの為に動けるかどうかときかれたらとてもはいとは言えません。 そんな中、保育園に迎えに来てくれた母親のことを思い出しました。帰り道、「道の真ん中歩くんだよ」だとか、計画停電の際、怖がらせないように「お泊まりごっこ」と一緒に遊んでくれたり、今思うと子供といえども、これこそまさに「自分以外のひとのため、動ける人」なのかなと思いました。今の私は自身を守ることにきっと精一杯で、思いがけず親の偉大さを感じました。 津波の話だと、私は海の無い県で生まれ育ったということもあり、今まで生きてきて、津波を自分事として捉えたことがありませんでした。テレビで流れているのをなんとなく見たことはありますが、はじめてちゃんと、津波の被害を頭に入れようと意識して映像を見たと思います。自分はとても助からないと思いました。船も車も家も流されてしまうのではおそらく私なんてひとたまりもないとおもいます。 今、私が最も多くの時間過ごしているのは長岡であるのに、しかも一人暮らしで、助けてくれる家族もいないのに、災害に備えていない自身この現状が少し怖くなりました。” 今回授業を受講して、地震や津波などといった自然災害において死者の数や負傷者の数がデータとして出た時に、その数字を見て自分がこの中に含まれるかもしれないという危機感が生まれて来ませんでした。しかし、そのことを言われてから自分もいたこの中の数字に含まれるか分からない状況で日々生活していると分かり、自然災害に対しての認識をもっと改めていこうと思いました。またいつどの時に、自分の家族や友人など大切な人達とのお別れの時が来るか分からないといった先生の言葉がとても印象に残りました。毎日当たり前のように大切な人達と一緒に過ごせているのは今だけかもしれないということから、今以上にもっと一緒に過ごす時間を大切にしていきたいと思いました。 今日は災害とは何かを根本的な言葉の面から理解することができました。自助という言葉はプロダクトの授業内で片手で使える道具について考えたときに知りましたが、今回は違う意味だったようで勉強になりました。共助という言葉も知らなかったのですが、距離的なご近所さんだけでなく心理的に近い人と遠隔でも助け合うということだそうですだそうです。今年起きた能登半島地震の際も友人と連絡を取り合って、実際に有益な情報を得られただけでなく心の余裕にも繋がったため、やはり協力し合う『共助』は必要不可欠なことだろうと思います。 “東日本大震災で7歳の時に福島で被災(津波の被害はなし)した私は、当時テレビを見て、「大人になったら、自分の命をなげうってでも、逃げ遅れた人を救いたい」と思っていました。しかし、いざ自分が共助でいうところの”助ける側”の属性になったら、災害時に人を助けられる自信がなくなってしまいました。自分や肉親の命を守るためなら、血眼になれますが、自分が死ぬかもしれないリスクを取ってまで、他人のことを気にする余裕はありません。災害の恐ろしさを理解したからこそ、安易に助けに行こうと思えないのです。 また、最近は、能登半島地震で被災された方々のニュースを見て、ボランティアに行きたくてもいけないもどかしさや、行っても邪魔になるだけの自分の無力さを感じていました。 人が苦しんでいるのを見ると、苦しんでいない自分が薄情な奴に思えて、つらいのです。 これは、純粋な「人助けをしたい」という感情のほかに、何か汚い感情も混ざっているような気がします。 今回の授業内での、「自分の身だけ守れば、まずそれは立派な防災ですよ」という先生の言葉は、共助に踏み出さない人=自己中で血も涙もない、という自分の中での強い偏見を取り払い、より現実的に防災と向き合うきっかけになりました。 災害時に人のために行動しよう!と今決意したところで、大災害の際には、そんな薄っぺらな決意なんて、忘れているでしょう。そうならないために、日ごろから最悪の事態を考え、自分が死ぬかもしれない、お隣さんが死ぬかもしれないということを考え続けたいです。選択肢だけ自分の中に持って置き、あとはその時の自分の判断を信じようと思います。” 東日本大震災当時はテレビの中の出来事として映っていたので恐怖心が無く、自分とは関係ないと切り分けて考えてしまっていた。しかし、今までに何回か津波の動画を見る機会があり段々と恐ろしさがわかるようになり、今回見たことで、ああ他人事じゃないんだと気づいた。もし旅行先で津波が起きていたら自助すら出来ていなかっただろうし、そういう人がいるからこそ共助の意識は更に大切なんだと感じた。自助が出来なければ共助も出来ない。災害時にどう動けばいいか考えることで自信をつけ、共助に繋げていきたい。 今回の授業で特に印象に残っていることは共助についてです。自助については災害時に逃げる際に怪我などを負わなければなんとかなりそうだなと思ったのですが、共助については果たして自分の今持っている関係値で発動できるのかと不安になりました。このことから、ご近所さんはどこにでもいると講義内で話されていたので事前に知り合って挨拶程度ができるようになるためにまずは近所のスーパーからご近所づくりを始めてみたいと思います。 最後に見た東日本大震災発生当時の映像が頭にこびりついています。当時小学二年生の自分は数週間テレビがACのCMとニュースしか映さないのをつまらないと感じるばかりで、被災地にこんなに恐ろしいことが起こったと理解していませんでした。大学生になり人並みの防災意識を持っていると自負していましたが、年始に令和六年度能登半島地震を体験し自分は真に災害の怖さを知らなかったんだと痛感したのを思い出しました。先生が「大切なものはなくしてはいけない」とおっしゃっていましたが、もし自分の家がすべてを飲み込む濁流に襲われたとき、自分は大切なものをなくさずにいられるのか、考えさせられる映像でした。 “災害に直面した時に「自分のそばで起きてる災害は大したことがない」と思いがちと思いました。例えばかつて私の実家の地域で大きな災害が起きた時に家族みんなが「流石にうちは大丈夫だろう」と思っていたら床上浸水をしてとても危なかったと話していたのを思い出しました。 災害に対して行動する時は無意識に「大したことない」と思いがちである事を自覚して行動したほうがいいと心掛けたいです。” “私は今回の講義を経て、被災が他人事ではないことを改めて認識しました。と言うのも私は8年前に熊本大震災を経験したのですが、それ以来は特に身近に大きな災害がなかったので、熊本大震災の際に、地区で皆協力して炊き出しや水の確保をして助かったことを忘れていました。 その際は「共助」によって助けられたので、今後長岡や身の回りが大きな災害に見舞われた際は地域で協力して、人々を助ける人間になりたいと思います。その為に今後も空間安全論を通して役立つ知識を身に付けて行きたいです。” “自助、共助、公助この言葉の意味は知識として知っていたが、発動の早さについて意識を向けたことが無かった事に気がついた。自治体を動かしているのも人なので巨大な災害が起きた時その機能が低下してしまうのは当たり前なのだと理解する事ができた。 災害時とにかくする事は自分の命を助けることで、少しでも余力があったなら周囲の人を気にかけ声かけだけでもした方がいいと学んだ。” この授業で自助、共助、公助について学びました。私の国では災害があまり多くないため、実際の災害が発生した後に人々が災害に関心を持つことがよくあります。そのため、私は基本的には防災や自助の概念を持っていません。災害に遭遇した場合、私は確実に公助を待つことになります。余力がある場合は、共助にも参加します。そのため、私の意識では、私は助けを受ける側です。しかし、この授業を通じて、私も他人を助ける側になれるかもしれません。 今回の授業では防災とは一体何なのか、自助共助公助の内容と大切さを実際の映像や体験談を交えて学んだ。過去の学生の体験談の中で語られていた近所の人に声をかけているお兄さんの事がとても印象に残った。もし自分の住む地域で災害が起こった場合共助をできるようにしたいと思った 今回は実際の津波の映像をさまざまな視点から見ました。私は生まれたときに中越に大きな地震がきたため、揺れは覚えていませんが、今年初めの能登地震では大きな地震を初めて体感しました。ここは津波が来ませんが、津波の被害に遭った地域はこの地震の恐怖に更に命の危機が間髪いれずに迫ってくるため、本当にパニックになるだろうなと思いました。あらかじめ想定をしておかなければいざというときに絶対に動けないなと感じました。 “何度も見てきたはずですがやはり東日本大震災の映像は恐ろしいものだと思いました。自分は津波が来たら死んでしまうだろうなと思わされる映像でした。また2011年の緊急地震速報は津波を警戒する内容が能登半島地震のときよりも薄く、私たちは東日本大震災で津波の危険性を身をもって体感させられたのだなと思いました。 今日、地域コミュニティとの交流がどんどん希薄になってきているというのも緊急時の共助が難しくなっている理由の一つなのではないかと考えました。” “東日本大震災の画像を見たときに、改めて当時の悲惨さが思いやられました。また、特に正常化の偏見について印象に残っており、私の母もこのような部分があるのではないかと感じました。例えば、病気の番組で症状の説明があっても、自分は違うと思っていたり、災害のニュースも、群馬県なら大丈夫だろうと思っていたりします。(私の出身県が群馬県) 東日本の際も、特に重大な被害がなかったのでこのような考えに至ってしまっているのかなと思います。” “自助、共助などの概念をきちんと知らなかったので学べてよかったです。また、東日本大震災の実際のニュース映像を見ることで、震災当時のことを思い出しました。自分は北海道で被害があまりなかったのですが、3/11日以降比較的長くずっとテレビに悲惨な映像が流れ続けていたことを思い出しました。 そんな悲惨な震災でも、時が経つと感情が薄れてしまうのが怖いところだなと思いました。” 今回特に印象的だったのはやはり地震の映像です。私は宮城県の沿岸出身で、わたしの街こそ被害がありませんでしたが、よく買い物に行っていた隣の街がなくなっていたり、小学校に入学すると家を失って引っ越してきた子がいました。日頃から避難グッズや避難経路を獲得しておくこと、被害を軽く見ずに大きく見積もっておくことが大切だと思いました。 東日本大震災の映像は何度か見た事はあるのですが、こんなに生々しいと感じた映像は初めてでした。私は石川に隣接してる県に住んでいるのにも関わらず能登半島地震にあまり関心をもってなかったことが恥ずかしくなりました。 アンケートで、共催についての回答が多かったと言う話が印象に残っている。実際に被災してのアンケート結果ということで、災害現場でどれだけ助け合う事が必要とされるかが分かった。普段、隣に住む人などと会話をする機会は全く無い中で、緊急時にどうなるのか少し不安になった。 自助や共助といった言葉を久々に聞きました。去年の授業でも聞いたことのある内容で、覚えていましたが、自分が被災者となった時にちゃんと自分の身を守ることができるのかというのを考えました。ただ助けてもらう受け身の立場でいるといざという時に自分の身を守れずに生き延びることはできないと改めて感じました。 授業内でのワークでも書いたが、3.11の今までに見てきた映像の中で一番臨場感の高いものだったと感じた。中でもニュースで、眼前に津波が到来した時の現地の方々の、危機感のある会話に圧倒された。もし、能登半島地震で津波が来てたかと思うと、とてもそれが現実的に感じられ、恐怖を掻き立てられた。有事の際には自分は助かるといったようなバイアスは捨てて、死を覚悟した行動をしなければなと思った。 授業内で死者何名、負傷者何名という画像が映された時に私はテレビで見ているような感覚で死者多いな、怪我した人もいっぱいいるという客観的な立場で見ていました。その時にここに自分が含まれると感じるかと聞かれてはっとさせられました。今までそんなこと考えたことありませんでした。ずっと自分は自然と客観的な立場で見ていたのだと気付かされました。次このような報道を聞く時それは自分が含まれているかもしれない、もっと自分事のように考えていきたいと思いました。共助についても声がけの重要性を学ぶことが出来て良かったです。 被災地や震災してしまった方に対して、自分が出来ることなんてちっぽけでたかが知れているんだな、無力だな、それを踏まえて自分が出来ることを考えなければいけないなと改めて思いました。これから日常生活を送っていくなかで、何を常備する必要があるのか、自分の周りの人が災害に遭ったとき、何が出来るのかもっと考えていこうと思いました。 今回の講義で印象に残ったことは、もし自分が災害に巻き込まれた時に共助ができるかどうか不安になりました。実家のご近所とは仲良くできているけれど、一人暮らしで長岡に越してから地域の繋がりが無くなりました。だから地域との繋がりや共創には興味があるのでこの講義でしっかりと学びたいと思いました。 “私は埼玉県出身で、東日本大震災の直接の被災者ではありませんが、余波を味わったことがあります。あの頃は6歳で、停電などの非日常を楽しむほどでした。 ですが今回の講義で津波、地震の実際の映像を見て、自然への恐怖と無力感を感じました。 あのような混乱した状況下で自分は他人を手助けすることができるとは思えなかったです。” “今回の講義では主に津波の影響、被害について映像を通して学ぶことができました。 特に、輪島市の復旧支援プロジェクトについては私の地元が石川県であるため、現在遠方にいるとしても積極的に協力したいと感じました(101文字) ” 災害において事前対策が1番重要である。これは、災害が起きた時に全員が思うことであるが実際に被災するまでに準備しているという方は多くいないので、事前準備のしやすやに改善が測れると良いと思った。また、自分自身で避難しなければならない程の大きな災害に会った記憶が無いため、今まで軽く考えていたが、元旦の地震から気持ちが変わり、最低限の備蓄は行うようにした。 “東日本大震災の津波の映像を初めてしっかり見ました。経験したことはないけど津波に対して、強い恐怖心があったので今までできるだけ避けるようにしていました。 今回、空間安全を学ぶにあたって一回見ておこうと思ったので見てみました。 想像よりも怖かったです。” 自助、共助、公助の観点から災害時に取るべき行動、何を頼りにすればいいのかという事がよく理解できた。そして、共助の重要さが実際のエピソードがあったことにより特によく分かったが、今、暮らしている長岡の町で実際に自分がその中に入るにはもっと多くの時間が必要だと思った。 今回津波の動画や東日本大震災の動画をみて、実際自分が幼稚園の頃を思い出した。私は山形に住んでいたため、大きな被害は身近になかったが、隣の宮城や福島県では多大な被害があった。福島、宮城から転校してきた友達も多かったし、小学校は一緒でも中学は福島に戻る友達もいた。当時の自分にとってはただの普通の転校生だと思っていたが、成長した今、被災して引っ越してきたということが身にしみて感じる。 今回の講義の中において、久しぶりに実際の地震や津波の動画を観て、恐ろしさを感じたことが一番印象的であった。この規模の震災がもし明日起こるとしたら、私は生き残る自信が全くない。アパートから最寄りの避難所は20分ほどであるが、それは道がスムーズに通行できる状態下の場合であり、私の住んでいる地区は古い住宅が密集しているため、地震が発生すると建物が倒壊し、道が塞がれて通れない可能性がある。さらに近所の人たちとの交流がないため、共助よりも自助が重要になってくると考えられるが、今の私には防災の知識が乏しいため、自分の身を守れるような能力がないのが現状である。いつ災害が起きてもおかしくない時代に生きる身として、防災意識を身につけていかなければならないと改めて感じた。 東日本大震災で被災した方達の話が、言葉だけでもその場の緊迫感が伝わってきて印象に残っている。共助の重要さやハードルを高く感じる必要はないということを学んだが、能登半島地震の時に友人と安否を確認し合うといった形で実践していたことに気づいた。地元の富山にいたため大きな被害はなかったが、当時は津波警報で避難指示が出ていたので怖かった。そんな中、連絡を取ることで安心できたのを覚えている。授業にもあったように、ささやかでも自分にできることを行うことで、救われる人がきっといるのだと改めて感じた。 死亡者・負傷者・要救助者の質問の時、この中に自分が含まれるかもしれないとは全く想像できなかった。ニュースで見聞きすると「怖い」「もしもの時は気を付けないと」とは思うけれど、やはりどこか他人事のように感じてしまうものだということを改めて実感した。もし災害が起きて自分が被災しなかったとしても、その時のニュースや情報を見て日頃から自分事として考え、いつか被災しても生き残ったり大切なものを守ったりできるよう対策と知識を蓄えたい。 防災は建物や食料品の備蓄のことを指すと思っていた。しかし新たに、人材育成も防災に含まれると知った。人の意識を変えることで救える命が増えるのだと思った。今回の授業で自助の難しさ、共助の重要性に気づくことができた。 授業の最後の方で出た負傷者や要救護者の数字を見た時にその数字を自分ごととして想像できなかった。その数字の状態が自分の目の前で起こっている光景ではなくテレビ越しの光景を想像していた。危険が身の周りにあることをもっと自分ごととして考えているつもりだったけれど、まだまだだったことがわかり、正常化の偏見を実感した。正常化の偏見を持ってなければ、日常生活はストレスだらけになってしまうと思ったので、正常化の偏見自体が悪いわけではないと思った。そして、正常化の偏見と危険に対する意識のバランスをうまく取ることが重要だと感じた。 震災当時の映像は今見ても信じ難い規模だと思う。今高校1年生以下の人達は東日本大震災の記憶がない人が殆どを占める。私達の世代が阪神・淡路大震災や中越沖地震の記憶がないように、東日本大震災も過去の災害となってゆく。このような知らない・分からない世代がもし今後大きな災害に遭った時、自然と自助・共助ができる環境作りや体験の提供が未来に行えたら良いなと心から思う。 大地震が来た時のニュースの映像を見て、自分の身を守る行動をとらなければと焦らされたと同時にいざ実際に災害に遭った時に自分や周りの人の安全を確保することは対策なしではとても難しいことなのだと感じた。まず自分の身を守れるような対策を今から始めて、もし被災した時には周りの人に些細な声掛けだけでもできたらいいなと考えている。 “誰もが自分が災害で命を落とすわけがないと思っているという言葉が印象に残っています。私もそう思っていましたが、実際に災害が起きたとして私は絶対に生きれるとも思えません。生きることへの執着がないわけではなくて、死にたいと思っているわけでもないです。けれど仮に災害という大きなものを前にしたとして、無力な私が何も太刀打ちできないだろうなと思うと、瓦礫に閉じ込められたり津波が押し寄せてきたりした時に諦めてしまうのではないかと思いました。 しかしそのような震災被害に遭ったことがないので分かりませんが、実際その場になったとしたら自分だけでも生きたい、誰でもいいから私を助けてほしいという自己中心的な思いになるのかもしれないなとも思いました。 自分が災害と関係ないと思うのではなく、身近なものでいつ起きてもおかしくないと思いながら日々を生きていこうと思いました。” 前回の学んだことの記録でも述べましたが私は能登半島地震を実際に体験しており、今回の講義の中で緊急地震速報の音声を聞いて、地震が発生した時のことを思い出しました。元旦だったこともあり、防災への意識が薄まっていて普段より驚いて、自然災害はいつ襲ってくるのか分からないなと感じました。 授業内アンケートで、大きな地震を体験したことがある人がほとんどだったにも関わらず、自身の備えを十分にしていない人も同様にたくさんいたことに驚きました。現状、私も地震の備えはできておらず、もし今ライフラインが止まったら1日間すら十分に生活することができないと思います。きっと私のような人は災害を身近な存在に思っておらず、「テレビの向こう側で見る映像」くらいにしか思ってないのだと改めて感じました。 自分も被災をしたらその立場になるとは思うんですが、日本人の性格上、自助と公助に頼って共助を積極的にできない人が多いイメージがあります。その場面になってみないとわからないですが、共助による地域の回復力がその地域の人たちにとって一番の心の支えになると思っているので、「困ったときはお互い様」の精神を日頃から持っておくことが大事なんじゃないかなと感じました。 テレビは不特定多数に広く情報を提供する媒体であると同時に、社会に対する情報であり個人宛ではないということを改めて感じました。当時東日本大震災についてずっとテレビが報道していたことを今でもよく覚えており、年始の地震の時もすぐにテレビをつけて情報を確認するという行動を取ることができましたが、県内とはいえバラバラに住んでいる家族の地域がどの程度の被害だったのかすぐに確認することはできなかったので、細かい地域単位の情報をすぐに入手するのは難しいなと思いました。 震災当時のニュース映像や現地の映像を見て、当時の緊迫した状況がリアルに感じ取られてかなり恐ろしいと感じました。自分がこのような規模の災害に被災する立場になった時、具体的にどういった被害が起こるのかを想像し、適切に行動するために今回の授業のような実際の映像を知っておくことは重要だと思いました。 災害は頻繁じゃない、いつ起こるかわからないから「たぶん大丈夫」と油断してしまいますが、だからこそいざ起こった時に自分を守れるように抜かりない準備が必要だと感じました。私はもともと危機意識が低いのと大事なことを後回しにしてしまう性格なのですが、一つしかない命を守るためにも防災グッズやよく使う施設の避難経路、近くの避難場所などを調べて普段から”いつ起こってもおかしくない”の意識を持とうと思いました。 自助、共助、公助の意味と、実際の災害があったときのそれぞれの特徴について改めて学んだ。それぞれ、公的な支援である公助は実際の大きな災害では自治体の機能が下がるため遅くなる、共助は重要ではあるものの、行うのは難しい、自助を全員ができれば誰も死なないということを知った。特に共助は知り合いに発動しやすいこと助ける側と助けられる側に分かれるという特徴があり、助ける側に回るためにはまず自助ができているという前提が必要であるし周囲と交流をしておくことも発動しやすい条件になるため、災害が起こる前から防災として交流や災害対策をしておくことが重要だと感じた。 東日本大震災が発生した当時のニュース映像がとても印象的でした。当時7歳だった私の記憶にも鮮明に焼き付いている出来事です。今年の1月1日に地元の富山県で能登半島地震の被害を受けました。津波警報が出たとき、東日本大震災が起きた時に見た津波の映像が瞬間的に連想され震えが止まりませんでした。相当大きな揺れだったので最悪の状況も容易に想像できました。すぐに近所の人たちがみんな外に出てきて声を掛け合って小学校まで避難をしました。非常階段を登って3階まで上がりましたが、人がいっぱいで全員避難できるスペースはありませんでした。あの時本当に津波が襲ってきていたらどうなっていたのだろうと思います。元日だったので幸いにも家族全員が家にいましたが、離れ離れだったらどうすればよかったのだろうと災害に直面して初めて考えました。実家には防災バッグの準備もありませんでした。自助も共助もできていませんでした。ただ、近所の人と声を掛け合って避難できたのは普段から挨拶をしたり、コミュニケーションを取る習慣があったからだと思います。それはよかったことです。自分の家には何も自助できる要素がなかったので早急に解決すべきであると思いました。今回の講義と元旦の体験から、災害はいつ起こるかわからないので普段の準備と行動がとても重要になってくると学びました。 自助、共助、公助の中で共助は特に難しいと言われる意味がよくわかる講義でした。東日本大震災の実際の映像を見て、声掛けをしているような場面も度々見られましたが、いざその立場に自分がいたら映像のような言動をしていたかと聞かれると自信を持って「はい」とは言えません。でもあのわずかな声掛けがたくさんの命を救ったと思うので、難しい共助こそが災害時に私たちが自分の命を守ると同時にやるべきことなんだと感じました。 正常化の偏見について、自分自身事故や災害で死ぬはずがないという根拠のない自信を強く持っていました。実際今もそう思ってしまいます。なぜそう思うか考えた時、「死」という現象を受け入れていない自分がいると感じました。自分の中で「生」が当たり前にあるものと認識しているからです。それは、身近な人が亡くなった経験がないこと、災害現場を目の当たりにしたことがないこと、生きている上での死に対する危機感が皆無なことが原因としてあると思います。能登半島地震で大きな地震を経験したにも関わらず、対策として水と懐中電灯を買っただけでした。そんな形だけの防災は本当の意味での防災ではなく、地域の人とコミュニケーションをとり、いざというときに助け合えるコミュニティーづくりが防災というのだと理解することができました。また、私の父が石川県にボランティアとしていっていたので、次会ったときに、実際に見て何を感じたのか、被害の影響はどれほどなのか、メディアの報道と違いはあったのかなどを聞いてみたいと思います。 年齢が上がるにつれて当時の映像を観た時に感じるものが大きくなる気がします。こうして時々振り返る機会は辛くもあるけれど大事だと感じました。決して他人事などではなくて自分も被害者になる可能性を忘れないでいたいです。 避難するときは躊躇はしない方がいい。災害が起きたあとから減災、防災のために学ぶことは確かにあるが、被害が出たことで得られた学びが出ているとも言える。できるだけその被害は抑えなければいけないから私たちは被害が出るか出ないかがわからないとしても、とにかく逃げなければいけないのだとおもった。能登半島地震でも逃げようとする子供の意見ときっと大丈夫だと楽観視する家族の意見が異なって子供だけが安全な場所に避難している話をXで見かけた。ひがいがでてからはおそいので逃げる必要があるのではないかと思った。 東日本大震災が起きた時、私も何日かは家に入ることができなかったため、向かいに住んでいるご近所さんと一緒に車中泊をしました。また、私の家にはソーラーパネルがついていて、そこでお米を炊くことができました(停電していましたが幸い断水はしていなかった記憶があります)。そこで地域の人に温かいおにぎりを配った母の姿が印象的でした。そのため共助は本当に大事だと思います。今は長岡で一人暮らしをしているので、地域のつながりの輪になかなか入ることがありませんが、いざという時に困らないように日頃から繋がりを持っておくことが必要だと感じさせられました。
授業で使用する資料
- 【work3-1】 第03回 学びの軸をつくる(締切:授業時間内)
- 【work3-2】 第03回 学んだことの記録(締切:5月7日まで)
- 提出したかどうかの確認はフォーム内に存在する「回答の送信をコピーする」の機能を使用してください。
学んだことの記録
地震が起こる可能性は日本に住んでいる限りどこにでもあるということが分かった。今までにも様々な地震がおこっている日本から逃げたくなった。印象に残っていることはやはり災害時の写真です。高速道路が落ちたりするとはまさか考えませんが、地震の怖さを改めて認識できました。 地震においての講義で、日本が特に地震が多いという情報が映像で可視化されている動画を見て、「今まで日本が自然災害が多い国」であるということは知識として知っていましたが、世界規模で見比べてもマグニチュード6.0以上の特に巨大な地震が多いのを見て、日本で「地震において安全に生活するのは難しい」ということを理解しました。 地震の可視化の映像をみたとき最初はやっぱり日本の地震は多いんだなとみていましたが、3.11をみた瞬間正直ゾッとしました。ただでさえ大きい地震が長い期間立て続けにおきていたのがとても印象的でした。私は大きな地震を体験したことはありませんが少しの地震でもすごく怖いし、揺れたあとは自分の心音の揺れだけでもまだ揺れてるのではないかと不安になってしまうので大きな地震を体験した人はずっと不安で心細いと思います。また能登半島の方々への支援が減っていることは知っていましたが、市民の方々が見放されたと感じているというのを聞いてとても心が痛みました。わたしも少しでも遠隔で支援がしたいと思います。 世界の視覚的に地震の発生とその規模がわかる動画を見て流石に2011年ごろの日本を見て驚愕した。2011年以前も地震が起きていない瞬間の方がかなり少なかったのに、2011年以降は規模も回数も自分の思っている以上に大きく多かった。そこで南海トラフのことを思い出した。もし起きたらこの動画の円の大きさなども大規模なものになってしまうんだろうか。トラフのような大規模な地震対策は食糧の備蓄くらいしかしていない。そもそも大きな地震をそこまで体験していないので、どう対策すべきか知りたいと思った。 空間安全論の授業を受け改めてみんな震災に対する意識に差があると感じた。アンケートにあった若い人たちとおじいちゃんおばあちゃんで避難するかしないかで揉めた話や震災当時の実際の空気感から同じ地震同じ空間にいても逃げようとする人、これくらいなら大丈夫だと考える人など色々いると改めて分かった。また、同じ質問文に対する回答でもみんな書き方具体性に差があり防災に対する意識の差や震災の印象など当たり前だけど受け取り方が違うと分かった。 震災発生後は、まず高台や安全な場所に逃げ身の安全を確保することが大切で避難者への支援が最優先と考えますが、次に倒壊した家屋や道路の整備など大工さんや解体業者の不足が問題となる。 日本列島の下には、プレートが多くありどの場所でも地震が発生するので、いつ地震が起きても身の安全を確保出来るように備えておくことが大切。 今回の講義を受けて、日本で地震が外国と比べるととても沢山起きているのだなと実感した。また、地震が発生した場所を可視化した動画にて、東日本大震災の後に近辺でたくさんの余震が発生していたというのは知らなかったので、今後大きな地震発生の後も余震に気をつけようと思った。 講義の間に気になって調べるまでは懸念されている南海トラフ地震と首都直下地震が別物であることすら理解していませんでした。その2つに限らず、大地震はどこでも発生しうるということは今までも経験していることなので、今一度被災時の自分の行動をシミュレーションしたいです。(本文130字) 大きな地震が起こる前にこんなにも沢山の余震が続いていたことに驚きました。動画で可視化してみると急に一気に起きていたので本当に怖いと感じます。私は地元が四国なのですが南海トラフがとても不安です。いつ起きるか分からないのが本当に一番怖いなと思います。そのため普段から意識して予測しておくことの重要性を学びました。 今日の授業ではまちが実際に被害に遭ってしまった場合の「回復力」についてのお話がありました。街を復興するためには、まず復興に向けた整備が必要で、それができないとボランティアの方々も思うように動けず、復興も進まない。街の復興もただ片付けるだけではなく、まずは人が通れるように交通を整備したり、危険な場所を整備することから始めないといけないなということを今日認識しました。 改めて日本は地震が起きやすい島なんだなと思いました。東日本大震災が起きた時の円の大きさと数がとても迫力があって怖かったです。どこに行っても被害にはあうと思うので、これからは被災した時のために防災グッズを揃えたいと思います。 能登半島地震の実際の現場では4ヶ月経っても大きく壊れた建物がそのままなことは知らなかったので印象に残った。最初のアンケートで、自分がどこにいたかという質問に自宅の茶の間など具体的に答えている人がいるのを見て、自分が防災を考える時はもっと具体的に物事を考える必要があることを感じた。 世界の地震発生の動画を見た時、2011年3月で急に爆発のような音がしたと思ったら、日本の太平洋側が真っ赤で驚いた。 自然災害が多い国であるのに、それに対する死者の割合が低いことはとても良いと思った。しかしあらゆる災害において本当に建物や農作物、インフラへの被害がいつも大きいことがニュースを見ていて心苦しいので、そういった被害を減らすための方法をもっと知りたいし技術が発達したらいいなと思う。 5ヶ月経っていても、被災地では被害が残っていることを、全く知らなかった。私の中ではもう過去のことになっていて、忘れかけていた。危険がなくなっても、被害が残っているなら災害は続いているといえるのだと思う。被害を受けた人たちだけで、元通りにするには、人手も資金も足りていないのだと知った。被害からの回復力を高めるには、直接的なボランティア活動や募金などの支援が大事だと感じた。 世界的に見てもあれだけの地震が起きている日本によく住めているなと軽く驚いた。逆にこれだけの量の災害と復興を繰り返しても、災害に対する対策等が未だ完璧なものではないと考えると、個人身近なところでできる災害対策がどれほど重要かがわかる。 授業の最初のアンケートで東日本大震災について答えるときに当時の記憶を思い起こしてみて、今年の初めに経験した能登半島地震よりも記憶に濃く残っていて情景をよく思い出せた。多分幼い自分にとって初めて経験した大きな地震だったから鮮明に覚えているんだと思う。地震の脅威に慣れてきている気がして、被災してもなんとかなるという甘い考えは捨てなきゃと思った。 マグニチュードについてはもちろん以前から言葉を知っていたが、マグニチュードが1上がるとエネルギーが32倍になるというお話を聞いて驚いた。先生もおっしゃっていたように、日本にはまだ発見されていない活断層が存在すると思うので、いつ自身や津波が起こっても冷静に行動できるように今から備えておきたい。特に南海トラフに関しては今後三十年間の発生確率が非常に高く、新潟や地元も大きな被害を受けるかもしれないのでご近所さんとも仲良くしつつ、今できることを少しずつ積み重ねたい。 地震の発生場所を見たとき日本での発生の多さに驚きました。プレートの境界で地震が発生するのに、四枚もプレートが重なっていたら大地震も起こるのも納得です。地震の多い国だということはわかっていましたが世界的に見ても珍しい国なのだなと思いました。 地震が起こっている地域の動画を見て、日本は特に地震が多い国なんだなと改めて知りました。逆にほとんど地震が起こっていない国や地域も見えてきて、地震の経験がない国の人が旅行先で地震にあった時に困ったことや経験したこと、感じたことがあったら聞いてみたいと思いました。 今回は地震について詳しい話を聞きました。東日本大震災があった当時のことを私は全く覚えておらず、また九州に住んでいたため実感がなかったのですが、学びの軸アンケートの集計を見ると約半分の方が被害にあっていて、また世界的に見ても大きな地震だったことを知り改めて地震が起きた時の対処法を考えておかなければいけないと感じました。 東日本大震災は当時小学生でしたが、すごく揺れが長かったのを覚えています。木造の校舎だったので特に揺れたのではないかと思います。地震の揺れで酔って気持ち悪くなったのは初めてでした。ニュースなどで津波の情報を見るのが怖くて当時は親がいない時はテレビを消していました。しかし情報を得るためにもテレビやラジオなどはつけておいた方がいいと思いました。 世界の地震を見る映像がとても印象に残りました。東日本大震災の時間に起きた地震の円が自分が思っていた何倍にも大きくて揺れる頻度も多く、それほど世界と比べてあの地震が脅威的だったんだと改めて感じることができました。 前回、津波や地震による被害を防ぐためにはその心配がない地域まで移住すればいいという意見を書きましたが、今回の活断層のマップを見て日本の中で逃げる場所はないのだと感じ、地震や津波に対する恐怖を感じました。いつ起こるかわからないものに対して、備えるということはとても難しいことだと私は思います。なので、日頃から「備える」ではなく、「慣れる」ことも場合によっては重要なのではないかと思いました。例えば防災公園で遊んだり、防災の話をする授業を学校で取り入れたりなどです。危機感を保つのは難しくても、体に防災を染み込ませることは備え不足の解決策になるのではないかと考えました。 学びの軸を作るワークで、「地震が起きた時どこにいましたか」という質問で、「自宅の居間」などと具体的に書く人と、「自宅」など曖昧に書く人がいて、その意識の違いを見ることが出来た。曖昧に書く人も、本当は具体的に覚えているけれど書かない人と、そもそもよく覚えていない人とでまた分かれるのだろうが、具体的にイメージできるかどうかでその後に地震を自分ごととして捉えられるかどうかにつながるのではないか、と学んだ。 世界の地震のマグニチュードを見る動画が印象的だった。改めて、世界の他の国と比べると日本は地震の多い国なんだと恐ろしさとともに実感した。 日本がいかに地震が多い国かということが分かった。逆にアメリカやヨーロッパはほぼ地震が発生しないので驚いた。(その代わりハリケーンなど他の天災の被害が大きい) 私は1回も被災を経験していないが、地震大国の日本なので死ぬまでに大きな地震を1度は体験するだろうと思った。まずは自分の命を助けることを優先し、防災リュックやハザードマップの確認などをしていきたい。そして大切な友達の命も守るためにも被害が起きた時に迅速な対応をしていかなければならないと考えた。 日本が地震の多い国であることはわかっているつもりでしたが、世界と比較した映像を見ると本当に毎日のように揺れていて衝撃を受けました。避難所などでの生活の様子は写真やニュースでは見たことがあるものの自分が住めるかと言われると正直耐えられるか分からず、ここがデザインの活躍の場かもしれないという話を受けて避難所での生活を自分事として考え、プライバシーを守るデザインを考えてみてもいいなと思いました。 最初の地震に対するアンケートでの事実確認で自分が思っていたより周辺の被害状況が見えてなかったことが分かりました。能登半島地震の時は初めて1人での地震の体験だったので自分が感じていた以上にパニックになっていたんだなと気付かされました。1人の時の不安感からくる視野の狭さがあったのかなと思い、地震などの災害が起きた際はできるだけ1人にならず人が多い場所に合流した方が精神的に落ち着くのかなと考えました。 液状化について土が液体みたいになる事を今までイメージしにくかったのですが、ふと思い出した片栗粉と水の実験の動画が頭に浮かび、こういう感じで地面が崩れていくのは沼にハマってしまったみたいでパニックになりそうだなと怖くなりました。 高校の頃に地学基礎をとっていたが忘れてしまっていることが多かったため、今回の授業で地震の周期についてだったり、液状化が起こる仕組みについてだったりと、基礎的なことを学ぶことができてよかった。地震大国日本に住んでいる人間だからこそ、基礎知識をきちんと身につけておく必要があるなと改めて感じた。 私は2年生なので空間安全論を履修している人の中に年下の方はいないと思うのですが、東日本大震災のアンケートで当時の記憶があまりないという方が結構いて予想外でした。私は青森県の日本海側に住んでいたのですが、震度5くらいの揺れがあって、幼いながらにこれはただ事ではないと感じ強い恐怖と共に記憶に残りました。住んでいた場所によって揺れの大きさが違うので、あまり揺れなかった地域の方は印象に残らなかったのかなと思います。震災の規模の大きさや津波の恐ろしさについては、思ったよりも各自で認識に差があるのかもと思いました。また、阪神淡路の震災の写真を見て、避難所に何も仕切りがないのは驚きでした。最近はダンボールである程度目隠しされていることが多いようですが、当時はそれが当たり前ではなかったんだと気づきました。少しずつ避難所の環境も改善されているんだという発見ができました。 地震を可視化した映像が特に印象に残った。この映像自体はどこかで見た記憶があるのだが、改めて感じたことは普段地震に対してのアプローチは自分が感じた揺れにしか反応できないが、この映像は世界中で起きた地震を自分が体験していないのに反応することができる。これがとても素晴らしい。ただ一つ不安に思ったことは、この映像を見るデバイスによって地震に対する感じ方が変わってしまいそうだと強く感じた。スマホで見ればそこまで恐怖を感じないが、映画館並みの巨大ディスプレイで見ればその分恐怖も大きくなるに違いない。 今回東日本大震災の当時の状況を思い出してみると、小さかったのもあり全然覚えていないなと実感しました。宮崎に住んでいたため多分地震は来ていなかったと思うのですが、その日遊びに行こうとしたら母に止められたことは鮮明に覚えています。当時はわけも分からなかったのですが、だんだん年を重ねるごとに東日本大震災の状況や被害を理解できるようになって怖いなと思うようになりました。東日本大震災が起こったことで生まれた防災意識もあると思うので、みんながその気持ちを絶対に忘れずに少しでも活かせたらいいなと感じました。 今回の授業で取り扱っていた、日付と時間が過ぎていく過程で地震の発生地とマグニチュードを表示する動画を見た際に、3.11のマグニチュード9.0が発生した後も余震と言われる地震がマグニチュード6.0以上がたくさん発生していたのが衝撃でした。地震大国の日本に住んでいる以上は、いつ何時でも地震が発生した場合に備えて防災道具を準備するのは大切だと感じました。 東日本大震災当時のことは今でも鮮明に記憶に残っている。当時まだ小学一年生で、地元の北海道にいたため、割と強い揺れがあった。学童保育にいて先生方が適切な対応を取ってくれたから誰も怪我なく済んだが、あの時自宅で1人で留守番だったら確実に怪我をしていたと思う。実際に数年後の胆振東部地震では自室の本棚が倒れ、今も床に傷が残ってしまっている。自分が将来家を持つとき、災害のことまでしっかり考慮し、インテリアを決めたい。 授業で東日本大震災の時の質問に答えている中で、安全を完璧に確保することはすごく難しいと感じました。私は地震発生時、小学校の体育館で授業を受けていたのですが、どんどん揺れが大きくなっていく中で、先生が「窓から離れて!」とクラスメイトを体育館の中央に集めてしゃがむように指示しました。けれど私もクラスメイトも天井の大きいライトが揺れていて落ちてくるのではないかと心配していました。今考えてみるとよっぽどのことがない限りライトは落ちてこないだろうと思うのですが、でも絶対に落ちてこない保証はなかったよなあと思います。家でも地震が起きた時、窓から離れても倒れそうな家具があったりして100%安全を確保することは難しいと思いました。それから授業の後半で出てきた、マスコミが避難所に無遠慮に入っていく写真がとても印象的です。 日本は想像通り地震の多い国であるとわかった。島国で逃げられる範囲も他よりも無いため対策が特に必要だと思った。私は東日本大震災の記憶が無いため、この前の元旦に起きた地震が初めてと言っていい大きな地震で少し怖かったが、大人は慣れている人が多いせいか焦りがなかったのでまずいと思った。 世界で起きた地震の動画で、2011年3月11日の前日や当日以降も、自分の想定以上に地震が多発していた事に驚きました。私は東日本大震災の時のことはあまりよく覚えていません。当時幼かったため、状況をあまり理解していなかったり、私の地元での被害が少なかったからだと思われます。 中学生の頃、大雨の影響で地元の橋が崩壊したことがありました。今後南海トラフ地震などといった大型地震は必ず起きると言われています。大雨で橋が壊れることがあったのに、それ以上の被害が予想される大きい地震が起こった時、自分は冷静になれるのか、臨機応変に行動できるのかが、改めて心配になってきました。心配に思うということは、地震に備えた準備や訓練、知識がまだ不足しているということだと思います。未来に向けてこれから準備していきたいです。 今回の講義で印象に残っているのは、世界における地震発生を記録した動画です。日本がプレートの境界部に位置しているため地震が多いということは以前から知っていましたが、これほど圧倒的だとは思いませんでした。特に2011年3月11日からは凄まじい音で、恐怖を感じました。これほど頻繁に自身が起きていれば、「日本人は地震に慣れている」という解釈にも頷けます。しかしこの慣れが大きな被害への落とし穴になってしまう可能性があると思うので、日頃の対策から積極的に行っていきたいと感じました。 能登半島地震の復興支援がなかなか進まない実情を学び、これを教訓に「回復力」も今まで以上に重視すべきだと感じた。大地震が多く被害額が大きい日本であるからこそ、減災はもちろん、その後の復興を見据えた準備が必要である。仮に準備をしていたとしても、今回のように支援拠点の被災などが起こる可能性があるため、少し過剰ぎみな位の備えを全国的に展開することが理想だと思った。 世界的に見て日本は地震が多いとは聞いていましたが、実際に東日本大震災が起こったときの地震の発生分布図を見たときに、これほどとは思いませんでした。これだけの回数の地震が起こると、被災された方は地震が起こるたびに地震への恐怖が募っていくので、心も休まらないだろうと思います。私も能登半島地震の際に、大きな被害はなかったものの、余震を感じるたびにいつ来るかわからない大きな地震に怯え、恐怖を感じ続けていました。やはり心身の支えになる、前回学んだ共助がとても大事だなと思いました。 能登半島地震の復興や支援が進んでいない現状を知った。このような現状から、支援を受ける側が支援を受け取るための力を失っていってしまうという話を講義で聞き、支援を受ける側の人間がこのような状態に陥ってしまうとより復興が滞ってしまい、負のサイクルが起きてしまうのではないかと感じた。支援を受ける側に非はないと思うのでやはり支援する側が積極的に行動をおこしていく必要があると感じた。 地震の内容を受けて、一番直近で起きた能登半島大震災の復興の遅さにとても驚きました。私が最近ニュースを見ていないこともあってか、輪島の様子などを見る機会があまりありませんでした。だから、今回震災時とあまり変化のない輪島市を見て、被災者側が見放されていると感じてしまう理由もよくわかりました。復興を頑張る人々や取り組みが被災者に勇気を与えるとも思うので、人手がなかったりと不便なこともあると思いますが、できる限りのことに全力を尽くして、少しでも早く復興することが大切だと感じました。 今話題になっている南海トラフがいつきてしまうのか誰にも予想できず怖い日々が続きますが、保存食を確保することや自分の家の近くの避難場所を確認しておくなどできることはあるので、未来の自分が少しでも楽に、安心できるような取り組みをしていこうと思います。 日本には豊かな自然がある代わりに、災害が多い傾向があると知りました。良くも悪くも自然と共生する文化が根付いているのかなと思います。おかげで?温泉もたくさんありますし、いい国ですね。日本大好きです。能登地震はどこで受けましたかという質問に、香川県と答えている人がいました。何か主張を感じます。私も出身香川県なので、なんか主張したくなる気持ちがわかります。とにかく、本当に災害の少ない県なのです。少なくとも自分が経験した大きな災害といえば、水不足くらいです。台風がきた時はニュースでも香川県だけ色が違ったり、揺れを感じても微々たるものです。なので、余計に能登の地震は恐怖体験になりました。あれから思い出したら防災意識を高めようとしています。災害の後には具体的な振り返りをするようにして、頭の中を整理しやすく気をつけます。 自分が被災した人に何ができるのかを考えました。自分自身、即戦力となる力にはなれないと悔しく思っていましたが、先生が講義中に「見放されたんじゃないかと被災地の方は感じてしまう」と仰っていたので、デザインを学んでいる私はそういう不安を取り除いたり、軽減したり、避難場所での人々のパーソナルスペースを守るためにどういう構造にするかであったりとアイデアを持ち寄ることで支えられたらなと思うようになりました。 津波を直接経験した人は少ないため、実際に避難しなければ行けなくなった時、間違った行動を取らないように知識をつけていくことが大切であると感じた。また何としても命だけは守ろうと思った。命さえあればまだやり直せるかもしれないから。 今回の講義では地震について勉強した。地震の仕組みについて、プレートの原理で発生していることが分かり地球も生きていることを感じた。また東日本大震災の地震を可視化した動画ではマグニチュードが大きく、震源が深い地震が絶え間なく起こりとても不気味だったのと東日本大震災の異常ほどの規模の大きさが見えた。また、マグニチュードが1大きくなると威力が30倍、2になると1000倍近くなることを調べて分かった。新潟県でも2004年に中越地震が起こったことがあり私が生きている間にも大きな地震が何度も起こっていることに日本の地震の多さを考えさせられた。 今この私が生きている、この生活が舞台なので考え方や動き方を考える上で詳細から計画的に考えていくことは大事だとわかった。地元が長野県なので津波については他人ごとと思っている節があった。しかしながら、近い未来、関東や海近辺などで働く可能性もあるので自分ごととしても深く考える必要があるなと思い直した。 大陸棚やプレートが日本列島に集まっているのがやっぱり少しゾッとしました。被災地でのボランティア活動の際の被災者とボランティア側の持続可能な取り組みと支援のお話がとてもためになり、確かに(言い方は悪いかもしれませんが)被災した状況で人手や物資や時間何もかもが足りない中で、いかに被災者に寄り添い、ボランティア側も活動していくことが大変ではあるが重要だと思いました。それと同時にやはり絶対的な安心、安全というのはないな、と感じました。 あと、これは講義にはあまり関係がないのですが、昔の人は地震や水害、土砂崩れなど災害が多かった土地には家を建てないように、人が近づかないようにわざと不吉な名前をつけることが多かったそうです。それについてはすごく面白いなーと思ったんですが、近代になり土地を売るために土地の地名を変えるそうで、忠告の意味が途絶えてしまっているのがしょうがないと思いつつも残念だし、少し危ないと思いました。 能登地震が起きたとき、そこそこの揺れだったので見ていた映画を中断せざるを得なくなり少し地震にイラッとしたことを思い出しました。また、そんな自分に呆れたのを覚えています。地震に対して危機感が薄れているのだと痛感しました。しかし今回の地震で家族から離れて1人で地震を経験したことで、地震への不安が高まりました。防災グッズの用意をしていなかったことや避難の仕方が分からなかったことが不安の理由だと思います。まだ行動に移せていないので今度防災グッズを購入しようと思います。 能登の被災状況を見て、崩壊した建物の周りを建設時のグレーの布などで覆ったりしないのかなと思いましたが人員不足と聞いて納得しました。落下物などで怪我をする可能性があると思うので早急に対応すべきことだと思いました。また、授業を受けていなかったら現在もまだ現状回復していないという事実を知ることはなかったので情報を得られてよかったです。 今回の講義では地震や津波などが発生した際に、起こった実態を少しだけ知ることができたと思います。東日本大震災や阪神・淡路大震災の時に覚えている記憶は少なく、人から教えられたお話だけを聞いてイメージしていたことがこうして映像や記事、資料に記録されたことを見ることでどうして地震が発生したか、何に困難が生じたか徐々に自分の中で実体化しつつあるように感じました。能登半島地震の時は、自分はちょうど新幹線で新潟から金沢あたりを経由して関西の実家に帰省していた途中で私は地震に気づいておらず、両親の電話で気づきました。被災した訳では無いのですが、あの地震が私にとって初めて体験した恐怖だったので忘れることはないと思います。この授業で能登半島地震で自分がどういった形で支援できるかしっかり考えたいと思いました。 世界の地震の動画で、圧倒的な日本の地震の多さに驚きました。外国人と日本人では地震に対する反応に大きな差があるとは聞いていましたが、納得せざるを得ない動画でした。だからと言って日本を離れたいとは思わないので、いつ起きてもおかしくない地震に備えることが生きる上で必要不可欠だと感じました。 今回学んだことは、過去の災害の記憶から、思い出した具体的さによってもこれからの対策やシミュレーションが変えられることです。授業内の東日本大震災の例で、どこにいたかという質問に対して実家と答えた人は実家のどこにいても対応できるような対策が練られて、実家の居間と答えた人は居間の中で更に安全を確保する方法を探すという方向に対策をしやすい事が分かった。私も過去のことを振り返る時に全体のイメージから、詳細な情報までもう一度おさらいして備えていこうと思う。 世界の地図で、円の大きさで地震の強さが表される映像は、インスタグラムやYouTubeでみたことがあり、東日本大震災が他と比べてすごく強くて恐ろしいと感じた。地元が大阪なので、南海トラフが起きたらここに避難しようと話し合うことがありますが、鳥も飼っているので避難する場合、鳥たちはどうすればいいのだろうか。 米沢の友達がいてその子が、米沢では上杉鷹山の方が謙信より有名だよと言っていたのを思い出しました。自助、共助、公助という行動と関連していることを初めて知った。 地震が起こることで津波や液状化、建物の倒壊などさまざまな被害が考えられる。そして、身の回りに何らかの被害が出た時、自助・共助・公助が必要であることを再認識した。また、被害が出る前に最低限考えられる被害への対策も大切にすべきだと思った。 日本は災害がよく起こる国で、私自身特に地震については注意していこうという気もあったけれど、実際に何に気をつければ良いのか理解はしていなかったように感じた。机の下に隠れるとか倒れそうなものの近くには寄らないとかそういう知識はあるけれど、具体的に自分の身の回りではどんな危険があるのかという現実的な考えはしていなかったと思うので、自分がいつどこで何をしているのか順を追って考えて気をつけるべきものが見つけようと思った。 日本は世界の国の中で見ても地震が多い国であることがわかった。実際に私たちが経験した東日本大震災での地震も、世界の地震被害と比べても上位に入るレベルの被害だったことが映像を見ただけでも実感することができた。今大きな地震が来てしまったら自分で自分の身を守れるのかわからないし、いつも助けてくれた家族も近くにいないので、怖いなと思う。なので日頃から友達などとこうなった時はこうするなど話し合い、協力していけたらなと思った。 東日本大震災が起こった時の各地の様子を見たが、日本の地震が圧倒的に多く、余震の数がとめどなく日本と流れてくる様子に大変な恐怖を感じた。私の実家は新潟市西区にあるのだが、能登地震の地割れが今もひどく、家の近くの郵便局の道路はいまだに治ってないし、よく通っていた韓国料理の店も潰れてて悲惨だなと感じた。 先生の考えの根底に、「自分自身の防災を行ってほしい」があるということがよくわかった。一人ひとり住んでいる地域も、家族構成も、部屋の間取りも違う。災害から気を守るためには自分の今置かれている状況を理解したうえで、何が危険なのか、どういう可能性が考えられるのかをよく考えて災害というものに向き合う必要があるのだと思う。私が今回の授業で再認識したのは、街がめちゃくちゃになるのは津波や土砂崩れのみでなく、地盤の液状化であったり、揺れによる建物の崩壊もあるのだということだ。今までなぜか、私の中で街がめちゃくちゃになるのは津波と土砂の二択しかなったことに能登半島地震の写真で気がついた。元住んでいた地域には海も、そこまで高い山もなく、こんな街が甚大な被害を被るわけが無いと心のどこかでタカをくくっていたのだが、液状化現象と建物の崩壊は強い地震が来れば十分に起こりうる。自分の街もこんな風になるかもしれないと思うと真面目に家族と防犯の話をしてみようと思った。 今回学んだ事は日本の都市は災害が起きると世界の中で1番大変なことになるということです。視覚化して分かる図では日本だけ規格外の大きさで驚きました。今年の1日の地震のとかでは私はバイトをしていたけれど、時期的には初詣だったり帰省の時期のため他の人の回答を見て納得しました。そのような場所に居た時に地震が起きたらどうするだろうと考えるきっかけになりました。 能登半島地震における課題において、ボランティアの拠点がないとあげられていた。そこで現実的な拠点だけでなく、ネット上の拠点を作ることも解決策として上げられると考えた。アプリに災害が起きている場所の地図に現地の状況を記載でき、ボランティア同士や被災者同士で状況を把握できるネットワークができれば災害時の支援がよりスムーズになるのではないかと考えた。 今まで地震などで避難する際のルートやどう逃げるかしか考えていませんでしたが、実際に起きた時に被害が起きた時に被害にあいにくい環境を作れるかまで事前に考える事をしていなかったので、これから近所との関係作りや棚などの固定などしっかり考えていこうと思いました。 地震が起きた当時の様子を振り返ってどこにいたのか、何が危険だったのか、もしその時に大きな被害がでていた場合自分はその場所でどんな対策ができたのかを考えることが大事だということがわかった。 能登半島地震が起きた時、私は姉とディズニーシーへ行っていた。アトラクションには乗っておらず、列に並んでいたところだった。千葉県は震度3ほどであまり強いとは感じなかったし、キャストさんやキャラクターの対応が素早かったため恐怖感はあまり感じなかった。この時は特に大きな被害がなくすぐに復旧した。だが、被害は大きかった場合やもし自分がアトラクションに乗っていた場合などは完全に助けられる側にまわっていただろうと今は感じる。 もし避難することになっていたらあの大人数の人がいた空間で自分はしっかりと避難することはできたのだろうかと思う。 授業後半で日本は地震が起きやすく、起きにくい国もあるといった話があったが、私たち日本人が震度3をあまり強いと感じないように多少の慣れがあると感じている。ディズニーにいたとき外国人観光客がかなり多く、地震発生時にパニックになっている様子が見受けられた。 地震に慣れを感じるほど多く発生しているのに関わらず防災意識が低い状況をまずは自分から変えていかなければいけないと感じる。 いつ何をしている時に起きるかわからないため、自分を守るためにもどう対策すべきか、地震や災害が起きたときの行動を常日頃意識として持っておくことが必要だと改めて感じた。 日本がプレートの境目にあって他の国々に比べて地震が多いことは知っていましたが、四つのプレートの境になっていることや、世界で最も地震が多い国であることは知りませんでした。 地震が起きない国もあるもなるなら、地震の避難訓練などもないのかなと思いました。また、他の国にはあるけど日本にはない訓練もありそうだと思いました。 私は今まで津波を見たことがありませんでしたが、学びの軸をつくるのフォームで、津波を見たことがある人もいると知って驚きました。お風呂に入っているときや車に乗っているとき、トイレに行っているときなど、どのような行動を取れば良いか分からない場面がいろいろありました。 また、南海トラフについてももっと知りたいと思いしました。 東日本大震災は兵庫県にいたこともありほとんど覚えていなかった。覚えていることはエーシージャパンのcmがずっと流れていたことくらいで、大きくなってからニュース等で被災地の惨状を知った。実際に経験した災害で覚えているものは能登半島地震で石川の友人に営業しているガソリンスタンドの情報を連絡することしかできず、悔しさと不安でいっぱいだった。まだ大きな災害は経験したことがないが日本に住んでいる以上対策は必要不可欠だと感じた。 正直、東日本大震災は実際の災害よりもその後のニュースや特番の印象が強いです。「花は咲く」を空で歌えるくらいには鮮明に覚えています。今日の世界の地震の分布映像を見て、日本がずば抜けて地震が多いことを再確認しました。 まず、日本は世界に比べて圧倒的に地震の起きやすい国だとは知っていたが、それが4つものプレートが集約しているからだ、という事実に驚いた。 次に、阪神淡路大震災の避難生活の写真から、当時の未発達の環境の辛さを感じた。それと比較して、現代ではプライバシーが守られるような改善などが為されてきていることから、そこでデザインが役立っているのだなと感じた。 世界のどこでどれくらいの規模の地震が起きているのかをわかりやすく見ることができました。日本は地震が多いというのはわかっていたのですが、視覚的に見ると思っていた以上に日本で多発していてしかも他に比べて規模が大きいことにびっくりしました。でもそんな規模の地震が多発しているのに復興して乗り越えているところがすごいなと思いました。またそのために備えることが日本に住む上では大切になてくるのだと思いました。 世界全体の地震発生状況を見た時に日本の地震発生の異常さがよくわかりました。プレートが四枚も重なる場所だからというのにも納得がいきました。ヨーロッパやロシアなどは地震がほとんど発生していなかったので地震の考えや取り組みなどが日本と全く違うのだろうなと感じました。 能登半島地震による被害でまだ全然復興できていない地域があることを知り、時間の流れが恐ろしく感じました。自分に被害がなかっただけに能登半島地震はもう落ち着いた話だと思ってしまっている自分がいました。地震が起きた地域は復興までの見通しも常に考えなければならいと感じました。 能登半島地震が発生してから最初は毎日のようにニュースで被災状況が報道されていたのが、だんだんと頻度が減っていき自分から遠のいているようにちょうど感じていたけれど、復旧活動が全然進んでいないという惨状は、報道では見えてこなくても確かに存在しているのだと分かりました。マグニチュードは、昔習った時に等倍の考え方がよくわかっていなかったけれど、円でなく球のイメージを知ったことで理解がしやすくなりました。 今回の授業では東日本大震災のことや能登半島地震のことに多く触れました。それによって曖昧だった記憶が少し思い出すことができました。自分が東日本大震災を経験したとき当時6歳と幼かった。そんな中でも覚えていたのは、保育園全体で非難したことだった。みんなで手をつなぎ移動したのを覚えている。また、能登半島地震では家族団らんの最中に起きた出来事であった。今回の授業でいろんなフィードバックすることができて良かった。今後の授業も自分の体験を踏まえて考えていきたい。 地震の復興支援について、被災された方々は置いてかれていると感じる方が多くいるという話が一番印象に残りました。実際に東日本大震災で被災した際に今までできていた生活ができなくて、ご飯を作るのも七輪で作りトイレも畑でするような生活をしていた際には一生このままなのではと思ったこともあります。現在能登地震に遭われた方はそのような思いをしているのだろうと思いました。 また、復旧支援に来ていただける人も多くいると思いますがやはり支援団体が行なっているところで支援をした方がいいと思いました。被害に遭って実際に復旧支援に行けるような年齢になった当時はすぐにでも支援に行ったほうがいいのではと思っていました。ですが、芸人のやすこさんがなぜ個人で復旧支援に行かない方がいいのかの話を聞いて考えが変わりました。正しい知識を身につけて役に迷惑をかけない支援の仕方をしたいなと思いました。 今回の授業では、実際にあった災害を思い出すことで、実際の地震や津波の何が怖いのかを考えました。東日本大震災の一年後に福島へ行き、住んでいたことから、学校でも震災についてやることが多かったのを覚えています。地域のみんなが協力することで、団結力を強く感じたことも思い出すことができました。 実際の能登半島の被害を見て、倒壊した建物が放置されている風景が今現在の日常と化している様子印象に残っています。その背景にはボランティアの安全確保や、人手不足など活動が思うようにできない環境があることも同時に知りました。知らなかっただけで、地震が毎日のように起こっており、日本が地震大国といわれえる由縁や首都圏における地震災害の起きやすさの仕組みからは、何となく言われていた絶対安全な場所はないという事実を改めて考えるきっかけとなりました。次回の津波に関しては、地元への甚大な被害を受けることが予想されるので、これまで以上に自分事として考えることになりそうです。 東日本大震災の際、確かに記憶はありますが、恐怖や困ったことというのは正直なところあまり覚えていません。実際に被災してないという事実があるからというのもあります。 私の地元は日本の中でも地震に見舞われにくいと言われる富山県というのもあって、被害がない、地震の影響がないということが多いです。しかし、直近で起きた石川の地震では、本が飛び出してしまうほど揺れました。普段の被害の備えがないことを実感しました。 他の国と比べ地震の多い日本にいるからこそもしものもしもに備えておくべきだと感じました。 東日本大震災の時の記憶がほとんどないのは、幼かったことも原因としてあげられると思いますが、一番の原因は自分が直接的に大きな被害を受けなかったからだと思いました。また、能登半島地震の時も、地元に帰省していたため、被害は受けませんでした。ただ、長岡の自宅と大学の友達が大丈夫かなという不安があったことが東日本の時との違いかなと思います。地震の際、私の元にも今まであまり連絡をとっていなかった友人たちからの心配の声がたくさん届きました。それは今回の授業で学んだ、自分ごととして考えるということに結びついているなと感じました。自分がいる場所や周りにある状況によって起こることは変化していくことも同時に学びました。大丈夫と言われているから大丈夫ではなく、自分で考え、備える、危険を予測することを意識していこうと思います。 Twitterでも「4ヶ月経った今でも能登半島はこんな状態だ」と、能登半島の現状の画像が流れてくることがあります。 まだまだ悲惨な状態で、私も国から見放されているかのような印象を受けました。 元旦に能登半島近くにいた人もいて、長岡にいた私より危険な目にあった人もこの授業の中にいるのだと思うと、本当に怖かったです。 今回の空間安全論では、地震における防災を学びました。日本が地震が多い国であることは住んでいる以上、経験やこれまでの歴史を通して知覚してきました。しかし、今回の授業の中で出てきた地震の時系列を可視化した動画を見て、他の国に比べて圧倒的に地震の規模や数が多いことがわかり仰天しました。地震が多いと分かっているのであれば尚更、防災の知識を蓄えておくことは大事であるということを再確認できた授業であったと思います。 今回の授業で自助と共助、公助の話が上がって、高校の時に保健体育で学んだことを思い出しましたが、実際に自分が共助などができるかと思うと不安があります。いくら自分の身の安全のためとはいえ、日頃から話したくもない隣人とコミュニケーションを取るのは気が引けるように思います。 地震の発生によって人々の生活が脅かせることは理解していたものの、輪島市で大きな被害を受けていたこともあり、自分の思っていた以上に大きな被害があることを学んだ。災害発生時に現在の自分がどのような状況に置かれているのか把握をし、どのような行動をするべきなのかを常日頃から意識して生活を送ることで災害時の対応力が鍛えられると思った。 質問ですが、よくXで、復興が遅い。輪島市は捨てられた。という投稿が見られますが、実際はどうなのでしょうか。実際に福島と能登半島のほうに行かれた先生の考えがあれば教えて頂きたいです。 地震は世界中で小さなものも含めると同時多発的に起こっているが、やはり日本で発生する数が多すぎてとても驚いた。プレートとプレートの歪みで生まれるという地球の切れ目のような部分が日本に集中しているのに、よく日本の陸地はまだ存在し続けていられるなと感じた。 能登半島地震の現状がここまで悲惨なことを知らなかったので驚きました。もう4ヶ月も経つのに、まだ半壊してる家や、倒れかけている家が普通の風景として存在してる様子が恐ろしかったです。また、世界の地震の発生源の動画で日本の地震の多さの異常さを思い知りました。家を建てる上での耐震性の重要さを感じました。 今回の講義では、地震について学びました。大きい地震は東日本大震災しか自分の身で感じておらず、記憶もとにかく揺れがすごかったことしか覚えていません。そのこともあり、地震後に起こる被害を考えたことがありませんでした。ですが、今回の講義で、揺れている時の被害だけでなく、その後の液状化、浸水、インフラの破壊などの複合災害があることを理解しました。地震中の行動について対策するだけでなく、その後の災害についての対策を忘れずにすることを心がけたいと思います。 地震に関して、私は東日本大震災当時保育園の年長で、しかも関東にいたので揺れや恐ろしさというものはあまり覚えていません。唯一覚えているのは自宅のリビングで余震があった時父親が上から覆い被さって守ってくれたことぐらいです。その時もあまり怖いとか恐ろしいとかは感じませんでした。今私が一番恐ろしいと思っていることは家族が、日本人のほとんどがそうかもしれませんが、地震に慣れてしまっているということです。能登半島おき地震の時も家族は大きい揺れだねとか長い揺れだねとかあまり危機感がありませんでした。震源から遠いということもありますが、いざという時にまあこのくらい大丈夫だろうとかなんとかなるだろうという気持ちでは適切な対処ができないのではないかと不安を覚えました。 ワークでやった、過去に災害が起こった時の自分の感じたことや、どこにいたか、誰といたかなどを思い出すことは、今後なにか災害が起こった時にどう対応するか考えるひとつのきっかけになるかなと思いました。その状況においてどんなふうに行動すればいいか少しでも考えておくことで、今後なにか起こってしまった時に冷静に行動することができると思いました。 日本は地震が多いと言われているけれど、その理由がプレートが集まっている場所だからというのを改めて思い出しました。地震が多いにも関わらず死者が少ないのは対策ができていることも一つの要因だと思います。実家の静岡県は南海トラフが来ると言われているので小さい頃から防災訓練をたくさんしていましたが長岡に来てから防災訓練がなくなってしまいました。これからは自主的に動いていかないといけないと思います。また、マグニチュード6と9で33000倍もエネルギー量が違うことは予想以上で驚きました。大きい地震は想像ができないけれど少しでも知っておくことで、自分と自分の大切なものを守れるようにしたいです。 高校か中学の授業でも、今回見せていただいたのと同じ世界の地震のリアルタイムマップを見たような記憶があります。改めて、プレート上に国土を持つ日本は他の国に比べて地震の発生回数が圧倒的に多いことがよくわかりました。ここ最近、地震が多いなと思うので、今年のマップも日本は真っ赤なのではないだろうかと思いました。 今回授業中に、地震の時にコロナにかかっていたという人がアンケートにあったという内容があった。それを聞いた時に私は、確かにその状況は地震がいつ来るかわからない今現在、自分に起こりうることだ。しかしそのような状況になった時に一人暮らしのためすぐ近くに頼れる大人もいないうえ、おそらく感染しないように周りと距離を取らなくてはならないから1人でどうにかするしかない。そのためにはどうしたら良いか自分でこの授業を通して考えるようにしていく。 出身が福島県いわき市のため、震度、マグニチュード、津波、原発など、昔に親やテレビで嫌というほど聞いていたことから、授業内容がすらすらと頭に入ってくる。 それがいいことなのか悪いことなのか分からないが、この経験をいつかなにかに活かしたい。(118字) 日本政府は石川への旅行を応援する補助金を出していることや、金沢旅行を満喫している友人のSNSの投稿から見たこと、そしてテレビをつけると大谷夫妻の話ばかり取りざたされていることから、すでに復旧作業は終わったものであると勘違いをしていました。しかし、能登半島地震から4か月が経過しているにも関わらず、授業で見せていただいたような復旧状況であるということを知り、衝撃を受けました。復旧の長期化に伴って、被災地が疲弊し、外から来る支援者を受け入れる器がいつになっても完成せず、被災者は「忘れられた」と感じてしまうという連鎖が起きていることを知り、現地と支援に行きたい人との間で情報がうまく連絡される仕組みが、今よりも拡充される必要があると感じました。デザインの大学で学んでいる自分は、デザインの力でそのコミュニケーションの課題を打破するための方法を考えなければならないと思いました。 【質問】 リモートでできる支援というワードが授業内で出ましたが、具体的にはどのような支援のカタチがあるのか、教えていただきたいです。 今回の授業では、日々の生活で忘れがちな災害の怖さや恐怖に気付かされました。災害に遭った際には家族やご近所さん、赤の他人たちと助け合いを要する必要があるので日頃から友好的な関係を築くこと、円滑なコミュニケーション能力を持ち合わせることが日頃からできることだとわかりました。また、災害の映像の音を聞いて不安や焦燥を仰いでいるように感じるのは「怖い」と感じた経験が私自身にあるからか、他の人もそう感じるのか疑問を持ちました。 日本で発生する地震の多さ、大きさなどを可視化した動画を見たことで、改めて、地震対策の重要さを感じることができた。また、インバウンドにより外国人観光客が増加する中、地震発生時に大きな地震が発生する事があまりない国から来た観光客の避難誘導なども今後、必要になっていく課題なのではないかと考えた。 能登半島地震の被災地についてのニュースで、いまだに倒壊した建物がそのまま残っていることが多く、さらに少しずつ家が傾いているという話を見ました。日本は地震の起きやすい場所であり、これまでも地震による被害を見てきたにも関わらず、対応が遅れていることはとても大きな問題であると感じました。今回の授業でも、復旧の長期化による問題について話がありましたが、ボランティアの拠点がないことは知りませんでした。被災地についての情報発信が継続的に行えていないことも、影響していると感じました。現在、日本では様々な所で地震が発生しているため、復旧への持続的な活動を行えるような体制がどこでも必要であると感じました。 私は東日本大震災の時結構大変な目にあいましたが、その時は自分のことで精いっぱいでほかの人に助けられてばかりでした。自助はもちろんのこと、公助は仕組みとしてありますが、共助はそうではないので一番難しいなと感じました。 近年、たびたび短いスパンで地震が起こっていたり、近いうちに南海トラフが来るんじゃないかと言われていたり、前までよりいっそう”いつ何が起こってもおかしくない状況”なので、もっと意識を高めようと思いました。また、世界各地で起こった地震のいつ起こったのかや震度が視覚化された映像を見た時、さすが日本は地震大国と呼ばれるだけあるなと思いました。 具体的に安全を作るためには普段生活している環境あらためて観察してものを確認することが重要になってくると思いました。また、日本において起きた災害の被害から、非常時に必要になる物資や避難すべき場所を知って準備しておくことが大切で教訓として覚えていかないといけないと感じた。 今回の講義では主に地震についての被害や詳細を学ぶことができました。講義内では2011年の東日本大震災、今年に起きた能登半島地震についてのアンケートではいろんな経験やその地震による影響について多くの学びがありました。自分は東日本大震災が起こった頃の記憶はほとんどないため、その時自分がどう感じたかは覚えていないのですが家族や友人から聞いた話やメディアで見た映像などを通して、その時の状況や人々の心情を想像することができました。そしてその後の復興への取り組みなどについて考えることで、災害に対する備えの重要性を改めて感じることができました。(268文字) 能登半島地震のアンケートで、避難するかで対立したという回答が印象に残っている。地震が起きた時、私は親戚と集まっていた。外や自宅の様子を見に行くか、避難すべきか、など色々な意見が出ていたのを思い出した。改めて、緊急時になると判断すべきことは多いのだと感じた。 大陸プレートや地震の震源地を可視化した動画を見て、改めて日本が地震大国であることを実感しました。まだ知られていない活断層があり、どこにいっても危険が潜んでいる状態だということがわかったので日本に住んでいる以上地震を自分事にとらえなければいけないと考え直しました。 今回の講義を通して、学び特に印象に残った事は、能登半島地震の事例の際に出てきたお話の災害援助の際道ができていなかったり、復旧支援を行う外部の方が安全に泊まれる場所がない事や、災害状況の延長により、状況を発信する気力が失われたりする事です。災害支援は、支援金や支援能力さえあれば解決するという考えであった為力があろうが支援を受け入れる側に受け入れる体制がないと支援することが出来ないという視点は大変学びになりました。 地震発生の動画を見て日本以外でフィリピン周辺やチリ周辺などでもかなりの頻度で地震が発生していることを初めて知りました。 日本は地震大国でもありかなり災害に対して意識が高いと感じていますが日本と同じように地震が多い国ではどのように対策を行なっているのか知ることで新たに気づくことがあるかもしれないと思いました。 東日本大震災が世界的に見ても大規模な地震災害であったことが分かりました。日本という地震大国に住んでいる以上いつ地震に見舞われてもおかしくないと思いながら過ごすことが対策になると思いました。また、輪島の地震の発生から4ヶ月が経つにも関わらず断水が続いていたことを今日初めて知り、私が被災者に関心を持てていないことが浮き彫りになりました。住んでいた家が崩れ住めなくなってしまうことほど悲しいことはないと思いました。私は実家が好きですが築年数が長く耐震基準を満たしていないので親に相談して災害に備えることが必要だと思いました。 今回学んだこととして、実際に体験した災害をもう一度見直すことで、自分に何ができたのかや、何をすべきだったのかを知ることが必要であると学びました。過去の災害を学ぶことで、これから災害があったときにより生存率をあげることができると知りました。 自分は過去で一番記憶に残っている災害は、熊本地震です。熊本地震が起きたとき、風邪をひいており、警報が鳴ったのにもかかわらず寝ていました。そんなときに親が家の扉を全て開け、いつでも避難できるようにしてくれました。なぜこのようなことをしたのか聞いてみると、扉が開かなくなって出れなくなるからと教えてくれました。親は自衛隊でたまに支援に被災地へ行っていました。そこから、災害が起きた時の様々な知識を得ることができたということで、自分にも教えてくれました。この経験から最近起きた能登半島地震の時に、バイトでリバセンにいましたが、揺れがおさまるとすぐに扉を開け、外への脱出口を確保できました。今までの経験から素早く動けたことを自分でも良かったのではないかと思います。 しかし、今回は飲食店での出来事だったので、火災などの二次被害のことも考えて行動すべきだと学ぶことができました。過去の経験から学ぶことで、次の災害で消えてしまう命を少しでも減らせたらと思います。 今回の授業中のワークで、東日本大震災と能登半島地震について考えた時、東日本大震災の方が大きな災害だったはずなのにも関わらず、自分が完全に災害を覚えていないことに気がついて驚きました。自分が幼かった頃のことを覚えていないとはいえ、トラウマ的にも覚えておらず、知識としてしか知らないレベルだったので、能登半島地震で感じた恐ろしさやその時に取った対応などの経験を、自分が被災者となる時や被災地に赴く時に活かせるよう忘れてはいけないと感じました。 今回の講義を通して、1月に起きた能登半島地震の現状とその課題について、また地震にまつわる基本的な知識を得ることができた。特に能登半島地震については「ボランティアの活動拠点がない」という点が衝撃的であった。被災した方々の避難場所だけでなく、現地に足を運んで活動しているボランティアが安心して復旧支援を行える環境を整えることが、結果として回復を早めることにつながるのだと感じた。その一方で、東日本大震災の際はボランティアの拠点がどのようにつくられていたのかが気になった。能登とは異なり、津波が発生したことで家屋が倒壊し、流され、拠点として利用できる建造物が極めて少なかったのではないかと思っている。 また地震が発生するメカニズムに関して、基礎的な知識は中学理科の範囲で学習していたため復習のような形にはなったが、実際のデータを確認することで、改めて日本は地震が発生しやすい条件下にあるのだと認識することができた。特に2003年から2013年の間に生じたM6.0以上の地震1758回のうち、日本が326回(約19%)を占めていることは非常に印象的であった。また、地元が埼玉県である私にとって、関東平野は切っては切り離せない場所であり、揺れやすい地質であると理解しておくことは大切であると思った。私たちは豊かな自然の恩恵を受けながら生活していく権利と引き換えに、自然がもたらす脅威に備える義務を持っているのではないかと感じた。 授業内課題で東日本大震災と能登半島地震のことについて回答したときに、当時6歳だった東日本大震災については記憶が曖昧でも仕方ないかなと思っていたけれど、たった4ヶ月前の能登半島地震についても、どこで何をしていて周りの人、ものの様子はどうだったかなどの詳細を忘れてしまっている自分自身にとても驚きました。大きな地震に対し怖いと感じたことを漠然と覚えているだけで、どのように怖かったのか記憶が曖昧で、これでは次の災害は逃げ切れないなと確信しました。 能登半島地震で地面の隆起や大規模な火災、液状化現象が起きたことが個人的に予想外で、どんな備えをしても予想できないことには対応しきれないと感じ、不安に思いました。 今回の講義で特に印象に残っていることは講義内で行われたアンケートの回答についてです。まず、私はアンケート内で問われていた二つの地震についてはどちらとも震源地から離れていたところにいたので記憶としてもあまり鮮明とは言えない物なのですが回答の中には私とあまり歳が変わらないはずの参加者が多いにも関わらず東北の大震災が起こった時間にどこに居たのかまで記憶していた方がいたのでやはり幼少期の頃でも経験するとしないとでは記憶の鮮明さに違いが出るのだなという驚きが大きかったです。また経験していないからこそ考えつかなかったのですが、まさか家庭内で一大事の時に避難するしないで意見が分かれて論争が起こってしまうことがあることにも驚きました。この避難するしないということに関しては事前に家庭内で決めておくことで避難し遅れたとならないと思うのでこれも防災の一つになるのだろうなと考えました。 私は小学生の頃東日本大震災を経験しており今年の能登半島大地震の時は東日本大震災の頃が蘇り過呼吸気味になったことを覚えています。富山には友達が多かったので自分のことより友達がとても心配でした。今回の大地震を経験して一人の時にすぐ避難できるように何か対策を考えようと思っています。 映像や画像で災害が起きた時の画像動画や避難した後の画像などを見て、今でこそこういった教育や資料がたくさんあるけれど当時の人は想定外の災害でとても不安になったと思う。 たくさんの対策や想定をしてもそれ以上の災害が来てしまったとき、パニックにならずに対処できるのかとても不安になった。 今日は前に災害が起こった時にどこに誰といて、何をしていたかを振り返ることで、いつもよくいる場所を知り、そこでの対策を事前に考えておくことが大切だと分かりました。その内容も、家だけではなく家の中のキッチンなのか居間なのかなど、なるべく詳しく情報を集めておく必要があるのだと思いました。日本は沢山の活断層があって1年の間にも多くの地震が起きます。その日本で暮らす私たちは地震に対して日頃から対策をしておくこと、周りとの関係を気づいておくこと、そして災害時に対応できるような災害レジリアンスを身につけたいと思いました。 地震は本震の前後にも多数の余震が発生しており、揺れが収まったからと言って安心するのは危ないと思いました。地震発生図を見て自身の怖さを再認識し、常日頃からいつでも逃げられるように備えておくのが大事だと思いました 世界の地震発生を表した動画が一番印象に残りました。赤い輪で地震を表されているので視覚的に分かりやすいとか、地震が多発している地域が分かって面白いと眺めていたのですが、3月11日を境に日本の位置に大きな輪が発生したときに怖いと感じました。 線が重なった真っ赤な円が現れ、それが11日を過ぎても消えないのがとても恐ろしく感じました。 今回は自助、公助の重要性に気づけました。前回の自分のアンケートの回答では、自分が被災した立場になった場合は、助けてもらおうという意識が強く出ていました。さらに、それが当たり前だとも思っていました。しかし実際はそうでは無く、自分以外の大勢もその立場であり誰かに全ての被災者を救ってもらうことは現実的に不可能だと実感しました。 ですが、自分で自分の身を守る、できる範囲で他人の気を使うということを混乱した状況下で冷静に判断できるのかが不安になりました。 私は記憶力があまりいい方では無いのですが、そんな私でも大震災の時の出来事はある程度記憶に残っています。体育館から駐車場に避難してお母さんの迎えを待ったことや、家に帰ると食器棚が倒れていて食器が沢山割れていたこと、停電で風呂に入れずストーブで湯を沸かし温めたタオルで体を拭いたことなど様々です。千葉の私でもなかなか日常が変わってしまうような被害を受けているので震源に近い地域の人々の生活を思うと今でも苦しくなります。父の実家が宮城なので震災後少ししてから車で行けるところまで行ったのですが、町だったものがあるだけで呆然としました。関東にも数十年の間に大きな地震が来ると言われているのでとても怖いなと日々思っています。 東日本大震災の起きた日、停電したこと以外あまり思い出せなかった。6歳くらいの自分が恐怖や不安を抱かなかったのは、周囲の人が協力して行動していたからだと思う。ガスコンロや懐中電灯、蝋燭などが使えたことも安心材料となった。授業で当時のことを振り返り、日頃から備蓄や防災に気を配るべきだと考えさせられた。 私が東日本大震災に被災したのはちょうど幼稚園生から小学生に上がるタイミングでした。小学校や中学校の授業では、震災の話になると必ずと言っていいほど先生から「みんなはその時何歳だったの?どこにいたの?」と聞かれ続けてきました。あまりにも小さい時から聞かれすぎて、私はこの質問を、初めてあった人に出身地を聞くくらいの世間話としか思えていませんでした。 ですが、今回授業で「状況を知ることで対応が変わる」という話を聞き、考えが変わりました。どこに居たのか、誰といたのか、自分になにができたのかを知ることは、これから起こるかもしれない震災に備えるのに非常に重要です。 そう考えた時、小・中学校の先生たちが定期的に質問をしてくれたおかげで、今でも鮮明に記憶が残っていることに気が付きました。先生方の質問には、私たちに忘れて欲しくないという願いも込められていたのかもしれません。 今回の授業で気づいたことを忘れず、今度は自分があの時どんな対応をしたのか、同じ状況になったら何ができるのかを考えていきたいです。 日本の東京横浜が世界で一番自然災害のリスクが高いということを聞いてとても驚きました。今は海外からの観光客も多い中、プレートや地盤の影響で大きな地震が起きたらと思うとぞっとします。首都圏でなくとも、様々な地方では共助はとても強みになると思うので活発に行っていき、東京付近では公助も行われていけば良いなと思います。世界全体のプレートと自身の頒布の図を見た時、日本は多くのプレートの境目にいて、影響が大きいなと思いました。 能登半島地震でのふりかえりを集計した時、地震当時コロナで休んでいたという回答に先生が言及されていましたが、確かに自分が健康じゃない状態で避難が必要になったらどうなるかを考えたことがなかったなと気づきました。不調で満足に避難するのも難しく、薬もない状態になった時1番先に死んでしまうのかも 私は東日本大震災当時の記憶について、それらに対してあまり恐ろしいと感じる事はありませんでした。当時は小学一年生とまだ幼いという事もあり、最初は揺れにも気づけず、周りの反応をみてようやく、地震が来たのだ。と避難に移る始末。暫くは家で停電が起きたりするなどあったものの、恐怖という恐怖はほとんど感じませんでした。しかし、大学に入って、津波や揺れがトラウマになっている人にあって話を聞いて当時の自分はいかに恵まれていたか、サイレンの音を聞いただけで震えが止まらない人もいてその事実を痛感しました。 地震が起きた場所や大きさを示してくれるマップを見ていたとき少し目を画面から離したら、かすかに鳴っていた音が突然大きくなり、驚いて画面を見たら大きな地震が起こっていて、わかりやすいと感じると同時にこわかったです。また、震源地から遠く離れた場所が大きく揺れてしまう地震もあるということは初めて知りました。最近この辺は大きい地震起きてないから、震源地は離れてるからと安心するのは良くないのだなと感じました。 世界で起きた地震の場所と大きさを可視化する動画をよく見かけますが、やはり3/11にありえないくらい大きな円が表示されているのが怖いと思い、印象に残っています。本震一発で終わるわけではなく、その後余震が長期的に続いているのも怖いと感じました。私も1/1金沢で被災しているので、毎夜余震で目が覚めて休まらないと感じていたので余震も非常に厄介だと思います。 また、自分が被災するという状況を想像する時、いつも自分が健康であることを想定していたので、病気であったり、怪我を負っていたりした場合助けられる側になるということを聞いてとても考えさせられました。 被害の概要にて、能登半島地震により被害を受けた輪島の方々の中に見放されたと感じた人が多くなってきているという議題が出てきました。先日Abemaの切り抜きでひろゆきさんが地方は見捨てられる。といった不安を煽るような動画を拝見したのですが、そのような番組をどう捉えていいのかわかりません。 今回の授業では地震の性質や今までの地震からの分析、履修生が大きな地震や津波が過去に起きた時に何を思ったかを学んだ。今後起こると言われている災害によって自分自身が大きな被害を受けてしまった時にどう行動するのが最善なのか考えようと思った 世界で地震が起きている頻度を見たとき、日本は本当に地震が多い国なんだなと改めて感じました。能登半島大地震によって被害を受けた能登地方の様子を見せてもらったけど、この間テレビでも4ヶ月経った現在の様子が取り上げられていました。4ヶ月経った今でも倒壊した家はそのままの状態で、片付けたくても申請してから半年以上かかるというニュースを見て、まだまだ大変な状況なんだなと思いました。 私は震災震災経験などのない人間です。この授業を聞いているとどれだけ運のいいことなのか毎回分からされます。実際の津波の映像などは何回か見たことがあるのですが、やはり何回見てもいいものではなく、どうしても不快感を覚えてしまいます。ですがそれを周りと共感できる共有できるということが人間の最大の強みであると感じます。 日本が地震が多い国だということは知っていましたが、実際に発生した数が視覚化されると他の国に比べて本当に多くの地震が起きていると実感することができました。また、何故地震が起きやすいかなどのメカニズムも知ることができたので良かったです。 日本は地震大国とはよく聞きますが2011年の余震が想像以上で驚きました。たま、現代に関わらず沢山の地震が起きている日本ですがまだ技術が進歩していない時どのような対策して、どのように復興までに至ったのかが気になりました。 東日本大震災の時の事を振り返って、結構前の事だけど、意外といろんなことを覚えているなと思いました。大きな災害は強く印象に残るので、経験し、大切なものを失うと心にキズが残るので、自分や自分の周りを守れるように備えて置くことが大事だと考えました。 能登半島地震についての話があったとき、余震に苦しめられたことを思い出した。本震より大きな揺れではないが、寝ている間に揺れると目が覚めてしまい、また大きな揺れが来るのではないかと不安になって寝られなくなることが多かった。 もし災害が起きた時実家にいれば災害の恐怖はあるけれど親がいることで安心感は全然違うと思いました。でももし災害が長岡で自分が1人の時に起きた場合冷静な判断や適切な行動ができる自信がありません。やはりそういう時に防災訓練など日頃からやっておくのが大切なのだと感じました。アパートで災害が起きた時の避難の練習をしてみたいと思います。 東日本大地震、能登半島地震と二つの大きな地震を経験した身として今後大きな地震があったときにこれまでの経験を生かして、まず自分自身を助ける自助を優先して行動し、余裕があったら他の人を助ける共助をしようと思いました。 能登半島の復興状況について、未だ回復の手が回っていない場所があると知って驚きました。かなり近い地域のことなのに、まだまだ自分にとって遠い話のように感じてしまっていることを改めて自覚しました。なぜか勝手にある程度復興が進んできているだろうと考えてしまっていた自分が恥ずかしいです。毎回レポートで似たようなことを書いていても仕方ないという気持ちになってきたので、今後支援に行く機械について真剣に考えてみようかと思います。 今回の講義で特に印象に残ったのは、能登半島地震の被災者の方が、ボランティアの人々の拠点となる場所がないために、支援を諦められたのではと思ってしまうという内容だ。 私は東日本大震災の時に避難所に避難し、支援を受けたことがある。 幼いながらに家族以外にも頼れる大人が沢山いたこと、水や食料などの物資が保証されていることにかなり安心したのを覚えている。 そのため、諦められたように感じるのはかなり不安だろうと思い、なんとかして拠点を迅速に作れないかと思った。 日本が地震が多めだというのは知っていたのですが、思っていたよりも全然多くて恐ろしく感じました。でも私は家族がとても大好きで大切に思っているので、その家族がいる日本でこの先も暮らしていきたいなと思いましたし、その分いざという時に自分も家族もしっかり守れるように対策もしていきたいなと強く感じました。 私たちの中でもう風化し始めている能登地震も現地ではまだ困っている人たちがたくさんいることを今回のお話で改めて実感しました。また、今回見せてもらった動画で、私たちの住む日本がどれだけ地震が発生しやすい土地であるかがよくわかりました。 今までの災害は距離的に自分から遠い場所で起こっていたので、どこか他人事として見ていおり、そこまで危険性を重視していなかったけれど、今年の元旦に起きた能登半島地震は私が住んでいる隣の県で起こった大きな地震だったため、被害を目の当たりにし、その後の1週間も余震が続いたためしばらく恐怖感は消えませんでした。やはり実体験は人に大きな影響を与え、災害の存在と日常のありがたさを再確認させるモノだと思います。 自分は少し前に新潟市の西区に方に行くことがあったのですが、液状化現象で明らかに玄関が沈降している家や塀が崩れてしまっている家を見ました。何か修理をしている雰囲気はなくそのままにしているようでした。授業でもおしゃっていた通りその状況が普通になっているのか、または救助が来ないと思っているふうに見えました。そのままにしておくのはとても危険ですし、助けはくるというのをきちんと伝えられる環境をつくることが大切なんだろうなと思いました。 見えない地震を言語で示すだけでなく、視覚化することでより情報を受け取りやすく感じた。特に地震の規模や強さを円で視覚化された動画を見るといかに東日本大震災が大きい地震だったのかが文字だけの情報よりも伝わってきたと感じた。東日本大震災の時は本震の前から地震が頻繁に起きていたことが伝わってきて、視覚化することで異常があったことに気づきやすくなるのだと感じた。能登半島地震が起きた時に調べたことがあり、その時も本震の前に頻繁に小さな余震があったことを知った。災害が起きてから調べて知るのではなく、災害が起こる前に一人一人が異常や予兆をいち早く感じ取れることに繋げられると思った。 今回の講義を聞いて、津波が来た後の地形の変化も安全にとても影響することを理解しました。地形でいう表面上はもちろん津波の影響で家などが流され更地になって復旧することに時間がかかることは重々承知ですが、崖が崩れるなど地形の根本が変わってしまうと地形の表面上の復興もさらに時間がかかり安全と言える日が遠退いてしまうと感じました。 今回の講義や水曜日一限の社会起業の講義を受けて、やはり私は防災に対する意識が足りないと実感しました。自分が被災したり、被害に遭う未来は絶対にないとは断言できないのに何処か自分は大丈夫だろうと思ってしまっています。誰でもどんな時でも災害は私たちを襲ってくるという事を忘れずに、避難訓練や防災に対する知識を身につけておきたいです。 私は今回の講義の中で「何が起こるかをある程度予測をして対策しておくことが大事」ということが印象に残りました。一見とても当たり前のことですが、私は進学して引越してからそれが疎かになっていると感じました。なので、今住んでいる場所、頻繁に訪れるであろう場所などは防災マップなどを確認したり、家の中や外の危なそうな場所は普段から気にするようにします。 「日本の首都は自然災害リスクが世界一高い」という資料を見て驚いた。日本は自然災害が多い国という認識はずっとあったが、世界規模で考えたことはなかったので衝撃を受けた。また、東日本大震災の時に首都圏でも高層ビルが大きく揺れたという資料を見て、地震をはじめ自然災害の多い日本では、どこにいても絶対に安全な場所はないのだと改めて感じた。 今回の空間安全論の講義を受け、より自分が支援側へと回りたいと強く思いました。学びの軸を作るアンケートを見た時、「地震が起きた時恐ろしいと思いましたか?」という質問で自分の想定以上に「あまり思わなかった」の割合が多くて驚きました。確かに実体験をしていない、また日本の高水準な耐震建築により、恐ろしさが減っている部分もあると思いましたが、自分にはわかり得ないなと内心悲しくなりました。日本の建築技術に感謝するともに、自身の対策する心や考えは強くあると感じているため、防災や支援に力を入れていきたいです。 今回はワークで今まで経験した地震災害について皆んなで意見を出し合った。東日本大震災が起こったときのことは覚えてない人が多かったが、今年に起こった能登半島地震はほぼ皆んなが体験したことで、どんなことが危険になるのかを皆んなの意見を通して知ることができて良かった。また、震度やマグニチュードなど、地震を測るときに使われるものを改めて学習した時間だった。 今回の講義を受け、授業内課題のアンケートから、かなり多くの人が大きな地震を経験したことがあるということがわかりました。それは、日本が4つのプレートに囲まれていることが原因であると学ぶことができました。これらを踏まえた上で少し疑問が生まれたのですが、何かしらの災害にあった際、どれほどの人が避難所に避難し、そこで生活を送った経験があるのかということが気になりました。なぜなら、日本人は災害に対してあまり危機感を持ちづらいところがあるなと、自分の周りやインターネットを見ていて思ったからです。実際、私自身もそれなりに大きな地震を経験しましたが、避難所に行くことはなく、自宅で過ごすことがほどんどでした。 今回能登の地震復興支援の遅れの話が印象的で、4ヶ月経った今も暮らしのままならない方々がいることを思うとやるせない気持ちになります。私自身、直接の被害はありませんでしたが東日本大震災の被災地で水道が使えなかったりして不安な思いをしたことがあるので、水道すらまだ通っていない地域があることの不便さは計り知れないと思いました。 自助、共助、公助この3つが災害時にどれだけ大切なことか学びました。私は今まで命に関わるような災害にあったことがありません。しかし、色んな災害のニュースや番組、福本先生の話を聞く中で自助、共助、公助をどれだけ行えるかで被災地における死亡者数を減らせ、救える命を救うことが出来、被災地のその後に大きく貢献できると思いました。私もこの3つを念頭にこれからも色々な災害に対する対策を行っていきます。 能登地震の際に感じたことを改めて思い返したことでさらに危機感が強まりました。日本は地震が起きやすい地域であるという知識はあったのですが、実際に映像として見ることでより実感できたと思います。自分が今後地震の被害を受けるイメージというのがより鮮明に浮かぶようになりました 学びの軸を作るのアンケートで、自分は東日本大震災や能登半島地震でとても大きな被害を受けたわけではなかったが、もし自分の住んでいる地域が被害を受けたらという観点や、今回はたまたま被害がなかったがもし当時いた場所の環境がほんの少し違っていたらという観点で身近に潜む危険について考えるきっかけになった。当時の環境を振り返る時、家の中にいたという情報だけでなく家の中のどの部屋でその部屋の様子はどうだったのかまで詳細に振り返るとより良いワークになったと思った。 地球規模で、地震が起きやすい地形であることは前々から知っていたが、マグニチュード6.0以上の地震回数が約2割を占めていることには驚いた。 記録に残る大地震だけでなく、きっと何度も日本では太古から地震が起きていて、壊れたり、復興したりを繰り返してきたのだろうかと思った。 空間安全論からは外れるが、民俗的に日本は、壊れるということに対してとても敏感な種族だと思う。物を大切にする、八百万の神の文化も然り。 私たちが生きるために安全を考えることは大事である、それと同時に災害によって培われた精神のようなものも日本人にはあると、授業を聞きながら考えていた。 震災のことや津波のこと、被災のことなどに関して、改めてやっぱり自分が実際に体験したことがないので、正直なところ、実感がそこまで湧いておらず、今までも怖いなあや、こういう状況になった時に実際にどうすれば良いのだろうなどの考えにしか今まで至らなかったので、改めてもっと考える必要があるなと感じました。遅れてすいません 日本列島は地理的に多くのプレートの境界が集まっているために、災害の中でも特に地震がその要因として挙げられることが多く、先日の能登半島地震もM7.6と非常に大きな地震であった理由はユーラシアプレートの境界付近出会ったことに起因していると理解できた。また、依然として復興は続いており、十分な道の舗装や、被害について発信することができていない状態であると知った。 今回のワークで東日本大震災の時や能登半島地震の時のことを思い出しました。思い返すと、何気なく過ごしていたのに自分がどういうことをしていたかはっきり覚えているのが不思議でした。私が今までに体験した地震の中で1番大きかったのは熊本の地震です。そのときはwiiで遊んでいてwiifitに乗った瞬間に地震が来ました。親が私を布団に包んで抱きしめてくれたのを覚えています。
授業で使用する資料
学んだことの記録
津波の仕組みについて学び、水深が浅くなるにつれ波のスピードが遅くなるため、深いところから来る波に追いつかれ、到達する時の波の高さが高くなるということが印象に残りました。遠くに見える波が低く見えても自分の所に到達する頃にはものすごい力と高さになっていると思うので怖いなと思いました。 火災の原因の1位が放火だと聞いて、知らないうちに恨まれているかもしれないし、どこでも良くて放火されるかもしれないので、自分がほかの点で火災を防止していたとしても、予測できないものなので怖いと思いました。 今回の講義では、身近な火災の危険性についてあらためて学ぶことができました。 冬場の方がやはりストーブや断熱器具を使うため火災件数が多いことが分かりました。 自分も電気ではなく火を使うストーブを家で使用しているので、よく注意しようと思います。 そして1番気をつけなければならないなと思ったのがタバコです。 自分もタバコを吸っています。普段は外で吸うようにしていますが、天気が悪い時などは家の換気扇の下で吸ったりもします。火の消し忘れには充分注意したいです。もしも火災が起きた時も想定して、避難する所や消火器の場所なども日頃から想定して起きたいと思います。 授業の終了時間を間違えて提出したのでもう一件送っておきます。京アニの事件でもそうですが、放火が意外と多いことが意外でした。放火というのは思い当たる節がなくてもされる可能性がある、ということを意識したことがなかったので自然災害だけでなく避難経路の確保など意識したいと思いました。 南海トラフ地震での推定死者数が東日本の17倍ということに絶句しました。あの時ですら実感が湧かないレベルの人数と被害だったのに、それよりはるかに規模の大きな地震が来るとなると地震の起こる度に「日本崩壊」とSNSにトレンドワードが入ってくるのも当然なのかもしれないと思ってしまいます。 南海トラフ地震の予想映像を見て、とても危機感を覚えました。この間の能登半島の地震をきっかけに、少しずつ防災グッズを揃えたりしていましたが、備蓄などに加え避難場所の確認や緊急時の連絡の仕方を今一度確認したいです。また、就職などで近畿圏に引っ越す可能性もあるので、今日学んだことを忘れずにできることをして備えようと思いました。 南海トラフ地震のシュミレーション映像が1番印象に残った。太平洋側で起こる地震なので自分とはあまり関係がないと思っていたが、リアルな映像や具体的な数字で表されると恐ろしさが違った。ここまでの被害だと、被災地域だけでなく日本全体への影響も大きくなると思うし被災地域に住んでないからといって変わらず暮らせる訳では無いのだと考えさせられた。 今まで地震の被害に遭う人数に自分が含まれていると考えたことがなかったのですが今日南海トラフの映像を見て、初めて自分も巻き込まれて死んでしまうかもしれない・家族も巻き込まれてしまうかもしれないということを考えました。自分ごととして考えたときに私は何も対策ができていと感じたのでしっかりと準備をして対策を考えようと思います。津波・火災・倒壊など自分がどのようなことに巻き込まれてしまうのかはわからないけれどどんなことにも少しでも対応できるように知識を取り入れて行動していこうと思います。 社会心理学で正常性バイアス(異常が起きているのに大したことではないと思い込んでしまう心理・異常事態という客観的事実と「滅多に異常事態が起きるはずがない」という思い込み)を習ったのですが、すごく近しいものがあるように感じました。災害の予防、起こる前に『私は関係ない』ではなくまさに『明日は我が身』の精神で危機管理をした方が良いと思いました。 私は実家が静岡なので南海トラフについてよく言われていました。でも、勝手に南海トラフは静岡だけだと思いこんでいました。今回こんなに大きな規模の地震だということを知り驚きました。公助にはほとんど頼れないということに気がつき恐ろしさが増しました。実家は津波が来るところではないので学校で津波の避難訓練はしていないのですが、弟はサッカーをやっていて静岡県内を移動することが多いので、災害はいつ来るかわからないということで、津波の避難訓練もしておかないといけないと感じました。 今回の授業では、これから来るであろう南海トラフ地震の恐ろしさや津波の規模感が特に印象に残りました。自分自身大きな津波を経験したことがないので、実際経験したら存在が大きすぎて何もできないんじゃないかと思いました。 また、今回は火災での被害についても取り上げられていました。京アニ放火事件は知っていましたが、建物の構造の関係であんなにも燃え広がっていたとは知りませんでした。ニュースでも被疑者の精神状態ばかり取り上げるより、どうしてあんなに被害が大きくなったのか伝えてほしいとも感じました。 一人暮らしをする時に保険などの説明はされたが、詳しい内容はあまり覚えていないので改めて確認しようと感じた。また、元栓を閉め忘れることが多いので料理をしたら閉める、を徹底したい。以前セーターなど燃えやすい服で台所に立ち、服に引火するという事故の事例を見たことがあったので、乾燥しやすい冬は特に火災に注意しようと考えた。 私は実際に火災を体験したことがないのでその怖さがあまり身をもって体験出来ていないのですが、子供の頃火災の怖さをシュミレーションで体験した時に本当に苦しかったので本物はいかに怖いのかと思いました。火災の発生理由の上位に放火という人為的なものが入っていることに驚きました。人間の悪意は恐ろしいなと感じました。 トラフ自身の被害予想動画をみてるといっそ日本から出て方がいいんじゃないかと思う。30年くらいに一回のとんでもない大地震があるということは人生に最大3回とんでもない思いをしなくてはならないということだと感じてゾッとした。津波を正面から食らったことがないのでわからないのだが、20メートル以上の津波だと水圧で潰されるのが先なのか、溺れるのが先なのか気になった。 津波の圧力がt単位でかかるということに驚きました。津波に巻き込まれた人の死因でほとんどが溺れるのではなく圧死だったということを以前聞いたことがあり、納得しました。 火災の原因では想像していた以上に放火が多く、不審者はすぐ通報すべきなのだと分かりました。 京都アニメーションの火災はこれからもずっと忘れないと思います。放火が火災の原因第一位だとは全く思っても見ませんでした。京アニの火災も原因は犯人による放火ですが、後々のニュースで犯人が思いこみで京アニに怒りをぶつけていたことを知りました。この世のなか、何が起こるかどんな人がいるか全く予想がつかないので色々なことに気をつけつつ生活したいと思います。 地震などによる二次災害としての火災や、日々の生活で怒ってしまう火災以外に人為的に起こされる火災はほんとに悪質だと思った。また、火災が起きた時周りの環境や、建物の構造など様々な要素が重なってよりひどい火災になりうることも考慮して火災に対する策や逃げ道などを考えなくてはならないんだなと思い、自分ごとと思って考えるべきだと思った。 受験の時に地理の先生が東京の方へ進学する人たち南海トラフ地震が来るかもしれないということで警戒を促していたことを思い出しました。その時はあまり気にしていなかったのですが、今回の授業を聞いて、太平洋側に進学した友達が被災しないことをとても強く願いました。 南海トラフのイメージ映像で津波の影響で川が逆流しているシーンがありました。それを見て能登半島地震のときに上越市の川が逆流しているのを思い出しました。海から離れているから大丈夫と安心できないなと思いました。日向灘は校歌に出てくるくらい慣れ親しんだ海なので津波によって海が暴走してよくないイメージがつくのが寂しいです。 南海トラフ地震は太平洋側で地震が起こる度にネットで話題になっているのをよく見ます。日本全体が大きな被害を受けるだうという認識はありましたが、今日の授業で被害予想の具大的な数字を見てとても驚きました。実際の数字を見ると、自分が思っていた以上に南海トラフ地震が恐ろしいものであることを実感しました。被害は避けようがないほど大規模な地震ですが、日頃の防災意識次第で自分や周りの人の生死を大きく分けることになると思います。 火災の原因第一位が放火ということに何よりのショックを受けた。自分で火元を出さないように気をつけることが意味をなさない要因だったので、より一層いつ何が起きるかわからないということを脳の片隅に置いておかなければならないと思った。 今回強く印象に残っているのが、火災が発生する原因の第1位が「放火」であるということです。日本は安全で他国に比べて犯罪件数が少ないため、ストーブの不始末などの不注意から来るものが多いかなと感じていましたが圧倒的な差があり自分の自覚の足りなさを感じてしまいました。被災者の数の何百万人の中に自分や自分の大切な人がその中に入っていないと感じるように火災のこともどこか人ごとに捉えてしまっていました。対策できる方法はいくつもあるのにそれらを知らないでいた自分の意識の低さを理解できました。 地震の補足と火災についてですが、特に火災の京アニ放火事件についてはあまり詳しく調べていなかったので驚きがありました。3階建てで全焼なら入館してわざわざ上からガソリンを撒いて回っていたのかなとぼんやり思っていましたが、入り口だけで炎が螺旋階段を上がっていったというのに驚きました。窓が割れて勢いよく風が入ったこともあるのでしょうが、可燃性物質の怖いところだなと思いました。 今回の講義で印象に残ったのは京都アニメーション火災時の状況説明です。死者数だけを聞くのと、亡くなられた位置や人数、各階の状況を同時に知るのでは受ける印象に本当に大きな差が出ると感じました。また、上階で大半の方が亡くなられていることから、避難経路確保の難しさや放火への普段からの気配りが重要だと感じました。 南海トラフ地震の予測映像を見て、被害範囲は自分が住んでいる場所よりも遠いかもしれないけれど自分が避難している姿や他の人をどうやったら助けられるかなどのイメージができたので自分の中で防災に対する意識が高まったのだと実感した。火災の原因の一位が放火だと知って怖かった。津波は人工的に起こせないが、放火は沢山の命を奪う手段になり得るので扱いには十分注意するべきだと思った。 令和元年の出火率を見ると、火災が多い県を1位として、地元の大阪は42位だった。 1位は青森県、2位は山梨県で、地方で火災率が高いことがわかった。 実家は木造の長屋で、お隣さんと壁を共有していたりするので火事が広がらないように特に気をつけたい。 長周期地震動が地元の大阪では多く発生するのが怖い。 父親が実際に長野県の建築士会のメンバーとして、能登半島地震の被害調査に行っていたので、実際に被害状況を目にした立場からの意見を聞いておこうと思います。 また、まだ記憶に新しい京アニ放火事件も、原因はガソリンをまいて放火したことですが、そもそもの建物の構造上の問題やセキュリティも被害に関係していたことが改めてわかりました。条件はいつだって揃う可能性があることを知って備えておきたいと思います。 今回は前回からの地震と津波、そして火災について、学びました。南海トラフ地震について知識が浅く、危機感をそれほど感じていなかったのですが、CGによるシュミレーションや被害数を見てこの30年の間が怖くなってきました。就職のことを考えると、被害予想区域内に住むことになりそうなので今一度地震が起きた時の対策を考えておこうと思いました。被害が起きてから動くのでは遅いので日頃からニュースや災害時の身の守り方、家族や友達との連絡手段などを安全な今こそ話しておこうと思います。 南海トラフ地震の予想映像や予想されているありとあらゆる数字がどれも衝撃的で起こっても無いことなのに非常に生々しく恐ろしかったです。東日本大震災を大きく上回る被害予想でぶっちゃけ想像しづらいです。ですがその想像できない恐怖が将来起こる可能性がとても濃いのが怖いです。ただでさえ日本は地震、津波など自然災害が多いのに放火という故意の災害を起こす人の気が知れません。 南海トラフ地震について、いつか来る、きっと来るから備えておこうと皆口々に言うけれど、実際に準備や対策をしている人たちというのは何人いるのだろうかと思う。実際自分もいつか来るから備えておかなければとは感じるけれどいまだにできていない。東日本大震災の教訓は本当に活かせるのか。いつか来るけど今日じゃ無いだろうという甘えがどこかに潜んでいる気がしてならない。火災においても、こたつつけっぱなしでも大丈夫だろうとか、うちでは天ぷら揚げないから大丈夫だろうとか、放火されんだろうとかそういう気持ちがあって、だからいざというときに対応が遅れたり、下手したら対応できなかったりするのでは無いかと感じる。この先送りにしたがる気持ちをなんとかしなければと感じる。 今回の授業で、放火が火災の一番の原因と聞いて驚きました。火災の発生を防ぐために火の取り扱いに注意することだけではなく、もしも起こった際の、避難経路の確認や消火器の扱い方の確認、応急手当の正しい手順など多くのことを確認する必要があるのだと学びました。また、火の用心は理にかなった時間帯に行っていると知り、迷惑がるのではなく感謝の気持ちを持とうと思いました。 今回の授業で南海トラフが出てきた。私がその言葉を初めて聞いたのは中学のことで、『明日南海トラフが来るらしいよ』という知り合いから聞いたものであった。詳細を聞いてみれば、その当時山形に住んでいたため、自分にはあまり関係ないだろうと浅はかな考えであった。今となってみれば、その存在すら記憶から薄れていた。今日、改めてこの話を聞いて、自分が東京で遊んでいる時に来るかもしれないという恐怖が芽生えた。もし起こってしまっったら確実に避難できるのか、現状ではできない。そのことをこれからかqんがえていきたいのだが、もし人ごみの中で避難するとしたら、どういう行動を取ればいいのだろうか。 最近、大地震は1時間ほど前に予測できるかもしれないという話を聞きました。うろ覚えですが、大地震発生前に震源地付近で電気的な特性が変化し、地球の電離層が下がる兆候が見られるらしく、もしそれができたらその間に避難することができるので素晴らしい発見だなと思いました。 最近親戚の家の周りで火災があったそうで、幸いにも本人たちはその場にいなかったので無事でしたが、火災を身近に感じた瞬間だったので少し怖く感じたのを覚えています。 火災といえばでやはり京アニの事件を想像しました。あの事件に関して身を守るために被害者の方たちにできたことは本当に限りなく0に近かったと思うのでやりきれません。今回の講義で初めて建物の構造を詳しく知り、出口が一方向に固まっていたことを知りました。おそらくこの事件がなければ避難を想定して建物の構造について考える機会もなかったと思うので今後自分や人の命を守るために活かしたいです。 今回は火災の恐ろしさについて改めて実感しました。能登半島地震においても、輪島市の火災の広がり方にとても恐ろしく感じたことを思い出しました。また、火災の原因の1位が放火であることを初めて知り、驚きました。できないことと分かっていても、放火という意図的な行為が完全に無くなれば、火災の被害に遭う人は大きく減少するはずだと思い、なぜこんなにも放火が起こってしまう現状なのか疑問に思いました。直接的に人に手をかけるわけではないことから、ハードルの低さによって放火をしてしまう人がいるのではないかと考えました。 火災の発生原因を知り、放火が第1位であったことは非常に残念に感じた。地震や津波などは人間が存在しなくても起こりうることだが、火災に関しては自然火災を除いて人が原因であることがほとんどであるのでそれによって犠牲者が生まれてしまうのは特に対策すべき事ではないかと考えた。人が発生させるものであって対策を行いやすい災害であるので、防災訓練に参加したり日々の電気ガスのチェック、そして近隣の不審者の対応も火災を無くしていくことに繋がるのだと学んだ。 もしも南海トラフが起きたとき、東日本大震災の時よりも甚大な被害が予想されていて改めて恐ろしさを実感しました。実家が静岡県にあるので南海トラフが起きてしまった時には、家族にもしものことがあるかもしれないし、自分自身も帰省をしていて被害に遭う可能性もあるので、そうなってしまった時迅速に動くことができるように避難所の確認であったり、防災対策を怠らないようにしたいと思わされました。また、火災なんて滅多に起きないであろうと思っていましたが、火災は思っている以上に起きていて、被害者も多くいることに驚きました。どういったところで火災が起きやすいか、自分の身近な場所で起きた時の動き方、旅行先では避難経路の確認など常に意識を持つようにする必要があると強く思いました。 今まで大きな火災を体験したりみたことがなかったことで火災に対する意識は低かったが、今回の授業をとおして、身近なのは地震だけではないということを学んだ。小学校のころ地震発生時の火の元の消し忘れによる二次災害について学んだことはあったが、そもそもそのような地震はなかなか来ないし自分には無縁だろうと考えていた。しかし、日本は佐渡付近の活発な地殻変動、首都直下型地震、南海トラフなどこの先おこる大きな地震を抱えている。そのため、日本のどこにすんでいても安全とはいえないであろうし、地震だけでなく火災などの二次災害も決して他人事ではないと思った。 南海トラフの地震が起きた際の予想映像で3分で津波が到達予想されるところもあって逃げようもなくて、近くの高台に避難してもすごく不安で怖いんだろうなと感じました。また断水する世帯がすごくて自分も地震を経験し、断水をしました。本当に水がなくてすごく困りました。給水車も次が来るまで半日並んで待ち続けたり。。。南海トラフは公助が止まって自分たちでなんとかしなくてはならないと言う認識で対策・行動しなくてはなと思いました。 私は神戸市出身なので阪神・淡路大震災については小学校の頃から学んできました。具体的に言うと、音楽の授業で震災を語り継ぐ歌、「しあわせ運べるように」を練習したり、同名の教科書で震災の被害や震災に備えるためにはどうしたらいいかなどを学んだりしました。また、学校で地震に関する講演会も開かれたことがあります。そして、神戸ではルミナリエという震災復興イルミネーションプロジェクトを毎年開くのですが、その募金ボランティアにも参加しました。ですがこのプロジェクトは、単なるイルミネーションプロジェクトと誤解されてしまうことがあるので、もっと震災の慰霊のためのプロジェクトだと周知させた方がいいと感じています。神戸市には東遊園地というところやメリケンパークに震災モニュメントというものもあり、地震の爪痕に関しては触れることのできる機会が多いです。このように、地震が起こった後、震災が起こった後に復興だけではなく、それをどうやって人々に語り継ぎ、記憶を継承させていくかがとても重要なことだと改めて感じました。 毎日火災は起きている。これはなかなか実感できないことである。私は生まれてから火災の現場を見たという経験がない。その中で地元の防災訓練で消化器を使った消火訓練や応急手当てを経験したことがあるが、どうしてもその訓練をやり続けないと忘れてしまう。身近に火災を経験できる場所機会がより増えれば、忘れてしまったり、危機感が薄まったりすることでの被害も減るのではないかと感じた。また、今まで経験してきたこととは別に火災保険や羅災証明の知識もこの年になれば知識として知っておく必要があるとも感じた。 災害は自然によるものだと思っていたけれど、放火などの火災も含まれることを知りました。一年で30000件近く火災が起きていると考えると、どこでも起こりうるものだと感じました。放火は火をつけるとつけた本人も想像できない燃え方をして、被害が大きくなって人の命や財産を簡単に奪ってしまうので、怖いです。 南海トラフ地震によって引き起こされる災害は広範囲かつ大規模な揺れの地震だけでなく、火災や津波、建物の倒壊などの二次災害もあり、一つ一つが甚大な被害を及ぼすことを学んだ。映像や話で聞く南海トラフ地震はあまりにも災害の規模が大きいので自分ごととして捉え、想像することはすぐには難しいが、具体的な数字を調べたり、過去の災害から対策や被害の大きさを考えてみることで少しずつでも自助に繋げていきたい。 2016年の火災の原因第1位が放火であることが印象に残っている。 ストーブが想像以上に低い順位であったことも驚いた。放火はストーブやたばこのように自分で対処できるものではないため火事をおこなさないための対策よりは避難訓練、消化訓練、応急手当てをできるようにしておくことが大切だと感じた。 避難場所にいる時に使う水の量の意識は今まで考えたこともなかったので汚れたものを減らす工夫など調べてみたり、考えていきたいです。今回印象に残っているのは南海トラフ地震のシュミレーション動画です。地震による被害も恐ろしいなと思いましたが、津波到達時間が数分ということが1番の脅威だと感じました。地震を感じたら即避難するという意識を持ち続ける重要さを学びました。最後に2016年の火災の原因第1位が放火と聞き、人間の行動力が悪い方向に行くとめちゃくちゃ怖いなと感じました。また当時、京アニ事件のニュースが報道された時初めに思ったのはデマかなでした。全く予期してなかった事が起きた時気持ちがついていけなくなる体験を初めてして今の生活が当たり前じゃないんだと強く感じたのを覚えています。 ホテルの避難経路について何となく目にはするものの意識したことはありませんでした。緊急事態に直面した時、後悔しないようにもう少し防災意識を高めたいと感じました。経路を歩いてみたり、写真を収めたりしようと思います。 中学生の時に近所の友達の家が燃えました。日が沈んでいるのに夕方のように空が赤いのが印象的でした。今思い出して考えたのは、あの威力の炎が室内にあったら人間はひとたまりもないだろうなということです。地震や津波にも言えることですが、数字や報道だけでは捉えきれないものが多く、そしてその情報はとても大事なことが多いです。能登半島地震の発生直後からTwitterを見ていたのですが、数十センチや一メートルの津波を軽視している人がいました。波といっても壁がすごい勢いでぶつかってくるようなものだというイメージができれば数十センチでも命を落とすことが想像できます。私は今回火災旋風という現象を初めて知りましたが、これから想像を超える出来事がたくさん起こる中で、可能性を具体的に想像していくことが生死を分けるかもしれないと思いました。 南海トラフ地震について今までたくさんのメディアが触れてきましたが、年々地震の想定規模や与える影響の想定が大きくなってきている気がします。ですが南海トラフ地震が起きる気配もなく、だんだん大きくなる想定と起きない地震のギャップからどうしても信奉性に欠ける部分があり、現実味が湧きません。 実家が香川県で、南海トラフが起こるのが怖いです。想定では津波が起こる範囲に含まれるので、家族とどうやって逃げるか考えてました。給水車が3000万人に行き渡らないと知って、備蓄用の水は買っておこうと決めました。火災発生原因の第一位が放火というのはいかがわしい事実です。対策は人に呼びかけることに加えて、自分も放火犯にならないようにストレスを発散できる仕組みを日々ブラッシュアップしていきたいです。 南海トラフ大地震動画に出てくる津波の被害が特に怖いと思った。新幹線の速さで一帯を大量の海水で街を覆い尽くして破壊していく状況からどのように避難したらいいのか、備えをすればいいのか考える必要があるし、共助として声をかけたり、一緒に避難することは大切な事だと思った。また、火災の原因の第一位として放火が多いことはとても驚いた。冬場で起こるストーブとかの注意喚起のニュースはよく聞くけれど、放火の事件の報道は少ない印象がある。京都アニメーション放火事件のこともあって、火災や地震などのことを考えた建物や設計にすること、また建物内の構造を確認しておくことが重要なことであると学んだ。 2016年の火事の発生数が平均1日に100件以上もあることを知って驚いた。また、火事の原因で最も多いのが放火だとは思わなかった。私の家の隣にある高校でも過去2回ボヤ騒ぎがあったが、2回とも原因が放火だったことを思い出して火事も放火も案外身近で起きていることを再確認した。 また、2016年といえば糸魚川で大きな火災があったが、小学校から帰ってニュースを見た時大きな衝撃を受けたことを思い出した。能登の朝市での火災もそうだが、木造住宅が密集している地域で一度火事が起きるとあっという間に手が付けられないほどになってしまうのでとても危険だと思った。 今回の講義では地震について勉強した。南海トラフの動画を見て、東北大震災の比にならない程の規模の大きさを目の当たりにした。15分程度で家屋が崩れ、波にのまれていった。長周期地震についての恐ろしさを感じた。予想死者数は東北大震災の約17倍と聞いて、他人事ではないと強く思った。予想死者数の中に自分、もしくは自分の大切な人が含まれているかもしれないと思うと地震への対策の必要性を再認識した。公助に頼らない自助と共助による対策を意識して生活して行くべきである。津波の速さが新幹線の速さに匹敵するものであると分かり津波を経験したことがない私でも死んでしまうと恐怖心が生まれた。 今回の授業では、特に「知れば助かる可能性が生まれる」という知識が多かった。災害が起きてからでは停電などにより情報収集が困難となるため、倒壊した建物に貼られる紙の意味や、火災発生時の避難経路などを事前に知っておくだけでも身体的、精神的な効果はあると思った。加えて、浅瀬で遅くなった津波が後続の波と合流して大津波になることは初耳であり、これまで恐怖心があまり湧かない小さな津波と、瓦礫を巻き込んだ後の津波とで別物のように分けて映像を見ていたことで認識に誤りが生じていたように感じた。 私は大きな地震を実際に体験したことがなく、近いうちに来る南海トラフについてやはりあまり実感が湧きません。今回の授業にて予想の映像が出てきましたが、やはりどこか他人事の様に感じてしまって危機感に欠けていると自分でも思います。もしも明日大地震が来るとしたらと考えてもなかなか上手く考える事ができず、やはり非現実的の様な光景を想像することの難しさを感じています。現在の私がそうであるように、災害を実際に体験した人と体験していない人とでは危機感の持ち方にやはり違いがある様に感じます。そこから生まれる災害に対しての温度感の違いはどうしたら埋まるのかなと講義を聞きなら漠然と考えていました。 学びの軸を作るワークの方で、ほとんど火災を見聞きした記憶がなく、前半の回答は2、3年前が中心だったため、2016年の年間火災件数が36773件もあることに衝撃を受けました。 最初は数字をなんとなく受け止めましたが、年間件数ということを冷静になって考えると、1日につき約100件の火災が起こっており、各都道府県で毎日約2件ほど起きているとも言えることに気がつきました。県内での火災のニュースを聞くだけでも結構驚いてしまうのに、それが毎日約2件となるとなかなかショッキングな事実です。一応2022年あたりまでの推移を調べてみましたが、年々減少傾向にはあるものの、未だ年3万件は切っておらず、この感覚自体は変化していないことがわかりました。 被害規模は小火くらいのものから大火事まで様々あると思いますが、少し前実際に、地震が起きた時ちょうど調理でコンロを使っていたので、急いで消した記憶があります。 こういった「ヒヤッとした」くらいのものなどが大なり小なり火災に発展しているとなると、本当に他人事ではないと感じました。 火災の発生原因の一位が放火だったのは予想外でした京アニ事件もそうでしたが、何がきっかけで放火されるかわからない物騒な世の中です。放火と聞くとニュースでしか見ないまれに起きる事件のように思ってました。しかし自分の近くでも十分起こりうることなのだと考えさせられました。 今回の講義で印象に残ったのは、南海トラフ地震のシュミレーション動画です。この動画は以前個人的に見たことがありましたが、改めてその被害の規模の大きさと恐ろしさを感じました。東日本大震災の忘れることのできないあの被害を遥かに上回るという予測は、絶望的だと感じました。私たちができる対策として、日頃の備えはもちろんのことですが、これほどの規模になってくるとそれだけでは0に抑えることは厳しいと思います。なので、甚大な被害が予想される沿岸部や山沿いなどに住むのをなるべく避け、できるだけ被害を受けない暮らしを目指すことも大切だと考えました。 被災した建物などに危険度によって赤紙を貼っているということを初めて知りました。また、建物が全壊だった場合と準半壊だった場合で受けられる保証にも違いがあることも知りませんでした。災害が起きた時、現場の様子や復旧作業などはテレビなどでよく報道されていますが、被災した時に建物に赤紙を貼られたりといった対応のことは見かけないなと感じました。いざ自分が災害の被害に会った時戸惑わないようにもらえる保証や現場での取り組みは知識として知りたいと思いました。そういった事が学べるサイトや機関は何かあるのでしょうか。 今日の授業の中で京アニの放火の話が一番印象的でした何年も前の事件ですが未だに研究調査されていると知り衝撃的でした。当時のニュースでは事件の悲惨さや犯人の動機の異常性ばかり取り上げられていた印象が強く、建物の構造もあってあんなに被害が出たのだと初めて知りました。どんな事件、事故、災害でもそれを出来事として終わらせず対策、回避方法、根本的な解決することが大切だと考えます。京アニのビル以外にも構造的に避難が難しい建物はたくさんあると思います。そういう建物で課題が起こった場合の回避方法避難方法も有効なものが広く知られるといいなと思います。 私もゴールデンウィークで帰省した際に地元で被災した地域の様子を見てきました。火災こそはなかったものの3色の札を貼られている家達を目撃しました。赤札のものは既に取り壊され始めていました。 母は職柄保険に詳しいので時々こういった災害や怪我に関しての保険の話をしてくれますが、地震に関する手厚い保証をしてくれる保険はほぼなく、大きな災害があったとき、どうしてもお金は足りないのは仕方ないと話していました。 今回1番印象に残ったのは南海トラフのシュミレーション映像です。東日本大震災の被害を受けたわけではないのですが、あれほど日本に衝撃をもたらした東日本大震災を上回る地震が今後発生することが非常に恐ろしいです。私の家族は1年もたたない間に私も含め皆病気を患ってしまいました。今までは大きな危険にさらされることも無く当たり前のように受容していた日常が壊れてしまうことが怖いです。 京都アニメーションの事件に関して、当時非常に話題になっていたこともあり印象に残っています。心の痛む事件でした。ですが今回の講義のお話を聞いて知らなかったことも多く、あったことに気がつきました。特に驚いたのは玄関が一方向にしかなかったことです。実際に放火などの被害を受けたことがなく全く想定していませんでしたが、逃げることができない場所というものができてしまうし今現在呑気に生活している空間に対して一気に危機感が湧きました。無知というのはやはり恐ろしいなと感じて、こういう事件があったということだけでなくどういった事件だったのか詳しく知るために、ニュースを見ているときにもただ見ているだけでなくもっと関心を向けたいと思いました。 南海トラフ地震について触れていた箇所がありましたが、自身の地元も被害区域に入っていたので、実際にこんなことが起こるのだと思うとかなり恐怖心を覚えました。火災に関しては、やはり京アニ事件が印象深いのと、規模が異なりますがオーストラリアの森林火災も記憶に残っています。地震に比べて身近に感じにくいですが、私たち自身で防げるケースがほとんどだと思いますので、日頃から気を配りたいです。 南海トラフ地震は地震の大きさもさることながら、日本の地上に近い位置が震源になるから、津波の到達が早いということにとても恐怖を感じました。大き揺れに戸惑っている間に津波が到達してしまうから逃げるまもなく飲み込まれる人がいると考えると、そこからはもう運頼みなのかなとも思いました。南海トラフ地震で被害が大きく出る場所は東京や大阪など、人が多い場所なので、逃げ惑う人にぶつかったり踏まれたりして、助け合いどころではなくなってしまう様子も容易に想像ができました。災害時は地震や津波だけでなく、何によって被害がもたらされるか分からないから避難場所をしっかり定め、そこへの行き方も日々意識して過ごすことがこれから重要になるなと改めて思いました。 南海トラフがもし起こったら大変なことになるとは以前から知っていましたが、今回初めてその予想映像をみて予想を遥かに超える規模に驚愕しました。被害があると言われてる地域に住んでいる知り合いも沢山いるし、将来的にそちら側に住みたい気持ちもあるので本当に他人事ではなくて恐ろしく思いました。いざと言う時に動けるように、常に災害がもし起こった時のことを少しでも頭の片隅に入れて生活したいです。 今回私は津波の恐ろしさというものを改めて痛感しました。津波に関してはニュースや番組で何度か見る機会があり、どういうものかは限られた情報だけではあれど理解してはいました。視認できる近さになったらもう逃げる事は出来ないと言われるのも納得の勢いで迫り来る津波は見ているこちらでも恐ろしさがあります。それにプラスして色々な瓦礫が流されている事により、刃物の海となんら変わりの無いこと。聞いているだけで恐ろしかったです。私は実家が海無し県なのでそういった事からは縁遠い生活を送っていました。それがどれほど幸せな事なのか。今ではよく分かります。 京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者が多い理由の一つとして、発火場所が螺旋階段付近ということもあり、煙と火がどんどん上の階にまで上昇してしまい、やがて全階の部屋が燃えて沢山の人の命を落としてしまう最悪の事態が起きてしまったのだと思いました。また、京都アニメーションのビルの空間設計にも問題があったのではないかと思いました。空間設計がもたらす人身被害というものは、火災に限らず、地震や津波、交通事故、洪水などあらゆる面で大きな影響を与えてしまうということを改めて感じました。 南海トラフ地震の想定映像を見て、大規模な被害数の中に自分も含まれることは予想できたが、それだけ大規模な災害が高確率で起こるだろうという事実が、どうしてもまだ信じたくないほどに恐ろしく感じ、できるだけの対策をし尽くさなければならないと思った。 自分が火災に見舞われた時に、出口の確保など、少しの知識があるだけで命が助かることを実感した。 大きな地震の一次災害の被害については概ね理解できていましたが、二次災害の被害の規模をよく理解していなかったことが、今回の講義で学びました。津波、火事だけでなく電力、交通、ガスなどのライフラインの被害が、どれだけの問題なのかを理解するほど、地震への恐ろしさがより鮮明に明白に叩きつけられた気持ちになりました。大きな力の前ではどんな対策も意味をなさないような気がしてきます。そんな不安をどう乗り越えればいいでしょうか。 京都アニメーション放火殺人事件についての話が印象に残っています。その当時も、多くの犠牲者が出たことや犯人の意味不明な動機に大変驚いたのを覚えています。不審者が公園で寝泊まりしている姿が目撃されていたにもかかわらず対応がなかったこと、建物の構造が緊急事態の際の脱出に不便な点が多すぎたことなど、問題点が多くあげられます。もちろん一番悪いのは犯人ですが、少しでも改善できたことはあったんじゃないかなと思います。 また、今回の授業で、私が小学校や中学校で行った火災訓練のことを思い出しました。とある教室の中を煙のような物で充満させ、その中を通って避難するという訓練がありました。自分の想像以上に視界が遮られてとても驚きました。訓練でやったことが実際には建物全体で起こることを考えると、日頃から建物の構造を把握することがいかに大切かがわかります。まずは自分の身近な場所、家の中や大学、その周辺など、出口や構造を意識して確認したいと思います。 南海トラフのシュミレーションの津波到達時間の速さに驚いた。和歌山など地震発生から2分の予想で日常的に備えておかなければパニックになって何もできないと思った。いつどこで起こるか分からないからこそ、旅行中など慣れてない場所の避難経路確保等を意識して過ごして行きたいと思った。 津波に対する認識が改まりました。特に、一辺が1mの立方体の中の水の重さは1tという具体的な数字を出されて、まず助からないなと思い、柱などに捕まれば流されないんじゃないかというようなあまい考えも全て無くなりました。この量の水流に飲み込まれたらまず即死だと思って大丈夫そうです。今まで海無し県に住んでいたことで津波について他人事でしたが、仮に旅行先などの滞在中大地震が起こり、たまたま海の近くだったらと思うと今回津波に対する認識を改められて良かったです。 火事で放火が最も多いというのは納得でした。というのも、なぜ夜中にゴミを出してはいけないのかと過去に調べたことがあり、放火の餌食になるからという理由が出てきたからです。白昼堂々放火はあまりしないと思うので、起こるとしたら夜中なのかと思うと、皆が寝静まった中、寝ぼけた頭で火事が起こったらどう逃げるかなども考えた方が良さそうです。 今回印象に残ったことは、地震が起こった時どの様な行動をすべきかについてです。東日本大震災の時には、小学生が避難している状況を見て、周りの住民も避難したということで、周りを見てからの避難では間に合わない可能性があります。さらにこれから起こるとされている南海トラフは、東日本大震災に比べて早い時間で津波が到達するということで、揺れたらすぐにげるといった対策を練っておきたいです。 今日南海トラフの各地被害予想を見ましたが、一番恐怖を抱いたのが静岡。静岡は最短2分で55メートルの津波が押し寄せてくる。そこで私の頭の中に恐ろしい波の様子がイメージされた。小さい頃から津波の存在は知っていますが津波の恐ろしさは体感したことがないのでわからない。でもこの年代になって理解できる情報が増え、津波によって明確に死が訪れる恐ろしさを感じます。火災では三万人もの人間が火災を起こしてるのに驚愕した。1日に南院の人間が焼かれて死ぬんだろうと考えると火を使用するとき気をつけようと思えた 地震や津波、火災などの自分が防ぎようのない災害に対してどういった判断をするかというのは、過去の自分の経験や知識次第で左右されるし、それはあったほうが生存率も高くなると思うけれど、何かが起こった時それが良い選択になるのかどうかはその時次第で変わるのだろうなと思った。誰かの指示で行った行動がもしかしたら悪い選択かもしれないし、自分の知識をもとに行動しても何か大きな穴があるのかもしれないし、結局その時に自分が後悔しない選択をすることが最善なのかもしれないと感じた。そういう考え方は、もし集団で逃げようとなった時に心理で動いてしまう体を引き止めて、本当に自分はそれで良いのだろうかという考え直すきっかけにもなるのだろうなと思った。 前半の地震の話で避難した後の住む環境について、体育館や密室内で病気にかかった時の対応や、トイレなどの不衛生な場所の使い方などを考えていかなければいけない事にとても大変さを感じました。また火災の話では、アンケートの結果からよく火災が起きやすかったり、原因となるものが似ているので十分注意しなけれならないなと思いました。 今回の講義を通して、南海トラフによって引き起こされる津波の規模とそのメカニズム、そして火災にまつわる事件の詳細について知見を深めることができた。南海トラフ地震の規模を予想した動画の中で、各地に津波1mが到達するまでの時間と予想最大波高が取り上げられていた。四国や和歌山県では津波到達まで数分とかなり早く、場所によっては30mを超える津波が考えられることが非常に衝撃的であった。30mが実際の建物でどのくらいなのかが気になったため調べたところ7~8階建てのビルに相当すると知り、地方のあまり栄えていない地域だとそのような建物は滅多に無いため、高台などの高い位置へ移動するにはやはり時間がかかるのだと実感した。 また火災の原因について、私は授業中のワークの中で1位たばこ、2位ストーブ、3位配線器具と予想し、放火による火災は非常に少ないと思っていた。しかし実際には放火が1位、放火疑いが4位であり、こんなにも人の手によって意図的に引き起こされる場合が多いのだと驚愕した。しかし放火によって家が燃え、命を落としかけた友人がいたことを思い出し、(その子の場合は睡眠薬と酒類を同時に飲んだ錯乱状態の家族による放火)案外人ごとでは無いのだと思った。京都アニメーション事務所で起きた凄惨な事件のように、個人的な意見から道理に反する行為をする人は残念ながら今後も出てくると思う。しかし万が一自分がそのような場面に遭遇した際に被害を最小限にするためにも日頃からシュミレーションをすることが大切であると感じた。 私はタバコを吸うので、火災の原因についての話がとても印象的でした。火災の原因の一位が放火なのも怖いなと思ったのですが、二位がタバコということを知って気が引き締まる思いでした。火の始末にはとても気をつけているつもりですが、お酒で盛り上がっていたり気が緩んでいる時はもっと注意を払わなければいけないと思いました。 火災、火事、地震等の自然的災害と、人の放火、不始末による人為的災害の2つが主にあり、その中でも関東大震災、京アニ放火事件はとても印象的でした。まずは火事を起こさないことが一番ですが、実際起きてしまった時にどうするか、どう逃げるか、どう対処するか、考えることはとても大事だと思いました。これから先対処出来る火災は対処して、少しでも人命を助けれるようになりたいです。そのためにも過去の悲惨な事故から福本先生の授業を通して学ばせて頂きます。 今回の授業では、火災の恐ろしさを改めて再確認させられました。京都アニメーションの放火事件は自分も記憶に残っている事柄でしたが、あんなに大勢の人が火災現場から脱出できずに亡くなってしまったことは、本当に恐ろしいし、放火だけでなくやはり電気系のトラブルやストーブの使い方による火災もあるので、気をつけて行かなければならないなと思いました。 今回の授業で印象的だったのは、大きな地震が来た時の動画でした。地震が起こった際どのくらいのスピードで津波が来るかというシミュレーションの動画で大概の県が2分と数秒で津波が押し寄せてきていました。逃げる暇もなく飲み込まれてしまうと恐ろしいです。そして、何より怖いことは地震がいつ起こるか分からないということです。大きな地震がこれから来ることはわかっているのに起きる年、日、時間が分かりません。今後ともいつかのために学んでいきます。 南海トラフのCGシュミレーションの映像や想定されるマグニチュード、津波の高さ、そして死者数などを見ると実際に発生した時の被害の甚大さが分かりとても恐ろしくなった。しかし災害の発生はコントロールすることは誰もできないので、発生した時にどのくらい被害を小さくできるか日頃から考えようと思った。まずは自分のマンションの消火器の位置を確認し、使い方を見ることから始めていこうと思う。 当時中学生だった私にとって京アニの事件は本当に衝撃で、未だ記憶に新しいです。 私は普段から火災対策として、こたつはちゃんと消したかコンセントに埃は積もっていないか等の確認をしっかりするように意識していますが、それとはほぼ無関係にこのようなことも起こりうるのが本当に怖いなとひしひしと感じました。 しかもたくさんの20.30代の方々が亡くなられたというのが、(年齢で命の重さが変わるわけでは決してないのですが、)まだまだ未来があったはずの若者たちの命が失われたんだということで、より辛くより自分ごとのように感じました。 自らが起こしてしまう火災の可能性に留意するだけではなく不審者がいたらすぐに報告し注意を払う等して、自分と周りの人たちの身をしっかり守っていきたいです。 ただの思い過ごしだったならそれはそれで良いと思うので、大袈裟なんて思わずにとにかくやってみようと思います。 災害や火災が起きた時にニュースで出る死者数やケガをした人数を自分や家族が含まれることがあるかもしれないと考える必要があるのだとわかりました。そうすることで自分のことと考えられて、対策を考える一つのきっかけになると言うことを学びました。火災の原因の1位が放火というのに驚きました。このことを大阪出身の友達と話してみると、一番に放火が思いついたと言っていて、住んでいる地域が違うだけで意識が違うことに気づくことができて面白いなと思いました。 南海トラフ地震の想定被害規模に関する動画を見た時、1番に自分の家族や友達のことが頭に浮かびました。また、もし自分がその場にいたらどうするだろうか、周りの人のことまで考えられるだろうかと急に不安になりました。自分の身だけでも自分で守れるように今から備えをしておくべきだと思います。東日本大震災での悲劇を経験したにもかかわらず、月日が経つにつれて恐怖感が薄れ、良くない意味で余裕を持ってしまうことが最も危険なのではないかと思いました。 今回の講義で忘れかけていた京アニ事件について思い出しました。ニュースの速報で流れてきた悲惨な映像と、その後何日も事件の動機について報道されました。実際にこの放火殺人事件についてインターネットで調べてみると、被害者がどのような状況で避難しようとして亡くなってしまったのかが残酷なまでに鮮明に記載されていました。現場となった第一スタジオは防火設備が不十分であったという情報もあり、備えることの大切さを改めて学ぶことができました。 火災が全国で年に約35,000件ほど起きていると知り、驚きました。初めに聞いた時はイメージがわかなかったのですが、1日あたりで考えてみると100件ほど起きているということなので、意外と多いなという印象を受けました。一人暮らしでは、火元の管理は自分にかかっているので、しっかり注意していきたいです。 事の原因の多くが放火であることは衝撃的だった。人為的な災害にまで目を向けられていなかったため、新たな対策が必要だと感じた。今まで通り防災として火元の確認は大事だが、避難経路を複数確保することも念頭に置くべきだろう。しかし脱出する場所に偏りがあると機能しない。よって反対方向に用意するのが望ましい。 今日は火災の被害はどういうものなのか、どうして発生するのかを考えました。長岡でも2ヶ月前くらいに火事があったことをニュースで見ました。その際、詳細を調べようと消防の出勤情報を見ると、一日にも何件も出動していて、それが毎日のように続いていることが分かり、驚きました。私自身は火事を間近で見たことはありませんが、被害を見るととても酷いことがわかります。自分が火事をおこしてしまう原因にならないように、火をつけっぱなしにしないことや規制する際にはガスの元栓を閉めること、花火など火を使う遊びをする時には気をつけたいと思いました。 今回の空間安全論では、火災について学びました。私の中で火災といって一番に思いついたのは、2019年に発生したオーストラリアの森林火災でした。火災が起こったばかりは、連日ずっとそのニュースが流れていて火がなかなか消えないことに怖さを感じていました。なので、授業内でのアンケートにおいても自然発火は多いのではないかと思い回答しましたが、一番に放火が上がったので驚きました。放火は自然発火とは異なり、防げる火災であると思うのでこれから火災と共助を関連付けてさらに学びを深めて行きたいと思いました。 津波の発生の仕組みを知ることで普通の波とは危険度が遥かに違うことが実感できた。まだ津波が見えていない状態であっても海が近い場所で地震があった際は躊躇わず高台や遠くの場所へ逃げる大切さを忘れずに過ごしたい。 火事について、学校の避難訓練以外で詳しく考えたことが少なかったので、住んでいる家や大学、数日間滞在するホテルなどで避難経路を日常的に確認してみようと思った。 南海トラフで医療が追いつかないと警告されていた件についてですが、この警告を聞いた時に規模や種類は違いますがコロナの医療体制と同じものを感じました。 約2年前はコロナ感染流行で医療機関が逼迫していて処置を受けることができないというニュースを聞いて自分自身で出来る感染対策は全て行うといった意識を強く持っていました。私の周りでもそういった意識を持っている人が多くいましたし、学校側も同じようにできる限りのことをしてくれていました。大切なのは自分自身でなんとかするという自助の強い意志とそれを取り巻く周りの環境だなと実感しました。 Xで「輪島市は捨てられた」というツイートがあったことを初めて知りました。私が住んでいる長岡も多少揺れましたが、ニュースで石川がとても揺れたことと被害を多く受けたということしか知らなかったので実際の現場ではどんな状況だったのか気になっていました。ライフラインが途絶えたり、解体業者などの人手不足も問題となっていたことを知ることが出来ました。先生が説明されていた、輪島市の現状を発信、復興の進捗情報、震災にあった子供達の相談室などの活動をすることで更に復興への道のりが加速して欲しいと思いました。 後半の火事の話では、火災の原因は頻繁にテレビで報道されている。ストーブや配線器具、コンロの3つが上位だと考えましたが、1位に放火という言葉が出てきて驚きました。京アニの事件や放火殺人が増えていると聞くと、自分で火の管理をするだけでなく、いつどこで火事が起きた時でも自分の身を守る行動を迅速に行う準備をすることが大切だと改めて考えました。 火災原因の一位が放火であることにやるせない気持ちになりました。京アニの誰もが知っている事件だけではなく、日本各地で人の悪意が人を傷つけている事実が恐ろしいです。 また、小さい頃から避難訓練などで災害時の動きは少し身についていますが、火災だと窓を閉める、震災だと窓や経路を開けるなど、動揺している時に自分はその災害に合った適切な行動を取れる自信がないなと感じてしまいます。 今回の講義で南海トラフについての動画や資料を見たことが1番印象深かったです。私の実家は津波はおそらくこないけど強い揺れを感じる場所で、私の妹が津波や強い揺れを感じるであろう場所に住んでいます。 私と妹が帰省している時に起きたり、家族全員で他の場所にいる時に起こればまだいいのですが、それぞれの場所でしかも私が新潟にいる時に起こることが1番私にとって最悪です。通信障害がその時起きたりすると家族全員と連絡が取れなくなる可能性があるので余計に怖いし心配になります。南海トラフが起こる前に避難する時の行動や自分の身を守るための準備を怠らないようにしたいと思いました。 能登半島地震について、現地に赴くことや、リモートでも私にできることがあればやりたいです。 津波、火災について他人事ではないと改めて感じる授業でした。家が海や川が近くになくても水が迫ってくる可能性はあり、避難する建物や非常時の連絡先を家族で共有していこうと思いました。また、火災について、私には関係ないことだと思っていましたが、この前キッチンで火をつけたまま不注意で寝てしまい、最悪取り返しのつかない状況になり得たので気をつけようと思いました。 また、ショッキングな映像、グロテスクな映像を克服する方法で良い方法があれば教えてほしいです。 「能登の町は捨てられたのか」という発言を、私も何度かSNSで見ていた。それを見るたびにすごく悲しい気持ちになっていたが、今回の先生の回答で、復興がなかなか進められない原因を知った。無条件に捨てられた訳ではないことに少しだけ安心したのと同時に、復興がなかなか進まない現状に改めて危機感を覚えた。私も少しでも復興の支援をしたい。 南海トラフ巨大地震が起きると、どんな被害を受けるのか、学ぶことができた。公助に頼らない自助と共助が大事という話があり、確かに数分で津波が来るときに、行動できるかどうかに関わることがわかった。 水深が浅くなるにつれて、波が遅くなるので、後続の波が追いつき、波が高くなることは知らなかった。 京アニ事件のような脱出口の方面に火があった場合、上や奥に逃げても助からないのなら、火の中に突っ込んででも外に出ようとしたら火傷のみで命は助かるのかな、なんて考えてしまいました。実際に火災があった時に外に出るために炎の中に入れるかと言われると無理だと思いますが… 実は恥ずかしながら今まで南海トラフのことをオカルト的何かだと思っていました。大学生になって東海地方出身の友達が南海トラフを恐れているのを目にし、調べてみることで初めてその詳細を知りました。そのため講義後半の「他人事ではなくいかに自分事として考えられるか」という言葉がグサリと刺さりました。 避難生活において、衛生面に気をつけなければいけないということが盲点でした。今までインフラの整った生活をしてきたため、災害で水が使えなくなったり避難生活を送ったりすることで菌が繁殖しやすく感染症にかかるリスクが高まるということまで想像できていませんでした。 東日本大震災の時に助けられる側で共助が発動したのを思い出しました。小さかったこともありますが、家を飛び出て隣の家の人が私を抱き抱えて助けてくれたことがありました。今は大人になり、逆の立場になった時にそのような行動が取れるのか、もしその立場になったら進んで助けれる大人になりたいです。 今回の授業を受けて、地震の次に起こる二次被害である津波や火災など発生条件や発生するまでの時間など今まで考えたことのないことを知ることができた。津波については、実家が海に近いため、何度も南海トラフ地震について学校でも聞かされていた。避難訓練等も自治体で年に1回強制参加だったため、実家の方ではかなり意識が高いと思う。だが、実際に発生したときに実際に避難できるのか、津波から逃れることはできるのかなど今に至るまで吟味しなければならないことが多く存在すると思う。火災については京都アニメーションの放火事件について触れたが、放火が原因の1位だとは全く思ってもいなかった。また、消防車の出動件数なども自分の思っていた以上に多く、かなり身近な災害だと思った。 今回の講義では主に火事についての被害や詳細を学ぶことができました。アンケートでもあった通り火事についての頻度や原因について深く掘り下げることができました。そして火事の原因からその後の復旧、対策についても学ぶことができ、日常的な注意、火災予防や対処のための効果的な施策を考えていこうと感じました。(147文字) いつか必ず起こる南海トラフ地震について、被害の規模や死者数の予測がついている中で、そこに住み続けるという決断をしている人は、どれくらいいるのでしょうか。きっと、「自分は助かるだろう」と楽観視している人がほとんどだと思います。自分だって、そうです。 私は、ウィキペディアで過去の凶悪犯罪事件の概要を見ることが趣味です。これは半ばエンタメ的に行っていましたが、この趣味を発展させて、災害や事件などに対する防災(思考)訓練にしていけたらよいのではないか、と考えました。信頼できるデータを見つけること、そしてその中から必要な情報を選択すること。この二つを心掛けて、頭の中でシミュレーションしてみようと思いました。 能登半島地震においては、壊れた建物を解体するのにいろいろ手続きが必要で復興が進まない理由の一つになっているとニュースで見たことがあり、手続きが複雑で時間がかかるのは大変なので今回の場合以外でも、もっと簡略で分かりやすくスムーズに行えるものが増えていってほしいと思いました。 京都アニメーションの火災では当時私もショックを受けて速やかな避難の必要性を感じました。また、火災の避難では煙や炎が行きにくいであろう方向を事前に確認し、避難経路を覚えて万が一に備えておくことが重要だと思いました。 高層ビルの横揺れが予想以上に激しくて驚きました。東日本大震災の時に東京で振り幅2mだったと聞いて震源からは距離があっても油断出来ないなと思いました。丈夫な高層階に居れば津波の心配はないのではないかと考えてしまっていましたが、軽い考えだったなと思いました。また火災の講義では1位が放火で驚きました。災害を人間自ら起こしていて他の火災原因よりも多いことに悲しくなりました。 今回の授業ではいつどこで地震や災害が起こるか分からないから何時でも災害に対する意識を持たなければ行けないこと、地震による二次被害の例などを学んだ。関東大震災で起きた大規模火災の中で火災旋風が起き多くの被害者が出てしまったことが、印象に残った。もし自分が避難する立場だった場合どう行動するのが1番正しいのか考えるべきだと考えた 大地震はいつでも起きる恐れがあるというのは本当にそうだなと思いました。今年の3月21日に東京に旅行に行っていたのですが、ちょうどその時に地震に遭いました。そこまで大きい地震ではなかったので無事でしたがこれが大きい地震だったらと思うとゾッとします。特にずっと南海トラフ地震が起きたら日本は大変なことになると言われていたので南海トラフ地震なのではないかと不安になったことを覚えています。 南海トラフ大地震が起きることでの各地の被害想定映像が印象に残りました。薄々感じていたことではありますが全国的に災害が起きると公助の面が遅れてしまうことを踏まえると自分の周りの人たちの電話番号帳など、連携するための手立てを常に持ち歩いておこうと思いました。 日本の一般住宅は木造が多く、火災リスクを防ぐために、日常生活の中、電気や火の使用は注意すべきです。各地の火災統計表を見ると、東京の火災件数が他の地域の数倍であることが気付きました。思い返してみると、以前、東京に住んでいた時、消防車の音を何度も聞いたことがあり、遠くで空に漂っている煙を見たこともあります。長岡に来てからはほとんど耳にすることがありません。 津波の動画を実際に見て、この状況に陥った時自分が適切な判断ができるのか、またご近所の方と繋がりがあまりない中きちんと避難できるか不安になりました。避難しないといけない時どこに逃げないといけないのかだけでも確認しておこうと思います。 2016年のデータであっても、火災の発生原因の一位が「放火」なのは大変驚きました。京都アニメーション放火事件について当時は辛くて調べられなかったので授業でしっかり触れることができてよかったです。屋上へ行く階段で折り重なって亡くなっていた方々の事件当時の心境を思うと本当につらくて胸が苦しい気持ちになります。 私は最初津波というものが海で見る波が大きくなったものだと思っていました。しかし東日本大震災でテレビで初めて津波というものを見て怖いと思ったのですがどうなっているのか、何故そんなに力があるのか分かりませんでした。今はテレビなどで見たり聞いたりしてある程度分かるようにはなったのですが想像するだけではあまり実感はありません。実際に見ないとその本当の怖さは分からないと思いました。ましてや1000tや2000tという単位は想像しようとしても出来ません。しかし新潟県にいる以上津波の危険性はあるのでこのような曖昧な状態からどうやって自分事として捉えていくのかしっかり考えたいと思います。 災害には地震や津波だけではなく、日常的に起こりうる可能性として火災も取り上げることができるということが印象に残った。特に、2016年の統計では火災件数が36000件と単純計算でも一日に100回あるかないかの頻度で多発していることがわかる。第一位原因として放火があることが同時に示すことは、いつどこで巻き込まれたり、被害が拡大するかは不明確であるということで、自らが当事者意識を持って自助や共助を取り組む必要があるということを再確認することができた。 今回の講義では、南海トラフ巨大地震について知ることが出来ました。SNSなどで時々見かけて近い未来にすごい地震がくるということだけは知っていましたが、実際にシュミレーションされた映像を見ると東日本大震災並の災害が起こってしまう可能性があるということが分かりとても恐ろしく感じました。また、起こるかもしれないという可能性を知ったからにはきちんと防災対策をしなければならないなと思いました。 以前、災害地域での町おこしについて学んだ際、災害の危険さを伝えるだけでは結局「そこから引っ越すのが最善」という結論になってしまい人が減っていってしまうという問題について知った。地震・津波に限らず災害は恐ろしいが、その危険さを伝えるだけではなく、地域の特色を理解したうえでどのように安全な空間を作っていくかが重要だと考えた。 今回学んで印象に残っていることは、火災の1番の原因は放火であるということです。私は、不注意での火災が1番多いと考えていましたが、放火が1番多いと聞いて怖くなりました。今年に入って私の友人宅で火災が起こったのですが、それはタバコ不始末が原因と言われていました。また、よくニュース等で見ていたのはタバコの不始末による火災であったためなお驚きました。 記憶に新しい京都アニメーション放火殺人事件は、犯人による計画的犯行により多くの犠牲者が出ましたが、事件後に建物などの構造を見ると火災に対して機能していない防火策があったことなどが被害拡大に繋がったという話を聞いて、地震だけでなく火災に関しても私たちは常に防災をしなければ行けないと感じました。 今回の授業で印象に残ったのは火災旋風についてです。地震の被害の中で火災が起こることは、能登半島地震のニュースを見ていて初めて知ったので、過去に火災旋風というものが起こっていたことに驚きました。 また、南海トラフでどんな被害が及ぶかのシュミレーション映像も印象的でした。地震が起きる可能性がゼロな都道府県はないし、自分が住んでいる場所だけでなく、旅行に出かけた時や実家に帰った時に起こる可能性も十分あると改めて気付かされました。 火災の発生原因の最たるものが放火であるとは夢にも思っていなかった。何なら失望した、という表現が合致していると言えるレベルでげんなりした。悪意を持って個々人の住環境を破壊する、という行為は、目の前で見かけたら衝動的に行動を起こしてしまうと錯覚してしまうくらい腹がたった。 今回の火事についての「出火原因について」で第1位と第4位が放火であるという統計結果が驚きでした。 また、災害における被害の拡大に建物の構造が大きく関わっているのがアニメーションスタジオの例で理解できてとても学びになりました。吹き抜け構造は煙や熱い空気が発生する火事においてとても相性が悪いと考えられるのは新鮮でした。 またホテルの避難経路の確認など、今までしたことがなかったので、自分の防災意識について改めて考えさせられました。 大規模火災が起きたときに起こるかもしれない火災旋風が怖いと感じました。たとえ避難できたとしても火災旋風に見舞われれば無事とは言えないし息を吸うだけで喉を火傷するというのはまさに地獄そのものだと思いました。また、津波が高くなる仕組みについての話も印象に残っています。今まで私はプレートの跳ね上がりで持ち上がった波の高さの分だけ津波として流れてきていると思っていました。しかし、水深が浅くなるにつれて遅くなるから後続と合成されて高くなるという話を聞いて、何十メートルもの巨大津波になる理由が納得できました。 また、京アニ事件の話でデザインとしての螺旋階段が結果的に火災被害を寄り大きくする構造になってしまっていたというのが恐ろしいと思いました。建物が密集していると火災対策としての出口の複数設置などはむずかしいのかと考えました。 火の用心を夜にしている意味があまりわかっていませんでしたが、放火の発生時刻を知って放火対策としても有効だということを学べました。 「30年以内に70%の確率で大地震来ます。津波は自身の五分後に来るし太平洋側の被害は莫大でたくさんの人が犠牲になるよ!けどいつ来るか分からないからね?!」と言われて絶望するのも訳ないけれど、少しでも被害が少なくなるよう耐震性のある建物を作ったりと備えていくのはすごく大切だし、備えていくのに色んな規模があるなと感じた。 地震や火災が起きた時、災害そのものも大きな脅威だが、災害が残す爪痕もとても大きいのだと感じた。トイレを共同で使うと感染症が蔓延したり、水道が機能しなくなって使えなくなったりするなど、災害が去った後も満足に暮らせないところが恐怖だと思った。 今回の講義で、南海トラフ大地震について学びました。私は地元が愛媛県のため、南海トラフに対する警戒心は昔からずっとあります。死者、行方不明者は32万人(東日本大震災のおよそ17倍)と予想されていることからも、かつてない大地震が起こることが分かりました。ここ数ヶ月で四国地方、九州地方で頻繁に地震が起こっています。南海トラフ大地震との関連性は薄いことから調査は行わない、調査しても分かることは少ないなどというニュースを見て、まだまだ地震を予測することは難しいということを最近改めて感じていました。今回の講義の中で東日本大震災の時も早めに避難したことで命を救われた人がたくさんいることを学びました。そのため、早め早めに行動を意識して行動していこうと思います。 また、火災についてのお話では、原因の一位が放火であることには驚きました。京都アニメーション放火事件では建物の入り口が一箇所に固まっていたことも問題があったということを知り、ただ単に放火があったということではなく事前に防げるところにも原因があるという新たな気付きになりました。色々な視点で防災について考えることでより深い学びになると思いました。 今回の講義では、京アニの放火事件が印象に残りました。報道された直後も憤りを感じましたが、改めて、なぜ放火という残虐な行為ができたのか理解に苦しみました。今回、放火を防止するためには地域の協力が必要なことを学べました。地域の集まりは面倒だと思っていましたが、積極的に参加できるようにしたいです。 今は新潟に住んでいて南海トラフの危険はほぼないと思いますが、もし将来南海トラフの危険性のある地域に住んだときに僕ならまず地震が起きたらすぐに高台に避難し、余裕があったら周りの人を助かるように誘導や声がけをしようと思いました。 自身の規模をマグニチュードで表し、M6からM7は約32倍、M7からM8は約1000倍と、どんどん数字一つで規模が大きくなることが怖く感じました。小数点を使った細かい数字でマグニチュードを表す理由はこれにあるのだなと思いました。 授業中のアンケートでもありましたが、火災は私はあまり身近に考えていないなと感じました。ホテル先でドアの避難通路の図を見るのですが、毎回は確認していないので、必ず確認するようにし、家族や友人にも呼びかけることができたらいいなと思います。 火災の原因でいちばん多いのは放火だということを知ってとても驚いた。授業では2016年の情報とのことだったので2023年(令和5年1月から9月)の状況を総務省消防庁のホームページを見てみたところ、やはり去年も放火と放火の疑いが原因1位だった。たばこやこんろなど不注意の火災がほとんどだろうと思っていた自分にとってはかなりショックだった。こうした予期せぬ事態が自分にも起きるかもしれないということを忘れずに生活したい。 今回の授業では防災の観点から火災と震災の2つを事例を見ながら学んだ。震災で特に印象的だったのは南海トラフ地震をcgでシュミレーションしたものだ。映像で見ても到達が早いと感じた津波と、強い揺れだったが、実際はもっと激しい災害に感じると知り、想像以上の対策を取っていくことが大切だと思った。また、火災では京都アニメーションの事例で、螺旋階段が煙突の役割をしてしまったことを知り、木造じゃなくても火の到達が早くなるケースがあると分かった。私は設計を考える上で、螺旋階段をよく使うことがあるのでそういったことを注意しながら設計していきたいとおもった。 火災の原因はコンロが圧倒的に多いと思っていましたが、思ったよりも順位が低く驚きました。タバコによる火災はコンロや、ストーブと違い火が完全に消えたかが目視で分かりにくいことが原因なのかと思いました。 京アニの放火事件では螺旋階段が煙突のようになり火が燃え広がってしまったということから、火災の大きさは建物の構造にも大きく影響されるのだということが印象に残りました。 今回の講義を聞いて、父が阪神・淡路大震災を経験した時のことを話してくれたことを思い出しました。父が1番怖かったと言っていたのは、地震の後に起きた火災だったそうです。講義中の火災の件でも先生が言っていましたが、火が回るスピードが早すぎて一瞬で周辺が火の海になったと言っていました。幸いなことに父はその火に巻き込まれずに済んだと言っていましたが、父が言うには地震で起きた災害より火災で起きた災害の復興状況の方が不安だったそうです。以上は父の個人的な意見にはなってしまいますが、このように感じる人もいるのだなとも感じました。 南海トラフ大震災の動画を見て、一次災害に関しては被害の規模に関して何となく理解できましたが、二次災害に関しては想像しにくい部分がありました。しかし、インフラ崩壊の中で、電話回線のストップという内容が含まれて、最近スマホが壊れたときのことを思い出しました。公衆電話もつながらない中、連絡が全くできない状態が一週間続いた時のような状態が二次災害による被害の中にこの状況も含まれているので、かなり不安に感じました。 もしもの時を想定して動くことはそう簡単なことではありませんが、まずは調べることから初めて見ようと思わされる時間になりました。 今回の授業で特に印象に残っていることは南海トラフ地震が起こった際に想定される被害区域と津波による被害が想定される地域、またその津波の到達までの時間についてです。私がこの被害区域を見た時に考えたことは地元は直接の被害を受けないなと考えてしまいました。しかし、その後日本の主要な地域や本州と九州をつなぐ関門海峡近くの県でも被害を受ける予測が立てられているのを見て、地元に直接の被害はなくとも他の地域が被害を受けることによって必ず地元で栽培されていない食物などが流通されなくなるなどの影響が出るだろうと予測できたのではじめに私から出てきた考えはとても恐ろしい考えだなと思いました。 火災の原因の一位が放火で意外だった。身近な人に起きた火事の原因はコンロだったりタバコだったりしたので放火が身近な存在と思っていたかったのでとても印象に残った。今回提示されたデータは特殊な例だったのかもしれないけれど、放火が多いということは事実なのでもっと意識していかなければいけいないと感じた。建築の課題の設計の際に避難経路なども考慮するけれど放火という点に注意して考えたことはなかったのでこれからはそういった点にも気を配っていけたらいいなと思った。放火に限らず火事に遭う可能性があること忘れないようにしようと思った。一人暮らしを始める時に買った料理をしてる時に火事になった時に投げる薬品?の使用期限が切れていたと思うので確認しようと思う。 私自身津波が来ても泳げるんじゃないか、柱などにつかまれば生き延びられるのではないかと安易な考えを持っていたのですが、今回のビデオの中にVRのように津波が押し寄せてくる様子を遠くからではなく実際に巻き込まれる人目線の動画があり、とても恐怖を覚えました。今までの自分の考えがいかに浅はか実感し、津波の恐ろしさをよりリアルに体感することができました。災害を自分ごととしてとらえるためにも、そのような体験型のものは有効だと感じ、多くの人々が持っている自分は災害が起きても生き残れるという根拠のない自信を疑ってもらうことができると思いました。また火災について、元旦にバイト先で地震が起きた時、店長がキッチンのガスを止めに行ったのが印象に残っていました。もし店長がおらず自分だけだったら、逃げることで頭がいっぱいになってガスを止めることに気づけなかったのでとてもいい気づきでした。突然災害が起きた時にそのような行動がとれるようにするには、自分の各拠点でシュミレーションしておくことがとても重要だと思います。このようにこの授業をきっかけに日常生活の中での防災を考えていきたいです。 今までとは違い火災の話で、知らない話が沢山ありました。特に、火災の原因のランキングにとても驚かされました。まさか放火や放火の疑いがここまで多いとは思わず、火災は自分の手で避けようと思っても避けられない自然災害のようだな感じました。京都アニメーションの火災事件の話は当時見て悲惨な事件だと思っていましたが、その詳細やどのように火が付けられたのかは知らなかったので、とても痛ましい気持ちになりました。火災は、災害の中でも特に一分一秒を争い判断して行動しなければならないと思うので、すこしでも良い方向に判断できるように日頃から火災の知識をつけていくべきだと感じました。 今回は寝坊したので友人に聞いたことをもとにレポートを書いています。 今回は津波と火事について学びました。 最も印象に残ったのは放火の話です。記憶に新しいといえどもう5年前の事件となってしまって驚きました。放火と建物の不備が重なってしまったのは不幸としか言いようがなく胸が苦しくなりました。 今回の講義で特に印象的だったのは、津波についてだ。 中でも、津波の速さが新幹線ほどいうことに衝撃を受けた。 よく、自分は泳げるから津波が来ても大丈夫などという人がいるが、それほど速く、しかも様々な物を巻き込んでいる波を泳ぐのは、清潔で穏やかなプールの中を泳ぐのとはわけが違い、到底無理だと思った。 また、高校の頃遠足で被災地に行き、津波がどの高さまできたかの目印が建物に刻まれているのを見たことがある。私の身長よりもはるかに高く、衝撃を受けたのを覚えている。 これらの経験も踏まえ、速く高い津波という恐ろしさを再認識し、これからも防災について積極に学んでいかなければならないと思った。 2016年の火災の発生原因第1位が放火であることにとても驚きました。学びの軸をつくるためのアンケートの時点で私はコンロ、電気機器、配線器具の3つを選んでいたので、こんなに多くの割合で人為的なことが原因で火災が起こっている事実に少し恐怖を感じました。このことから、もちろん自分で火災を起こさないよう注意を払うことは必須ですが、いざという時のために、発火したらどのようにすべきかを日頃から訓練をして手遅れにならないようにしておくことが大事なのだと思いました。 南海トラフについての話を聞いて、こんなにも規模の大きな地震がこの日本に待ち構えていることに恐怖を覚えました。32万2000人死者が出ると予想されていて、こんなにも多くの人が犠牲になるとするならば私の知り合いも危機にさらわれてしまうと感じ、どうにか対策ができないかと悩みました。ですが今回の大地震は東日本大震災よりも津波の到達点が早かったりと逃げるのも困難な状況だと予想されているので、保存食の準備や高台への近道の把握など、津波が来た後の対策しか私自身考えられませんでした。南海トラフというかならず来てしまうことから逃げることはできませんが、いつ来ても命を守れるように準備と心構えをするべきだと思いました。そして地震、津波と同じくらい恐ろしい火災もいつ起きてしまうかわからないのも事実で、自分たちの不注意によって大規模な火災につながってしまうことも十分にあるので、ガスの元栓は使い終わったら常に閉めるなど自分にできる取り組みはしようと思いました。そして火災は唯一、一人一人が火災の原因を作らないよう意識して生活していれば起きないと思うことなので、全員が自分の行動に責任を持って生活することが大切だと感じました。 京都アニメーション放火殺人事件について、急激に炎が燃え広がった理由や、多くの人々が亡くなってしまった原因が、建物の構造であったことを今回の講義で学ぶことができました。螺旋階段が炎を運ぶ煙突の役割をしていたり、建物から外に出られる場所が一箇所に固まっていたりと、スタジオを設計する段階で火災が起きた場合のリスクがきちんと考慮されていたのかどうかが気になりました。 今回学んだのは火災についてでした。母はいつも消防車などの音を聞くと、消防の出動の記録を調べるようにしていました。私もその影響を受けて多少は調べますが、母ほど関心が高くないので火災にもアンテナをしっかり張りたいなと思いました。京アニの放火事件は本当に最悪の事態だと思います。ああいった事件の場合逃げることは出来ないかもしれませんが、普段から消化器などに慣れて知識をつけることが有事に助けになるかもしれないと思いました。 確実に数年内に南海トラフ地震が来るのは覚悟していますが、やはりシュミレーションを見ると怖くて危機感を持たないといけないなと感じました。私の実家が宮崎県にあるため、被害を受ける可能性が非常に高いです。親が被災してしめうのではないかとすごく心配で、もし南海トラフが来るとしたら実家に帰って一緒にいる時がいいなと思っています。 授業中に視聴した、津波の映像がとても印象に残った。たった数分で最大20メートル程度の津波が襲ってくると考えると、1分、1秒でも早い判断が必要とされているのではないかと考えた。日頃から避難訓練等に積極的に参加したい。 自分も家の庭が火事になったことがあって、なかなか怖い思いをしたので、今回の講義はしっかり学ぶことが出来ました。火事が起きた時にどう対処するのかを強く意識していたので、不審な人を放ったらかしにしないなど、火事を未然に防ぐこともこれから意識していきたいです。 京都アニメーション放火事件は、私がちょうど中学3年生ごろにあり、そのころ京アニ作品を見ていたためニュースでとても衝撃を受けたのを覚えています。写真にもあった螺旋階段とその周辺が元の姿を留めていなかったり、何十人もの方が亡くなり私もすごく悲しく少し落ち込んでいたなと今回思い出しました。 今回の講義では地震の動画を見る時間があったが、今年の1月1日のことを思い出した。実際に石川県にいて、大きな揺れを感じたし、周りの家の人は全員家から出て今にも避難しそうな勢いだったなとまだそんなに経ってないのに懐かしく思った。その場にいたのに動画とかテレビとかで映像を見ている感覚で自分のことが自分のことと思えなかった。 空間安全論を回数にわたって学んでいく中で、火災による事故はすごく身近なものであるということを感じることができました。今まで学んできた自身や津波というのはいつ起きるかわからない自然災害で、もし起きた時に対処できるようにでしたが、火災というのは普段から自分自身で気をつけて入れば予防できるので日常生活から気をつけたいと感じた。 当時、京アニの放火事件のことはあまり調べていなかったので、何故こんなにも被害が大きくなったのか知らなかった。出入口が限定されていたことや螺旋階段が煙突の役割を果たしたことによる被害の広がる速さが関係していたことを知って、建築をする時火災などが起こる可能性について考えることの大切さがわかった。3階から屋上に上がる階段で亡くなった19人の方々を想像するとその状況が本当に恐ろしく感じられた。 火災への関心が低いことに気づかされました。消防車を見ることはたまにあるので、ニュースにならないけれど火事になっている家や施設があるのだと思いました。 また、福本先生が震災が起きてすぐにボランティアへ行き、被災者の方々と同じように生活を共にするということは誰にでもできることではないことだと思います。 私は輪島の地震のときに流れてくる映像をただ見ていることしかできず、自分がボランティアへ行こうと実際に行動することができませんでした。 夏休みの時間があるときにボランティアへ行きたいと思います。自分で行動を起こすのが苦手ですが、自己改革を進めていきたいと思っているのでその一歩になるのではと思いました。 今回南海トラフの予想を見て、まだ正直こんな大規模な地震が来ることは実感できませんでした。 友達との話題でも南海トラフについて話すことがたまにありますが、よく地元の家族が心配という話になります。 私は地元が九州で、実家から川や海までが歩いて20分ほどの場所です。 実際に南海トラフが来て、遠い場所に住む私に出来ることは少ないかもしれませんが、自助公助共助を家族にもしっかり伝えなければなと思いました。 京都アニメーションの放火事件が印象的でした。あのニュースを見た時、私はまだ幼く、アニメが大好きで将来は、そういった仕事につきたいと思ってもいました。しかし、あの事件で多くの人の命が犠牲になったと知り、夢を叶えるのが怖くなったのを覚えています。 火災は、地震や津波などと違って一人の人の手で簡単に起こってしまうことが本当に恐ろしいと思いました。 今回の空間安全論で学んだことは、意外と身近にも災害の種となる元はたくさんあるということです。火災の1番の原因は、放火とありましたが、次に多かったのは、たばこでした。たばこは自分の周りで吸ってる人が何人かいるので、日頃から気を配りながら生活したいと考えます。 関東大震災による火災の延焼のシュミレーションが、現代の科学技術をもってしても一部解明できない部分があるということに驚いた。多方向からの延焼の拡大の映像を授業で見た時に既視感があり、自分なりに過去の大規模火災記録について調べたところ、2016年の「糸魚川市大規模火災」のニュースで見た光景によく似ていた。関東大震災と違い多方向から火の手が上がったわけではないが、強風によって周囲のむき出しの木造建築へ飛び火した点は類似している。その後の糸魚川市の復興などを調べた結果、火災のリスクと、日本古来の木造による重要文化財及び伝統的な建築の保存のバランスは、身近な地域でも多様な形で模索されていることが分かった。自分の住んでいる街が災害に遭った時、想定されていない被害が出る可能性は十分にありえるのだと考えさせられた。 火災について、京都アニメーションの事件については建物の在り方がもはや問題であったことが被害を拡大していたのではないかと思いました。機能しない防火扉があるということや、スプリンクラーが設置されていないということ、玄関が一方向にしかないことがありました。これらのことがある時点で危険であることを認知しておくべきだったのだと、事件が起こってからわかることが一番悔しいことだと思います。普段から自分が利用する建物の安全性に関心を持って知ろうとすること、そして問題があれば改善しようとすることが大切であると学びました。 火災のアンケートで火事を近くで見ることはないけれど、消防車のサイレンや姿はよく見るので不思議だなと思いながら答えてました。京都アニメーションの火事では入り口付近で爆破を伴う火事が発生して玄関が1方向にしか無く、設計の危うさを感じました。 東日本大地震を超える大きな被害が予想される南海トラフ地震ですが、今からできる対策など調べていたところ、愛知県での防災イベントで体験型防災ゲーム「生存確率」というものが行われたとありました。このゲームは、リアルな状況設定の中で、親子がクイズで学ぶもので、実際に阪神・淡路大震災に被災した経験のある方が作ったゲームだそうです。このように、親子で同じ防災意識を持てるようなイベントに参加するのもいい取り組みだと思いました。 今回印象的だったのは南海トラフ巨大地震のシミュレーション映像です。私は地元が大阪なのですが、住んでいた18年間では街が姿を変えるほどの大きな地震はなかったため地震の少ない地域だと少し油断していた部分がありました。しかし、映像の中で大阪にも津波が到達しているのを見て、再度南海トラフへの恐怖心が強まりました。人や物が密集していて道路等も狭い地域なので、土地の特性を踏まえた対策の必要性を感じました。 今回、年間で起こっている火事の数を見た時に、火事がほぼ毎日のようにどこかしらで起きてることを知って驚きであった。普段見ていたニュースはほんとに一部のものでしかないことや、また、見ているニュースへの偏りも実感し、火事の原因や、ぼや騒ぎの原因などもアンケートを答えてるうちによく知らないなとも実感した。 中学2年くらいの時、実家の近くの廃工場で放火があり全焼したことがあった。もう使われていなかったが、周りには山が拡がっているのもありまた小さいが地元の子供が遊ぶ公園があり子供ながらに怖いと思いよく記憶に残っている。 橋から煙が見え、ずっとカンカンカンカンと消防車の音が聞こえており朝に通ると真っ黒になったものがあった。取り壊す費用が勿体なくて所有者がつけたのか、廃墟で誰か遊んでつけたのか分からないが危険すぎると感じた。 冬近くに聞こえる火の用心の車の音、幼い時はうるさいと感じていたが今思うと必要と感じる。 地元が岐阜県なので津波を意識して防災訓練をした事が1度もないのがものすごく不安だなと授業を受けて感じました。南海トラフが来ると言われ続けているのに、他人事のように感じていて何も対策できていないことを実感しました。より危機感をもっていつ地震が来ても冷静に対応できるようシュミレーションしておきたいなと思います。 私は今回の講義を経て、火災の原因の半分近くが放火である事実が印象に残っています。 京アニ放火事件のような悲惨な事件が起こらないようにするためには建物の構造を把握し、火災発生場所ごとに避難経路を想定し備えておくことが重要だと分かりました。 また、建物を建設する側の人も火災が起こることを想定して危険な構造を避けたり、事前に不審人物の実行を阻止するための社会体制を整えることも必要だと思いました。
授業で使用する資料
学んだことの記録
ミサイル警報が鳴った時にとても不安になった記憶がある。避難方法について詳しく知らなかったからも不安の理由だったなと思った。改めて考えると頑丈な建物という表記が曖昧だなと思うし過去の例から避難するべき建物や考えることが明確になって良かった。また、身近に山があることは知っていても活火山であることは知らなかったので噴火の危険があることは意識し、ハザードマップをみることや避難の確認をすることが必要だなと思った。 今回の講義では噴火での噴石では2-3kgの石が速度250kmで降ってくるという事実を初めて知った。私は石川県出身で白山市に活火山があるため、それが噴火したらと思うと白山の街がぼこぼこになるのかなと少し心配になった。 石の降ってくる速度について新幹線の速さもあることに驚きました。建物の中に隠れられたとしても、建物すら突き破ってきそうな速度で、学校などで避難訓練もする分野では無いので、知識がないと間違った行動をとってしまいそうで怖いなと思いました。また溶岩の流れてくるスピードは高校の地学の授業で習っていて、高校時代は試験のために覚える意識でしたが、今回の講義を通して、自分の身を守る知識に変わりました。 今まで、火山の噴火による被害というのは一部の地域に限られたことだと思い込んでいたが、調べてみると自分の住んでいる近くにも活火山が多くあり、いつでも噴火による被害が生まれる可能性があることが分かった。他人事と思わずに、いざというときの避難経路などを家族とも話し合いたいと思った。 古くなった延長コードやヘアアイロンなども発火する場合があるので注意したいと思いました。親が使うタブレットの充電コードが通常白いのに対して、ピンク色に変色し始めたので今回の講義を受け買い替え時と思いました。 火山灰は、人体への影響だけではなく農作物や家屋の損傷の影響したり火山灰を集め用水路に流したりすると固まり洪水の発生原因になる。 すぐに遠くへ逃げれば助かると思っていましたが、そもそも外にいた方が遠くでも危険だということがわかりゾッとしました。この授業をとっていなければ一生知らなかったかもしれないので、無知はいけないなと思いました。 新潟市出身なのですが、小学生の時に朝ミサイルの警報で起こされ、今死ぬのかもしれないとすごく怖かったのを思い出しました。確かに頑丈な建物に避難といっても分からないし、今回の授業が無ければ今警報が来ても自分は何も出来なかっただろうと感じました。 火砕流が100℃で、万が一起きた時に果たして避難小屋は効果があるのかと気になった。高校の時にも火砕流が目の前で起きたらまず助かる確率は少ないと言われた。去年の夏のことだが、軍馬から長野へ帰る時に白根山を通って帰ってのだが火山というだけでも怖かったのに、山からガスが出ていて火山の恐ろしさを身をもって知った。 ミサイルの話になるが、中学生の時友達と登校していたらJアラートが鳴って爆速で家に帰った思い出がある。友達といたからまだ良かったものの、1人だったらだいぶオロオロにていたんだろうなと当時思った。しかもいろんなものを積んでいる可能性があることを考えたらそういう行動が手遅れに繋がるのだろうなと感じた。 どんな被害が出るのか把握しておくことは、避難する経路や場所の判断をより早くするために確かに重要だと感じた。そして避難する人たちのそれぞれの体力も避難時間と距離に関係してくるとわかった。 また出身地の中野市に一番近い活火山は草津白根山だった。もしも噴火がその山で起きた場合の被害マップを確認しておこうと思う。 今回、火山の話を聞いて小学校の頃、授業で活火山について調べたことを思い出しました。当時、とても身近にあった山が噴火する山だと知ってとても驚き、普段は晴れていると真っ白な雪をに身纏った姿が、とても美しくてきれいだなと思って見ていたので、その山に対して怖さを感じました。また子供の頃に家族で、「津波が来たら家までとどく?」と話をしていた時、「津波はこんかもしれんけど噴火はあるかもね」と言われて、頻繁には起きない災害だけど気をつけないといけないなと思いました。 思ったより近くに活火山があったことに驚きました。映像では見たことがあるけれど、実際の噴火は見たことがないので、なるべく出会いたくない反面、噴火の恐ろしさや規模感などを肌で感じてみたいです。普段の生活では地震や津波よりも意識されにくい災害なので、今回の授業で意識を持つことが出来ました。 今回は世の中の活火山が噴火した場合の被害や弾道ミサイルの恐ろしさについて学びました。火山について知識があまりなかったので火山ガスや空振など様々な被害があることを知りました。また、弾道ミサイルは自然災害と違って命を落とす可能性が非常に高く、其国の状況をみても身の危険を感じました。 私の出身の兵庫県周辺には活火山が少ないことに驚いた。馴染みのない災害だからこそ日々の備えが重要だと知った。火山灰は水をかけると固まると知らなかったので、想定していたよりも処理が面倒だと思った。岩が飛んでくるスピードが早すぎて怖くなった。関西にいた時はミサイルが新潟や東日本の近くに落ちていてニュースの中での話としか感じていなかったが、長岡に住むことでより自分事になった気がした。 今回の授業では、火山やミサイルといった普段意識しない災害が他人事ではないことを改めて実感しました。高校生の時に通学の電車内でミサイルの警報が鳴って驚いた経験があります。その時は驚きはしたものの、被害はないだろうと特に行動を起こそうと思いませんでした。しかし、今回の授業でいつどのように避難すべきかはしっかり把握しようと思いました。また、活火山も思ったより身近に存在することがわかり、自分の命を守る知識は怠ってはいけないと感じました。 新潟の活火山を調べた際、妙高山が活火山であるということを初めて知って驚きました。妙高山の名前は知っていましたが、活火山のことを身近なものだと思っていなかったため、名前を知っている山が活火山であること自体が驚きでした。 私は三条市在住なので三条市の火山を調べたところ、活火山リストには載っていなかったものの、「守門岳」が約240万年前?170万年前に活動していた成層火山であることが分かりました。 地元が北海道なのですが行ったことのある山やよく見ていた山(羊蹄山、駒ヶ岳)が活火山だと知りました。新幹線くらいの速さで火山灰が飛んでくると思うと、噴出物の重さやサイズによってもそのスピードには差があると思うので必ずしも実家が安全圏ではないと知りました。噴火に対する危機感を覚えたことがありませんでしたが想像すると意外と怖いです。 活火山リストを見ると、新潟県にも関係する活火山があったので、意外と身近に災害の元があり怖いなと思いました。また、噴火の種類によって身の守り方は違うと思ったので、噴火した時に、落ち着いて瞬時に判断する力が必要だと考えました。 また、ミサイルから身を守る時は遠くの屋外よりも近くの屋内の方が良いと学び、自分がすぐに行ける頑丈な建物を見つけておこうと思いました。 今回ミサイルの被害について初めて知りました。今までは地震などの備えや被害についてしか考えたことがなかったのですが、ミサイルがこんなにも大きな被害を与えるとは知りませんでした。落ち着いて対処できるように今知ることができてよかったです。ミサイルについて知識がなかったら、もしそのようなことが起こってしまったときにどう行動するべきか対処出来ていなかったと思います。できるだけ頑丈な建物に逃げることをしっかり覚えておきます。 火山もミサイルも地震や津波に比べて遠いように感じていたので、火山に種類があることもミサイルの速度や被害も全く知らなくていかに自分が他人事だと思っていたかを実感しました。私の住む県には4つも火山があったのに、1つしか知らなかったので驚きました。授業を通して知らないことの恐ろしさを認識すると同時に危機感を持つことができました。 今日の授業を受けて私は火山噴火についてあまり身近ではなく、よくわからないとおもっていたのでが活火山の分布をみたとき私の出身である四国には火山がないことがわかって納得しました。そんな場所で生きてきた私はもし火山が噴火したらどうすればいいのか、何をしてはいけないのかがわからないので、とにかくすぐに逃げなければならないということ、身を隠すことが大事だということを肝に銘じておきたいと思います。 北朝鮮からのミサイルが日本付近には時々打たれますが、小学校の頃初めてミサイルが打たれたというニュースをみたときはミサイルが過ぎるまで怯えたり、なんでこんなことをするんだろう、いつ日本はなくなるのだろうと不安に思っていました。しかし最近ではミサイルが打たれたことを大分後からしったり、あーまたかと思うようになってしまっていて、ミサイルに慣れるという異常な感覚をもってしまっていると思いました。また、ミサイルがほんとに日本には着陸してしまったら、正直できることがないと思ってしまっているところもあります。シェルターがあるわけでもないし気づいた頃にはもう自分は消えているのではないかという諦めの気持ちがあります。なので最低限できることとして普段からすぐ外にでられる格好にしておくことや、すぐに隠れられる場所の目星をつけておくなど対策をしたいと思います ミサイルで思い出しましたが、確か2022年に北朝鮮のミサイル発射の影響でその日の午前中運行していた電車が一気に運転見合わせというかなり大規模な交通の被害に遭遇したことがあります。その時は「隠れるも何もないが?」とぼうっと考えるだけにとどまっていたのですが、そんな状況下でも距離や万が一の被害の予測を即座に調べる癖はつけておいた方が、他の災害時にも反射的に動けるようになるな、と今回感じました。 今回活火山のことについて再度学ぶことができたいい機会でした。自分の出身は長崎で、雲仙普賢岳のカメラマンの事故はよく耳にし、その映像も何度か見ました。その映像はあまりにも悲惨なもので、噴火はかなり危険であることを知りました。しかし、自分は桜島の噴火を見たことがあり、避難するというよりはぼーっと眺めて珍しいものを見れたと感動していました。実際に噴火を体験してみて、結果小規模の噴火で目立つ人的被害はありませんでしたが、すぐに避難することが大事であることを学びました。 登山はしたことがありますが、火山は登山したことがないので、噴火警報や噴火速報、火口周辺警報があることを全く知りませんでした。でも、御嶽山の噴火を小学生の頃にニュースで見て、とても恐ろしいなと感じました。神戸市が身近な市町村なのですが、六甲山景という山々が兵庫県にはあります。これは火山リストには載っていませんでしたが、今後どこの山で登山するか分からないので、火山リストは頭に入れておきたいと感じました。またミサイルに関しても、情報を正確に捉えて備えたいです。 私の故郷である埼玉県には活火山はありませんでした。海も火山もないので結構安全な場所なのかもしれません。火山に関して、あまり私は山へハイキングや山登りには行かないのですが、大学の講義の一環で山へ入ったり調査の過程で山の近くへ行ったときにもし噴火が起こったらどうするべきか、時々考えます。見知らぬ土地でどう行動するのか、あらかじめ調べておくかおかないかで大きく変わるなと思いました。 自分の実家の近くには大きな山がなくこれといって噴火の話をきいたことがなかったため、もし噴火しても隣の市だろうしちょっと灰が積もるくらいの被害しかないだろうと思っていたが、ちょっとしたドライブで行けてしまう距離にそこそこ大きな活火山がある知り本当に驚いた。また、噴火した際に我々の生活に及ぼす影響の大きさも初めて知るものもあったし、ニュースや理科の授業で聞いたことがある言葉でもその実態を知らなかったりするものもあった。例えば灰は濡らすとすぐ固まって重い岩になってしまうことを知らなかった。 火山の怖さというものが改めて実感できました。普段から山に登ることは少ないのですがもし今後登ることがあればその山が活火山なのか注目してみようと思いました。ミサイルが飛んできたときJアラートが一斉に鳴っても慌てることなく地下やコンクリートの建物に逃げようと思いました。 今回は火山と弾道ミサイルについての講義でした。活火山は雲仙普賢岳を近くで見たことがあります。大きな山から火山灰や石が降ってくると思うと身を守るのは今思っている以上に困難であることを知りました。新幹線のスピードで飛んでくる、ヘルメットは意味が無いと聞き、噴火はいち早く情報を取り込み逃げることが大切であることを改めて感じました。また弾道ミサイルについてはニュースで聞く程度のことだと思っていたのですがいざというときの安全な場所の理解や安全地帯までどれだけの時間で行くことが出来るかなど普段から考えて置く必要があると思いました。 今回の授業で一番衝撃だったのは山体崩壊です。山のような大きな自然の塊がまるで人工的に削られたような形をしているところが歪で恐ろしいと思いました。また、今回の授業では噴火とミサイルについて同時進行で学びましたが、噴火の例よりミサイルの例の方が最新の情報で身近に感じられたところが怖いです。 今回の講義で特に印象的だったのは弾道ミサイルについてだ。 漠然と多くの被害が出るもの、近年は北朝鮮から放たれるものというイメージはあったが、ミサイルの中にも種類があるとは知らなかった。また、死者が想定では東日本大震災の35倍にも及ぶと知り、より恐怖心が増した。 ミサイルが再び放たれるようになった数年前、地下のある頑丈な建物に避難しなさいと言われ、困惑したのを覚えている。今の私の生活圏の中に避難できる建物はどのくらいあるのか調べておこうと思った。 ミサイルが投下された時は咄嗟な判断が必要なはずなのに、今まで具体的にどうすればいいのかわかっていなかったので、今回判断材料を知れてよかったです。避難にかかる時間を考えたり、距離と建物の種類どちらの優先度が高いかなど、今まで意識していなかったことまで考えられるようになりました。 防災については非常食を置いていたり避難場所を話し合ったり「対策はまあまあやっている方かな」と思っていましたが、なぜか時間は気にしていませんでした。歩くスピードをはかったことが無かったので、家族に教えたいと思います。地元にも活火山がなく、火山灰を身近に体験したことがないので水で固まって岩になるとは知りませんでした。洗面所で火山灰で汚れた手を洗うと排水管は詰まるんですかね。ちょっと不便ですね。 火山は鹿児島のイメージがあったが、調べると地元の隣の山口県にも活火山があることを知って驚いた。祖母が山口県に住んでいるのでもしもの時の安否が心配になると考えた。また、火山は活火山かどうか事前に調べて予防、対策をすることはできても、弾道ミサイルは速度が早すぎて対処のしようがないと感じた。 広島の原爆ドームが原型を保っているのは原爆投下地点のほぼ真下にあるからというのを中学生の時に学んだ。爆心地の周辺だと凄まじい爆風で飛ばされて建物が崩れてしまった。しかひ原爆ドームは爆風と熱線を浴びて大破し、天井から火を吹いて全焼したが爆風が上方からほとんど垂直に働いたため、楕円形のドームを覆う銅版が熔け、爆風が抜けたことにより、建物の壁の一部は奇跡的に倒壊を免れた、ということである。なので真下の方がもしかしたら被害が少ないのかもしれないと感じた。 自分の叔父の家が活火山と近い距離にあります。叔父は農業を営んでいて私の家では叔父の農作物(お米や野菜など)に頼りながら生活しています。ですが近くの活火山はよく火山灰を降らせるので作物に影響を与える時もあるので困ることもあります。私の家だけでなくこういった火山灰で地域住民の暮らしに影響を与えてくるので恐ろしいです。。。 弾道ミサイルは日本に落ちた前例がないので、頑丈な建物に避難する、というざっくりした対策説明であまり危機感を持てていませんでした。ですが、授業中に仰られていた家から学校までの間の建物の確認やどれくらいのスピードで走れるかなど細かい対策を講じられたことで、自分がどう動くべきかはっきりわかるようになりました。 山に登っている時に火口から煙が上がっていたら自分は写真なり動画を撮ってしまうタイプだと思うので、今回の授業を撮ったことで自分の生存率が僅かに上がったので嬉しい。年齢を重ねてもまだ高校生の頃のように走れると思ってしまいそうなところを我慢して、冷静に避難経路を確認して逃げることを意識する。 高校生の時一人で登校していたらJアラートが鳴ったことがありました。Jアラートだ、ミサイルが来る、とわかりはしたのですが、屋内に入るなど具体的な行動には移せませんでした。大丈夫だろという気持ちもありましたが、咄嗟にどんな行動を取ったらいいかということが、地震や津波より頭に入っていなかったと思います。どんな行動を取ればいいかはどんな被害があるかを知ることでわかるとので、知識や経験があるだけ生き残る可能性はあるかなと思いました。でも多分真上からミサイルが落ちてきたら、運よくシェルターに入っていたとかでない限り何もできずに死んでしまうと思うので、改めてものすごい脅威だなと感じました。高校生の時、真上からミサイルが落ちて来なかったのはものすごいラッキーだったかもしれません。 四国は活火山がないことに驚きました。また中国地方も活火山は少なく、二つのみでした。鹿児島県は11も活火山があるので、活火山ができやすい土地、できにくい土地に偏りがあることがわかりました。東京都の活火山は島が多かったので、噴火してできた島たちなのかなと思いました。 私が高校生の頃、登校中に何度か弾道ミサイルのアラートが鳴ったことがある。私の地元は田舎なのですぐに駆け込める頑丈な建物などはなく、非常に焦った記憶がある。そういった場合にも、硬直せずにすぐ行動できるように、少しでも生き残る知識をつけていきたい。 石垣市、というか沖縄県には「〇〇山」と名前がつけられている山が無く、ほぼ平地のため沖縄県には噴火の脅威は無いと思い切っていました。しかし今回の活火山リストの中に海底火山が一つだけ、石垣島と西表島の間にあり、ただただ地震による津波の影響だけ気にしていた自分にとって寝耳に水で、自分の身に起こり得ないことなんてないなと実感しました。加えて、一番最初に「弾道ミサイルが」というニュースが流れてきた時がいつだったかは忘れてたけれどどんな感覚だったかは覚えていて、ただただずっと来ないことを祈って怖がっていたのですが、今はそのニュースを見ても「またか」と感じ、慣れてしまって何も脅威と感じていないようになってしまっていたので、自助の意識を深く刻もうと考えを改めました 活火山リストにかなり身近な山があり、よく考えれば温泉があるため火山だったのだと思い出した。しかしこのように全く火山だと認識できていなかったのは、過去の噴火の話を祖父母から聞いたくらいで防災意識が低かったからなのだと思った。また、ミサイルのアラートは高校の校舎にいた時に聴いたが、教師も含め「学校に居れば大丈夫だろう」と言っていたため、学校以外に居た時のことをもっと考えるべきだと思った。 私はもともと高校の頃に山岳部だったので火山には興味があり身近なものを探したことがあります。また御嶽山噴火もあり、実家からほど近い場所だったので噴煙も見ることができ興味を持つきっかけになりました。日本アルプスはほとんどがプレートの押し合いによって競寄ったことでできた岩山なのですが、八ヶ岳は溶岩でできた火山であり、実際登っているときはハラハラでした。火砕流、土石流の危険性についても以前から調べており、テクニックもひったくれもないものなのでせめて地図読みをしっかりとすることで安全な場所を把握するようにしていました。 火山もミサイルも地震や火災などに比べるとあまり身近な存在では無いために実際に起きたらどんな対応を取るべきなのか分からないなとこの授業で改めて感じました。特にJアラートがなったら大学に逃げようと思ってすぐに外に飛び出してしまうだろうなと思いました。今回の授業で無理に外に出なくても良いとわかったので、しっかりとその場に応じた対応ができるようになりたいと思います。 私がよく見ている鹿児島のインフルエンサーが、桜島が噴火したという情報を投稿しているのを見たことがあっただけで、自分の身近な出来事ではないと感じていました。 それに、もし噴火した時、どんな行動を取れば良いか全く分からなかったので、今回の講義の内容を忘れず、一瞬の判断を間違えないようにしたいと思いました。また、退避塚という言葉は初めて聞きました。噴火する可能性のある山にに登ることがあったら、退避塚を確認しながら登りたいです。 私は静岡県出身だが、活火山として富士山は知っていたものより身近にさらに複数の活火山があるとは知らなかった。しかも地震が起きやすい地域であるため、地震により大輝ぶな噴火が誘発されないかさらに心配になった。地震に比べ噴火は被害範囲が想定されないような場所にも広がるように気がする。そう考えると、頻度としては地震より起きにくのかも知れないが、噴火時に自分の身を守るんはどうしたら良いのか詳しく知っている必要があると感じた。しかしながら噴火に対しての訓練は地元では受けたことがないくらい浸透していない。その点は大きな欠点だと感じた。 北海道出身なのですが、活火山の数がとても多いことにまず驚いた。地震は本州に比べて起こりづらいので、身近に災害という災害を意識したことがあまりなかったが、今回噴火という危険性に初めて気づいた。また、放火は珍しいものだと考えていたが、かなり日本の中で起こっていると知り、とても驚いた。 地元が九州なので、火山の噴火の危険性についての話をニュース等で見たことが何度かあります。阿蘇カルデラが噴火すると九州は壊滅し、日本全国に被害が出て日本の機能がほぼ停止するそうです。ここまで大きな話になると防ぎようがありませんが、今回の授業で火山の噴火による具体的な被害を知ることが出来たことで、より危機意識が強まったと思います。 日本は地震だけでなく火山やミサイルの危険とも常に隣り合わせの状況であることを再認識し、怖くなりました。 実家が佐賀なので、長崎や熊本、鹿児島など近くに火山が多いです。しかしそう言っても被害に遭うほど近くないので、火山による被害がどのようなものなのかあまり意識できていませんでした。今日の授業で過去にあった事例などをみて具体的に想像できるようになったと思います。 自分の地元は乗鞍岳と御嶽山が近くにあり、山登りした経験は少ないがすごく身近な存在だ。御嶽山が噴火した当時は小学生だったが、よく耳にしていた山が噴火している映像をみて衝撃を受けたのを覚えている。いつ噴火してもおかしくない活火山が二つもあるのだから、もっと関心をよせて自分や大切な人の身を守らなければならないと感じた。 私の地元の活火山を調べたところ、奇跡的に発見されませんでしたが活断層はあるので防災意識や知識を引き続き授業で学んでいこうと思いました。また、今回の授業で心に残ったことはミサイル避難についてで「避難するか否か」の問題です。他災害にも言えて、ミサイルでは特に言えると思いますが避難場所に(今回では造形大などのコンクリート造)行くまでの危険性と災害発生時の滞在場所の危険性の見計らいがとても難しいということだと思います。住み慣れた場所というハンデがあったとしてもいつもと持っていくものが違ったり、動揺により判断が曖昧になる可能性があるためとても難しい問題だと思いました。また、長岡にミサイル警報などがあっても冬だった場合通常五分で行ける場所でも難しくなるためあらゆるケースを考える必要があると感じました。 今回、初めて自分の地元の近くにある活火山を調べました。私は長野県出身なので、火山はいくつかあるだろうという認識ではいましたが、御嶽山しか詳しくは知らなかったので、10個も長野県に関連する活火山があることを知り驚きました。御嶽山が噴火した時は、地元からは離れていたこともあり同じ県内で起こっていることにもかかわらずとても他人事で考えてしまっていました。しかし、地震と同じくいつどの山が噴火するかわからないので、帰省中に被害に遭う可能性だってあるので、もし近くの活火山が噴火した時にどのような行動を取ればいいか、家族で話し合うべきだと感じました。 水蒸気爆発の突発性の恐ろしさについてよく理解できたと思う。噴火にも警報はあるので警報がある時に気をつければいいと思っていたが、水蒸気爆発はある日突然起きることがあるので火山に近づく際は常にその可能性を考慮しなければならないと意識を見直すことができた。私は北海道出身で、大学進学前までは家族で火山付近の観光をすることがあったので、今後また出かける際はもし噴火や爆発が起きた時はどのようにして身を守るか家族で話しておこうと思う。 ミサイルについて、高校への進学中に大規模な警報が出たことがある。出身地である札幌では地下街や地下鉄がよく使われているため出かけている途中の避難も地下に向かえばいいと思っていたが、長岡は地下道が限られていてまだまだ頑丈な建物が何かもわからないのでこれからよく使う場所付近で確認しなければいけないと思った。 弾道ミサイルはつい最近も発射されたニュースを見た気がするが、まただよ、、慣れてしまってあまり危機感を感じなくなってしまっていた。火山やミサイルは滅多にないことだから、と他人事のように感じていて、今回の授業がなければ考えることはなかったかもしれないので、このような機会を持ててよかった。 最近、映画のゴジラ-1.0を見た。戦時中や戦後が舞台ということもあり、爆発や砲撃の描写がたくさんあって、恐怖を覚えた。進化した映像技術は、災害の危機管理のためにもっと活用できるのではないかと思った。 噴火やミサイルの被害に実際に遭ったことがなく、どう対処すべきなのかの知識もほぼなかったので、今回の授業で少しでも学べてよかったです。実際に起こってしまったらパニックになって冷静な行動ができないかも知れません。ですが、私の地元や知り合いの住んでいる地域に火山がありますし、ミサイルもいつ落下してきてもおかしくありません。なので、今からでも、警報音の聞き分けをしたり、シミュレーションしたり、訓練をしてみたりして、避難することに慣れていきたいなと思います。 活火山の被害聞くと噴火によって土砂に巻き込まれる被害だけだと考えていたが、火砕流や溶岩、火山ガス、噴石などの多様な被害が存在することを学んだ。活火山が他の被害と違う点は色々な行動を頭に入れなければいけない点だと思い、普段よりもたくさんのパターンを想定することが大切だと知った。ミサイルに関しては住んでいる地域は関係なく空からやってくる災害であるので、津波のように海側が危険であったり火山のように山際が危険などはなく誰しもが震源地になり得る事が恐ろしいと思った。今回学んだことは、ミサイルが極めて早い時間で着弾することで、コンクリートの方が木造よりも安全だと聞いた瞬間は造形大に逃げればいいと考えたが、避難時間もよく計算すると厳しい可能性が高く自宅での避難を想定することも必要だとわかった。 今日は火山の噴火とミサイルについて学びましたが、噴火にもマグマ噴火や水蒸気噴火などの種類があること、それによって発生する被害も様々あることがわかりました。今のところ活火山に近い地域に住んだことがないので、噴火を見た経験はないですが、飛んでくる火山灰の影響は大きいとわかりました。一方、ミサイルに関しては結構身近に感じています。通過するというJアラートがなる度に、怖くなりますし、自分の家族が被害に遭うことがとても怖いです。落ちてしまった時にはもう手遅れで、昔のように防空壕なんてものもないので防ぎようがないと思います。ただ、しっかりとした情報を得ることは大切だとそれは感じました。 噴火した時の噴石は新幹線くらいのスピードで降ってくることに衝撃を受けました。私の家族は自然が大好きなので、家族で山登りとか行く機会が割と沢山ありますが、いつ噴火が起こるか分からないので山に入る前に山小屋の位置など避難場所をしっかり把握してから登山を開始するようにしたいと思いました。また、私の実家は長野県なので、活火山の浅間山が近くにあり、何度か警戒レベルが上がったり下がったりしたことがあり、その都度不安に思ったことを思い出しました。もし噴火したら距離的に噴石は飛んでこない位置ですが、火山灰などは積もってしまうと思うので、そうなった時のための対策はしっかりしておこうと思います。 火災に関しては、自分自身が身近に感じておらず例年の被害数を見て驚きました。よく考えてみると、講義の中でもあったように、ヘアアイロンの熱や普段の料理の最中に、火災が起こるケースは十分あり得るので、今まで無意識的に気を付けていたことをより気を付けようと思いました。弾道ミサイルに関して、この現代日本において他国からの攻撃に警戒しましょう、といった意識を持たなくてはならないことに恐怖を覚えました。 活火山について調べてみて、活火山は自分が思っていたより沢山あることを知りました。私は新潟出身なのですが、火山の被害を受ける可能性のある地域は鹿児島など自分から離れた限られた場所だけの話だと思っていました。ワーク1であった「大規模な噴火が起きた際に~」の質問の時「あなたが困ること」を聞かれ、正直自分自身に被害が起こる可能性があるのかと思てしまいました。しかし、活火山リストを見たら新潟県だけで四か所、隣接する県にも多くの活火山があることがわかりました。火山の被害は自分にも起こりうる、他人事ではないんだと強く感じました。 地元が安達太良山のお膝元で、ちょうど小学校低学年の時に御嶽山の噴火がありました。私が通っていた小学校では3年性限定の恒例行事で安達太良山登山というのがあったんですが、安達太良山も活火山だったこと、地脈の連動による連鎖噴火の危険性により私たちの代だけ登山ができずとても悔しい思いをしたことを覚えています。 そのことがあってか小学校から山や噴火の危険性やハザードアップなどをしっかりと教育され、避難方法や経路も今でもしっかり覚えています。その点はすごくタメになったなと思います。 子供を連れての避難や移動、逃走の時間や距離をあまり考えたことがなかったので勉強になりました。『やばい』と感じた時に咄嗟に体が動けるようにしたいです。 私は新潟県内で生まれ育ちましたが、県内に活火山があることを知りませんでした。さらに、昔その火山の噴火で死者が出ていることも初めて知り、驚きました。過去に火山が噴火したことがあるのを知ったので他人事だと思わず、もしものためにいろいろ対策したり調べておこうと思いました。弾道ミサイルという言葉をニュースで聞くことがありますが、実際にそれがどういうものなのかは詳しく知りませんでした。高い角度で打ち上げられる分もし落ちてきた際の被害も大きいだろうなと思いました。 私の地元栃木県では、活火山が県北に4つあり、そのうち2つは噴火警戒レベルとして監視体制が敷かれているとのことでした。噴火に関しては本当に自分と縁遠い話かと思っていたので、思ったより近くにあることに驚きました。自分は一度も山に登った経験はないのですが、高校生の妹が山岳部に所属しており、山の面白さと険しさの両方を学びながら楽しく活動しているという話をよく聞くので、日々のエンタメという形から少しずつ関わってみるのが一番自分にとって触れやすいと感じました。私以外の家族は全員山に登ったことがあるため、何かの機会に自分も山登りを経験できたらと思っています。 弾道ミサイルの避難に関して印象に残った。 地元にいた時、ミサイルによる緊急速報が頻繁に出ていた時期は速報が出るたびにまたか…と思っている人が多くいた。ミサイルの緊急速報がなり安全が確認されるまでは電車やバスなど交通機関はすべて一時停車し、身動きがとれなくなることが高校時代はよくあった。(通学が電車でした) 何度もミサイルが発射されているがまだ大きな被害が出ていないことから今回も大丈夫だろうと思ってしまい万が一の避難について知ろうと考えたことがないことを思い出した。 電車の中にいる時にはどう身を守ったらいいのか、屋外にいる時は、その時にいる建物は何構造なのか、今いる場所から別の場所へ移動すべきなのか判断できるようになるためにミサイルによる被害がどういうものなのか、どうしたらよいのかを基礎知識として知っておく必要があると感じた。 私の地元は海からも山からも離れていて、実家は鉄筋で倒壊のおそれもほぼ無く、地震が起きても土砂崩れも津波も起こらないだろうし自分は災害に巻き込まれる確率はほぼないと思っていた。しかし今日の授業を受けてミサイルや爆弾はどこに住んでいても避けることができないなと思った。また、避難の案内で5分で着弾などの情報があったら5分は移動できるな?という意識があった。しかし今回の授業を受けて靴を履いたり階段降りたり着替えたりしていたらあっという間に5分なんてすぎてしまって最悪移動中に着弾なんて可能性があると気づいて今までの自分の意識の浅はかさに悲しくなった 今まで噴火の被害にあったことはないが、桜島や伊豆大島、富士山に観光しに行ったことがあったのでその時に起こってたらどうしていたのだろうと思った。桜島に観光に行った時は月に何回か噴火活動をしていることや、火山灰が目に入ったら水で洗い流すことを学んだ。活火山は今も活動している火山も割と多くあったことがわかったから、他人事では無いことを学んだ。噴火による被害を学んだが、その時の対策や防災の準備も学んだので気を付けたいと思った。ミサイルに至ってはまだ被害の大きさが分からない分、怖いところもあるが、遠くの屋外より近くの屋内、近くのコンクリートビルや地下の方が良いこと、移動時間も考えてとりあえず確認してみた。自宅から大学まで全速力で5分以内に辿り着けられた事があったので自分だけで避難するなら大学に行こうと思った。 火山灰が水で岩に戻ってしまうことを初めて知りました。天然のコンクリートのようだと思いました。もし、噴火直後に雨が降ったら街の被害はどのくらい拡大してしまうのでしょうか。改めて噴火や火山灰の怖さを知りました。 「学びの軸を作る」で噴火が起こったら困ることを考えた時に、火山灰という存在を忘れていて思い浮かばなかった自分に驚きました。それだけ普段火山や噴火を意識していないということだと思います。地元のある近畿やその近くの中国、四国地方には活火山がないため日常的に意識しなくても困ることはなかったのですが、今回初めて新潟県内にも活火山があると知り、火山に対しての意識が少し変わりました。 今回私が印象に残っていることは「ガラス質の火山灰が鋭利な刃物のようになる」という事です。私は実家が山形県酒田市にあり、出羽富士とも呼ばれる鳥海山という活火山が綺美しく見えるところです。そのため、火山についての避難訓練などを学ぶ機会もありました。ですが、火山灰が鋭利な刃物のようになってしまうことは今回初めて聞いたので、火山灰にもよく気をつけて生活したいと思います。 今までの空間安全論で災害について触れた際に、今回の講義の活火山の話のように自然災害と人的災害が共に発生して未然に防ぐことができずに、多くの犠牲者を出してしまうケースの話ばかりでしたが、弾道ミサイルの話は人的災害でもなく、歴とした犯罪で発生する、理性があれば弾道ミサイルを発砲せずに危害が及ばず未然に防ぐことができるケースなので、こういった事態が起きないように願いたいです。 被害を知ること、被害を減らす方法を知ること、自分の状況に応じた行動をとることが防災に繋がる。授業内で紹介された噴火速報や警報の存在は、今日初めて知った。火山は九州に多いイメージがあり、自自分の地元は離れているから大丈夫だと油断していた。噴火警報などで自分で調べられる情報を集め、防災に努めたい。 Jアラートという名称に疑問を持ち調べたところ、緊急地震速報や津波警報が一斉配信されるシステムもJアラートに含まれますが、弾道ミサイルの警報だけ正式名称がないようでした。(内閣官房国民保護ポータルサイトより) 危機感を持つには空襲警報などの名称を付けるべきではないかと考えたのですが、弾道ミサイルと空爆では扱いが違うのでしょうか。戦時中に使われていた名称は反発があるなど色々な事情がありそうです。 2つの違いについて少し調べても違いがわからなかったのですが、ご存知のことがあれば教えていただきたいです。(250字) 近くに活火山どころか山もほとんどない環境で生きてきたので正直噴火のニュースなどどこか他人事として聞いていました。噴火警報のレベルわけもはじめてしっかり見たので以前よりは知識が増えたと思います。またミサイルについての情報がとてもありがたかったです。最近ニュースもよく聞くようになって漠然と恐怖だけが増していたし、頑丈な建物が何を指すかもわからずシェルターもないのにどこへ行けば?と感じていたので少し安心できました。ただミサイルは軌道もわからず速度もとても早いとのことなので現状逃げられる気もせず相変わらず恐ろしいです。 ミサイルの話を聞いて、今まで現実味と危機感を全く持っていなかったことに気がつきました。今日の授業でその場で一番助かる可能性のある地下をはじめとした避難場所のことを聞けて重要な知識が増えました。5分という短い時間の中で、自分や周辺にいる人たちができる最適解を探さなければいけないのは、相当な焦りが生まれると思います。焦っている中でも今日学んだように知識を持ってして初めて行動に移せると思うので、まずは空間安全論で教わった知識を大切にしていきます。 弾丸ミサイルが10分もしないうちに届くということを知りました。頑丈な建物に逃げるということは間違ってはいないけど、時間内に移動できなかった場合は、屋外にいる時にミサイルが届いてしまうことが1番怖いと思いました。間違っていない情報でも自分にとっては最善の方法でない情報もたくさんあると感じました。結局、自分や周りの人を守るために自分や周りにとっての最善策を考えることが大切になると思いました。 今回火山やミサイルについて学んだことで、より自分がそれらに対する知識が少ないこと、他人事に考えていることを感じました。講義内でありましたが、政府が出しているミサイルに備えるためのポスターの中に「なるべく地下街に避難してください」と書かれていましたが、新潟県にいる私は一体どこに避難すべきなのかわかりませんでした。そこで講義後考えてみました。長岡市は豪雪地帯であるため歩行者、自転車用の地下道が交差点に多くあります。そこに避難することが私たちが身を守るために必要なことですが、そんな狭い場所に長岡市民全員が避難できるわけがありません。では、一体どこに避難するべきなんでしょうか。 ミサイル通過に関するチラシが印象に残った。配色が重要さや危険を感じ取れる赤と黄で構成されていたので、視覚に何らかの障害を持たれている方以外はほぼ全員わかる工夫がなされていると感じた。一方で、後日配布されたものだとしても文字と情報の多さには少し引っかかる部分があった。 私は、噴火の影響を受けることはないのかなと思っていたのですが、自分の住んでいるところからそう遠くない場所に活火山があると知り、もっと身近に考えていかなければならないなと思いました。また、ミサイルが落ちてくるという想像がうまくできていないので、もし落ちて来るとなったらちゃんと身を守れるか不安だなと感じました。だからこそ、事前に避難の経路や場所をよく確認しておきたいと思います。 「弾道ミサイルが発射された時は建物内に隠れましょう。」よく聞くが私にはその意味がよく分からなかった。ミサイルが打ち込まれてしまうのなら、どこへ逃げても同じでは?と思っていた。しかし、屋内へ逃げることで防げる事も多くある。今回の講義でそれがよく分かった。 今までリアルの噴火を見たことすらないので、いざ自分がいる場所の近くで噴火が起きたらどのように逃げればいいのか分からないのは怖いなと思った。もし今後火山の近くにいくことがあったら、噴火した時の対策をしっかり調べてから行くようにしたい。 火山の噴火がもたらす被害について非常に広範囲かつ甚大なものであり、噴火してから無事に逃げるまでのタイムリミットが全然足りないことを実感しました。それでも、短い時間でどこに逃げるか、そもそもその場に留まるのかを考える必要があると分かっただけでも、もしもの時にこの授業と自分の中でのシミュレーションを思い出して行動できる気がします。地元や長岡には近いともなんとも言えない距離に活火山があったので、実害に遭うことは滅多にないと思いますが、今日学んだことを留意しておきたいです。 Jアラートの発表から5年以上が経ち、今日まで何度もJアラートがなりましたが、なる度に日本人はそこまで危機感覚えてないと感じました。なにか災害があった際にもそうだと感じます。TwitterなどでJアラートというトレンドを見た際に危機感がないようなツイートが見受けられて日本人のスルースキルと危機感のなさを感じます。 地元の身近な火山に富士山があった。噴火は地震や津波などと違って避難訓練をすることが無く頻繁に起きている実感がないためこれから遭遇した時にどのように動けばいいにか戸惑うこともありそうだと感じた。今自分が住んでいる所では起きることのない災害でも出掛けた時に災害に遭う可能性があるので最低限の防災知識は知っているようにこれからしていきたい。 噴火・ミサイルについて学びました。どちらも地震や火事に比べてあまり身近ではなかったので初めて知ることが多くありました。特に、最後の時間で地元の活火山を調べたときは、今まで火山と知らずに登っていた山があり、驚きです。特に知識もないまま麓の活動センターに泊まったりもしていたのでさらに意外でした。噴火は地震よりも直接的に石や灰が降ってくるのでその分怖そうだといった印象です。私が知らなかった火山の他に有名な火山が地元にあるのですが、その付近では避難訓練に火山想定のものがあると聞いたことがあり、そういう土地に住む人は大変だと思った記憶があります。 ミサイルは自然災害と比べ物にならないくらい現実感が無くて、今まで怖いといった印象は受けていましたが、実際にどういった被害が出るのかと問われた時、何も知らない自分に驚きました。さらに被害も尋常でなく、本当に人の手で国ひとつを滅ぼす気になれば滅ぼせるような状況ではあるのだな、と怖くなりました。また、このように無いとは言いきれない被害に対してもきちんとこの授業で、基礎知識として知ることが出来て良かったです。アラートが発令したとき、どんな行動をとるか自分なりに考えてみます。 私は長岡出身のため、火山の知識が全く無く火山灰についても知らなかったのでもし自分が噴火の被害にあったら絶対に火山灰を水で流していただろうなと思いました。また、活火山リストを見て妙高山が火山なことを始めて知りました。妙高山は去年何回か訪れていたので自分が思っていたよりも身近なところに火山があったことに驚きました。 私の実家は静岡にあり、毎日富士山を拝められるところに住んでいるため、噴火については少し考えたことがありました。噴火で一番厄介なものは火山灰だと思います。命の危険には直接的には関わらないかもしれませんが、広範囲に渡って生活に支障をきたすものとなります。防災のしようもなさそうなので起きてほしくないなと願うばかりです。 私の地元の長野県上田市に近い浅間山は、火山であることを知っていましたが、現在噴火警戒レベル2の火口周辺警報がでていることは知りませんでした。身近な山であり、噴火したことがある火山だという認識はありましたが、噴火した際の対応は分からないことが多くありました。 弾道ミサイルについては知らなかったので、授業でアラートが鳴ってからの動きを想像することができました。日本に着弾したら、助かるかどうかは距離に関係すると思っていたので、距離に関わらず屋外にいることがいけないことに驚きました。とても学びになる授業でした。 日本は地震の被害がやはり大きく他の災害が霞みがちですが、火山の噴火も深刻な災害であることに変わりないなと今回の講義を聞いて思いました。熱風がものすごい速さで迫ってくるという事は想像をするだけで恐ろしく感じました。今回の講義ではミサイルについてのお話もありましたが、安全論という講義が自然災害の内容ではなく、人工的な脅威によるものについてのお話も出てきてしまうことが恐ろしいなと感じました。初めてJアラートが鳴った日は中学校の文化祭の日の朝でものすごく印象に残っています。 今まで忘れていたが今回の授業ではっきりとミサイルに恐怖していたのを思い出した。2017年に朝学校に行く準備をしていたら急にテレビから非難警報が出てきてミサイルが日本を通過したというニュースが流れた。私たちは急な非難警報で何もできず、来たら来たで死ぬのを待つしかないと悟っていた。先生が4,5分で行動しなければならないと言っていたが私はきっと焦って何も行動できず死を迎えてしまうと思ってしまった。だからもっと国の避難指示を具体的にかつ、対策を事前に入念にしておくとかどうにかしてほしいと思ってしまう。 火山の噴火を実際に見たことがないので被害の怖さに対しての解像度が高くなかったのですが、火砕流が高温、高速で流れるということを知り、知識がなければ絶対に逃げられないと感じました。 危険を回避するにはコンクリートの建物や地下に避難することが比較的安全とのことですが、住宅は大体木造だし地下がある建物はほとんどないので、その他の隠れる場所を探さないといけないなと思いました。 去年にJアラートが発令されたとき、初めてミサイルへの危機感を感じました。今まで地元にいるとJアラートが出ても大丈夫かなと思うくらいであくまでも他人事のように思っていました。でも実際に対象地域になってすごく怖かったです。今振り返ってみると、怖いと思うだけで何も行動はしなかったなと思いました。もし次またJアラートが出てきたときのためにどう行動するのか考えていかなければならないと思いました。 何か災害などが起きた時に、避難するのにどれくらいの時間が必要なのかを確認しておくことはとても大切なのだなと思いました。より被害を抑えることができるよう避難することは大切ですが、避難の途中に災害に巻き込まれてしまうと本当に命に関わる問題なので、どのくらい自分が避難するのにかかるのかも理解したうえで、一番安全な策をとって身を守ることが必要なのだと思いました。 今回の講義を通して、火山噴火によって生じる様々な危険性とミサイル攻撃に対する対処法について学ぶことができた。work5-2では、私の地元である埼玉県神川町も火山噴火による被害を受ける危険性があることが分かった。思い返してみると日常会話の中で「赤城山」や「榛名山」といった名前が度々登場し、それらが家から目視できるほどの距離だった。火山リストからこの二つの山が活火山であると初めて知り、さらに詳しく調べてみると地元から赤城山まで直線距離で約50kmほどで、火山灰による被害のリスクが十分あることが分かった。私の地元は埼玉県の中でも田舎で農業が盛んな地域であり、畑や田んぼが広がっていることから一気に作物がダメになってしまう可能性がある。(以前は雹の被害を受けて多くの農家が出荷できなくなってしまった)私の祖父も農家であることから今度実家に帰った時は火山噴火の危険性について話してみようと思った。 またミサイルについて、もし打ち上げられた際にどのような行動を取ればよいか、真剣に考えるきっかけになった。1年生の頃は毎日基礎造があったため、大学にいることが多かったが、2年生になってからは家(木造)で過ごすことが多くなったためリスクは大幅に増えたと考えられる。大学に行くまでは10分ほどかかるため、途中のコンビニやお店に入ることになるのではないかと思う。被害を最小限にするためにも、引き続き自分が取るべき対応について考えていきたい。 噴火の恐ろしさを再確認できました。何より怖いと思ったのが、地震とは違っていざという時に、緊急速報のような危険を前もって知る術がないことです。それでいて数キロの岩石が時速200kmを超える速さで降ってくるとなれば、正常な判断なんて出来そうにないように感じました。地震は間接的に人間に被害をもたらすのに対し、直接的に人の命に関わる噴火という自然現象は、また一味違った恐ろしさを感じました。 よく北朝鮮からミサイルが発射されていて、前は何回かミサイルのアラームで驚いた事がありました。その時どこに避難すればいいのか焦っていた事があります。今回の授業でミサイルや火山噴火で避難確保をしっかり考えて行っておかなければいけないなと考えされられました。 私は地元が立山の被害に遭う恐れがあると昔から授業などを通して教えて貰ってきたので、近くの山が活火山なのかについて少し関心を持つようにしていました。御嶽山の噴火事故に関しては、記憶もまだ新しいので、またどこかの活火山が噴火した時の恐ろしさがあります。火山リストを見た時、意外と東京に集中していて衝撃でした。サークルで山に登る機会が多いので次の活動から事前に調べようと思いました。 今回も前回に引き続き、火山災害のことについて学びました。最も印象に残ったことは、授業の最後に行ったアンケートで活火山について調べた際に、家族や友人と旅行に行ったことが何度かある箱根の山も活火山であったことです。もし、旅行の時に噴火してしまっていたら自分は大事な家族や友人の命を守れていたのか考えさせられました。 大島てるのサイトは昔から知っていて、自分で閲覧したこともあったので授業に出てきた時は驚きました。初めて見た時、「自分の身近なところでもこんなに火事や事故が起こっているのか」と思ったのをよく覚えています。また、御嶽山の噴火の際は長野県民の間でも大きな話題になりました。今まで噴火は自分の生活には関係ないと思っていましたが、県内で噴火が起こったことによって関心を持ち始めています。 自分が住んでいる土地やこれから行きたいと思っている場所の治安などを知る為に大島てるのサイトが役立ちそうだなと思いました。日本に活火山が多いのは知識として理解していましたが、噴火の時の被害やどういう行動をとった方がいいなどの対処法は全く知らなかったので今までジブンゴトとして感じずテレビの中だけの世界だと思ってたことに気付かされました。自分の地元から長岡に住んで災害をより近くに感じることが多々あり、ジブンゴトとして考える機会ができて良かったです。富士山も登ってみたいと思っていたので、ハザードマップの情報などを活用していきます。ミサイルに関しても火山への関心と近いところがあったので被害が起こった時に遠くに避難するのではなく、近くのコンクリートの建物+地下に逃げるのが自分が思っていた避難のやり方と反対で1番印象に残りました。 地元に活火山があるので小学生や中学生のときにフィールドワークとして白山を調べる機会が多かったのを思い出しました。かつての白山は今の富士山より高かったが、噴火のために削れて小さくなったというのを学んだ記憶があります。噴火は山の標高自体を変化させるほどのパワーを持っているので対策を確実に取らなければ無事では済まないと思いました。火山灰がガラス質で目に入ったときに擦ると終わりという話が一番印象に残っています。もし目に火山灰が入った場合、知識がないと絶対にこすっていただろうと思いました。 ミサイルの話から地下に避難した場合、着弾後地上に出ても問題ないのか気になりました。生物兵器だったり、核汚染だったりがあった場合、出た瞬間被曝してしまうので恐ろしいと思いました。 活火山が自分の住んでいる市内にあったことが今回の授業でわかり、今まで他人事だと思っていたが、これから噴火やそれによる被害がより身近な出来事として捉えられるようになった。火山灰による被害に関してはニュースを通して知っていたが、普通の砂や雪と違い水に溶けず固まってしまうことを知り処理が大変であることを学べた。 火災は私の身近な問題ではなかったので、あまり考えたことはないですが、放火が原因一位なのが驚きでした。悪意を持ってや、他意はなくても火災につながってしまうのが恐ろしいですし、実家にいた時と違い、現在はアパートに住んでいるので燃え移りも心配だなと思いました。また、噴火はいつ起こるかわからない、登山者や周辺住民への噴火速報も確認できるようにしておきたいと思います。 今日のアンケートでもありましたが、弾道ミサイルは他人事だと思っていたので今回のような機会がなければ考えもしなかったです。 火山の噴火による災害について、ガスや岩石の被害について日頃考えていないので良い機会でした。 火山の噴火は熊本あたりに住んでいる人にしか関係ないという偏見を持っていた私でしたがそれより身近に火山があることに驚きを感じました。また、ミサイル投下警報のJアラートについて高校生の頃多頻度で鳴っていた記憶が鮮明にあります。迅速に避難することは大切ですが、「頑丈な建物とは?」や「地下2階以上ある建物では避難する意味がないのではないか?」と色々考えることがありました。また、Jアラートが一斉に鳴り響く恐怖を子供達に植え付けないようにした方がいいのではないかと考えました。 災害と聞くと思い浮かべるのが、地震や台風だったので火山のことはあまり考えたことがありませんでした。地元も長岡も活火山がないのとニュースでもあまり聞かないことが理由だと思います。噴火もマグマ噴火しか知りませんでした。水蒸気噴火でも御嶽山の噴火のような被害が出るんだと少し怖くなりました。日本は活火山が思ったよりもたくさんあって、自身のようにプレートと関係があることを初めて知りました。 火山灰の特性についてよくわかっていなかったので、対策・後処理の知識がとても重要だと思った。活火山もミサイルも、漠然と怖いと思いながらも、具体的な対策がわからないままだったので、少しでも自分で情報を集めてみることの意義を感じた。 噴火が起こると、生活に様々な被害が出ることが分かりました。御嶽山の噴火の際の噴石の速度は250km/hで重さは平均で2?3kgであったことを知り、噴火が起こってから逃げるまでに時間がないことが驚きでした。また、噴火によって地震や津波が起こる可能性があることを学び、二次被害が広がらないように対策していくことも大切だと感じました。 ミサイルはニュースで見るたび怖いなといつも思っていましたが、いまいちどういうものかということを考えたことはなく今回の授業を通して、ミサイルの危険性について学ぶことができました。一番怖いのが発射された段階でどこに落ちるか予測することができないことだと思いました。そのためにも、自分がどの場所にいる可能性が高いかを考え、その場所に応じた行動を考え、備えようと思いました。 地震や津波にばかり備えていればいいというわけではないという事を改めて感じました。火山活動による人的被害などは、これまで周辺に活火山ある環境ではなかったので全くの意識の外にありましたが、山登りや、ヒルクライムに行く際、そういった場所に近づくことも考えられるので今回の講義はそういった地震や、その他の災害、事故について考えるきっかけになりました。 対策をしていないと、実際に警報が鳴った時にうろたえてしまったりしてスムーズに避難ができないという話にはっとした。噴火は自分が住んでいるところが富士山のみ気にすればいいという印象だったので、旅行中など非日常の中で被災する可能性をもっと考えて対策をしていかなければと思った。 新潟県の長岡出身なので、自分で感じていたよりも火山には疎いと感じました。富士山も火山なのを知ったのは最近ですし、避けるくらいしか対策を思いつけなかった。どのタイミングで噴火するのか等も確認して生活しなくてはならないし、自然怖いです。 今日の授業の前に、私は日本の火山について富士山と桜島火山しか知りませんでした。国内の火山については全く認識がありませんでした。また、火山噴火は私の生活とは遠い出来事だと思っていました。しかし、日本には想像以上に多くの火山があり、もしかすると私が登った山の中にも火山があるかもしれないと思うと、少し怖くなります。 ミサイルの被害はその種類によって異なります。もし家にいるときにミサイル攻撃に遭遇した場合、私の家の近くにある警察署が最も安全な避難場所です。 地震、津波、火山噴火の想定はよく自分でYouTubeなどで見ることがあるが、その先の被害を考える機会はなかなか無かったので、火山噴火の被害について具体的にどのようなことが危険なのか知ることができた。特に、火山灰の被害を実際より甘く見ていたことに気づくことができたので、考えを改める良いきっかけになった。活火山について、自分の身近にあることや、登ったことのある山が活火山であったことは知っていたが、身近な市町村にこんなに注意が必要な活火山があったことは知らなかった。自分の身近な市町村とは距離が離れているからといって油断せずに、気象庁が出した警報はしっかりとチェックする必要があると思った。 またミサイルについて、発射された中で一番記憶に残っているのが今回の授業で紹介された日のものだった。当時は現実味がなさすぎてNHKのニュースでやっていたのに訓練だと思ったのを思い出した。無意識にコンクリート造りの自宅の中心の方でクッションをかぶって泣きそうになっていたが、それは命を守る行動として間違っていなかったことを今になって知ることができた。 火山のお話はとても怖いと感じました。火山灰や火山弾、噴火による大きな環境の変化など自然の持つエネルギーには敵いません。自分は登山が大好きで、去年の夏には富士山に登りました。富士山は日本最大級の活火山で今も活動中であるため、登山中も少しドキドキしていました。登山中にもし火山が噴火したらどうすればいいか考え直すきっかけになる授業でした。 高校生の時修学旅行で阿蘇に行った。その時に煙が上がっていてあれは小規模だけど噴火なんだよと聞いたので、噴火を見たことがあるに入れたのですが、6人と聞くと本当に少ないなぁと思った。富士山が噴火すると、関西にも影響が及ぶくらいの大災害になると学校で教えられてきた。また、南海トラフによって富士山が衝撃を受け噴火につながる可能性があることも教えられた。もし南海トラフと富士山の噴火が今同時に発生したら、日本は終わるのではと感じた。万博に金を使っているせいで能登地震の復興のお金が足りていないなどの話が本当なら、日本は本当に色んな意味で終わりだなと、不安になってきた。 噴火の種類がいくつかあることは初めて知りました。御嶽山の噴火は強く記憶に残るほど大きな噴火だったと思うのですが、あの噴火で水蒸気噴火ということは規模が大きいと言われるマグマ噴火だとどうなってしまうのか恐ろしく思いました。またミサイルについて自分も頑丈な建物ってどういうものを指すのだろうと思って不安に思っていました。今回の授業でどのような行動を取れば良いか理解したので安心とまではいきませんが自分の中で一つの指針ができてよかったです。 災害が起き逃げる時の状況は色々考えられますが、その時間まで考えたことはありませんでした。5分以内に何をしながらどこまで動けるのかなど、家でも測ってみて想定をし、いざ避難するとなったときにすぐに動けるようにしていきたいです。 今回の講義を通して、印象に残っていたことは、火災の火元に一番なるのが「火タバコ」ということと、電源コードの古いものが発火の原因になるということです。私は、コンロ等を予想していた為そのような身近なものや、タバコを寝ながら吸う人が1番の原因になる程いるという事実に意外性を感じたからです。 日本は地震が多いと同時に火山も多い国だということで落ち着けないなあと思いました。ただ、火山の噴火は地震とは違い場所がわかり、予測がしやすいと思うので、危険性のある地域ではしっかり対策しなくてはならないと思いました。また、火山は地震とは違い、温泉や地熱発電などの恩恵もあると思うので上手く付き合っていくべきだなと思いました。 地震、津波、火災とこれまで比較的身近な災害の勉強をしてきたと思うのですが、火山の噴火やミサイルによる被害はあまりにかけ離れていて想像したこともなかったので、勉強したことすべてが新鮮でした。特にそれを感じたのが噴火が起きた時にどうするかという先生の質問を考えた時です。全く知識がなかったので危機感の欠如に不安に思いました。登山中は直ちに下山するだけでなく岩に隠れるという小さな行動も命を救う可能性があることを学びました。ワークで活火山を調べることで実感できたのですが、自分の身近なところにも想定外に多くの活火山があって驚きました。 私が初めてミサイルのサイレン音を経験した時は友達と小学校か中学校の学校に行く途中でした。町の放送や周りで不気味なサイレン音が鳴りとても怖かったのを覚えています。友達といたこともあって少しは安心感がありましたが、何をどうしていいのか分からず本当に困りました。とりあえず学校に行こうといつもより早めに学校に行きました。外にいる時に短時間でミサイルが着弾しますなんて言われても本当にどうしようもないと思いました。この授業で少しミサイルについて知ることができたので、もし今後ミサイルが飛んでくるようなことがあった時にはとりあえず屋内に入ろうと思います。 日本国は山が8割と言われているほどの山岳国と言われるだけあって、日本の活火山の多さには驚きました。マグマと言ったら、どうしても子供の頃一時期憧れを抱いてしまう物質であり、アニメや漫画、映画などではレギュラーといっていいほどよくできています。だが本物を一生のうちに見れる人はごくわずかでしょう。私はそんなところに魅力を感じます。 私の地元にある活火山の数や家からの距離など、初めて調べる良い機会でした。私は活火山への山登りをしたことはありませんが、身近に活火山があると言うことは噴火の際に必ず被害に合う、ということだと実感しました。また、噴火した際に飛び散る石などの速さや重さなどが予想よりも速く、咄嗟の判断で命が脅かされるのが噴火なのだと知りました。津波や地震は学校の授業でみる機会がありましたが、噴火について深く考えたことがなかったので、初めて知ることが多くあり、今までの自分の知識の無さがわかりました。 今回学んだのは、火山と弾道ミサイルについてで、火山は自然災害として身近ではなくとも認識はしていましたが、弾道ミサイルについては完全に頭から抜けていたことに気がつきました。数年前に北朝鮮によって強く日本に意識をさせられたものですが、最近はなかったので、忘れていました。しっかりと危機感を持って普段から生活していかなければならないと感じました。 今回の講義では、主に火山がもたらす被害について学びました。噴火によって起こる問題として、火山灰、噴石、溶岩流だけでなく、火山ガス、空振、山体破壊など挙げられ、多くの被害をもたらします。私の地元でも活火山がありそのニュースがあるたび、びくびく怯えてました。その上で大事なことは、被害を知り、被害を減らす方法を理解し、そして自分の状況に応じた行動をすることが大切なことだと学びました。怯えてるだけでなく、どうしたら生き残れるかをしっかり考えて行動してきたいです。 火山のことについて今まで何もふれてこなかったのもあって、知らなかったことや、はじめてしったことばかりで驚きだったというのと、自分でも調べてみて知識を増やしてみようと思うことが出来たので良かったと思っています 弾道ミサイルというものを理解していないことがアンケートによってわかり、気になり特徴を調べた。が、最長で10,000km以上とび、速さは大きいもので毎秒3km以上になるとしり、絶望を覚えた。もし日本に落ちます、北朝鮮などがやっちゃいましたなどとなったらどこに逃げても死にそうだと感じた。ミサイルが落ちるとなった際、自分はどのように行動するのだろうか。 活火山に関しては自分の県には合ったが聞いたことのない名前で近くないものだったため、少し安心したが、山に囲まれた県なため一ヶ所噴火したら振動などで周りの山も崩れてきたら…と思うと怖い。 今回は弾道ミサイルが打ち込まれた場合の対処法について学びました。地下施設に避難することが最も安全な行動であるということは知らなかったので、参考になりました。旅行や移動する際に、地下施設はどこにあるのかを把握しておくことが生き残る可能性を上げることに繋がることを覚えておこうと思います。 自分が生まれ育った街には活火山がないから、火山による被害が具体的にどのようなのか、人体にどのような影響があるのかというのは正直あまり想像できなかった。実際に御嶽山の噴火をニュースで見た時は絵に描いたような火山の煙やマグマの風景が現実なんだと実感が湧かなかった。だけど、自分がどこか活火山のある土地に旅行に行ったタイミングで噴火が起こるかもしれないし、どういう被害があってどんな対策をすれば良いのかという知識は非常に大切だと感じた。 私の地元には活火山(そもそも山)がなく、生活の中に火山による災害がなかったので想像がつかなくて知ることがとても多く勉強になりました。火山噴出物による被害の大きさが想像以上で数えきれないなと感じました。 今回の講義で御嶽山が噴火した時の記憶が蘇りました。長野県に住んでいた私は県ニュースの速報で噴火を知りました。最初は大したことないだろうと思っていましたが、みるみる噴煙が広がりこれはただ事ではないと気づきました。最終的に50人以上という数の犠牲者が出てしまい、火山が比較的身近な私にとってもこれほどの災害は初めてだったので、非常に恐怖を覚えた記憶があります。また当時の私には「噴火=マグマ」という固定観念があったため、水蒸気噴火という現象をこの時始めて知ることになりました。この災害以降、サイクリングで山を渡る時や登山の時は、付近やその山が活火山でないかどうかや避難所はどこにあるのかなどのことを気にするようになりました。自然の力は恐ろしく災害が起こってからでは遅いので、このような心がけをこれからも大切にしていきたいと感じました。 日本でいう活火山というと富士山が挙げられると思いますが、富士山がもし噴火しても今住んでいる新潟は遠いし被害は大丈夫だと思っていたのですが、火山灰による交通障害だったり、農作物がだめになったりなど、今考えられるだけでも大きな被害が及びます。富士山は遠いから噴火しても大丈夫だと思わず、もし噴火したらのことを考えてすぐ行動できるように準備しておこうと思いました。 当時jアラートが発令された時に、直ちに頑丈な建物に逃げろとはいうもののどこへ逃げればいいんだよと思った時がありました。あの時は朝ということもあり家族とただテンパっていたのを思い出します。本当に落ちてたら間違いなく死んでいたでしょう。ミサイルなんて飛んできたらそこら辺の建物は崩れるだろうし、田舎住みの人は逃げる間に死んでしまうなと感じました。頑丈な建物、地下は無理でもコンクリートなら探せばありそうですが、急にjアラートが来た時に5分でそこに避難するのは困難だなと思います。 今回の授業ではなかなか実際に起こることは少ない活火山の噴火やミサイルが着弾してしまった場合の被害や対策などを学んだ。3キロほどある噴石が新幹線並みの速度で飛んでくることが想像できないほど怖いと印象に残った。自分が生きているうちに自分の生活圏で噴火やミサイルによる被害を受けないとも限らないので、もし起きた場合の動き方なども考えて置くべきだと思った 小さい頃に山は何度も登っていたので馴染みはあるのですが、火災や噴火に限らず土砂崩れなどさまざまな危険がある場所なのだなと改めて感じました。ミサイルもニュースではよく見たり聞いたりしますがどこか他人事なのでちゃんと危機感を持たないといけないなと思いました。 地震は何度も経験したことがあるのでまだ身近なものではあるが、火山の噴火による被害についてはほぼ考えたことがなく、どこか自分とは関係ないものであるという認識があった。また、他の授業で正常バイアスという、身の回りに異常が起こっても自分は大丈夫だろうと思い込む現象があるという話があって、火山が噴火した時に写真を撮ったりしている人は正常バイアスが働いているのだろうと感じた。 中高生の頃登山をすることが多々あり、登山道の途中に昔の噴火の形跡を見つけることがあったことを思い出しました。その時見つけられた形跡は噴石でした。その為に噴火というと、噴石が火山弾として飛んでくる恐怖はイメージしていましたが、火山灰についての知識は持ち合わせていなかった事に気づきました。 火山灰がガラス質である場合に目を傷つける可能性があること、水分によって凝固し土石流となる可能性があること……。 火山灰について、『掃除が大変そう。』『呼吸器への影響』といったイメージしかありませんでした。 やはり知識は正しく持ち合わせて置くことで、備えへと繋がるのだと感じました。 またミサイルについて、『頑丈な建物とは何か、何故そこに入るのか。』その理由についてと種類と影響、”備えへの考え方”は他分野についても応用できる思考過程であると感じ、とても印象に残りました。 今回の授業で特に印象に残っていることは活火山についてです。私の地元の地域に関係する活火山である阿蘇山が数年前に噴火し地震が起こっていたので活火山リストで見た時に次噴火したとしても私の地域とは少し距離があるため地震だけがくるだろうと考えていたのですが、火砕流の話を聞いて気になったので調べてみると過去に巨大カルデラ噴火を起こした火山の7つのうち4つが九州に集中しておりそのうち阿蘇カルデラが噴火した場合の最大被害では私の地域が火砕流域に含まれ発生から到達まで2時間ほどと予測されていたのでその2時間のうちにどのようにして身の安全を守るのかを真剣に考えようと思いました。 数年前の早朝にjアラートが鳴ったのを思い出した。当時、jアラートがなった時の逃げる場所など対処を教えられたが結局どこに逃げればいいんだ?と思っていたのを覚えている。数年越しに根拠を持った一つの答えを知れてスッキリした。今後、その答えを活かせる時がないに越したことはないが、よく覚えておこうと思う。また、火山リストを見たら地元の山で火山だと思っていなかったものが火山で少し驚いた。自分が知らなかったたけで身近には結構火山があるのだと知った。自分の思い込みで自分で危険に飛び込むようなことがないように情報収集が大事だと感じた。私の身近な火山は温泉に関係するものもあり、恩恵も受けているがそれとともに危険も潜んでいることを忘れていた。人間の力ではどうにもできない、恩恵と危険をよく知っていかなければいけないと思った。 今まで核弾頭ミサイルが自分の住んでいるところに堕ちたら、地下施設や防空壕シェルターといったところに避難しなければ一定の範囲にいる人は必ず命を落としてしまうと想像していた。実際は熱線の被害を抑えることが重要で、距離が離れていても建物の中にいなければ大きなダメージを負ってしまうという点はとても意外だと感じた。第二次世界大戦の時に原爆の被害の中で生き残った人が僅かとなった現代で、核や原子爆弾といった人が起こす災害の正しい対処や脅威をどれだけ人々の間で共有できるかが今後の課題となるだろう。 身近な場所には活火山がなかったものの過去に訪れたことのある場所に活火山があり、無知なままその場にいたことに対して、少し恐怖心を抱いた。水蒸気噴火に関しては予測が大変難しいことが今回の講義を通して理解できたので、活火山の近くへ足を運ぶ際は、もしものときに備えられらよう、事前に避難についての知識をつけたい。 地震や津波にばかり備えていればいいというわけではないという事を改めて感じました。火山活動による人的被害などは、これまで周辺に活火山ある環境ではなかったので全くの意識の外にありましたが、山登りや、ヒルクライムに行く際、そういった場所に近づくことも考えられるので今回の講義はそういった地震や、その他の災害、事故について考えるきっかけになりました。 火山とミサイルという地震や津波などよりも意識が低いものについて考えさせられる時間でした。一番印象に残っていることは、もしも弾道ミサイルが東京に落ちたとしたときにどれほどの被害が予想されるのかの値です。予想していたよりも多くの被災者だったことから、私の実家が東京であることもありその数値の中に私も含まれるのかもしれないと思いました。正直、今までの地震や津波の被害者数というのを見ても他人事のように思ってしまっていました。しかし、自分事として捉えることが何よりも防災意識の向上につながると思いました。 今回の授業で印象的だったのは場所に応じた行動の話です。津波や地震、火災などの避難訓練はしたことがあるのに噴火のことは考えたことがなかったのでしょう。実際、自分の実家の近くにも活火山がありました。逃げるときの建物の選び方やそこまでの距離、時間など起こりうる可能性のあることなのに。これからは意識して生活しようと思いました。 自分の地元は静岡で、小さな頃からいつ富士山が噴火するかと怖がっていました。また地元である富士宮市はフォッサマグナ上にあり、地震についても意識する事が多いですし、東海大地震等についても小学生頃から恐ろしく感じています。地震の影響で富士山が噴火するんじゃないかとか、地元にいた頃はよく考えていましたがココ最近はあまり意識することがなかったので、久しぶりに考え直すきっかけになりました。 今回の講義で、火山の被害とミサイルの被害に関して学ぶ事ができました。二つともまだ経験した事がない被害でそもそもどのような対処をすれば良いのか想像もついていませんでしたが、確かに特に火山に関しては旅行先等で遭遇する確率は非常にあり得る話だなと感じました。ミサイルに関しては正直日本もどのような対処をすれば良いか探り探りなのかと感じました。だからこそ憶測の考えは増えるかと思いますが、物理的な考えでできればいいなと思います。 講義冒頭にあった火の用心の時間帯についてですが、昔からなぜ遅い時間に夜回りをするのかとても疑問に思っていました。火災が起こる多くの原因は放火であり、人の活動が少なくなる深夜時間帯に集中発生するため、それを踏まえて回る時間を設定しているのだということを、今回の講義で学ぶことができました。また、活火山に関する内容では、私の身の回りには活火山がなく、そこに対する防災意識はほぼ無かったため、意識の見直しが必要であると思いました。 今回の授業では、弾道ミサイルと噴火について学んだふが、自分の住む市町村には活火山はなかったものの、富士山や伊豆東部の山群は活動していると知らなかった。小学生ぐらいの頃に1度だけ授業で富士山の噴火などを取り扱ったがイマイチ覚えていなかったため復習になった。 弾道ミサイルについては、そもそもどうしたらいいのかも知らなかったため、今回の授業で知ることが出来てよかった。また、新潟県方面も日本海に近いため、もしかしたらに備えて対策をした方がいいと思った。 今回は火山とミサイルという、どちらも自分ごととして考えたことのない事例だったため、聞き馴染みのない単語ばかりで戸惑いました。(噴火の種類がたくさんあることに驚きました。) 私は普段から散歩をしながら建物を見ることが好きなので、避難場所を意識しながら歩こうと思いました。 私の実家は活火山から割と近い場所にあったので日常的に「もしその山が噴火したら?」と考えることは少なくなかったが、地元を離れ、火山の無い長岡に来てからはそのことをすっかり忘れていた。今回の授業で火山の恐ろしさを思い出したので、帰省したら家族と色々話をしようと思う。 緊急速報による避難についての話で、ミサイルに対して必要な避難が一体どんな目的のため(何から身を守るため)のモノなのか?という視点について考えたことはありませんでした。 昔ミサイルが日本海付近に飛んできたときに「頑丈な建物に避難」を聞いたことがありますが、その目的が熱源の遮断であり、最も有効な避難場所が地下室である、というのは知りませんでした。おそらく今回の授業を受けるまで私はミサイルが発射された際に地下室が避難場所に入らなかったと思うとかなり不安になりました。 今回は日本にとって切り離せない火山について学びました。噴火警戒レベルについて、私は岩手に住んでいたため活火山である岩手山が身近でハザードマップがいつも家に貼られていたことを思い出しました。溶岩や火砕流は恐ろしい速さで流れてくるし、上空からは火山灰だけではなく巨大な岩石も降ってくる可能性があるというだけでとても怖くなりました。 噴火についての知識を学んでみて、噴火物によって温度であったり流れる速度が違うということを高校の地学基礎ぶりに再確認できました。私自身、噴火が起きた時にやるべきことがわかっていなかったため、今回の講義を通してハザードマップで安全な場所を確認することや噴火速報、噴火警報を頼りにするなどすべきことが明確になったのでよかったです。でも一つ、地震なども含めた緊急速報の音がとても怖いという点で、その恐ろしさはきっと人々に危機を一瞬で感じさせるためだとは思うのですが、ほかに何か違う形で危機を知らせることはできないかなと考えました。 私は今回の講義を経て、火山噴火の被災要因を学ぶと同時に、噴火の恐ろしさを感じました。出身地の私の身近には阿蘇山があり、火山灰や土石流などの被害がありましたが、直接的な被害はなくどこか他人事に感じていました。今後、災害対策をする際は火山被害なども想定してハザードマップを確認したいと思います。 今回の授業の様々な火災の原因を聞いて、以前電気あんかを冬の間ずっと使っていたのですがある時横になっていて焦げ臭い匂いがし布団を捲るとあんかに繋がるコードの根本から火が燃えてあがっていてとても焦ったことを思い出しました。改めて電気を使う製品やコンセントにはしっかり注意して使用していこうと思いました。また、噴火において発生する様々な被害の規模の大きさに驚きました。そのような時に備えて個人だけでなく地域でハザードマップの周知を進めるのが重要だと思いました。 私は宮崎県出身なので火山の噴火はすごく身近に感じてきました。しかし、火山灰が降ったら作物や道路に悪影響が出てしまうことや、空気が悪くなってマスクを付けないといけないなどのことは知っていたのですが、火山灰に水分が含まれたら固まって石化することは初めて知りました。噴火の影響を受ける地域は限られているのであまり意識していない人も多いですが、大変な自然災害であることをみんなに知ってほしいなと思いました。 防災品でカーテンがあげられましたが、小学校のとき座布団になる防災頭巾をいつも椅子に敷いていたのを思い出しました。頭にかぶれば地震の時に落下物から頭を守れるし、防災機能も付いているのでとても画期的なグッツです。火災が起きそうなバーベキュー場などの椅子に取り付けたらいいのではと思いました。古くなった延長コードが危ないというお話がありましたが、小学校の頃友達の家が火事になってしまい、その原因がコンセントの上にかかった埃だったことがありました。一人暮らしをしているとそこまで気が回らないので、こういった授業をきっかけに意識していこうと思います。また今回の授業で火山灰の危険さを知りました。今までは洗濯物にかかったりすることが困ることだと思っていましたが、ガラス質なことはとても危険だと思います。人間だけでなく動物たちにも悪影響がありそうで心配になりました。だからといってその土地を離れる選択でなく、うまく生活できるような対策を日本全体で考えていきたいです。 活火山リストを見て、東京に属する活火山が想像以上に多いことに驚きました。周りの県境にある山が該当するのかと考えましたが、東京都単体に属する山も結構あり面積が小さいのになぜなのかと不思議に感じました。首都に活火山が多いという事実は、国の災害対策に密接に関わっていそうだと考えました。 火災の原因の一位が放火であるという現実はとても悲しいと思いました。火災は思ったよりも身近なところで起きる災害であり、調べてみると2008年は火災による死者数が新潟市が最も多かったようです。人ごととは思わずに注意しながら生活しようと思います。また、噴火の話を聞いた時、もし富士山が噴火したらどうなるのかと疑問に思ったので調べてみると避難予想人数は80万人、火山灰は関東をほとんど覆うほどの大規模な被害が出ると予想されていました。やはり自然の脅威は恐ろしいと改めて感じます。 噴火やミサイルは事前に予期できない分、その場の判断で動くのではなく、事前にどのような被害に遭うのかを知っておき、正確な行動を素早く行う必要があるとわかった。特に、弾道ミサイルで頑丈な建物に避難することを促す理由については、弾頭が核である場合において、爆発直後の熱線と衝撃波を遮蔽することで生存率を高められるからだということが理解できた。 今回は火山の噴火とミサイルについて勉強した。特に火山の噴火では、噴火の影響で降ってくる石の重さと速さの値が大きいことが怖いと感じました。また噴火の際の場所に応じた行動を勉強したので、今後活火山の近くに行き噴火を目の前にした時、この授業で学んだことを思い出して適した行動をとれるようにしたいと思いました。 今回の授業で、火山の恐ろしさを学びました。 御嶽山の噴火の話でも、巻き込まれた人や、逃げたものの噴石が降ってきて犠牲になってしまった人などが沢山いることを知って、胸が痛みました。私の家のすぐ側も山です。火山ではないですが同じ山なので、災害時の対策やルートの確認を改めてしておこうと思います。 今日の講義を受けて、火山灰のスピードの速さや、弾道ミサイル被害や恐ろしさに驚きました。 実際に被害を受けるかもしれない、災害の被害者になってしまうかもしれないという気持ちで災害に対して備えていきたいです。 今まで地震の心配はずっとしていましたが噴火は気にしたことがありませんでした。今回の授業で何が困るか考えた時、真っ先に思い浮かんだのが火山灰の心配だったのでそれだけ自分にとって遠い存在なんだなと思いました。また私の地元の宮崎は鹿児島の桜島などが噴火して火山灰が風に流れてくることがあるので噴火で気をつけることと言われれば真っ先に火山灰が思いつくんだなと思いました。 弾道ミサイルは授業内容でも実際にもよく覚えています。中学生の頃だと思います。北朝鮮が弾道ミサイルを日本に向けて飛ばしてきたのは、とても怖かったです。学校に行こうと思って準備をしていたら、警報が鳴りました。私の地域は避難地域に入っていて驚きました。結局は大丈夫でしたが、とても怖い体験でした。 活火山の脅威について、噴火するタイミングが予測できないというのは恐ろしいと思いました。過去に活火山に登ったことがありますが、噴火が起こる危険を考えずに登っていたのを思い出しました。地震よりも身近ではないのであまり考える機会がありませんでしたがこれを機に噴火時の避難行動について学ぼうと思えました。また、弾道ミサイルについても未知の脅威であるので知識が浅く身を守る方法がわかりませんでした。頑丈な建物に隠れろと言われてもどう刷れっば良いかわからない状態でした。今回の講義で、放射線や熱線の危険を知ったのでRCの建物に入る必要があるのだと学びました。 身近な活火山を知らなかったが、活火山リストを見たところ、地元には5つの火山があること、新潟にも1つ活火山があることを知り、実際噴火すると思うと不安になった。地元には家族も住んでいる、かつ、帰省もするため、火山が噴火した時の避難方法を改めて家族と確認しなければと感じた。 今回の講義では、火災のお話で大島てるのサイトが興味深かったです。大島てるの存在は知っていましたが、怖くて自分では見れなかったので今回が初めてでした。身近な場所で何が原因で人が亡くなったのか、どんな物件があるのか事細やかに分かって恐ろしかったです。また、試しに東京や大阪なども調べて見たら信じられないくらい出てきて人間の密度の違いを感じました。
授業で使用する資料
学んだことの記録
自分の自宅はかわから離れているが氾濫した時に3?5m津波がくると知りました。危機感があるので家の周りを散策し避難できる場所を探しておこうと思いました。 洪水ハザードマップは自分が住んでいる場所以外もよく行く場所周辺は確認しておこうと思います。 身近な川を調べるワークのときに地元の環境はすぐに思いついて素早く調べることができたけど、今住んでいる長岡となるとどうしても信濃川に目がいってしまって、逆になかなか思いつかなかった。もしかしたらより近くに川があるかもしれないしその川が信濃川につながっているとしたら被害も大きそうだなと思い今回調べるきっかけがあって良かった。 造形大が地震の時に行っても避難場所として開かれていないのが衝撃だった。 四年前の台風19号、調べてみると浸水や倒壊の被害写真がたくさん出てくるのにさっぱり忘れていた自分が怖かったです。実際に災害が起こらなければ・被害に遭わなければ中々意識を向けられないものだと廃品回収に洪水ハザードマップが出されていた話と合わせて感じました。 避難場所に区分があることを知らなかった。ハザードマップは昔見た印象から、とてもみずらい印象があったが、しっかり見れば必要な情報が得られるのだと確認できた。緊急時に避難場所の情報を得るのが難しい場合も考えて今から確認する大切さを学んだ。 廃品回収車の希望的観測がくすりと笑えて面白かったです。ハザードマップのように、出版物を制作した人の一度は通る道だと感じた。 今回の授業で、しっかりハザードマップを見たのは2回目だが、我が家がどれくらい危険な場所なのかを思い出せた。また、避難場所も知らなかったため、事前に知れてよかった。一度しか見ていない情報はすぐ忘れてしまうし、非常時ならなおさら思い出せないと思う。そのため、定期的にハザードマップを見直す習慣が必要だと思う。そのためにも、まず、長岡市のハザードマップを調べやすくする必要があると感じた。長岡市が大きすぎるのもあるが、せめて自分の住所を入力したらでてくる方式じゃないと、一つ一つ確認して自分の家の区域か調べないといけないため、正直めんどくさい。また、イベントかなにかで定期的にハザードマップを見直せることを企画すれば、造形大生や市民も非常時に迅速に避難できるのではないかと考えた。(398字) アクセスが集中して繋がらないという現象に輻輳という名前が付いていることを初めて知った。その輻輳により、いざといった時に必要な情報が手に入らないのは致命的なことだし、非常に怖いことだと感じた。そんな時においての紙媒体の有用性を再確認できた。 今住んでいるハザードマップを調べてみて、まさか自分が被害の範囲内に入っていると思っていなかったので驚きました。しかも、想定より被害予想が大きかったです。こんなにもしっかり範囲内に入っていることは初めてだったので災害が自分ごととして強く感じました。長岡にきてからこんなにもしっかりハザードマップを見たことがなかったので避難場所なども知らなかったのですが今回の授業中の取り組みを通して、避難場所も知ることができたので調べる機会があって良かったです。地元のハザードマップも調べてみたのですが命に関わることなので家族にも調べることの大切さ・見ておくことの大切さを伝えようと思います。 去年、長岡の洪水ハザードマップを見た時、自分の実家は区があったのですが、長岡は区が無くて自分の居る場所が何地区なのかが分からなかったことを思い出しました。また、長岡造形大が地震の避難場所じゃないことは知っていたのですが、洪水時は避難場所とされてることを知れて良かったです。 実家はマンションだったのもあって水害が起こりにくいかつ被害をあまり受けない場所だったので、長岡で洪水などになったら少し怖いなと思いました。 防災全般に関してもそうだが、洪水ハザードマップは紙媒体で配られても若い人はあまり見ないと思う。そこで、若い人が無駄だと思う時間でもそれを見ないといけない時間は何だろうと考えたところ、アプリの広告の待ち時間などがそれに匹敵知るのではないかと思った。なの防災の情報やそれを見てもらうためのとっかかりを動画広告で流したらいいのではないか。 今回の授業では、実際に長岡市の洪水ハザードマップを用いて自分の現在住んでいるところが洪水被害にあった時の想像ができました。また、想像はできたけど実際どこに避難するか考えた時に時間や川からの距離的にも造形大しか高い建物がなく、とても不安になりました。 ハザードマップ自体はしっかりと情報も汲み取れて、非常にわかりやすいと感じた。しかし、ハザードマップ自体を見つけるまでにかなりの時間を要したので、緊急を要する場合などはデジタルではなくアナログで確認したほうが良いかも知れないと思った。 長岡に引っ越してきてから、地震・津波のハザードマップしか見たことがなかったので今回洪水について調べることができてとても良い機会になりました。輻輳という言葉を初めて知ったので記憶しておきたいです。私は地図を読むのが非常に苦手なので、位置情報を使って自分の現在地がGoogleマップのようにすぐに分かるようになればいいなと感じました。 今まで川から遠いから洪水の被害は起きないと思っていた。しかしいざハザードマップを見てみると、住んでいる地域もその周辺も浸水域で真っ赤。私の考えの甘さがわかった。避難場所は覚えれていたので、どのルートで避難場所に行くのかを確認して備えをしていこうと思う。 最も印象に残っていることは、災害時に避難しても避難場所が開設されていないかもしれないということです。事前に調べてから行く必要性を強く感じました。もしも避難して開いていなかったら最悪なのでしっかりと覚えておきます。 実際にハザードマップを調べてみて思っていたより浸水地域が広くてびっくりしました。また、避難すべきだと思った時に避難場所が受け入れているか分からないのは困るなと思いました。浸水深は50cmでも危険と聞いて津波だと命の危険もある高さと聞いたことがあるので水の力はすごいと思いました。なのでそうなる前に早めの行動を心がけていこうと思いました。 実家は周りに川がなく高台にあるので、あまり洪水にアンテナを張っていませんでした。長岡に越してきて、信濃川という教科書にも載るような大きな川が近くにあることが新鮮で、同時に何かあったら怖いなとも思って洪水ハザードマップは普段から手元に置いていました。今日のworkをスムーズにできたことから、緊急時が来なくても避難場所などを把握しておくことは本当に大事だなと身をもって実感しました。 長岡に移ってから一年以上経ちますが、防災マップなどは少し人ごとのような気がしていて、あまり意識していませんでした。今回のワークで、洪水時は自分の住んでいる地域が0.5~3.0m浸水する可能性があると知り、しっかりと知って対策する必要があると改めて感じました。 水害や台風については防災ができていると思い込んでいたが、改めてハザードマップを見たりネットで調べてみたりするとまだ自分の知らない情報に溢れていて驚いた。自分は大丈夫だと決めつけずに、定期的に自分で調べ、家族と相談して自分の中の情報を更新していきたい。 自分の地域で洪水が起きるかどうかを1発で調べられないことだけは不便でした。ハザードマップは最大規模で記録されているかも確認しないといけないと知りました。私も配られるハザードマップをしっかり読んでいなかったので反省して、少しめんどくさくても読まないといけないと思いました。 地元長岡で生まれ育ち小学校、中学校と義務教育内でどこに避難したら良いかあらかた理解していたつもりです。ですが、もし1人暮らしをしていたら面倒に思い避難先などの確認や非常食の常備を怠っているでしょう。面倒でない楽しい防災があれば、多くの人が防災を徹底する社会になるのでは、と考えた授業でした。 輻輳(ふくそう)という言葉を初めて知りました。長岡造形大学でも大講義室での授業の際に頻繁に起こっていて、悩まされていることです。また、ハザードマップが思っていたより見づらかったので、いざという時のために素早く確認できるだけの土地勘は身につけておこうと思いました。 小さなころから川の近くに住んでいて、洪水が起こったこともあるので、今までの授業の中では1番身近なものとして考えることができた。 長岡市のハザードマップは以前見たことがあったが、自分の住んでいる地域がどこなのかさえ忘れてしまっていた。探すのにも手間取るので、授業でなかったらめんどくさいからいいや、と途中で投げ出していたかもしれない。やっぱり住所検索はできたらありがたいと思う。防災情報だから仕方ないところもあると思うが、文字の大きさや情報がつめつめなところが見にくいなと思ってしまった。 解説指示、連絡があってから避難所として開放されるという情報は初耳でした。 長岡防災ホームページなるものがあって、災害時に最速でほしい情報が手に合はいるという事なのでいざという時のために知っておいてよかったと思います。しかしながら、輻輳による影響も考えると、やはり早めに行動に移すことや、近場の友人と連絡し合って管区人するのがいいようにも思います。今回調べていく中、規模はわかったものの、実際自分にどんな被害があるのかそこまで考えることが出来ないでもいます。平和ボケで頭が回っていないといわれても仕方ないですが、意識を切り替えるタイミングが何かしら必要なように痛感しています。 小学生の時に社会の授業で地域のハザードマップを作る体験をして、実際に地域を歩いて地図を作るのが意外と楽しかったことを思い出しました。それ以来ハザードマップにあまりふれてこなかったので、大学生になって住む環境が変わったので、実際に周りを歩いてみて地震や洪水によってどんな危険が起きるかを想像するのも面白そうだと思いました。 私は、今回の授業で初めてしっかりと洪水ハザードマップを見ました。普段から私の家の所は川が氾濫しても高くなってる所だから安全だとは聞いていたけれど、ハザードマップを確認して、浸水地域に入っていなかったので、安心感が大きくなりました。しかし、いつでも家にいるわけではないので、少なくとも大学など自分がよくいる所は調べておこうと思いました。 今回、川の氾濫や洪水について学んで、授業内課題で知った、水路も危険であることや、信濃川よりも近い川があることが、1年以上住んでいたのに知らなかったため、驚きであった。道満川という川が1番近く、しかも氾濫する恐れがあるため、実際大雨や台風がきた時にすぐに避難、防災できるようにしたい。これから梅雨や台風が来る季節になるため、万が一のことを考えると尚更準備を怠らないようにしたい。 ハザードマップを見て実家は川は少し遠くにあるので床下浸水くらいだと思っていたが、実際は大人の腰まで浸水予想があって驚いた。避難するにしても膝の高さで避難所へはいけず垂直移動になるので、一階においてある防災リュックは2階に持ってあがろうと思った。 自分はまだ長岡に来て一年しか経っていないので避難所の把握もしていなかったし、地震の時は大学が使えないなどややこしくて把握しずらいなと感じました。また、この授業でハザードマップをしっかり見たのでもっと災害について危機管理能力を上げようと思いました。 自分の実家はあまり災害の影響を受けず、私自身も経験したことがありません。だからこそ危機感みたいなものが人より薄れている気がします。今回の洪水ハザードマップを見ることで自分がどこに避難するのかどう行動するのかを考えるきっかけになりました。また、今住んでいる長岡の家でもより注意深く避難や災害について考えなければならないなと思いました。 避難所開設には、長岡市の方から指示があった場所のみ開設をするので、避難してきても指示が出ていない場所では避難所として認められない。造形大学は、洪水に限った一時的避難所として登録されている。ハザードマップで調べた際、自宅近くには栖吉川という河川があり栖吉川の西側には5箇所ほど避難所として登録されています。私が暮らす栖吉川東側には2箇所しかなく、自宅から1キロ離れた場所にあることを学んだので、洪水発生時には迅速な避難が大切だと気づきました。 長岡市からハザードマップの冊子が届いていると思うので、親が管理するだけでなく自分でもどこに保管してあるか、内容はどんなことが書かれているのか、この機会に見てみようと思いました。 長岡は地震はあるが地元広島と比べて災害級の大雨が降ったことないので、洪水の心配はあまりしていなかった。しかし初めて長岡市のハザードマップを見て自分の家や友達の家も3m浸水する区域にあって驚いた。また大学は一時避難の場所だったので、危険性が高い災害の時は別の場所に行かなければならないと感じた。友達と洪水の時の避難について話し合いたい。 自分の体験談になってしまうが2019年の夏、いくら降ってもやまず風の音も大きいまま一晩が過ぎていった。中学生の頃だから台風などはそれなりにウキウキするものだったが、この豪雨は恐怖の方が大きかった。私の地区は標高がそれなりにあったので何も水につからずにすんだのだが、親戚の家はソファが水で浮いてしまうほどに水が溢れていたので水があらかた引いた後は大量に残った泥を掃除した記憶がある。近所では灯油タンクも壊れたりなどかなり散々な目にあっていた。その数ヶ月後、一番浸水が酷かった地域の神社は川のすぐそこなのに浸水を免れただとか、知り合いの家がとんでもない浸かり方をしただとかそんな話を多く聞くようになった。この時が一番自分が安全に何事もなく過ごせるのは運に近いんだなと感じた時だった。 意外と自分が住んでいる地域の避難先について調べる機会がなく、今回でどこに逃げたら良いのかわかって今後いざと言う時に動けるようになったと思うのでよかった。ハザードマップを中学生ぶりに見たのだが地区ごとに見れるようアップデートしてもらえるともっと見やすくて良いなと思った。 今まで近くの川は小さいし絶対に浸水しないから大丈夫と親に言われてきてそれを鵜呑みにしていました。ですが、今回新しくなった長岡のハザードマップを見たところ自分の住む区域が最大5mまで浸水することがわかり、危機感を覚えました。輻輳が起こる前にハザードマップや避難所の確認が取れて良かったです。 去年長岡に来てから初めて長岡市のハザードマップを見たけど、川が氾濫した時自分の家も浸水する地域に入っていることにとても驚いた。自分の家は1番近い川で道満川だけど、割と距離があるなと思っていたので、まさか水が自分の家まで来るとは思いもしなかった。小さな川である道満川でさえ自分の家まで水が来てしまうのに、信濃川が氾濫したら想像を超える量の水が来るのかなと思ったらとても怖くなった。 また、雨による災害なのか、地震による災害なのか、被害をもたらした原因によって避難場所が変わることを初めて知った。今回私はこの講義を受けていたからその事を知れたけど、受けていなかったらどんな災害であっても造形大に避難しに行ってしまっていたと思うので、やはり事前に防災について知っておくことは重要なんだなと思った。 以前地震が発生し、気になって自分で避難場所を探した際に、造形大と説明会ではおっしゃったのに地震の避難場所を調べた際は造形は出てこなかったことがあり何故かわか離ませんでした。しかし、今回の授業で区分マークや組織マークの存在、そして「一時的な避難場所」という区分が存在することを知りやっと理由がわかりました。自分の命を守る選択肢を増やす意味でも今日学んだ輻輳や浸水深のことも意識しながらもう一度自分の周囲の情報を調べ直し、知識の更新をすることに活かしていこうと思います。 洪水や浸水の被害にこだわらず、『自分には関係ない、自分は大丈夫』というマインドはかなり危険だと再認識し、災害時に正常性バイアスに陥ることなくいつでも自発的に行動できるように備えておくことが必要だと思いました。 少し違うかもしれませんが、大学の講義で出席登録をしようとした時にサーバーが混み合っていて締め出されることがあるので、輻輳ってこういうことか!となりました。 ハザードマップなどにおいて、家の購入の妨げになるのではないかという意見や、ハザードマップが廃品として出されてしまった話で色々考えさせられました。私自身今まで大きな災害の被害にあったことがないために、災害の備えをとても甘く見ていました。周りの大人についていけばなんとかなるだろうと思っていました。しかし、現在一人暮らしが始まったことで、自分のことは全自分で考え、行動しなければならないことを実感し、災害の備えが他人事ではないことを思い知りました。自分で自分の命を守るための手助けとして作られるハザードマップなどは、しっかりその意味を考えて大切にしなければならないと思いました。 長岡に引っ越してきてから、地震・津波のハザードマップしか見たことがなかったので今回洪水について調べることができてとても良い機会になりました。輻輳という言葉を初めて知ったので記憶しておきたいです。私は地図を読むのが非常に苦手なので、位置情報を使って自分の現在地がGoogleマップのようにすぐに分かるようになればいいなと感じました。 過去に起きた災害について思い出せることが少なかった。2019年の台風は、たまたま被害の少ない地域にいた可能性もあるが、ニュースすら記憶にない程だ。 これでは振り返って防災に繋ぐことができない。自分の安全への意識に、危機感を抱く授業だった。 また、避難場所の掲示があるところが必ず開いているわけではないと知り、ハザードマップの読み込みは大事だと思った。 今回の空間安全論では、洪水の防災について理解を深めました。授業内アンケートで、実家の近くに流れる川の浸水範囲や避難場所について調べたのですが、2~3分程で調べることができて驚きました。この事前の2~3分が家族や自分の命を守れることを考えると、調べた方が良いなと感じました。今回は実家の周りを調べましたが、長岡に住む祖父母の家の周りも調べてみようと思いました。 捨てられたマップの話のように、こちら側がどれだけ防災意識を高めるような案を出したところで、「防災=めんどくさい」と思考を放棄してしまうような、現在の時間軸でしか生きていない人には刺さらないという現実が悲しいと思いました。しかし、そういう人に限って生への執着が強く、いざ死にそうになった時に大慌てすると思うので、憎らしく思えてきます。 でも、めんどくさがる人を見捨てない、優しい世の中に生きていたいです。 洪水ハザードマップの存在は知っていたが自分が今住んでいる地域までじっくり見ることは無かったのでいい経験になりました。また、長岡の上川西という地域だとも知りませんでした。避難場所についての??や☆の意味も知ることができ非常に有意義でした 今回洪水のことで、友達に被害を受けた人がいて、その人から写真を見せてもらうとかなり悲惨なものでした。自分は洪水とは無縁の高台に住んでいたため、洪水の恐ろしさを想像できませんでしたが、今日写真を見て洪水の恐ろしさを感じることができたと思います。台風の被害として、洪水が起きていましたが、自分は台風により土砂災害の被害を受けたことがります。小規模でしたが、自然現象の恐ろしさを学びました。そのこともあり、大雨による洪水被害の時に安易に山に登るといったことはするべきではないと考えます。今日のワーク2で避難所の指示が欲しいとかきましたが、自分の調べが足りてないだけで他のページに避難所一覧がありました。しかし、もっと分かりやすい様にマップの方にも掲載して欲しいと感じました。 災害は規模が大きすぎるため、実際に体験しないと防災訓練をしようとはならないと感じました。しかし、訓練をしていなかったために命を失いといったことはあってはならないと思うので、強制的に避難訓練を実施すべきであると考えます。 今日は大雨、台風によって起こる洪水について学びましたが、実際に自分の地域を調べてみると近くの川が信濃川だけではないと気づきました。以前アパートに引っ越す際に、ハザードマップを見せられて、万一の時は造形大に避難するよう言われたことを思い出しました。自分の住んでいる地域は洪水浸水深さが0.5~3mとほかよりも浅めでしたが、浅くても津波の時のように、流されてしまう危険は十分にあるので気をつけたいと思います。また、造形大学については長岡市からの開設命令がでないと開かないということで、いつ避難すればいいかどうかも調べながら避難したいと思いました。 今回ハザードマップを改めて見てみると、実家で両親と軽く確認しただけでは分からなかったことが多く見受けられた。一口に「避難所」と言っても指定された安全性の高いものから洪水や地震など特定の災害時には開設されないものまであり、慌てて避難して開設されない避難所に着いてしまったというような悲劇を起こさぬよう、可能な限り敏感に情報を仕入れたいと思った。また、膝まで水が溜まると避難が困難になると聞き、小学校で着衣水泳をやった時を思い出した。一見掻き分けたり泳いだりできそうでも、衣服の重みと水の流れで予想以上に思うように動けないことを覚悟すべきだと感じた。 今回1番驚いたことは避難所が災害時にいつも空いている訳ではないということです。私はまだ、避難するほどの災害を経験したことがなく施設がいうも空いている訳では無いという点を見落としていました。今までは1番身近な避難所1箇所を把握しておけばいいと思っていました。移動してみたが、避難所が空いていなかった、深夜に災害がおこり、どこなら避難できるかわからない時などパニックになってしまいそうです。 避難所が災害時に必ず開設されるわけではないということを認識できたことが今回の大きな学びです。今まで、避難するとなった時に避難所が開設されているという前提で考えてしまっていたため、近所の避難所の1つか2つしか把握していませんでした。しかし、それでは緊急時にその避難所に向かって開設されていなかった場合かなり不安になりそうなので、避難所の候補を多めに持っておくことが必要だと感じました。 また、今回紙のハザードマップを利用したのですが、比較的スムーズに探すことができました。丁度、パソコンの充電が切れており、スマホはzoomに接続している状況だったのでデジタルで探すよりも楽だったかも知れません。全てをデジタル化してしまうと場所は取らないけれど、電気を確保できないと何も情報が得られなくなる危険があるので、紙で持つメリットはあると思いました。 身近な川を調べる時に実家の近くの川を調べました。調べる前までは市で有名な大きな川の名前しか知りませんでした。調べてみると四か所も川があることがわかりました。それらの川は市内を満遍なく通るように流れていました。実家は洪水の可能性のある区域からは外れていましたが、市内のほとんどは洪水の可能性がありました。つまり大規模な洪水が発生したときは避難してきた人が流れ込んでくることになります。実家周辺は洪水時に水の被害はでにくいかもしれませんが、避難いてきた人たちで渋滞が起こり、二次被害の混乱が発生する可能性もあると思いました。 ハザードマップがあることは知っていたけれど、しっかりみて確認したことはありませんでした。避難所に区分があることも知りませんでした。事前に避難場所を知っておくことと、緊急時に災害や避難場所が開設されているかの情報をどこで手に入れるかを知っておくことが大切だと知りました。先生が「防災は大事だけどめんどくさい」とおっしゃっていたのが印象に残りました。実際に私自身も、住んでいる地域なら備えようと思えるけれど、旅行先や帰省の途中で災害が起きたときの防災まで備えようとするのは大変だなと思いました。 近所の川の洪水被害状況が市から情報が出ていないことにとても衝撃を受けた。その川が洪水の可能性が低いというわけではないため、全国にそのような川がまだまだあると考えるとゾッとする。近年大型災害が増えているためその対応をできる限り早くしなくてはいけないし、むしろ避難のしかたを忘れている点があるため、その機会を増やす必要があるとも感じた。 今回の講義では水害について勉強をした。授業内で実際に自分の実家周辺にある川や水害被害が及ぶ範囲に入っているのかなどを調べた。私は地元の洪水ハザードマップを使用した。洪水ハザードマップを見ることで自分の知りたい情報や、さらに避難などに役立つ情報が自然と入ってきた。ついつい捨ててしまいがちな地域からの資料は今後のために大切にとっておくべきであると思う。また、輻輳というワードを初めて聞いた。ネットが普及した現代だからこそ起こる被害であると考えた。また、そんなときに自分は何をしたらいいのかを優先的にするべきである。混乱はプラスの被害を大きくすると感じた。 今回の講義で、ハザードマップを初めてしっかりと見ました。もし川が氾濫した場合、自分の住んでいるところは三メートルもの高さの水が迫ってくるのだと知り、避難の意識は常に持っていなければならないなと思いました。また、信濃川西地域より、信濃川東地域のほうが、水の深さが深くなるのだとハザードマップを見て知りました。川からの近さがオナ味でも危険度は同じと思わず、その地形によってしっかり避難の仕方を考えなければ行けないなと思いました。 避難所がどの災害でも避難所となる所もあれば、洪水時のみなど限定して使われる避難所、また一時的に避難はできるがその後場所を移さなければならない避難所などがあることを知りました。私は東日本大震災で大きな地震を体験して以来、幸いな事に避難が必要な災害に遭遇していません。東日本大震災の時でさえ、学校にいたときに地震が起きたので、避難場所への行動をしたことがないと言っても良いかもしれません。今一番身近な災害は信濃川の氾濫だと考えているので、避難行動をするときどこへ行けば良いのか迷わないように今のうちから下調べを行おうと思います。 今回の講義で実家のハザードマップを確認するきっかけができましたが、それと同時に自分はまだまだ防災に対する意識が甘いということも実感させられました。また、2019年の10月に発生した台風の災害に若干遭っている身であるのに対し、命の危機感を持って行動できたかと言われると自信を持って「はい」と言えない自分に悔しさを覚えました。 前に台風の被害で信濃川が洪水になって実際に河川敷まで見に行ったことがありますが、もう少しで溢れそうな量だったのでもし溢れたら食料や避難場所はどうすれば良いのかととても焦った記憶があります。今回の授業を受けて改めて避難場所や洪水区域をしっかり確認しなければいけないなと思いました。 去年、私の地元で大きな洪水が起きました。茨城県での大きな洪水は2015年に起きた常総市の洪水が有名でありその時は同じ県内でも少し人ごとに感じていましたし、私の住んでいる市内は大丈夫だと思っていました。ですが去年は私の知り合いや、家族も被害に遭いました。いつも母親が出勤のために使っている道路で土砂崩れが起きたり家が水没した知り合いの家など話を聞いて驚きました。今まで人ごとに考えていたためハザードマップ等を見たことがなかったですがあの日以来見るようになりました。授業内でハザードマップの大幅改訂がされたとおっしゃっていましたが、正直見づらく、とても見る気にはならないなと感じました。デザインの力がここで生かされるのかなとも同時に思いました。 今回印象に残っているのは自分の住んでいるところのハザードマップをよく見た事です。私は蓮潟に住んでおり、地名からして浸水しそうだなという感じはしますが、実際に調べてみると3~5mと書いており、とてつもない洪水災害が起きてしまった時には垂直避難をしなければ行けないのかなと思ったと同時に日頃からの備えを早急にひとまずしてしまおうと思いました。 長岡市の洪水ハザードマップを調べて自分の住んでいる所を調べようとしましたが、すぐには見つけることはできず苦労しました。近くにある河川はわかりましたが、自分の住所がどの地区かまでは把握していませんでした。この授業で初めて知りました。また、避難場所は災害の種類によって対応場所が違うことや、どうやって避難場所が開設するかという情報も調べたことがありませんでした。自分自身が今住んでいることについて全然知れていないんだなと痛感しました。今回の授業で大切なことをたくさん学べてよかったと思います。もし長岡で災害に遭ったら、今の自分だと知らないことがありすぎて上手く行動ができないと思います。一人暮らしなので自分の身は自分で守らなくてはいけません。防災への意識を常にもっと高めたいと思います。 今回の授業で、洪水についても考えておくことが必要だなと思いました。自分の実家は新潟県新発田市で、家の目の前に加治川の支流があるのですが、高校生の時に洪水とまでは言わないかもしれませんが、家の前の道路が膝くらいの高さまで溢れ冠水して家から出れなくなったことがあります。その時は半日程度で徐々に引いていきましたが、豪雨がもっと続いていたらどうなっていたかとても心配でした。今現在も造形大のすぐ近くで暮らしているので、信濃川がもし溢れてしまったら確実に大変な位置です。しっかりとハザードマップ等で確認をしておくとともに、豪雨などの際は情報を早く取り入れられるようにしたいです。 今回の授業で初めて地元のハザードマップを見ました。私は諏訪湖の周りに住んでおりますが、洪水について考えたことがありませんでした。実際にハザードマップを見てみたら浸水地域に入っていて、しっかりと避難場所を確認しないといけないなと感じ今回の講義で調べる機会があってよかったなと感じました。現在長岡に住んでいるので、長岡の中での防災マップもちゃんと確認しないといけないなと感じました。もし、実際に被害があったに咄嗟に行動できる様にしておくためには防災マップや経路の確認は大切だなと感じました。 輻輳という2文字が印象に残りました。ハザードマップをどのように調べたら良いかを分かっていたら良いと思っていたけれど、実際に災害が起きてからだと、情報を得られない可能性があることを初めて知りました。事前に調べておくことが大切だと分かりました。 また、洪水ハザードマップの地図情報の一覧は少し見にくさがあって、どれを開けば良いか混乱すると感じました。 川の近くにある大学なので仕方ないとは思うが、大学近くがほぼ浸水の範囲だったので驚いた。また、ハザードマップを検索する際に自分が川西に住んでいることは知っていたが、そこからどれを選べばいいのか分かりづらかった。洪水や避難所についての便利地図もあったが操作しづらいことと便利地図まで辿り着くのに工程が多かったので緊急の時に調べるのはどちらも大変そうだなと思った。そのため、今回の授業で家の近くの避難所や洪水の範囲を知っておくことができて良かった。これから出かけたりすることも考えると長岡市全体についての大体のハザードマップなどはみておくべきかもしれないと感じた。 避難所では回線が混雑して電波が届かなくなり、連絡手段が断たれてしまうというのは非常に大きな問題であると思いました。避難所の設備はきちんと整備されているのか、日頃から地域の人たちと確認しておく必要があると思います。 水害は地震と一、二を争うほど身近な災害なので、より一層自分ごととして考えることができました。思えば人生の中で本当に身の危険を感じた災害は東日本大震災といつかの台風の際に起こった洪水でした。玄関のすぐそこまで浸水して、この場合どこに逃げれば良いんだと少しパニックになりましたが、今回の授業で自分の地域の避難場所が把握できて良かったです。最悪の場合自宅の2階に逃げます。 ハザードマップを確認する機会は普段、正直あまり無く、今日はじめて、今まで18年ほど暮らしてきた地域のハザードマップを目にしたと思います。近くに大きな川があり、自宅がまるまる浸水地域だったので驚きました。この機会に知ることが出来て良い学びになりました。 一度信濃川が氾濫しかけた事があると聞きます。堤防がありますが、あの量の水が溢れ流れてると考えると末恐ろしいです。今回の授業を経て、ハザードマップを確認しようと思いました。新潟ではありませんが、九州の方での洪水を思い出しました。家の1階が水浸し、凄まじい量の水が濁って止まらない。その光景が思い出されました。 このような機会がないとあまりしっかりとハザードマップを見る機会がないので今回しっかり見て自分の自宅は浸水しやすい地域なのかなど確認することが出来ました。災害それぞれで避難する場所が違うことを初めて知りました。だいたいここに避難すればいいだろうと思っていてもその避難した場所が空いていなかったからその時間で災害に巻き込まれる可能性もあると思うので災害それぞれで開く避難場所を頭に入れておく必要があるんだなと思いました。 自分が保育園だった頃に、実家の近くの川が豪雨で溢れて家が床しか浸水したことがあります。保育園の頃の出来事ですが今でもかなり鮮明に覚えていて、玄関を出たらもう直ぐ前が川のようになっていました。今近くにある信濃川は河川敷も広く堤防も高いため、さすがに溢れることはないだろうと思っていたのですが、今日ハザードマップを初めてみて、自分の住む場所が浸水エリアに入っていたことに驚きました。今は一人暮らしで避難するしないは自分の判断で決まるので、警報が出たりしたら自分が危機感を持って行動をしなければならないと思いました。 今回の講義で、輻輳という言葉を初めて知った。インターネットは便利であるが、通信状況により必要な情報が取得できるかが左右されてしまう。そのため、普段から意識的にホームページやパンフレットに目を通し、必要なものはダウンロードしておく必要があるとわかった。 長岡市のハザードマップが捨てられていたこともそうですが、中々市町村の防災マップでわかりやすく興味をそそるものというものも難しいと感じました。また、近年の多国籍化に伴った制作も行われている様子を見て視野を拡大させなければと感じました。 ので津波、浸水のイメージすらわかず、今回改めてわたしは水災害に対する知識が乏しいのだと感じました。また、浸水が予想される地域をみたとき私は川の付近は全滅だと考えていたのですが過去の履歴をみると私のすんでいる堤町や渡場町が浸水しており橋の近くは色がつけられてありませんでした。おそらく堤町は渡場町は少し窪んでいるのかな?と思いました。そして橋に向かって少し土地が上がっているためむしろ川近いところは浸水が少なかったのではないかと考えました。 いままでもし浸水したらなんて考えたこ 今回の講義では、洪水対策について考えることが出来ました。私の家の近くには信濃川が流れているのですが、家は少し高いところにあるので「まあ大丈夫だろう」と考えてしまっていました。しかし、洪水被害は家にいる時に限って起こることではないので、よく行く場所なども避難所を調べておく必要があるなと思いました。また、防災への危機意識をどうしたら上げることができるのかというお話に興味を持ちました。私の世代は小学校の頃から防災教育を受けてきました。災害の映像を見て学んだり、非常食を食べたりしたことを今でもよく覚えています。しかし、現在の私は防災グッズを揃えたり、避難経路をしっかり確認したりが出来ていないので、義務教育に組み込むだけでは足りないんだなと思いました。 洪水ハザードマップ(冊子)についてですが、引越ししてきた時や以前地震が起きた時などに何度か見ました。 インターネットで検索することもできますが、スマホやパソコンで大量の情報を目の前にすると混乱してしまうこともあるので紙で手元にあると落ち着いて情報に触れられるという安定感があり災害時に適しているなということを実感しています。ありがとうございます。 今回は実際に自分の住んでいる地域のハザードマップや防災資料を調べて勉強したのでより深く洪水の災害について学ぶことができました。印象的だったのは長岡造形大学は洪水の時には避難場所として開くが、地震の時には閉まっているということでした。今まで小中学校や大きな施設はどんな災害の時でも防災センターなどと連携して避難場所として開放してくださっていると思っていました。今回そうではなく、施設によっても対応が異なることを知ったので、ただ単にハザードマップでここが危ないから災害の時はあそこに避難すればいいという考えではなく、地震の時、また津波の危険性がある時はこの順序で小学校に避難する。洪水の時は小学校が閉鎖しているので親戚のマンションに避難するなどと事態に合わせた予測と行動をしていきたいと思います。また、授業内のワークで一番近い河川を調べる時に、信濃川ではないのかと脳内で即答しましたが、小さな水路が地図上に映ったときにはっとしました。大学前にも流れている水路が水でいっぱいになっている時を思い出し、こんなにも身近に危険が潜んでいるのかと考えさせられました。 長岡の防災マップを初めて見ました。調べるとかなり簡単に出てくるのに見てなかったのは勿体無かったです。地元が浸水の危険性が低い地域だったので浸水の被害をあまり意識してなかったのですが、今住んでいる場所は近くに信濃川があるだけでなく、家の前に大きめの水路があるのでかなり危険だと思いました。少し雨が降っただけでも水量が増して、日頃から怖いなと感じるので災害級の大雨になったら一番危ないポイントかもと思いました。また、避難所の開設の流れについて、市から要請がないと開けられないのは初めて知りました。地震の時は造形大が避難場所になっていないことは記憶に焼き付けておきます。 避難所開設が市の災害対策部からの連絡を受けないと避難所にならないことを初めて知った。 造形大が洪水時の一時位避難所であるだけでそのほかの地震などの災害のときは避難所にならないことは知っていたが、なぜ洪水時以外の災害の際に避難所として扱われないのかが不思議に思った。 ながおか防災HPのハザードマップの一覧だが、大学進学のために長岡に引っ越してきたことがあり、長岡市の町名の把握をしておらずまず自分がどこに該当しているのかわからなかった。 地元だった場合は慣れ親しんだ町名や町並みであるが、よく知らない地域に移り住んだときに、ある程度の町の位置関係や区分けがどうされていて自分がどこに該当しているのかよく調べておく必要があると感じた。 今までハザードマップは避難する場所が書いてあるだけの地図だと思っていましたが、被害予測も書かれていることや長岡造形大学が洪水時の一時的な避難場であることを初めて知りました。「避難場所が書かれた地図」や「何かあった時の避難場所」という断片的でインパクトの強く、自分に関係があると思った事柄だけを無意識に情報収集していた事に気づきました。まだ、ジブンゴトとして考えられてない部分が多々あるということを認識できたので強い先入観を持たずに自分のペースで情報収集をすることを心掛けたいです。 改めて調べてみたところ、避難指示が出る地区が想像より広かった。私の地元は高齢化が進んでいるので、私は自分が逃げることに加えてもう1人担いで逃げるくらいの気持ちでいた方がいいと思った。そのために避難場所だけはしっかり頭に入れておきたい。 今回の授業では、水害について学びました。自分は今まで、長岡に住むまで福岡に住んでいて何度も台風が来ましたが運よく被害を受けたことがなかったので、水害対策などを考えたことがありませんでした。 今回、授業を受けて、そういえば自分の家の近くに大きな川があることを思い出しました。そして、いかに自分が水害に対して意識が低かったかを思い知らされました。 信濃川周辺の避難場所を調べるとたくさんの避難場所があり、調べておくことの大切さを感じました。 約20年長岡で生きてきたが今日初めて長岡市のハザードマップを見た。自宅近くで水害が起きたことがなく、そもそも配られた記憶もないので見る機会がなかった。今日見て、自宅が0.5m以上も水が浸かる場所だと初めて知った。近くの避難所も確認できてよかった。 今回の講義では輻輳という言葉印象的だった。災害時に通信要求過多になってしまうとどこに避難すればいいのか、災害の規模などリアルタイムの状況が不透明になり自助が難しくなってしまう。だからこそ事前に避難場所や近くの川などを調べてスムーズな行動を出来るようにしたい。 長岡市のハザードマップが大きく変化したことを講義を通して知りました。自分の地元の住んでいた地域のハザードマップを見て自分の地域が洪水の災害エリアに含まれていないことに驚きました。でも、もしかしたら旅行先で洪水が起こるかもしれないということを頭に置いておくことは大切だなと思いました。授業の冒頭でもお話があったように自分ごととして考える癖をつけようと思います。 洪水はこの地域に住む私たちが最も警戒すべき災害だと思います。自分で近くの川や避難所を調査する時間を設けたことで、改めてその事実を実感しました。 長岡に引っ越してきた時に、アパートの管理会社の方から洪水ハザードマップをいただきました。アパートの位置を赤い丸で囲った状態で渡していただいて、すぐに自分の家とその近くの避難所を確認することができましたが、普通はまず自分の家を見つけること自体が大変で確認を疎かにしてしまう人が多いのかと思います。 管理会社の方に感謝すべきですし、自分もそのように人の身を守るために気を配れるようになりたいと思いました。 2019年の大雨/洪水の際、当時私が住んでいた地域も少ないながら被害を受けた。浸水などの被害はなかったが、学校に通常通り行くことが難しくなったり用水路が水で溢れたり、大変だったことを覚えている。しかし、何より覚えているのが「避難」という選択肢を選択肢に入れていない家族のことだ。万が一に備えて避難の準備をしておくべきではと提案したが、笑って済まされてしまった。避難する必要があるかもしれない、という意識を持っておくことの難しさを感じた。 実際に長岡造形大学が避難場所として使われたら、どのくらいの人数まで収容できるのだろうと思いました。私たち学生だけで飽和状態にはならないでしょうか。大学の備蓄品はあるとは思いますが、その場所を私たちが把握しなくて良いのでしょうか。どこに避難して何から行動すればいいのかわからないこの状況を変えなければならないと強く感じました。 ハザードマップを中学校の授業で確認したことがあったが、このような授業のちょっとした時間でも今でもそのことを覚えているし、実際に災害に遭ったときに役に立つのだなと実感した。今日の授業内でも長岡市内のハザードマップを確認することができたので今日の記憶を頭の片隅に置いておきつつ実際の災害の際には冷静に行動できるようにしたい。また、授業内でお話があった避難所として施設が指定されるまでの過程を今日初めて聞くことができたので興味深かった。私の予想だと「うちの施設は避難所でもやれます!!」と施設が市役所に届け出て、ある程度の項目を満たすと避難所として認められると思っていたので、市の方から命令が出ると知って驚いた。 やはり浸水想定地域や最寄りの避難場所は、住所検索などができるかなと思っていたので少し調べるのに戸惑うことがありました。ですがやはり日頃から対策しておくべきものだと思うので、実際に起こったときに避難所などを慌てて調べるよりも事前にじっくりと調べておくことの意義を感じました。今大学近くで一人暮らしをしていて、ここより田舎の地元にいた時よりも周りに人が密集していることが、実際の安全性がどうかは分かりませんが、自分にとってはかなり安心要素になっているなと感じました。 学んだ記録2.の記入のために洪水ハザードマップを調べた際、能登大地震の日に心配になってハザードマップを見たことを思い出しました。すっかり忘れていましたが、あの時も地図の調べ方がわからず、結局どれくらい危ないのかを調べられなかったのです。もし今後被災することがあったとして、必ずしも慣れ親しんだ土地に居るタイミングとは限りません。常に自分がいる場所がどこなのか、いざという時に情報を素早く選び取れるようにならないといけないと思いました。 水没のことを「被災」だと感じられるかどうか 今回の学びの軸を作るワークで、最初はいつの台風のことだか思い出せなかったのですが、中3の時とわかった時、地元の中学校が水没したことを思い出しました。その日は学校はなく自宅にいたので、直接身体的な害を受けることはありませんでした。 浸水深はおそらく1m以下でしたが、棚の下段にあった荷物や教材などは水没してしまい、ファイルやリコーダーについては支給支援の話が来ていたことを覚えています。 中学校の真横に川が流れているのにも関わらず、自分の学校が水没するとは夢にも考えたことがありませんでした。 とはいえ被害の大きさでいえば中規模程度だったので、重篤な被害者などはおらず、大きな器物損壊などもなかった(校舎の床は張り直しになったが)ため、私の感覚としては「普通に困ったな、面倒なことになったな」という気持ちでした。 ただ、この時担任の先生に言われた「私たちは今被災しているんだよ」という言葉が強く印象に残りました。自分にはその時、”被災している”という自覚がありませんでした。なんなら、ちょっと大袈裟じゃないかと思いました。 これは防災意識の話とそのまま繋がっていると思っていて、「雨が降るかもしれないから傘を持っていこう」と「災害が起こるかもしれないから防災リュックを用意しておこう」というのは本質的には同じことだと気づきました。要は嫌なことを避けるための事前準備。ここで初めて先生がよくおっしゃっていたことの意味が理解できた気がしました。ハザードマップを見るのは天気予報を見るようなものだし、災害が起きることは雨が降ることのようなものだと思います。 違うのは当事者意識の乖離度だけではないでしょうか。雨が降ることも水没することも地震が起きることも、人間にとって大なり小なり「普通に困ったな」があるからそれを防ぐための行動をとる。ただなかなかその解像度があがらず、異次元の困りごとのように思えてしまうことが問題点なのかなと思います。 家蔵や友人を亡くしたり、家がなくなるということは非常に辛いと思いますが、経験していない自分にとってはいまいちイメージに欠けるところがあります。「それはさぞかし辛いものなのだろう」となってしまいます。その結果、ノートやリコーダーがちょっとダメになったということを”被災”の枠にくくるという発想はありませんでした。なので、防災をより身近なものに近づけていくことが重要だと感じました。 Work2で地元と長岡のハザードマップを見比べてみて、地元の大阪は水の都と呼ばれるだけあって川が多かった。でも浸水する高さだけ見ると、大阪より長岡(蓮潟)の方が高かった。長岡はそもそも土地が低い方なのかなと思った。大阪は真ん中に上町台地があって盛り上がっており、実家がその近くなので川は多いけどそこまで水が流れてこないのかなあと思った。 今回の授業を受講して、信濃川が近くにある中で普段はあまり川のことを気にしないで普通に生活していますが、いざ大きな台風などが来たとなると川がどのように氾濫するのかを想像するだけでも恐ろしかったです。今回の授業で洪水のハザードマップを確認し自分の家は結構水が入ってくることがわかったので、いざと言う時に避難できるよう避難用具を揃えておこうと思いました。 長岡に来た時に洪水ハザードマップの説明はされましたが、更新されていることは知らなかったので確認ができてよかったです。いざという時はスマホで調べればいいと甘く考えていましたが、サーバーが集中してサイトが開かなくなることを聞いて、最悪の事態に備えて避難場所を頭に入れておく必要があると思いました。長岡市は大きな信濃川が流れているので大学生の内は特に気をつけていきたいです。 こちらに引っ越す際に、住むことになるアパートは水害の被害もあまり出ない場所にあると言われていたので、自分は大丈夫だろうとハザードマップを見ようとしていなかった。しかし今日の講義で小さい川、用水路でも十分被害がでることを学んだ。 私の実家は目の前が川なので、台風や大雨の日には洪水が起きないかいつもハラハラしていました。実際に、私はその川で洪水を経験したことがないのですが、隣の大きな川ではたびたび洪水が起きていました。洪水は家や車がダメになることが多いので、起きないでほしいなと思います。 今回講義を通じて、実際に避難所や洪水が起きた際に自分の住んでいる地域が洪水に当たるか洪水マップを通じて調べた際に、想像以上に洪水の被害に当たる範囲が広く実際に洪水が起きた際に、私は自家用車を持っていない為洪水被害に当たらない地域に逃げられるか不安に思いました。また危機感を改めて覚えることができました。 自分が住んでいるアパートが蔵王橋から徒歩数分の川沿いにあり、洪水の被害がある範囲には入っていそうだとは思っていたため、ハザードマップの被害区域に入っていることは予想通りだった。しかし、いつも蔵王橋を歩いているとき信濃川を見るとかなり下の方を流れていて畑などもあるので、実際に水位が上がるのか想像が出来なかった。 今回の授業では、洪水が起こった際に自分が住んでいる区域はどうなのか、避難先が自分に近くにあるのかを調べた。また、洪水ハザードマップの他にながおか防災ホームページがあり、そこから情報を得られることも知った。私が今住んでいるところは大学から近く、避難場所としては良いのだが、自宅から近い大学の裏側には用水路があるので自宅から避難するときは大学の正面玄関から遠回りして避難した方が良いことがわかった。洪水の被害を受けてことがないので、被害の状況がわからないことと、私の場合は遠回りして大学に避難するので余裕があるかどうかは不安だなと思った。 ハザードマップを詳しく調べて自分の住んでいる場所やよく行く場所についての洪水情報を理解することができました。地震についてのハザードマップなどは調べたことがあったのですが、洪水について調べたことはありませんでしたが、私の思っていたよりも被害が大きくて驚きました。 自分の地元のハザードマップを、小学校か中学校ぶりに久しぶりに見た。自分の実家と最も近い避難場所は通っていた中学校なのは知っていたし何かあれば迷わずそこに行こうと思ったが、よく見ると実家は浸水や土砂災害の区域には入っていないが中学校はその範囲にギリギリ入っていて、この場合どういう判断をしたらいいのだろうと疑問に思った。 ハザードマップを今まできちんと確認したのが片手で数えられる程度しかなかったため、この機会に自分の地域の避難場所や危険な場所を把握することができてよかったです。いざ避難しなければならないとなったとき、パニックの頭で検索し多くの人が調べているかも知れない中で把握するのは確かに難しいと思うので、あらかじめ防災グッズを揃えたり、逃げ方を考えておくことは重要だなと再認識しました。 今回洪水について学んだが、生まれ育って馴染みのある地元では親の代から伝えられているその土地の特徴(ここは昔被害があった場所で危ないとか、山を削ってできたところだから地盤が固い・埋め立てたところだから危ないとか)がよく耳に入ってきて、自分の住んでいる土地に対してどう対策していけば良いのかなんとなくわかっていたけれど、長岡へは去年来たばかりで土地の特徴もよくわかっていないので、過去の災害を調べたり地元の人の話を聞いたりすることが重要だなと感じた。 今回の講義を受けて事前にハザードマップを見ておくことは大切だと改めて実感した。家の近所の避難場所として長岡造形大学と近くの小学校があることは把握していたがそれ以外にもう一箇所避難場所があることを知らなかったので、洪水以外のハザードマップも見ようと思った。 私の実家が少し低い場所にあるのは分かっていましたが、調べてみると一階は余裕で浸水するレベルで、そこまでは考えてなかったので驚きました。地震ばかりに気を取られていましたが、水害のことも知っていかないといけないなと感じました。 私の故郷は黄河のほとりにあり、町の中心にも支流や川、湖などがあります。毎年6月から7月の雨季には河川が氾濫しますが、被害範囲が小さいため、洪水をあまり重視してきませんでした。授業後、故郷の洪水の歴史を調べてみると、1991年に特に深刻な洪水が発生していたことがわかりました。この災害で多くの命が失われましたが、低確率の出来事だったため、誰も話題にせず、忘れ去られた歴史となっていました。 長岡市の洪水警告図が想定する2日間で331mmの降雨量は一見するとありえないように思えますが、極端な天候による災害が増えている現在、こうした極端な予測は必要です。さらに、この地図は洪水時の被害状況と避難場所を明確に示しており、非常に安心感を与えてくれます。 地元のハザードマップを初めて確認したが、思っていたよりも操作性が良かったことが印象に残っている。自分の住んでいるところにはどういった災害を受ける危険があるのかや、避難所がどこにあるのかを確認するだけならそこまで時間はかからなかったので、さっと確認できるというイメージが広まればハザードマップを日頃から確認する人が多くなるのではないかと思った。 今回の講義では、洪水対策のハザードマップについて学びました。信濃川が近くにあるだけあって、洪水の可能性が思ったより大きかった印象です。また、意外と簡単に浸水の可能性や避難先を調べることができるので、忘れないようこまめに気をつけていきたいと思いました。そして、「いつ来るかわからないものに時間を使いにくい」は自分に刺さる言葉でした。今後は、自分の命を守るためにもしっかり時間を取っていきたいと思います。 授業内課題で長岡の洪水ハザードマップには避難場所が中に書かれてなかったと書きましたが、見落としていただけでした。 避難場所は市が指定しないと開かれないということが学びになりました。緊急時HPを確認せず知識としてあった避難場所に向かってそこが開かれていなかったら余計に自分を追い込むことになるということが恐ろしく感じました。緊急時は授業内で紹介されたHPを確認するということをしっかり覚えておきたいです。 大雨による洪水は、信濃川の近くに住んでいたこともあり、ハザードマップを確認したことを覚えています。ハザードマップに載っている避難所について、自分が通っていた学校であったため、そこに行けばいいと思っていました。しかし、授業で、避難所にもどんな対応ができるかで、避難所にならないことがあると知りました。避難所に向かうという経験がないため、もっと詳細に知っておく必要があると感じました。また、地域で配布される地図について話がありましたが、確かに配布時に見るだけの人も多いと思います。正しい知識をつけ、定期的に確認することが重要だと改めて感じました。 今回の講義では川の氾濫や水害について、自宅の近くを調べながら危険性について学ぶことができました。長岡のハザードマップを真剣に見たことはなかったのでこれを機にしっかりと確認し、家や周りの人間と共有することが重要だと感じました。災害時にどのように行動するか、避難場所や避難経路についても改めて考えるきっかけになりました。(158文字) 授業内でのハザードマップの時にも記述しましたが、自分の地元のハザードマップを改めて見た時、自分がよく赴くようなお店や近くの避難場所はかえって危険性が高く、避難する時はなるべく早い行動を取らなければ危険にさらされる可能性が高いことが分かりとても恐怖を覚えました。地域の避難訓練に参加したことがありますが、その避難場所が洪水だと確実に浸水するので、地域全体で避難場所の見直しが必要なのではないかと感じました。 今回の講義を通して、水害に対して日頃から防災に関するデータをダウンロードしておき、いざという時にすぐ見返せるようにしておくこと、またそれらのデータをどのように得たら良いかを学ぶことができた。特に驚いたのはwork6-2を通して役場(地元)の防災意識が意外にも高かったことである。googleでハザードマップを検索するとすぐに見つかり、しかもその内容も非常に見やすかった。(小さい町だからというのもあるかもしれないが、大体の家の位置が比較的分かりやすいように感じた。)地元は私がこれまで生きてきた20年間の間では大きな災害というものはなかった。にも関わらず今後起きるであろう危険に対してしっかりと先手を打っていて少し安心した。ただ、講義内でハザードマップが資源回収に出されていた話があったように、こういった行政の取り組みが必ずしも住民に浸透しているわけではないことを改めて認識した。地元の人々も大きな災害がしばらくなかったことから平和ボケしてしまっている。特に祖父、祖母の年代は「ここは安全だから」という謎の自信を持ちがちである。もし地元で大きな災害が起きた時、私がその場にいるなら避難などを促すことができるが、長岡にいる以上それはできない。となると最悪の場合、家族全員と連絡がつかなくなった、ということも起こりうる。そうならないためにも、帰省のタイミングで家族と説教的に災害にまつわるトピックについて話し合い、お互いの防災意識の向上を図っていきたいと思った。 今回の講義で印象に残ったのは、台風19号に関するお話です。あの災害は私が生きてきた中で最も印象深いものになっています。それまで自分の住んでいた長野県でほとんど何も起きていなかったこともあり、当時の私は災害というものにあまり実感が湧きませんでした。この台風19号が来た時も、「長野は避けていくだろう」と甘く考えていました。しかし蓋を開けてみれば、自分が馴染んだ場所の数々が水に飲み込まれていました。たまたま自分は堤防が決壊してない側に住んでいたので難を逃れましたが、被害に遭ってしまった友人もいました。この災害を契機に、以前よりも防災というものに意識を向けるようになりました。現在では被害を受けた地域もかなり復興していますが、あの日の出来事を忘れることなく、今後も日常の中で少しでも防災に取り組んでいきたいです。 今回の授業における災害について「自分が自宅にいたら」と仮定してアンケートを受けていたのですが、自宅の周り2kmほどがハザードマップで浸水する可能性の高い地域であると出ており、自宅がかつて2000年の東海豪雨で床上浸水をしたという話を親から聞かされていた事を思い出しました。 以前聞いた時はいかに雨が酷かったか、という話は聞いてましたが、どのように避難して、対処したかという事は聞いてなかったので、防災のため今度電話した時に具体的な事を聞こうと思いました。 今回は水害についての講義で、私の住む家は被害が出るのかを調べました。川から離れているし水路はそんなに近くにないと思っていたのですが被害区域の中にあり対策をしておかないといけないことを知りました。九州に住んでいたため水害の被害には何度かあったことがあります。水がもたらす被害の大きさをしっているからこそ対策をしっかりしていこうと思いました。 避難場所が設営される流れは親が役所の防災課だったため、なんとなく知っていました。何か避難しなければならないことが起きた時、設営の担当者に連絡が来て、そこからその人自身が避難場所に向かう時間もあるのですぐに避難というのは意外と難しいです。それでも避難場所がどこか知っておくのは何かあった時にとてもスムーズに動くことができるので、しっかり把握しておきたいなと思いました。何も知らずに長岡造形大学に向かうところでした。 学校で地元のハザードマップを使った学習があったので地元のことはよく知っていたけれど、新潟に来てからハザードマップを見る機会はあっても自分のこととして考えることができていなかったと気づいた。特に長岡は信濃川が近いため、なんとなくではなくちゃんと避難場所として指定されている学校や施設を把握することが自分の命を左右する大事な決断を即座にできるのだと感じた。年始にあった地震もそうですが、どこに住んでいても安全とは言い切れないことを忘れずに今後の授業も受講していきたい。 今回、自宅が浸水被害区域なのか調べてみて、この授業を履修していなかったら、正直今後調べることはなかったと思うので、この機会に知れて良かったです。そもそも市のホームぺージ自体開くことがなかったので、これからは少し意識しようと思います。 先生が長岡市洪水ハザードマップの作成に関わっていると聞いて、私はあのハザードマップを、避難場所を確認するなどして重宝しているので非常にありがたいと思いました。能登半島地震の被害を受けたこともあり両親からも災害の対策をするように強く言われていたのですが、あの冊子があったことですぐに確認したり、備えておいたりができるので心強いです。必要な情報を記載しながら消費者全員が必要だと感じられる冊子を作るというのはデザインという面でも非常に難しいところだと思うので、先生の「防災のための情報を記載することと資料を見てもらう工夫をすること」を両立させる難しさや葛藤に共感できる部分がありました。 前回欠席してしまったので振り返りで内容を少し知ることができてよかったです。現在島根県海士町に滞在しており、隠岐の島は火山の噴火によってできた場所なので火山の影響を直に感じることができて不思議な気持ちです。 洪水に関して、実家が小さい川と大きな川に挟まれていることを再確認して、洪水が起きた時にどこに避難するかが重要になってくると感じました。また、長岡市の自分のアパートに戻った時に信濃川の氾濫が起きたら大変大きな被害になると思うので家に帰ってハザードマップを確認しようと思いました。 今回はハザードマップなどを調べて住んでいる地域の水害の可能性について考える機会が得られました。もし実際に地元で被害に遭った時、どのような場所に避難すれば良いのか、何が必要なのか自分あまり詳しくないなと自覚しました。今後の生活に役立てていきたいです。 輻輳の問題が新たな学びでした。災害時は誤った情報、勘違いを起こす情報は命に関わるため、それが起きぬよう事細かに書くとデータ量が増え輻輳の原因にもなるし本当に見つけたい情報が即座に見つけにくいというジレンマが発生してしまうので、防災マップ一つをとっても配慮すべき項目がこんなにもあるのかと気付きました。対策として普段住んでいる地域の避難場所や経路などを前もって調べて頭に入れておくことが重要です。しかし、それが億劫な人は定期的に各市町村の防災マップをスクリーンショットして住んでいる地域に印をつけるだけでも、視認性と輻輳の両方を解決できる考えます。 ハザードマップは小学校から高校まで、授業で取り扱われたことがあっても自分でじっくり確認したことがなく、洪水の際などに自宅が安全かどうかは知らないままでした。今回のワークで、自宅の状況に加えて避難所の位置、避難しようとしている施設の位置づけなどを確認することができて良かった。 今回の講義を通して、実際に水害が発生した時にどうすれば良いのか、また、水害にあってしまった時にどのような行動を取ればいいのかがよくわかった。災害が発生したらとりあえず、近くの避難所に逃げるべきであるという考えが自分の中で定着していたため、必ずともそうとは限らないということをしっかりと覚えておこうと思った。 長岡に引っ越すときに不動産屋の方から洪水の危険がある地域であることを事前に教えてもらっていたので、避難場所も把握できていました。しかしそれがなければ避難場所のことも、洪水の危険についても考えることはなかったかもしれないと思います。信濃川は大きな川なので簡単には溢れないだろうと軽く考えていますが、もしもに備えた行動と知識が必要であると感じました。 今回の授業では洪水のことについて改めて考えさせられました。実家にいた際は家族と話したり、小中学校での避難訓練などで自然と学ぶことができました。ですが、引っ越しをして来てからなんも考えることがありませんでした。今回を機に自分自身を守る知識を増やしたいです。 今の家の近くの川と氾濫可能性のある地域を調べた時に長岡に引っ越して来る前に氾濫について不安に思って調べたのを思い出しました。 信濃川は堤防もあるので氾濫する可能性は低いかもしれないけどやっぱり対策とか事前に可能性を知っておくのは大事だなと感じました。 今回の講義がハザードマップを見る機会に繋がり、自分が部屋にいる際に災害が起きた時の避難場所を確認することができました。ハザードマップから自分の住む地域を探すのに多少の時間はかかりましたが、見方がわかると一度に情報が全て入ってきて、全員が目を通す必要が十分にある書類だと思いました。そういった自分たちの命を守る内容が書かれたものが処分されがちな現状を知り、どうしたらみんなが目を通そうと意欲的な行動につながるのか、ハザードマップの新しい伝達の方法を考えていく必要があると感じました。 入学当初に配られた長岡市のハザードマップは把握していたのですが実家の場所はまだ確認したことがありませんでした。今回調べてみて驚いたことがあります。私の実家は大きな河川である千曲川(信濃川)が近い市と住所に位置しているのですが、そちらが氾濫した時は被害は受けず小さな河川である夜間瀬川が氾濫すると浸水などの影響が出る可能性があったのです。なまじ小さな河川だからといって湯dさんしてはならないたと感じました。 ハザードマップを久しぶりに見ました。自分の家は見つかりやすいところにありましたが、友達と受けていて友達の家は難しいところにありました。見つけることが難しいということは、いざという時に大変なのでこの機会に見ておくことができてよかったです。 今回の講義で、洪水のハザードマップについて詳しく見る機会ができたと思います。講義中は、受講者が長岡市ばかり調べると思ったので実家のハザードマップを調べましたが、授業後に長岡市の大学周辺を調べてみました。実家と今住んでいる場所で環境が全く違うことがわかり、この機会で調べておいて良かったなと感じました。これから詳しく調べてみるのもしたいと思いますが、両親の実家のハザードマップも把握しておけば親戚の避難場所も把握でき、もしもの時に無事か確認できるスピードが上がるなとこの講義を通して感じました。 ハザードマップを見ながら、足元の情報も空間安全論の中なのだな、と、当たり前のことなのに改めて感じました。 長岡造形大学は洪水時のみの避難場所という話は、入学直後のガイダンスで聞いていましたが、今まで忘れていたので思い出せて良かったです。避難訓練にも言えることですが、もう避難の道は分かってると思っていても忘れてしまうこともあるので、定期的に思い出して避難経路を確認したり、なにか変わったことは無いか調べることが大切だなと思いました。 避難所が開かれるための条件があることは知りませんでした。危ないと思って避難所に行ってみても、開設してない場合もあるというのはことを思い出して、なにか災害があったら防災ページを見て確認しようと思います。 洪水マップの確認はしたことがなかったのですが、以前から「うちは高台だからうちまで逃げてきな」と母が住んでいる家に逃げるようにとは教わっていて、避難所に指定されている場所よりも高く水から遠く安全な地帯なのだと今回調べて知りました。 長岡のハザードマップのページ、川ごとに細かく地域が分かれていて大変クリックしやすく、また地図の読み込みも新潟市のものと比べて体感的に早い気がします。PCの画面いっぱいにほぼスクロールいらずでパッと確認できるのが便利だと感じました。 新潟県は浸水地域における人口増加が全国5位と、水害のリスクが高い地域に多くの人口が流入している。実際、私の住む新潟市で開発が行われた街は、川の水位より低い場所に位置しているため、信濃川の氾濫が下流域にまで及んだ場合水害に晒されてしまうリスクが非常に高い。 新潟市、とりわけ中央区で浸水被害の少ない地域は総じて地価が高く、昔ながらの家も多い。新たに開発をする場合は多少の災害リスクがあったとしても地価の低い地域の方が企業としては楽なのだろう。 住宅の万が一の安全をとるか、災害の危険性が高い場所でも金銭的に負担が少ないところを選ぶか。私はまだ一人暮らしをした事がないが、今後の引っ越しの際には災害の危険性もよく踏まえた上で住む場所を選べたらよいなと思う。 今回の授業ではこの地域に住んでる上で最も身近になるであろう災害の洪水の被害と対策について学んだ。またその中で長岡市のハザードマップから自分自身が洪水に会う可能性はあるのか、その場合の避難の仕方などについて調べた。地元にいた時は近くに川がなかったので信濃川が氾濫してしまった際の被害の大きさが想像以上で印象に残った 今回の授業で特に印象に残ったのは、輻輳についての話である。通信量過多で繋がりにくくなるというのは災害において、連絡を取り合いたい家族に連絡が出来なくなる可能性があるということだと思った。普段から、すぐに連絡したい相手については電話番号を覚えるようにしている。電源が無くなってしまうこともあるだろうし、SNSで簡単に連絡ができる時代であるからこそ、不測の事態に備えてスマホに頼りっきりにならないことが大事だと考える。 自分は長生橋の近くに住んでいるのですが、2019年の台風のことはかなり忘れてしまっていて当時はすごい恐怖を感じても時間が経つと危機感などもやはり薄れてしまうのだと感じました。また、ハザードマップについて自分が住んでいるところが真っ赤などは知っているけれど実際に洪水の対策などはしていないので家族と相談して何かあった時のために今のうちに行動しようと思いました。 私の地域は20年前に水害があり、生後数ヶ月の私を抱えて避難したという母の話を思い出しました。避難するまでに時間がかかることはもちろんのこと、赤子を連れて行く道中や避難先に安全がある保証はないのでとても恐ろしかったのだろうなと思いました。授業内課題のハザードマップを調べるワークでは想定される被害はほとんどないという結果でしたが、20年前の水害では自宅に床上浸水が起きたそうなので、豪雨などの際はそれ以上の被害が出ることも想定し、近くの河川や用水路、避難所の確認をあらかじめ行っておきたいと思いました。 改めて長岡市のハザードマップを見たが、注意するべき川が実は複数あることに初めて気づいた。それまでは信濃川のハザードマップしか見ていなかったので、今回とても大切なことに気づくことができた。アパートの一階に住んでいるため災害時の垂直避難は現実的ではないと思うので、他の場所への移動が困難になる前に避難できるように日頃の備えや正しい情報収集をしたいと思った。最近大雨がニュースになっているのでより一層気をつけたい。 また、開設される避難所にも種類があり、災害によって避難場所を考えなければならないと知った。大学からリバーサイド千秋までの道やその周辺しか道を知らないので、小学校や中学校の場所を地図のアプリが使えなくてもわかるようにする必要があると感じた。 月曜日の夜にミサイルが発射された。ちょうど課題をしながらNHKを見ていたためリアルタイムで見ていて、北朝鮮から発表された発射期間内であることは知っていたがすごく怖かった。Jアラートの範囲外であったが、範囲内であることを想像した時、すぐに家から出ることも厳しいなと感じたのでその場で最善の行動をするべきだと感じた。 今回の授業で特に印象に残っていることはごみ収集の古紙に水害の防災マップが入っていたことです。この地域に住んでいて水害が発生したときに避難できる避難場所が他の災害時と異なることがあると初めて知ったので手元にそのようなマップがなければすぐに確認できないこと起こり得るような気がしてとても恐ろしく感じました。また、授業内アンケートの質問で洪水時に避難先としてどこに避難するかという返答に幼い頃の経験に基づいて自宅内での垂直避難を選びこの回答でいいのか少し不安を感じたのですが水位が膝以上で避難できなさそうな状況の場合は垂直避難でいいことを確認できたので安心しました。 今回の授業を通して初めて長岡市のハザードマップを見ました。私を含め、多くの造形大の生徒がそうだったのではないかと思います。洪水が起きた際の避難場所が思っていたより多いことが驚きでした。また、「◯階以上」とそれぞれの避難場所に記載があったため、場合によって逃げる場所を変えることができるため有効的だとも思いました。あらかじめ避難場所を確認して収容人数を把握したり、最も近い場所を認知しておくことが被害を最小限に抑えられる方法のひとつだと思います。 実家にいた時も長岡にきた後も洪水に関わらずハザードマップをしっかり見ることがなかったなと思った。実家にいた時は回覧板などで回ってくることもあったけど自分も親もさらっと見て流していた。親や特に年配の方はハザードマップを見るよりもそれまでの経験からの知識のほうを重視していたと思う。最後に福本先生が廃品回収の時にハザードマップが出されていてショックを受けた話を聞いて、そのような背景もハザードマップを捨てる一因だったのかもしれないと思った。自分自身は紙媒体のものでなくてもネットで調べればいいと思っていた。けれども、輻輳が起こった時には紙媒体のものも手元になければいけないという認識に変わった。 2年前に大雨で停電になった時はスマホ機器などは充電がなるべく減らないようにしていたし、そもそも新しい情報が入るかもわからない状況の時があった。そのような場面こそ手元に紙媒体のハザードマップがあったり、ハザードマップをしっかり読み込んでおくことが大切だったのだと今回の講義をきいて思った。 地元のハザードマップを見ていると洪水と言うよりも土石流の特別警報区域に指定されておりとても驚いた。ハザードマップを見る機会が今までになかったのもあり今回見てよかったと感じた。去年親から土砂降りになった時に山道の木が倒れ上にいけないと言うようなLINEを受け取った時「やべえええ」としか思えなかったがこうして危険度が目に見えると親が心配になった。 一度長岡に引っ越してくる時にハザードマップを見たことがあるけど、洪水は起きないだろうという勝手な安心感みたいなものがあり、それ以降見たことがありませんでした。今回の講義でハザードマップを見てみると、造形大生が住んでいる場所のほとんどが浸水する可能性が高く、洪水が起こった時に被災してしまう危険があるなと改めて感じました。水路がある場所を避けながら避難できるようにするために、水路の位置も常に把握することが大事だなと思いました。 川の氾濫や洪水について普段あまり意識していなかったので、今回の授業で対策や避難場所を確認出来て良かった。また台風に関するワークに答える時、自分は台風があまり来ない地域(北海道)出身で、いざ大規模な台風が来た時になかなか対処出来ないと感じたので台風を経験している人から話をよく聞いて対応できるようにしなければならないと気づけた。 普段の生活では避難所の場所を気にかけることはないが、災害遭った場合には迅速な避難を要求されるため、確認している暇がないということはハザードマップを実際に見てみるまで知らなかった。特に河川の氾濫が想定される場合、浸水地域を避けて避難経路考えたり、緊急時の避難先が開いているかどうかも確認する必要があるため事前によく調べておく必要があると感じた。 今まで災害が起こった際に電話が集中して繋がりづらくなるということは聞いたことがありましたが、被災地への電話が通信設備の許容量を超えてしまったことにより起こる現象を「輻輳」と言うことは初めて知りました。 もし災害が起こって電話をかけて繋がらなくても輻輳が起こっている可能性があると分かっていれば、少しは落ち着けると思えるので忘れずにいようと思います。 授業を受けた日の夜、友達二人と家にいたのですが22時頃にJアラートがなってとても驚き不安な気持ちになりました。そのとき防災の授業が思い出されて、「もしこれが津波とか地震速報だったら三人で上川西小学校に避難しようね。」と自然と防災の話になっていて、授業を受けたことで自分たちの防災に対する意識が高まっていると実感しました。また次の日は朝から雨が降ったのですが、大学の近くの用水路の水があふれそうになっていて危ないねと友達と話したときに、授業の中で近くの川と言われてこの用水路が思い浮かばなかったけど、この用水路も危険な要素の一つだなと気づくことができました。授業を受けたことで新しい視点が増えたことを実感した出来事でした。 今回の講義の中で洪水に関してハザードマップで調べましたが、それまではハザードマップは一種類だけなのかと思っていました。各地域独自の防災の仕組みや取り組みが記載されていて、時間がある時に大都市と田舎の方の街のハザードマップを見比べてみたいです。 洪水ハザードマップなどから、信濃川のような大きな河川の他にも河川があることを改めて知り、水害の危険が身近にもあることを学んだ。また、実際に水害の危険がある場合の対応についても、避難場所への距離や建物の構造などを総合的に判断する必要があることを学んだ。 今回の授業で、印象に残ったことはミサイルの話です。2017年8月29日に発射されたニュース、7年前のことですが覚えていました。というのも、その日は私の誕生日でした。ちょうどテレビをつけていてニュースが流れ出してビックリしたのを覚えています。 最近も新たにミサイルが発射されました。もう何度も発射されすぎて慣れてしまったというか、あまり危機感を抱かないようになってしまいましたが、今回の授業でいつ何が起こるかは分からないと改めて思ったので、避難経路や場所を改めてしっかりと確認しておきたいです。 今回の講義では、輻輳について興味を持ちました。初めて聞く単語であり、読み方も分かりませんでした。ですが、都会でたまに起きる通信障害や、大学の講義室に大勢の人がいると起きていたネット回線の混み具合の原因だと知ることができました。被災時に遠くに住む親しい人へ安否を伝えるため、災害用の伝言サービスを利用しようと思いました。 今回の講義で印象に残ったことは、避難場所の開設が、災対避難部により地区防災センター職員、施設管理者に通知され、それを受けて指定緊急避難場所が開設されるという仕組みだったことです。この情報を知るまでは、ネットや防災誌に乗っている避難場所が常に利用できるものだと思い込んでいたため、これらかはエリアメールや緊急速報メールに記載されている情報をきちんと確認してから避難しようと思います。また、こういった情報が周知されていないということも問題なので、現時点ではいいアイデアは浮かびませんが、何かしらの形で地域の人たちに伝え合っていくことも大切だと思いました。 今回は洪水のハザードマップや台風の被害について学びました。岩手にいた頃は活動センターなどの壁に貼られていて、火山や洪水のハザードマップをよく見ていたことを思い出しました。ただ、長岡に来てからハザードマップを一度も見ていないことに気づき、今回のコギ内で避難場所や浸水区域を確認できてよかったです。福本先生が改訂において最も重要視した、最大被害の表示になっているのはとても嬉しいなと思いました。どの場所にいても区域に含まれていることで危機感を持って生活することができるため、ある意味安心ができるからです。 今回は洪水について知ることができました。新潟の長岡という土地では、信濃川が通っており、すごく川幅が広く、そんなに満ちていないので大丈夫かと思っていましたが、細い水路などが多く通っていることがわかり、大雨などには注意が必要だとかんじました。 水に対しての危険意識が自分は思っているより引くくなっているのだとやっと自覚しました。思った以上に水は一瞬で人の命を奪うことができるのだと再確認すると同時に自分でもできる対策をもっと必要以上に考える必要があると感じました。 これだけ提出遅れました自分が忘れるからです本当くずすいません 長岡市のハザードマップを引っ越してきた時に貰ったのを思い出し久しぶりに引っ張り出しました。地元のホームページのものと比べるととても見やすく、長岡市の努力がうかがえました。ですが、長岡市のホームページにあるマップは先生のおっしゃる通り少し見づらく、特に川西、川東などの言葉にまだ慣れないので自分がどちらか毎回少し考えてしまうので不便です。 提出したつもりが出来ていませんでした。遅れ提出になってしまい申し訳ございません。 私は長岡に住み始めて、まだ自分の家が川からどのくらい離れているのか、いくつ川があるのかなど、知らないことが沢山ありました。 今回自分の住む地域のハザードマップを始めて見て、自宅が浸水域なのかや、どこに逃げるべきなのかを考える良い機会になりました。 自分の家が洪水が起こった際に完全に浸水する範囲にあることが正直驚いた。普段そんなこと考えずに生活してきたので、今回調べることによって自分の中で危機意識を持つことができた。しっかり避難先を確認して万が一起こった時にパニックを起こさないようにしたい。提出遅れてしまい申し訳ございません。 避難所は災害時はいつもどこでも開いているものだと思っていたので、実はそうではないということを知って驚いた。行ってみたら開いてなかったということにならないためにも、災害時こそ焦らずにしっかり最低限の情報を集めてから素早く避難することを意識しようと思った。 実際に身近な避難場所を調べられたことで、もし災害が起きた時の行動が明確になりました。僕の近くの避難所は山の上にあり、幸運なことに近くにありますが、遠くの人は軽く山を登って来ないといけないのかなと思い、お年寄りは大変なのではと思いました。なので山の下の方にも公民館などの町の建物ができるといいなと思いました。 身の回りの水の災害について調べ、ハザードマップを見て改めて長岡の中心地は割と安全な都市であるなと感じた。私が平和ボケしすぎているというのはもちろんあるが大きな火山も無く海もない。自然災害で考えられるものは地震と洪水、大雪と起こるものがある程度限られてくる。もちろん避けられない災害もあるけれど他の都市に比べて比較的対策しやすいのかなと思った。 今回の授業で改めて自分の身の回り、自身の住んでいる地域の防災、ハザードマップなどを見直すきっかけになりました。大きな災害は起こるかもしれないし怒らないかもしれない、けど備えておかないといざって時に自分も大切な人も、誰も助けることができなくなってしまいます。ハザードマップがある意義、いろんな防災活度が行われる意義、そんなものを再確認することができました。 2019年の台風を覚えていますかという質問で思い出せないのが悲しかったです。おそらく当時はニュースで見てかわいそうだと思っていたと思いますが今は全く思い出せなくて、調べてその時の台風の進路を見てこういう動き確かにあった気がするなくらいでした。そう思ってしまった自分が結局経験したことしか覚えてないんだなと思って悲しくなりました。 遅れてしまい申し訳ございません。 身近には意外にも河川が多く、全然知らないような河川もあることがわかった。また、河川が近くとも暗渠になってる場合などは危険性があまりないように感じた。ハザードマップなど普段見る機会がないので、見てみることで意外な場所が危険だったりと気づきがあった。 津波の高さが数十センチでも人間が流されるのが不思議だったのですが、洪水や津波の高さが波の最高高さを数えているのではなく、その高さの水槽のような水の塊が来るという説明でしっくりきました。やはり念には念を入れて逃げるのがいいと思いました。 地元では川が近所になかったのであまり水害について考えることは無かったが、長岡に来てからは身近にある川として信濃川が存在するので意識を改めないといけないなと思った。どういう被害の可能性があるのか、もし被害にあったらどうすべきかハザードマップを見ながら確認しておきたい。
授業で使用する資料
学んだことの記録
10分読み続けるのが大変だったが、この量を理解しなければ地域の防災が出来ないのだと分かった。自分の命やほかの人の命を守るために防災の計画を立てることで実際に行動しやすくなると感じた。しかし、実際災害が起きた時に避難するべきか躊躇して遅れるということがよくあり、私自身も大事な家財や道具を置き去りにして迅速に避難できるか不安である。そのためにも避難計画をしっかり立てることが重要だと分かった。 長岡市地域防災計画:避難先での要配慮者に対する配慮の部分で、必要となる育児や介護、医療用品の提供体制など、これから高齢化が進んでいく日本で災害時に介護を行うのは小学生や中学生なども多く含まれると思うので、介護や養護の基礎知識を学校で学ぶ機会があってもいいのではないかと思った。 授業の中で第 章 災害予防を読んで地域の方々と防災について取り組む、資料には箇条書きで沢山色々な計画につて書いてありましたがいざ災害に遭ったときに本当に取り組めるかどうか心配になりました。まずはこの資料をしっかり読んで地域の方々にも知ってもらおうと思います 行政の災害対応のための計画という側面が強い中で、自分の身は自分で守れと地域防災計画に書いてあるということは非常時は自分しか頼ることができないのかと思わされる。しかしいつ起こるかも分からないものに対策をたてるとなると、本気でそれをやる人はあまりいないのではないかと感じる。 初めて長岡市の地域防災計画の文章を目にしたが、案の定すぐに何が何だかわからなくなった。最初の方を頑張って読んだだけでも、これを実行できたら地域の防災意識はすごく高まると分かるほどのものだったが故に、誰に読んで欲しいの文章なのかを意識することはとても重要だと思った。 地域災害計画書を読んだら思ったよりも行政が市民に丸投げというか、各々の備蓄や準備に期待していた。能登半島の震災への支援の遅さ、手薄さもそうだが、災害大国である日本において回数が多いために災害支援という物が手薄になっているのだろうか…?と思ったが、だとしたら私たちは何のために五割を買えるような税金を払うのか…と落ち込みました。災害対策の意欲を刺激するデザインを考えたいと思いますを この前大雨だった時に、大学の駐輪場側にある大きな用水路の水がいつもよりすごく増えていて、長岡には大きな川が通っているし、氾濫したら車とかはどうすればいいんだろうと思っていたのでタイムリーな回でした。想像よりも車が水の中でも進んでいて驚きましたが、途中で車が使えなくなったら困るので無理に使うのはやめておこうと思います。 最後に先生が言っていた自分達が助けてくれると思っている行政も自分達の身は自分達で守ってねと言っているということに対して、とてもタイムリーな話題だと感じたので怖いと思った。朝の地震速報が本当に怖くて一人だと心細かったので家族に電話したが、やはり最後に自分の命を守るのは自分しか居ないんだと痛感した。 地域防災計画を初めて知り、計画の目的にある「自分の身は自分で守る」「私たちの地域は私たちで守る」という言葉から、災害時、若くて健康な自分は守られる側ではなく、守る側に立つべきであることが分かった。災害時、周りの大人がどうにかしてくれるという意識ではなく、自分の身を自分で守り、協力が必要な人には手を差し伸べる必要があるのだと思いました。 今日の朝の緊急地震速報もそうですが、1人でいる時に災害などが発生するととても心細いなと思いました。しかし、地域防災計画でもあったように自分の身は自分で守るために日常の防災はしっかりとしておかなければならないなと思いました。 長岡市の地域防災計画を読んで、思っていた以上に読みづらく、体力がいるものでびっくりしました。頑張って読んでみると、とても大事な事が書かれていました。しかし、このままではしっかり読む人は少ないと思うので、イラストを入れたり、これとは別に、市民向けに要点をまとめたわかりやすいものをつくったりする必要があると考えました。 今日の朝に突然地震が起こったことにタイムリーだなと思った。私は寝ていたが地震アラートが鳴って起こされた。ふと思ったが、最近地震が多いせいで地震アラートに私達は慣れてしまってるのではないだろうか?震度の多きさもあるだろうが、前の地震だったら私はどうしようって狼狽えていたのに、今回は地震が終わったら普通に寝てしまった。どうしても、どうせこの程度の地震だったら大丈夫と思ってしまう。地域防災計画もそうだが、恐らく政府側も面倒臭いと思ってる。伝える、発信することに。この授業がなければ誰も読むはずがなかった物なのに、他の国民が呼んでるわけがない。自分の身は自分で守らなければいけないというのは的を射ていて、政府側に頼れるわけがない。結局本当にどうしようもない時は訪れるだろうし、防災をしていたって自然災害なのだから予期できないことだってたくさんあるだろうし、どうせいつかは死ぬんだろうなぁと思っとこうと思った。 今回地域防災計画を読む時間があったが、あれをしっかりと最後まで読める人は何人いるのだろうと思うくらい読みづらかった。真剣なしっかりとした書類であると言うことはわかっているが、こう言う書類は白黒で文字ばっかり出なくてはいけない感じはあるかもしれないが、こういうところにこそデザインの力が必要なのかもしれない。 長岡市の地域防災計画を初めて見ました。それぞれの災害に対して達成目標をはっきりさせつつ、自助と共助の姿勢をとるために具体的に何を備えればいいのか記されていて、個人の災害に対する意識を高めるための計画冊子なんだと感じました。いざという時に誰かが守ってくれるだろうという考えを潜在的に持ってしまっていたので、当たり前に自分の命は自分で守ることを一番最初に述べられてドキッとしました。地域で暮らす子供たちの災害への意識を高めるためにもイラストなどを用いた簡易版の地域防災計画があればいいなと感じました。 多分地元にもあったであろう「地域防災計画」というものを初めて読むことできたのはいい経験になった。先生も言ってた通り、市民達に任せている文章が結構多くて、少し危機感を感じた。長岡だと積雪についてなど、地域によって気をつけることも変わってくるので、これから違う場所で活動を始める時には、この計画を思い出して地域にそった防災をしていきたいなと思いました。 災害についてどうしていくべきか一番詳しく細かく書いている地域防災計画を今までよく読んでないのに災害何の対策もしてないなと焦っていた。だが、10分読むと言うところでは先生が5分経過といったところで残りのページ数を確認しあと30ページ以上はあるとわかった瞬間完全に諦めた。だが外国人などの対応なども書かれていてすごく詳細に考えて亜たんだなと感じる計画ではあった。あれは短時間で読むのではなく少しずつ読んでいくのがいいと感じた。 “水の中を車で突っ切る時、スピード出した方がいいイメージだったのですが、逆に良くないと知れてよかったです。危ないところでした。 また、防災への取り組みを読んでいて、文章がとても長くクラクラしてきましたが、それだけ防災対策としてできる事がある、ということだと解釈することにしました。” “今日の朝地震が起きて緊急地震速報で目が覚めて一番最初に空間安全論の授業を思い出した。寝ぼけながら避難するにしても安全に移動できるかわからないなら家の中にいた方がいいんだったよなと思ってそのまま家にいた。多分水溜めたりとかガスの確認するべきだったんだと思うけれどそこまで頭が回らずとりあえず周りの人世間はどうなっているかの確認でTwitterを開いた。多分テレビとかの方がいいんだと思うけれど家にはテレビがないのでSNSで状況の確認をした。こういう時のためにもラジオとかテレビを買うべきかなと思った。 今日の授業を聞いて地域の防災の資料を初めて見た。見やすいとは期待していなかったがかなり見にくかったそして自分の集中力の無さにもびっくりした。あまりにも文字が読めていない情報を取れない。いざとなった時行政の資料から情報収集をするという考えがそもそも無くて一応こういうものを作ってるんだなと知ることができた” 地域防災計画というものの存在を初めて知りましたし、その内容の細かさに驚きました。これをもっと地域の人に読んでもらうためには読みたいと思わせる工夫が必要であり、それはクリエイティブな仕事をしたい私たちに関係のあることだと思いました。 冒頭にあった洪水ハザードマップをどう伝えるかの媒体の話で、確かに紙媒体は若い人には今のままでは伝わらないかもしれないが、内容を小出しにする、小冊子にまとめて何回かに分けてお知らせする、などとゆるーく防災通信みたいな形で住民の人などに伝えることができれば、手に取ってもらえやすいのでないかと感じた。また、先日とある企画で介護施設に行った際に、地震がおきたときはこの利用者さんたちはどうやって避難するのだろうととても不安になった。地域にもそういった体の不自由な方々が大勢いらっしゃることを我々若い世代が理解し、その方々を避難させるにはどうしたらいいかを考えることも必要であるし、そういった考える機会を義務教育が終わった後も設けていけたらいいなと思う。 地域防災計画の読みにくさが印象に残っている。気づいたら寝てしまっていた。自分の命は自分で守らないと、行政は守ってくれないようなので防災についてもっと広く深く知識が欲しいと思った。地域防災計画をもっと読みやすい資料にするために絵本にするのはどうだろうか、小さい年齢の人でも読むことができて役に立つのではないだろうか。 今回の講義で先生がおっしゃる通り、地域防災計画に初めて目を通しました。例えば、自分が欲しくて手に入れた説明書でさえ読むのが億劫なのに132ページもある防災のものは「読み続けよう」という確固たる意志がないと読み進められませんでした。防災関連のホームページや説明書は一貫してどこが一番重要なのか、どこを伝えたいのかよくわからないように思えるので「読みにくさ」をデザインの力で改良したいなと思いました。デザイナーが災害時に即戦力で戦えないことにヤキモキしていましたが「防災」という段階で人々の記憶に残るようなためになるデザインがしたいと強く考えた講義でした。 “洪水の際、車に乗っている時はおそらく水がどれくらいの深さで溢れているのか目視では具体的に分からないと思うので、30cm以上か怪しい時は一度外に出て確かめたほうがいいと思いました。また、行く道がそこしかない場合以外は別の安全な道を探すことが車や人を守ることに繋がるのだと感じました。 防災計画の資料は途中までゆっくり読んでいたのですが、思ったより量が多いことに気づいて流し読みをしてしまいました。” 前半の前回の続きの水害について、人は子供だと5センチ、大人でも30センチあれば溺死するというのを知ってはいましたが、水温も確かに危ないと思いました。2?3年前に親戚の家が浸水の被害にあい、手伝いに行ったことがあったのですが家中が泥の堆積物で汚れ、本当にひどかったのを覚えています。家のハザードマップや地域の防災計画にはしっかり目を通して備えることが大切だと考え直しました。 地域防災計画を初めて読みました。細かい内容が書かれていましたが、全て理解するのは難しく感じました。福本先生が「重要なことが書かれているけれど、わかりにくいからデザインの力でどうにかしなくてはいけない」とおっしゃっていて、市役所などにデザイン職の求職がある理由や、その必要性に気づけました。年齢や性別に関わらない読みやすさが、行政の出す資料や文書には必要になっているのだと思いました。 長岡市で地域防災計画がここまで細かく決められていることが印象に残った。空間安全論をとっていなければ存在も知らなかったと思う。市民に防災意識を高めさせるには災害の危険を実感するしかないのではないかなと今日の朝地震があって思った。地震があった際などに避難情報にこれからの予防策、避難知識などをsnsなどで広めることで防災知識を深めることができそうだと考える。 今日の授業の最後に、地域防災計画の話で、私たちが災害に遭っている時、機関も被害に遭っているという話を聞いて、良く考えればわかるけど確かにそうだなと納得しました。何も知らずに被害に遭うのはとても怖いことだと感じました。 地域防災計画を読む機会を与えて下さってありがとうございます。「自分の身くらい守れ」というのは少し冷たい気がしましたが、行政も結局は同じ人間だから、守れる範囲で守るのは当然という気がします。また、過去に計画性がないと指摘を受けた経験がありながら、「◯◯計画をいっぱい出しなさい」という質問に答えようとした時、思ったように出てこなくて自分が「計画」という言葉に疎いことがわかりました。なので、まずは世の中にはどんな計画があるのかをもっと調べてみようと思います。 “命を守る為とは言ってもあそこまでの長文を読むのはさすがに難しい。とおもった。憲法を読まされているような果てしなさとともにどこまで対策しているのだろうという疑問も生まれた。防災という概念はあげればキリがないのだろうと読んでいて感じた。 しかも、たとえ全部読めていたとして実際に行動に移せるかと言ったら微妙だな。とも思った。ここまで学習しておいてどこかで自分はまだ大丈夫なのだと思っている事に驚いた。” 今私は足に怪我を負っていて、今日の朝のように急に地震が来て避難することになった時すごく怖いと思いました。浸水などの被害は早めに行動すればどうにかなり得るものなので、きちんと備えていきたいと思いました。 “洪水時の車の走行についての話がありましたが、私の母が洪水で車を水没させたのを思い出しました。2022年に村上市でおきた大雨の被害で私の地元の道の一部も大きな水たまりのようになっていました。坂道の終わりで少しくぼみ、平らな道に続く道路でした。大雨により、そのくぼみに水たまりができていました。当時母はアルファードに乗っていました。外気を取り込むのと同時に水も吸いエンジンまでダメになってしまいました。車は廃車になってしまいました。水が入ると簡単に動かなくなってしまいます。水の怖さを感じる体験でした。 地域防災計画を読んでみて、防災に対して市はいろいろ考えていることが伝わりました。しかし、堅苦しい長文は大人でも読み切ることは難しいと思います。もっと読みやすく、内容を伝わりやすくするべきだと思いました。まとめて文章でださずに、内容を細かく分け動画や絵本にするなど工夫するのもありだと思います。” “地域防災計画を読んでみて寝不足もあったので途中から眠くなってほとんど情報を読み取れませんでした。 防災計画なので全世代のどんな人でも理解できるようなものにしないといけないのにこんなのだと大人の中のほんとに真面目な人しか読みきれないと思いました。 日本だと海外の人も住んでいたり、文を読むことが嫌いな人がいたりすると思います。だから図で説明したり、絵で伝えられるようなものを作ればいいのになと思いました。” この講義を履修していなかったら地域防災計画の記述内容を一生目に通す機会がなかったと思います。地域防災計画の内容はその地域に住む人々が日頃の防災計画にとってとても重要なことばかりだったので、いかに地域防災計画の書を読んでもらうかがキーポイントだと感じました。 “ニュースなどで車が動けなくなっている映像は見たことがありましたが、そもそもなぜそうなってしまうのか、詳しい原因をちゃんと分かっていなかったので、今回学べてよかったです。車に乗っている時に災害が発生したら、そもそもすぐに災害に気づかない恐れもあるなと思いました。洪水になったら無理に車を走らせないようにするのも大切ですが、水圧でドアが開かなくなる恐れもあるので、その場での迅速な対応が必要だと分かりました。迅速な対応をするには普段から防災について意識し、冷静に考えられるように慣れていかないといけないんだなと思いました。 授業の最初で、「若者は防災の資料を普段からは見ない」という意見のフィードバックがあったと思います。その意見に大変共感しました。私自身も、この授業をとっていなかったら、個人で防災の資料を見る機会はほぼなかったと思います。紙媒体はもちろんですが、デジタル資料でも、自分から防災について調べないと見ないなと思いました。ちょっとした時間やきっかけで防災について意識できるようなものを考える必要があるなと感じました。また、こういった災害時の資料は子ども用のものが少ないのかなと思いました。災害時にいつでも大人が一緒にいるとは限りません。子どもたちも何もできないときっと不安になると思います。なので、ふりがな付きで分かりやすく、子どもでもできる防災の行動を表記した防災資料もあったらいいなと感じました。” 洪水による運転中の車の中での視点でアトラクションなんじゃないかと思うくらいに水の勢いが強くて驚きました。また水の中での移動で自分が思っているより体力がもたないことを学びもしもの時はこの学びを踏まえて安全に避難しようと思います。 地域防災計画の内容が初めから個人の行動を主体とする記述で驚きました。我々は今回授業で計画表を見たから主体で動かなければいけないということを知ったものの、結構の割合の住民が何か行政が動いてくれるだろうと思っていると感じます。 地域防災計画の資料を読むのは結構な集中力がいるなと実感しました。今回、授業内で10分読んだだけでも内容の理解をしながらスラスラとできなかったので、132ページもの量を理解して読むのは大変だなと思いました。少しずつ時間を見つけてコツコツと読む習慣をつけなければ読み切ることは難しいなと思いました。 どんなに必要なことで、知っておいて欲しいと思うことでも伝え方によっては読み手にうまく伝わらないということを改めて実感しました。先生の講義は毎度のことですが私たちに体験する機会を与えながら教えてくださるので、今まで頭だけでわかっていたことの理解をより深めることができてとても良い経験をさせていただいていると思います。 防災計画の文章を読み、防災に対しての情報が多すぎると感じた。それは仕方のないことなのかもしれない。防災に関わる人は測ることができないほど幅広い。しかしその情報は、防災に対し疑問を持っている人たちにはできる限り知ってほしいことばかりである。ならその情報を少なくするか、分かりやすくするかのどちらかであろう。自分の命は自分で守る。この言葉を初めて聞いた時、先生方が勝手に言っていることだと思っていた。しかし徐々に歳をとっていくとその言葉自体当たり前のように使われており、命を守るという言葉が少し軽くなっているように感じる。私たちは命の重さを改めて考える必要がある。 今回は地域防災計画について少しだけ触れました。本文を初めて読んだのですがまず100ページ超えの文章に驚き、また文章ばかりで読みにくく10分さえもすこし苦痛に感じました。しかし書いてある内容は自分の身は自分で守るべくやらなければいけないことなどが書かれてあるため、読んでおくべき文章なのだろうなと思いました。普段生活してても目に入らないものだからこそ、文章内に書いてあることがすこし怖く地域の人にもこういったものがあることを知って欲しいと感じました。 ” 建物が全壊とかではないと支援が出ない場合があり、自分が住む家には水害や地震の保険に加入しているか確認した方が良い。 冠水時走行実験の結果、速度を落とせばある程度走行できる可能性はあるが、他の要因でエンジンが止まることもあるので、走り切れるとは限らない。 他の要因として、マフラーの吸気口が塞がらなければ走れる。軽自動車 の場合地面からマフラーまでは24センチ。洪水の際、車が走行できる水深は、10センチ○、30センチ?×迅速に車内から避難するべき高さ、50?×浮く 長岡市地域防災計画の中で ”平成16年に経験した豪雨、地震、豪雪の災害により、地域コミュニティーの共助の重要性が再認識された” という所で、それぞれの災害ごとにとのような対策をしたり備えておくかではなく、平成16年のように1年に複数の被害が同時に発声する可能性のことも想定して計画することが大切だと改めて考えました。” 今回の講義で印象に残ったのは、水温別の生存可能時間についてのお話です。0℃で15分?というのは想像がつきましたが、20℃以上でもあまり猶予はないことに少し驚かされました。ただ水に浸かっているだけで命が奪われかねないにも関わらず、更に瓦礫などを含んで襲ってくる洪水や津波は本当に恐ろしいものだと改めて感じさせられました。 災害が起きたら行政も被災する可能性がある。指示を待つだけでは逃げ遅れてしまう。だから、自ら考えて身を守る行動をしなければならない。しかし自分の身を守るための情報がわかりづらい。地域防災計画を読もうとして、集中力が途切れた。アンケートの結果からも、ただ文章を読んで、防災に意識を向けられる人は少ないことがわかる。もっと情報に触れる機会を増やすには、前の授業の感想で挙げられていた、動画広告にするのが良案だと思った。 冠水している道を走行する実験がとても印象に残っています。もしかしたら自分もこのような場面に遭遇してしまうかもしれないので動画を見てとても怖いという印象を抱きました。災害に対して知識をつけておく事で何か対策をとることができるかもしれないと考えると、今日授業中に読んだ災害についての資料などを読んでおくことも大切だなと思いました。 道路が水没しとたときにどれくらい走れるかの実験動画を見て、思ったより走れてしまうんだ、と感じました。水没したときはすぐに運転をやめて別の解決策をとった方がいいと勧められるかと思っていましたが、そういう内容では無くあくまで自己判断、ということに違和感を覚えました。私は底の見えない水たまりを前にして一か八かで進むより、事前にルートを確認したり、防災セットを車に積む等の対応をしておきます。 今回の講義において、まず地域防災計画についてほぼ知識がなかった状態だったため、難しく感じました。自分に無理のない範囲で目を通してみましたが、これが実際に施行できていることなのか、不安に思いました。計画を立てることは大切なことですが、それを地域住民に知ってもらい、理解してもらい、実行してもらうのにはいくつものハードルを越えなければいけないなと感じました。 今回の講義では、防災計画などについて勉強した。冠水した道路を模した道を車が通る動画見た。水位50センチで車が動くことができないことが分かった。また、軽自動車の地面からマフラーまでの長さが約24センチほどであることも分かった。私は軽自動車を運転する予定なので、もし水害にあった時にいち早く水位を確認することが大切だと感じた。 今回の授業で地域防災計画とは何かを学びましたが、自分の地域に住んでいて防災計画としてどんな事が実際行われているのか興味を持ちました。自分の住んでいる所はニュータウンなので、他の地域よりは防災計画が徹底されていると思いました。 今日は朝から大きめの地震があったので、いつもより自分事として授業に参加出来たと思います。ただそれでも災害予防の文章は読みながら意識が朦朧としてきてしまいました。行政の災害対応のための計画であるという事ですが、市民が知っているに越したことはないためもう少し簡易化して読みやすくなるといいと思いました。 今回は具体的に災害にあった時に困惑するであろうことを学べました。浸水している時、10cm付近までは走行しても問題ないという具体的な数値まで出ているところが面白かったです。公共施設などにメモリを設け、混乱しているであろう災害時にも冷静に判断できるようにしてみればいいと思いました。 “地域防災計画はやはり、読みにくいです。どこに向けられた何の文章なのか分かりにくいし、細かな事案まで想定されて書かれているのは良い事なのですが、あの大量の文書の塊が100ページを越すと最初表示された時は目眩がしました。項目の最初の方に達成目標が書いてある点は良いですが、文字の強弱が無く、どれがいちばん重要な情報か分かりにくいです。全て読むこと前提なのかもしれませんが、「最低限この項目はここだけ頭に入れて欲しい」箇所の文字を大きくするだとか、書体を変えるだとかして目立たせないと、まず読む気も起きません。 また、情報が・市民・行政・県、全てに向けられていて、自分がどこを読めば良いのか分かりにくいです。急に行政や県の対応を書かれても、正直よく分からないので、せめて市民と行政・県で別の地域防災計画の書類を用意して欲しいと思います。それが無理なら、せめて市民に向けられた情報はそれでまとめるなど、市民が最低限知っておいてほしいことをまとめて確認できるよう修正した方が、読む気もおきるしわかりやすいと思います。 あと、目次が無かったのも非常に分かりにくかったです。100ページを、超える書類は先にどんなことがどの程度書かれているか分からないと本当に気が遠くなります。 こういった公的書類は内容は重要であるのにひどく分かりにくいので、こういうものをデザインの力で分かりやすく伝えることはできないかと前々から思っています。” 実際に災害が起きた時、すぐに助けは来ないということを改めて実感しました。地域防災計画にあった「我が家が避難所」という言葉がとても印象に残りました。普段、自分の家から安全に対策をしておけば災害があった時真っ先に避難場所として向かえるし、家族とも必然的に一緒に集まれるので、やはり家具などの対策をしておくのが大切だということがわかりました。 今回の空間安全論で印象に残ったことは、地域防災計画上では、自分の命は自分で守るのを前提としているということだ。いざという時に行政に縋るのではなく、しっかりと日常から備えておかなければ生き残れないなと余計思わせられた。この授業を取っていなければ、おそらくそれを知る由もなかったので、今回防災計画を読めてよかった。 今日の朝地震が起こって、情報を調べようとしたところネットに繋がれずすぐに情報を取り入れることができませんでした。実際に体験をしてやはり避難の情報などはネットだけに頼っているといざという時に見れないという状況が起こってしまうので紙の媒体も大切なのだということに気づきました。また、長岡市の地域防災計画を読んで1番最初に「行政機関が災害時即座に動くことは困難なため、自分の身は自分で守る」と書いてあったことがとても印象的でした。 計画するということは目標をよりよいものにしたり、家庭をよりよいものにしたりすることにつながることを改めて学んだ。時期や日付などが含まれており、その質が上がったり、実現性の高いものにすることができるとわかった。防災の面でも計画というワードが使われているのは知らなかったので、地域防災計画についてより詳しく知りたいなと思った。 地域防災計画を読んで、やはりかなり読みにくいなと感じました。そしてそのような計画が実際に作られているんだなと知りました。今日の朝、ちょうど石川県の地震を体験して、再度自分の防災の意識の低さに気付かされました。今日読んだ地域防災計画を再度読んで自分だけでなく地域での被害を減らす方法を学びたいと感じました。 今朝、スマホの緊急地震警報が鳴って揺れが来るまで身構えていた時(実際は一瞬だがすごく長く感じた)福本先生の顔がなぜかよぎりました。まだ寝ぼけていた私は、警報をきいても部屋のドアを開けるどころか、ベッドから起き上がることすらできませんでした。ひとりでいる時に地震が起きたのは人生ではじめてだったので、孤独感を感じた自分に驚きました。今日初めて見た長岡市の地域防災計画の中にもあったように、自分の身は自分で守る、これが大前提になっているんだと感じました。でも正直、今朝のような怖い経験があっても授業以外で読もうとは思えなかったので、イラストやアニメーションを使って動画にしたものを見てみたいと思いました。でも、色々知識があったとしても、いざという時場合によっては自然に対して全く無力であると、今朝の経験で感じさせられてしまったところもあります。 地域防災計画を10分間読んで感じたことは、最後まで読もうと思う人は絶対にいないということです。まず資料を開いた時に132ページあることに嫌悪感を抱きました。それから資料に目を移すと、枠線や箇条書きでまとめてあるだけで全て黒字で書かれていました。どれだけ時間があっても最後まで読む人はいないのではないかと思います。また、最後まで読んだとしても頭に入っているのは全体の2割以下ではないでしょうか。デザインを学んでいる身からして、修正したいと思わせるような資料でした。 “そもそも地域防災計画というものが存在していることを初めて知った。 また、初めてその内容を読んでみて、衣料や食料の備蓄、家具の固定などだけでなく、過去に被災した経験がある人が次の世代に話を伝えていくことも防災の一つだと知った。 また、地域防災計画を最後まで読んだことがある人はどれくらいいるのだろうかと思った。 重要な情報が多いために内容が濃くなってしまうのはわかるが、人々が関心を向けるための工夫も必要だと思う。” 道路が冠水した時に、車がまだ地面についているうちは操縦できても、車が水に浮いて流されるような事態になったら、二次災害などの可能性もあり、より危険だろうと思った。地域防災計画を読んで、これだけ多くの重要事項がまとめられているのにも関わらず、情報量が多く、広く提示されていないために、地域の住民の目に届いていないというのはかなりの問題だと感じた。 私の身近に川や海がなく足元くらいの津波も危険で命取りになることについ忘れがちですが、その怖さに改めて気づかされました。今朝地震が起きたことで災害を身近に感じたので今日の授業はより親身に感じ、災害時の行動について再び家族と相談してみようと思いました。自分が都合よく助かることなんてない、自分の身は自分で守るの精神で災害時は乗り切りたいと思いました。 計画を立てるのは得意でよくスケジュールを確認したりするが、実行するのが難しい。今回の地域防災計画も同じで地域住民に計画が浸透していないと実行が厳しいと感じた。頼りにしている行政が自分でなんとかして下さいだと危機感を持って準備しなければならないのにそのことを知らない人が多く思った。 今朝地震速報が鳴って、その後すぐに空間安全論があることで一番授業内容が身近に感じてスッと入ってきた。災害予防の資料を見たときに、文章だらけであまり想像がつかなかったのですが、実際の地震での被害状況を見た時に怖かったけど、地震に備えようという気持ちが一番沸き起こった。実例の影響力を感じた。 “私は、文を長時間読んだりすぐに理解したりするのが少し苦手意識があります。 ですので、今回の地域防災計画災害編を読むのも理解するのにも時間がかかり、集中して読むのは難しいなと感じました。それと同時に「計画」という言葉を改めて考え直す機会となりました。その言葉自体は自分達にも身近に感じるのに、災害のものに関するというだけで一気に遠いものとなってしまいます。自分が育ってきた地域が、災害が少ない地域だったことや家族があまり関心を持っていなかったことに影響されているのだなと思いました。” 自宅に自力では歩けない認知症の祖父母がいるので、いざ災害が起きてすぐに逃げなければならないことになったらどうやって避難させればいいのか考えなければと思った。また、自宅がある学区の避難所よりも隣の学区の避難所の方が自宅から近い場合はそちらに逃げていいのか疑問に思った。 授業で地域防災計画を実際に読んでみて、膨大な情報量に驚きました。また各自治体が災害時には自分の身は自分で守ることを前提に動くことしかできないということを改めて認識しました。被害が実際に出ていたり保険に入っていても、甚大な被害でなければ補償がなかったり手続きに時間がかかったりと、災害にあっているのは自分たちだけではないのだと思わなければいけないなと思いました。 大雨のときに、水溜りを通っていく車をよくニュース等で見ますが、水中でドアや窓を開けることは難しいと注意喚起しているのを見たことがあり、水深や水の中は分からないため安易に通るべきではないと感じました。地域防災計画は授業で初めて知りました。地元の地域防災計画を見たことがなかったので、市民の人でも目にしないようなものであり、あまり関係していないのかと感じました。しかし、「自分の身は自分で守る」や「私たちの地域は私たちで守る」という言葉があったことに驚きました。行政の災害対応のための計画という印象を持ちましたが、行政がどんなことができるのかを理解していないために、この計画にあることも知られていないのだと感じました。 地域防災計画を読んでみて、授業で先生から伝わる内容と似ているなと感じました。しかし伝わり方や受け取り方、印象がかなり変わります。地域防災計画だと要点が抑えられてなくて読みづらいし文章だからしょうがないのかもしれませんが事務的に感じました。もっと自分の事として考える重要さや地域の人との連携の大切さが熱意や切迫感がわかる表現で伝わったら行動に移せるようになるかもしれないと思います。 今日は、地域防災計画が一番印象に残りました。防災は個人で命を守らないといけないと言う少々投げやりな部分が初めから書いてあるのがびっくりしました。地域防災計画は大人だけ読んでもよくないなと思いました。この内容であったら小学校高学年や、中学生以上であれば理解できると思いますが、100ページ以上もあれば読む気も出ないし、そもそもわざわざ調べて読もうとは思わないと思います。もう少し誰でも読みたいと思うようなデザインならばいいなと思いました。 水温の低下に伴って生存時間も短くなるという話題から、中学校の水泳の授業を思い出した。曇りの日でほぼ最低水温の時に泳いだ際、精神的にも肉体的にも思うように動けなかったため、ましてや着衣状態で速い濁流に晒されてしまえばどうなってしまうのか恐ろしくなった。また、2019年の豪雨の時、避難の是非を判断するために家族で近くの河川の状況を見に行ってしまったことがあった。これは水位情報の存在を知らなかったことが原因であり、やはり防災意識が十分でないと痛感した。更に、地域防災計画を読んだ感想として、誰の得にもなっていないのではないかと思った。公的な文書なので仕方ないのかもしれないが、一般市民は勿論、恐らく作成者も仕事で読む人も文の羅列では理解に苦しみ、これにより「防災は面倒なもの」というイメージも促進されてしまうと予想できる。要点を絞り、大まかな部門ごとに分け、図や表を用いて分かりやすく示せば現在よりは防災に対する理解が進むのではないかと感じた。 地域防災計画は聞いたことすらなかったでこんなものが世の中にあるのだなと驚きました。しかし、授業中地域防災計画を読んでいる最中にねむたくなってしまったので、眠くならずに楽しんで知れる方法があったらいいなと思います。 “地域防災計画の資料は、正直全然読む気が起きませんでした。 読もうとしても前後の内容がつながって入って来ず、一文ずつバラバラに読み続けるのが辛かったです。 ただ、その中で私たちの主体性を重要視する文脈があったことは印象に残っていたため、行政向けの資料と聞いて気が遠くなりました。 また、洪水のイメージを流れるプールのように捉えてはいけないという話で、地元の洪水によって折り曲がったガードレールを思い出しました。ガードレールを変形させる力量で人が流されると考えると、抵抗どころではないなと感じました。” 長岡市の地域防災計画の132ページの中に地震、水害、積雪など複数の災害に対する防災事項が書いてある事が分かったので、ここまで情報量が多いならまずはトップページに項目ごとの目次を作ったり、PDFにまとめるだけじゃなくwebサイトのページを分けてみるなどまず簡単な事から改善していく必要があると感じた。 水害に対して、これまで身直では無かったために水の深さや水温によって意識不明になる恐れがあることを自覚していなかったことに気づくことができた。また道路が冠水した時に車が走行出来るかについての知識が何も持ってないことに気がついた。車を所有していて、かつ住んでいる所のすぐ近くに信濃川もあるので知らなかったと放置して良いものではない事に気がつけてよかった。 福本先生もふれていましたが、地域防災計画の資料を見て自分の身は自分で守らなくてならないということを再確認しました。今までもし被災しても支援がくるし、避難所もあるから大丈夫だろうとおもっていましたがそもそも政府も機能しなくなる可能性があり、結局は備えていた人が助かるのだと思いました。丁度朝から地震がありもし今大きい地震がきてもなにもできないと気づかされました。普段からすぐ動ける格好でいることや、避難グッズをちょっとでも用意しておくことが自分の身をまもることにつながると思いました。 地域防災計画の理解促進には、情報のわかりやすさと実践的な学習が重要なのではと感じました。シンプルな言葉やビジュアルエイドを活用し、住民に伝わりやすい形で情報提供を行うことや、防災訓練やワークショップを通じて、住民が実際に行動を体験する機会を提供することで、地域全体の防災意識と準備が向上し、被害軽減に繋がれば良いと思います。(162文字) “地域防災計画を自ら読むというのは防災意識が相当高い人でないと読まないような気がしました。しかし、その防災計画に自助が前提とされているというのが怖いと感じました。 10分だと途中から流し読みしても4節までしか読めなかったので、これが34節までもあると誰が読み切れるのだろうかと思いました。 また、氾濫した際水が濁っていて足元の安全が確保できないということが印象に残っています。実際そういった状況になると、焦りや水位が低いと油断だったりで足元を確認せずに避難行動をとってしまうかもしれないと思いました。” 津波の高さの話は、東日本の時に30㎝でも足を取られて歩けないと聞いたことがあったので、改めて学習し、情報をアップデートすることができました。今朝の地震の話になりますが、ちょうど目を覚ましたタイミングでアラートが鳴ったので初めは何が起こったかわかりませんでした。ですがとっさにこの授業で調べたハザードマップで一瞬非難すべきか速報を見ていました。早速役立つとは思っていませんでした。また、実家は富山で、かつ、5m以上の浸水予想がされている地域なのですぐに連絡をとるなど、とっさの行動ができて、直近の授業の成果が出ていると実感しました。 “0.5mの数字だけ見たらそこまで深くなそうなので避難行動することができそうだと思っていたけど大人でも避難が困難と聞いて数字とのギャップに驚きました。こんな感じでニュースとかで出されている情報と自分の想像とのギャップがまだまだありそうです。 Work2の時に読んだ地域防災計画の火災予防の欄に書いてあった停電の際ブレーカーを落とすのはどうすればいいんだろうと疑問を持ちました。今までブレーカーの落とし方について教えてもらったことが無かったので焦りを覚えました。” ” 今回の講義で、「地域防災計画」について印象に残りました。 特に、避難を行う際は1人を想定されたものを多く教わってきたため、実際は地域の人々と避難するため助け合いの精神や協力することが大切だと改めて気付かされました。 特に、学校での先生たちの元の避難訓練の印象が強かったため、避難先に行ったからといって誰かの庇護下にあるのではない。地震発生時には行政機関、防災機関自らも被災するため、行政が直ちに対処することは極めて困難となることがとても印象的でした。 そこから能動的に自分で考えて動くことが大切だという気づきを得ました。 加えて、地域防災計画の長さが印象に残りました。” “地域防災計画について 今回10分の読み合わせでしたが、福本先生がこの文章を読む場を設けていなけれな、気づくこともなかったと思うととても意味のある10分でした。自分の住んでい流地域が災害や火災などにどのような意識を持っているのか、また地域の人間にどのような心持ちで防災に取り組んで欲しいのかということが書かれており読んでよかったなと思いました。ありがとうございます。” 水深が低いからといって、威力が弱いわけではないという事実は覚えておきたいです。朝から地震があったのに授業まで起きなかったので、日頃から正しい生活習慣が必要だと身に染みて感じました。そして、恥ずかしながら地域防災計画という単語は初耳でした。防災基本計画は、小学校などで生活の時間に学んだことに近いのかなと感じました。地域の方は目新しいものばかりでした。 フィードバックの際にハザードマップのについて相反する意見が出ていた時、両方の内容に納得できる部分がありました。また、長岡市の地域防災計画を読んだ際、文章は読みやすいのにも関わらず書類そのものを集中して読み続けるのが意外に難しかったです。どちらも記載されている内容に不足があるわけではないので、防災についての情報を一般の市民が関心を持って得ていくためにデザインの方面からアプローチできることがたくさんあると感じました。 長岡市地域防災計画を読んで、第33節の「文化財の保護対策」が特に気になりました。災害が発生した場合、第一に優先されるのは人命ですがこういった部分もマニュアル化してあることに驚きと文化財を保護し未来に繋げる一端を見た気がしました。 やはり行政の文書は読んでいると眠くなっていくなと感じました。最近の資料は案外イラストや図などがあって見やすいのも随分と増えたなと感じていたのですがやはりこういった真面目な文はまだまだあるのだなと思いました。また、市民に見てもらうための防災計画書が市民が読んでて眠くなってしまうようなものだと本末転倒だと思いました。今回のものは各方面に対しての文書だからかもしれませんが、もし市民向けのものを出すのなら、何をすべきか、備えておくべきか、わかりやすいものがいいなと思いました。 今回は地域防災計画について印象に残っている。初めて地域防災計画のことを知り、授業中でも先生が仰っていたように、この授業を履修していなければ、もしかしたら一生読まなかったのではと思い、地域防災計画という存在を知ることが出来て良かったと感じた。重要なことがたくさん詰め込まれていて、とても長い文章だったので、途中で集中力が切れてしまった。最後まで継続して呼んでもらうことや、もっと地域防災計画を広めるためにもデザインという目線から、人を惹きつけるページにする必要があると考えた。内容はそのままで、文章だけの見た目ではなく、イラストや色を加えて、地域防災計画を人々のもっと身近にあるものにすべきだと思った。 災害に対する自分の意識がどれだけ本当に低いのかが改めて自分で分かった気がしました。また、自分だけだと絶対に地震に対してなにも知識を持っていないままになっていたと思うので、この授業を通して自分の災害に対する意識が高まりつつあるのでとても良い傾向として現れている気がしています。 今回の授業で特に印象に残っているのはJAFの実験動画と地域防災計画の資料です。JAFの実験動画では今までタイヤが浸かる程度だったらまだ運転できるのではないかと思っていたのですが、動画内での運転席から見える景色がまるで川の中に突っ込んでいくような見え方をしていて運転できる者として恐怖を感じたので旅行先などで被災した際に友達に車で避難しようと言われてもタイヤまで使っていたら絶対に断ろうと考えました。また地域防災計画の資料は行政用でありながら私たち市民に対して自分の安全は自分で守ることと書かれており、これは多くの人に読まれるべき資料にしなければならないなと感じさせられました。 今回はまず、計画というのは目標や過程をより良いものにするためのものだということを学びました。ただ、地域防災計画を読むと、災害時における目標が自分で自分自身を守れることにあると知り、驚きました。自分の命は自分で守る、というのはよく聞く言葉ですが、それが政府から出されている計画目標になっていると思うと、それほど簡単なことではないのだと感じました。今回、初めて地域防災計画の本文を読みましたが、長くすぎてすぐ何が言いたいかを理解することが出来ませんでした。しかし、多くの人に自分の命は自分で守らなければいけないということが計画に組み込まれていることを知ってもらうには、もっと分かりやすく、すぐ見てわかるような工夫が必要だと思いました。今日はそれに気づけて良かったので、これからは伝える方を考えていきたいと思います。 地域防災計画を読んで、予想より市民側に求められる行動についての記述が多いことに驚いた。それについてはじめは何も気が付かなかったが、「市民の自主的な防災を前提としている行政」と「行政が助けてくれると思っている市民」という関係になっていることを聞いて、とても危険な状態であると学ぶことができた。 地域防災計画というものが自治体ごとに決められているということを今回の授業で初めて知った。それこそ、防災に対して強い関心を有している人でないと普段からこのような資料を確認しにいくこともないため、よりわかりやすく日頃から気づけるような形で社会に溶け込めていると良いと感じた。そのために、防災アプリなどの一部にわかりやすく緊急時のガイドラインといったような形式で表示されていると良いと考えた。 行政機関の資料はだいたいが形式的で読む気にならないなと感じます。確かに内容が真面目なものであるため、しっかり書かないといけないのはわかりますが、相手に伝えることが前提にあるので意欲を掻き立てるような工夫をしてほしいなと思いました。 “浸水被害に関して、流れが早かったり、がれきが混ざっていたりする以前に着衣や靴を履いている状態で水の中を動くのはかなり動困難であるとか感じた。お風呂に入っている時(服による抵抗がない状態)など水の中に入る一般的な行為を想像しがちだが、そうではなく通常時の今の状態で対策を考えるようにすべきだと思った、 地域防災計画について、100ページ以上あるのは想定外であり10分以内に全く読みきれなかった。 読めたところだけでも、書いている内容がかなり細かく実際に疑問が生じてもこの計画を見れば書いてあるといった状態にあるのだと感じた。” 水深が深くなっているガード下などがあり、私も車を運転するのでもし災害時そういった場面に直面してしまったら、自分だったら突っ込んでしまっているかもなと思いました。迂回も他の場所がだめだと迂回は不可能になってしまうので、迂回以外に方法がなければ危険ではありますが車を捨て逃げることも咄嗟に考えるようにした方がいいのかなと思います。 地域によって地域防災計画というものがあることを今回の講義で初めて知った。内容はとても細かく、説得力のあるものに思えたが、一般の人の目に触れづらく、文章的にも読みづらいものだと思った。まず、より多くの人に地域防災計画の存在を認知してもらうことが大切だと思った。 地域防災計画について、地元の資料も是非読んでみたいなと感じ、地元の長野県安曇野市の地域防災計画も調べてみました。これもまた長岡市のものと同じく読みにくい内容で、ちょっとげんなりしました。今回の授業でそのような資料があることを初めて知ったので、この資料の内容をどうにか読みやすいデザインにするのと同時に告知を積極的に行うことが重要だと思いました。私たちが学んでいるデザインの力で人の命を救えるかもしれないと考えるとより勉強の意欲が増しました。 地域ごとに防災計画をまとめた書類があることをそもそも知らなかったので、今回授業を通して防災計画の存在を知ることが出来て良かった。軽く読んだだけでもとても参考になった。目を通すのに骨は折れそうだが、地元の防災計画も読んでみようと思った。 今回の授業では地域防災計画を読んだ。計画というのもあって防災の準備や対策、心構えについて書かれていたが、実際に現場においてそれができるのか不安に感じたし、ただ一方的に計画内容を言って後は市や住民に任せるようなスタンスを感じたので、この計画を全て実現させることはほど遠いように感じた。もちろん市や住民に防災の意識づけを行うことは重要だが、やることが多すぎて市や住民は現状はどこまで対策されているのか知りたいと思った。 “冠水路では車を走ることはできるだけ避けた方がいい。10cmぐらいな走行は可能だが30cm以上になるとエンジンの停止などが起こる可能性があるためかなり危険。 地域、個人、行政、企業間などは、それぞれの中で防災の役割を持ち被害の対策と予防を行なっている。” 今回の授業で見た地域防災計画は非常に長く、全部を読むことができませんでした。授業後に振り返ってみると、この計画は非常に包括的な内容を含んでいましたが、長さのために重要な施設やライフラインについては指針を示すにとどまっていました。災害時にこの計画がどれほど役立つかは不明です。 “地域の防災計画があることを20年間長岡に住んでいて初めて知りました。 やはりこのようなものを読む機会は少ないのでいい経験になりました。しかし、文字が多いものや難しい感じが使われているものは、本に慣れていない私からするととても読みづらいです。もちろん、モノクロで視界に入る情報量が少ない方が落ち着いて辞める方もいると思いますが、私はもっと色をつけイラストを多めにし、読み仮名をつけた方が幅広い世代の人によりよく見てもらえるのではないかと思いました。また、参考資料などのようにモノクロやカラーなど種類を出して様々な人に手にとってもらえるような工夫をするとより良いと思いました。授業内容とは少しズレてしまいましたが、私が時間内に地域防災計画の資料を読み終わらず、また内容きちんと理解できなかったことからこのように思いました。しかし、防災計画というものがあることを知れて、ボランティア活動がされていることもわかりました。機会があれば参加したいと思いました。” 地域防災計画の資料を読んで少し意外だったことがありました。避難場所や防止策などを淡々と機械的に綴られているかと思いきや、住民一人一人の身を守る上での心構えをはじめとした精神論のようなものが要所要所に見られたことです。しかし、よく考えてみれば、災害発生時は行政機関も被災している訳ですし、我々市民もパニック状態にり冷静な判断ができないことが予想されます。その際に重要なのが一人一人の意識であるはずです。避難場所や危険区域などの事前知識はもちろんですが、有事の際に物事を冷静に判断するための気構え、心構えもそれに並ぶほど重要なものに思えました。 “授業後、授業内で扱った長岡市の地域防災計画137ページを全て目を通してみた。しっかり読むのにかかった時間は1時間15分ほどだった。章内でまず気になった点は59ページの、孤立予想集落の住民は一週間分の食料、飲料、生活必需品、燃料を備蓄すると言う記述だ。これができている孤立予想集落の住人はどのくらいいるのだろうか。周知させるべきかなり大事な内容だと思うが、全体的に単調な書類構成なので埋もれてしまっているのが現状だ。 137ページと長い理由は様々な状況に置かれた場合を想定しているのに加えて、そのような状況に置かれた時の各人の立場ごとの役割も全て書いているからだということに気がついた。現状は様々な災害想定毎に章が構成されているが、市民向け、事業者向け、要介護者とその介助者向け、といった形で立場ごとに分ければそれぞれの立場ごとに何を留意すればいいか分かりやすくなるのではないだろうか。” 地域防災計画を読んでみて、これを実際に読んだ人はほぼいないんじゃないかなと感じました。万が一、災害が自分の地域に起こった際にすぐ行動できる人は限られてくると思います。全部を読まなくても要点だけおさめたものを作るのがいいのではないかなと感じます。 “水の中を車で進んでいく時に速度を上げるとよりエンジンに水が入りやすくなることを知って緊急時にゆっくり走ることの方が難しそうだと思った。おそらく避難時にはたくさんの車が逃げようと道路にいるはずなので、いっそ車の上を登っていくのはどうだろうかと思った。アクション映画っぽいけれど実際にできるのならやってみたい。 地域防災計画は家具に耐震グッズを施したり、食料の確保をしたりなどの具体的かつ自分でもできそうなことは頭に入ってきたが抽象的な表現の内容は理解しにくかった。” 災害時に地域で助け合うためには一人一人が自分の命は自分で守るという意識を持っている上で成り立つということが分かりました。朝に起きた地震の時、Jアラート音に過剰に反応してしまい、正しい行動が取れなかったと感じました。また、家の家具が固定されていないため倒れてこないか心配になりました。今回長岡市の地域防災計画の資料を読んで自分の家を安全にすることが大切だということを学び、できる限り固定できるものは固定しようと思いました。 今回の講義で、地域防災計画が市ごとにあるということを初めて知りました。授業中の読んでいる時間にも思いましたし、授業外でも読んでみましたが全く理解できず、すごく正直にいうと理解できないことにイライラしました。また、市民の防災対策についてはほとんどが市民に防災対策の意識がないといけない対策ばかりで、読みにくいわりには各自の意識はあるものとして書かれているなと感じました。 “地域防災計画の中で、行政は人々が助け合っていくことを望んでおり、人々は行政が助けてくれると思っていることを知って驚きました。 また、前回の学んだことの記録の中で、災害が起きてすぐにスマホで調べてハザードマップは見られない可能性があるからこそ、紙媒体の重要性を感じるという感想を持った人がいたと知って、最後の課題に活かせそうな良い考えだと思いました。” 空間安全論の授業をとっていなければ見なかったであろう地域防災計画を読んでみて、最初の数行に書かれてある「自分の身は自分で守る」と言う言葉がやっぱり本質なんだなと感じた。行政は自分たちを助けてはくれないことを肝に銘じて過ごしていきたい。 今回地域の防災計画をみて、最初は地域防災計画とはその言葉の意味で何か防災を計画するものだろうとしか思っていなかったが、実際授業中に読んでみて、具体的なものが書かれていて納得した。特に『町内会・自主防災組織等による防災訓練の実施、近隣の高齢者、障害者、乳幼児、外国人その他の防災上必要な措置に関して特に配慮を要する者(以下「要配慮者」という。) の把握』の部分が地域の把握として的確だなと感じた。実際私の住んでいるアパートの周りには高齢者が特に多くみられるし、最寄りのスーパーで何回か外国人も見かける。だがどこに誰が住んでいるかなどは一切知らないため、そのような対象の人を把握する必要もあるなと身にしみた。 “長岡市地域防災計画書の内容が、市民は自分の身は自分で守ること、とあるにも関わらず市民に読ませる気のない文章で資料を作ってしまう行政が、恐ろしいと思いました。仕事をした感を出すことを優先して、市民のためにという目的を見失っていたのかもしれません。社会起業の話と通じるところがありますが、行政機関で働くことになっても自分の信念を忘れずに働きたいです。 東日本大震災の津波では、車で避難しようとした大勢の人が冠水路に巻き込まれそのまま亡くなってしまったため、JAF動画まとめはそれを思い出して苦しくなりました。エンジンが停止してしまう原因など、洪水の危険のある地域に住む人は全員が知っておく必要があると思いました。” 今回の講義で、いかに自分は文字に弱いかを思い知りました。。。長岡市の地域防災計画を全然集中して読めなかったです。しかし、授業内のアンケートにおいて他の人も同じように集中して計画を読めていなかったので、人はずっとは文字を読めないことを改めて感じました。挿絵やわかりやすい動画があれば飽きずに、頭にスッと入ってくると思いました。 地域防災計画の存在自体を今回初めて知ったのですが、文章がかなり長い上に図なども全く無く、正直全然読む気になれませんでした。ですが、本当に大事なものだしいざという時のために絶対読んでおくべきだと思うので、どうにかもっと誰にでも読みやすくできないかなと思いました。理想を言えば、小学生にでもすらすら理解できるくらいになればいいなと思います。 長岡市地域防災計画震災対策編第2章災害予防の序文で、まず自分の身は自分で守れるようにしてください、すぐに助けが来ると思わないでください、というような内容が書かれていることには驚きました。しかし、読んでいる時は「市がそう言っているなら、そういうものなのかも…」と受け入れようとしてしまいました。提示されたルールを疑う必要性があると気付けました。 “私はこの授業で初めて地域防災計画を読みました。本当にこの授業を受講していなければ一生読むことはないだろうと思いました。 初めに2、3分読んだところで集中力が切れてきて5分ぐらいしたとこで一気に下にスクロールしてみたところまさかの156ページもあることに驚きました。内容もほぼ頭に入ってこないければ文字ばっかりで全く読む気が起きませんでした。書いてある内容は大事なことなのにこれでは何も分かりません。私が思ったのは子ども向けに絵本型にしてみるということです。そうすることで読み聞かせをする親と読んだり聞いたりする子両方が理解を深めることができるのではと思いました。” 今回の授業では防災への考え方について学んだ。その中で長岡市の地域防災計画についても触れ、長岡がどのような防災を考えているのか触りだけだが知ることが出来た。また長岡の防災計画は様々な部門と場合を分けて細かく考えられていることを知った。 “人類補完計画が結構出てきていたことが面白いとアンケートの時思い笑った。 「日常の予防」の欄に「我が家が避難所」という言葉があり、耐震など確かに大切だと感じた。そこから、実際避難所には学校や公民館がよく使われるが、犯罪のための”安全の家”のように避難所にもなる家があってもいいと思った。学校などにいくまでにも距離があるため、お年寄りの多いところなどではその家に集まって点呼や周りの安全確認をしたのち皆で避難所に行くなどすれば確実になるのか。しかし、今までの映像だと悠長にしていると逃げ遅れそうにも思えるため、どのくらいの猶予を持って行動すれば良いのか迷いどころだ。 非常食系のものが自分の家には少ないため、地震がいつ来るかわからないこの状況、用意しておこうと思えた。” 洪水時に小さな河川と大きな河川との間でバックフォーターという現象が発生し、小さな河川の周辺でも大きな被害を受けることがあるということを理解することができた。また、地域防災計画という行政の文書にならって、災害時の避難計画等が行われていることを理解することができた。地域防災計画内に住民のためになる内容が多く記載されていることが理解できた。災害は政府や自治体が原因で発生しているものではなく、自然現象なので、自治体が自分の命は自分で守ることを一番に推し出していることも当然のことなのかもしれないと思った。 地域防災対策震災対策編を読んで、自分たちのできる範囲での防災、減債対策から、市や行政が取り組むシステムまで、さまざまでした。中でもとりわけ強調されていたのが、私たちの町は私たちで守るといった、自助の意識の定着を図ることに重きを置いているという事です。その他にも要配慮者への配慮など公助もありましたが、結局は災害時には市が手助けでないと明言しているので、やはり、自助的な考えに基づいて備えておくことが大切だと思いました。 今回の講義で印象に残ったのは、地域防災計画です。想像していたものよりもずっと多くの事柄が描かれており、驚きました。同時にこんなに良い防災計画がいつでもみれるのにも関わらず、おそらく目を通してない人が多いのではないかと思い、少し残念に感じました。今朝の地震のように突然の出来事にも柔軟に対応していくためには、こういった行政がまとめてくれているものに対し少しでも関心を向けることが大切だと感じました。 長岡市の防災計画が公開されていた事を初めて知りました。想像では、避難所のマップや緊急物資が届く施設、消火栓の位置など市が災害時に提供できるサービスがまとめて防災計画としていると思っていました。しかし、思ったよりも文字ばかりぎっしりの内容ですぐ読む気が無くなってしまいました。防災は面倒くさいと思われては公開している意味がないと思うので、読みやすい文体や文字のサイズ、内容の要約などをして取り付きやすくしたらいいのかなと感じました。 地域防災計画というものを初めて知りました。読んでみて、行政も被災するから自分の身は自分で守れという文に確かにな、と思いました。災害時はその地域の全員が被災して当たり前だし、行政だからといって例外は無いという当たり前に気づけました。 地域防災計画の文章の読みづらさがとても頭に残っています。色もなければ図もなく、淡々と進んでいく感じが結構文章を好んで読んでいる方な自分でも辛かったです。かなりハイペースで読んでいるつもりだったのにスクロールバーがほんの少ししか進んでいなくて軽く絶望しました。ただ、読みづらい中でも見出しがキャッチーなものは目に止まりやすく(我が家が避難所、というタイトルは良いなと思いました)そういった言い回しがもっと増えたらとっつきやすくなるということは今回かなり強く感じました。 今回の講義では、前回の続きの洪水と地域防災計画について学んだ。水温から出る生存時間は、洪水に逢った場合救出時間が全く足りないと感じたのでいかに体温を維持できるかが肝になってくると思う。また、そもそも洪水からの被害を受けないためにも地域防災計画を知っておくことが大切になってくると思う。そうはわかっていても地域防災計画は、文字が多く読む気にならないのでどうにか工夫して理解しやすくする必要がありそう。 地方防災計画は文字がびっしりでよっぽど興味が無い限り見る機会はないだろうなと初めに思った。しかし読んでみると内容はわかりやすくためになるものばかりで勿体なさを感じる。こういったものにもデザインを考えられるという視点を新しく手に入れた。 生きるのも死ぬのも自分次第だと思いました。東日本大震災のとき大人の指示で動いたら亡くなった子を思い出しました。震災時はパニック状態ですし誰かと入れることに安心して相手の意見を信用してしまいそうですが自分次第だと思いました。 今回の授業では6:30くらいに地震が起きた後の授業で、災害のことを身に体験してからの講義でした。自分は、避難準備の話の際一人暮らしを始めてから災害があった時のための準備が何もできていないことに改めて気づくことができました。今年に入ってから地震が多くなっています。課題がひと段落したら一式そろえたいと思います。 防災計画のパンフレットや、ちょうどほかの授業で市の景観計画のパンフレットを読んでいて、ああいう市の計画資料はどうして文字だらけでお堅いものが多いのか不思議に思いました。誰が真面目に目を通すんだ?といつも思っています。もっと世の中のお堅い資料たちがポップになればいいのになと思いながら授業を聞いていました。 地域防災計画についてのPDFの「目的」について、10分かけて読んだとしても全然内容が読みきれないどころか、読んだはずのところも内容があやふやだったので、まず実際に災害が起きた場合にはこの内容を読んでいる暇はないと思いました。 今回の講義で初めて「地域防災計画」の存在を知り、ワークを通してその本文を読んだが、文章のみが続いていて、果たして読ませる気があるのだろうかと疑問に思った。伝えたい情報を文章に収めることのみが優先され、それを実際に読んでもらうという視点が欠けているように感じ、このことは前回の講義で取り上げられていたハザードマップの話題にも通ずる点があるように思った。このような事務的な形式での記録ばかりが続いていたからこそ、実際にその中身がどうであろうと「防災は大々的で親近感が湧かない」という先入観が人々の間に根付いてしまったのではないかと思う。講義では長岡市の計画を読んだが、地元(埼玉県神川町)がどうなっているか気になり、講義後に調べてみた。やはり長岡市と同じで長い文章が書かれていたが、長岡市と比べて表や図を用いた解説があり、優先して伝えたい内容は枠で囲まれていたりと、ぱっと見で「ここが大切なんだろうな」、という予想がつきやすいように感じられた。大きな変更でなくてもこういった小さな工夫が読みやすさにつながるのだと、両者の比較を通して気づくことができた。最終課題に向けて、デザインが防災の領域にどのように貢献できるかを考えながら講義を受けていきたいと思う。 “泳ぐことが得意ではないので川が氾濫したときに泳げるから大丈夫だという思いは湧きませんでした。けれど得意だったならその中でも生きれると思ってしまいそうでした。 自然災害に逆らうことはできないので、もしも災害に巻き込まれたとしたら早々にあきらめることはしないけれどある程度まで来たらきっと最後にはあきらめて自分の運命として受け入れているだろうなと思います。明日生きているという確実な補償がない中で、いつ自分が命を落としても悔いがないと思えるように毎日を生きていきたいと思いました。 また、防災計画を10分間も集中して読むことができなかったのが周りのみんなもそうだったことに少し安心してしまいました。けれどこの授業がなかったら読むことがなかったので、災害が起きた時には行政だけを頼りにするのではなく自分と自分の周りの人たちと助け合うことが重要なのだと思えました。” “冠水した道路を車で通ることはとても危険だと思いますが、どうしても通らなくてはならない時もあるため難しいと思いました。速度を緩めて走った方がエンジンが止まりにくく安全であることは初めて知りました。 また地域防災計画の内容に少し驚きました。確かにすぐに行政機関の救援がくるとは思いませんでしたが、「自分の命、街は自分達で守ってください」という内容が一文目からくるとは思いませんでした。しかしそれだけ自助、共助が大切であるということがわかります。” 今回、長岡市の地域防災計画を初めて読んでみて想定以上の文章量で驚きました。地域の人が知るための重要な情報が100ページ以上全て文章で書かれており、仕事をしているような一般の人がこの内容を全て読み込むにはかなり厳しいところがあるなと思いました。 “私は今回初めて地域防災計画を読んだ。基本的に当たり前のことばかり書かれてあったが、意外と頭から抜け落ちていたことも書かれていた。 文章が堅い印象で、同じようなことが繰り返し書かれている様に感じた。正式な書類なので堅苦しくなるのは仕方ないので、公式に「子どもでも分かる地域防災計画」のようなタイトルでイラストなどを用いた計画書を積極的に発信すれば地域住民の関心、理解度が向上すると思った。” 今回の授業では計画とはどんなことなのかの想像をふくらませた。それまで私自身は計画ということは前もって準備することだと考えていたが、今回の授業を聞いて、計画するという行動には準備だけでなく、想像の世界を広げることでもあるのかと思った。より計画という言葉の意味を理解した上で様々なことを計画していきたいと思った。 浸水して流れている水は、見た目は穏やかに見えるけど実際は水の中は渦巻いていて危険ということを先生がおっしゃていて、確かにそうだなと思いました。私は目も前で浸水している状況を見たことはありませんが、ニュースで浸水している状況を引きの映像で見たことがあります。大体濁っていて表面があまり動いていないイメージがありました。あんなに穏やかに見えてもとても危険ということをしっかり知れて、早めに避難することや垂直避難の大切さを改めて感じました。また、長時間水に触れているだけで体力が奪われていくのがとても怖いなと思いました。 今回、地域防災について深く知りました。今朝にちょうどそこそこに大きな地震が来ていたこともあり、さらに学ぶ意欲が大きくなりました。地域防災計画をさらに広めるためには、読みにくいあの計画書ではいけないと感じました。命を守るために最も重要なことを抜き出してイラストや動画におこす活動をすべきだと思います。さらに、個人的に非常食や防災バック等の備えをしようと思いました。 実際に災害が起こった時少しの判断が運命を分けると思うので、川の合流部では水が溢れやすいことや、指示に従う途中で災害に会うことも考えて少しでも命が助かる行動をするべき、など、とても実践的で参考になるお話が聞けてよかったです。また、私はいつも、「こんな災害があったらここに行こう」という避難場所はあっても「指定緊急避難場所」「近隣の安全な場所」、そして屋内での安全確保など、その状況にあった行動は考えたことがなかったので、まずそれを考えなければいけないのだと知れたのが大きな一歩かなと思います。JAFの動画も、見たことのない具体的な映像で身近に恐怖を感じました。 今回の授業で読んだ記事から印象に残ったことが、地域の人と協力することが必要であるということです。自分は大学に来て地域の人との関わりが全くないので助け合う以前にどんな人がいるのかも知らない状況であることを認識することができました。といっても地域の人との関わりがないのでこれからもどんな人がいるのかを知ることなく四年が終わるかもです。四年終わる前に地震などの災害で協力が必要となった時のために、地域で避難訓練を実施したいと強く思います。近くの小学校への避難経路などを確認する運動などをやりたいですが、どのようにしたら地域という大きな集団を動かせるのでしょうか。もし可能であれば避難訓練を地域でやりたいです。 冠水した道路を車で走る際の危険性についての話が印象に残った。私も免許を教習所では車の操作や道路交通法などを教わるが冠水した際の対処法などに関しては教わらなかったと思う。冠水時やその他の災害時も命に関わることだと思う。自分のような運転の経験も車の知識も浅いドライバーが知らず知らずのうちに危険な行動してしまわないように免許を持つ前に教習所で冠水時やその他の災害の対処法も免許の講習に組み込まれていればいいのになと思ってしまった。けれども、調べれば知ることができるけれど、知ろうとしない、調べようとしないが自分が変わるべきだと思ったし、変わっていこうと思った。 防災計画をという内容に今回の授業ではじめて触れたが、いざ災害が起きてから知るのでは手遅れになってしまうような、自分がタメになる内容が多くその存在を今回の授業で知ることができてとても良かったと思った。しかし長岡市の防災計画をはじめにパッと見た時文字だらけでとてもではないけれど進んで読みたいと思える見た目ではなかった。その防災計画を世間に対するハードルをさげ、より身近に感じてもらうには日常生活のもっと近いところにその防災計画の存在を人々に感じてもらう必要があると考える。それをデザインの力でなんとかできないかなあと感じた。 地域防災計画について、想像していたよりずっと文章がかたくて難しく、それに想像の10倍以上文章量があり、これを普段防災を意識していない人はもちろん、積極的に防災を意識している人でもこれを読んで理解するのは非常に大変だと感じた。そもそも地域防災計画というものが存在することすら知らなかったので、それが私たちに向けて発信されているとしてもなかなか発見できないと思った。 今日の授業で地域防災計画のことを初めて知った。見てみると文字ばかりだし100ページ以上あって、10分は頑張ったがとても全部読む気にはなれなかった。「行政の災害対策のための計画という側面が強い」とのことで、一般の人もその地域がどういった災害対策や復興をするのか知っておくべきだと思ったので、要点をまとめて絵や図を用いたミニ版地域防災計画があるといいなと思った。 ニュースで川が氾濫している映像を見ているときに車に人が乗ったまま流されていて、外に出て逃げればいいのにと思ったことがあるが、今回50cmの水深でも車の中に閉じ込められてしまうという話を聞いて、50cmなら無理やり車で逃げられるかもしれないと自分でも考えるかもしれないと感じた。周りが水浸しになっているところに出るのが怖くて車の中にいると、より危険な状況になってしまうのが恐ろしいところだと思った。 今回の講義で特に印象に残っていることは、講義中に読んだ長岡市地域防災計画に関する内容です。本編では、様々な災害に対して、それぞれ異なる対策やと取り組みが明記されており、中には初めて知るような内容もあったため、非常に勉強になりました。しかし、こんなにも大切な内容であるにもかかわらず、市全体で積極的に計画書を読ませる取り組みがないのはなぜなのだろうと思いました。 災害対策として地域で策が立てられているけど、あまり関心のない層の人も一定数いて、そういう人たちにもしっかり情報が伝わるように考えないと行けないのではないかと思いました。また、少しでも興味を持って調べてくれた人をしっかりキャッチするために、対策案の読みやすさや図形などを使ったキャッチーさを取り入れるとより読みやすいものになるのでは無いかと思いました。 今回の授業では、冠水路走行実験の動画を見て、洪水時の車移動をどのように行動するべきかを学んだ。実際に行われた実験では、31メートル地点の水平な道までは進むことができたが上り坂など、少しでも馬力を使うところがあると車は動けなくなると知った。また、速度を落とせばある程度まで走行できる可能性はあるが、実際の冠水路では水深も水の中の様子もわからないため、できるだけ冠水路は通らず、迂回することを考えた方がいいと知りました。このような判断ができるよう頑張りたいと感じました。 増水した川を見に行ったり撮影しに行ったりするなとお話がありましたが、去年の夏に鳥取のおばあちゃんの家にいて台風がきました。夜だいぶ雨と風がすごく、朝起きた時水の冷たさで起きたらいやだねと話しながら寝ました。幸いにも家に浸水せずに朝を迎えましたが、おばあちゃんが家の前の川の水位を見てくると言いました。私は川の様子を見に行くことが危険だと分かっていたので、何度も止めたのですが、結局おばあちゃんは見に行ってしまいました。おばあちゃんには何もなかったのですが、もし何かあったとき、私は一生自分を責めたと思います。しかし、おばあちゃんも危ないと分かっていながら見に行ったのは、自分が家族を守らなければいけないという使命感、興味のために水位を確認しに行ったのだと思います。ニュースでは大きな川の水位が放送されますが、自宅近くの小さな川の状況を確認できる仕組みがあったらいいなと思いました。 災害時、水に浸かった際に水温などによって生存の時間が変わってしまうと言うことを初めて知り、驚きました。津波の中、車で移動してる人をよく見かけますが、どこまでも動くのかなと思っていたけれど馬力が必要な坂などで止まってしまうことがあるので、車を使うべきではないのかなと思いました。そして朝の地震がとても怖かったけれど、この前の講義で避難場所を確認したおかげで、気持ち的に安心する部分がありました。自分を落ち着かせるためにも、避難場所を確認しとくなどが必要だと改めて感じました。 地震が起こった時、アラームの音に驚きすぎてしまって咄嗟に行動を起こせませんでした。私は2階にいたのですが1階に行った方がいいのか、外に出た方がいいのか分からずその場に留まることしかできませんでした。その後家族と話して自宅で地震があったときの行動、避難経路を確認することができました。災害は急に来るので咄嗟に行動ができるように日頃から話し合っておくことが大切なんだと身に染みて分かりました。 計画という言葉について、組織が立ててそれを共有するものだと考えていたが、今回の防災計画からは地域全体で住民一人一人が計画を作り上げていく必要があるのだという印象を受けた。例えば、防災地域を作るために住民がアイディアを出したり被害を拡大させないために各自ができることを率先してやったりすること。防災計画と言うと自助共助公助の3つの内公助に分けられそうな気がするが、いかにそれぞれが自助を行えるかが防災計画の肝であるということに気がついた。 今回の授業では、地域防災計画を初めて読みました。長岡に住んでいる以上、災害にむけてこのようなものを読んでおくのはとても大切です。しかし、存在自体を知らなかったので、まだ防災に対する意識が低いことを自覚しました。 地域の防災計画について、特に長岡の地域防災計画について学ぶことが出来ました。地域が、市が、街が人々を守るのではなく、地域の人々自身が自分の身を守り、そして地域の防災に努めて行く必要があることを知りました。日頃から地域の一員としての意識を持ち、防災計画、対策を行うことが地域住民に求められていると考えました。 この授業を受けるまで、地域防災計画があることを知らなかったし、実際読んでみて思っていたよりとても長かったという印象でした。地域防災計画を読んだことがある人はどのくらいいるんだろうと思って、そもそもこの計画を知ってもらうことも必要かなと思いました。 “今日の授業から学んだことは氾濫した水はとても危険であるということです。 膝下の水深でも氾濫した水は勢いが強く、歩くことすら困難になります。 このような水による災害は、自分が想定しているより被害、危険度が高くあらためて注意が必要だとかんじました” 今日の授業で地域防災計画というものを初めて見ました。実際世の中の大半の人が地域防災計画なんて見たことないだろうし、自分もこの授業をとってなかったら一生見ることもなかっただろうなと思います。読んでみて思ったのは自治体というのは災害時においてあくまで補助のような立場にあり、実際に自分の命を守り行動し、復興もしていくのは住民一人一人であるということを改めて感じ、避難場所や経路を普段から知っておくことが今自分にできることだなと思いました。 地域防災計画を読んで、確かに行政側に頼り切りであると危ないのだと思いました。保険に入っているのかどうかなど備えておくべきことは約さなると気付かされました。能登半島地震の時に家が大きゆれて、津波が来るかもしれないとなった時に、真っ先に「保険は入っているの?」と母に確認してしまうほど生活再建への恐怖が募りました。幸い家も家族も無事でしたが、一昨日の朝に急に大きな地震が来たように災害は本当にいつ起こるかわからないので備えが大事だと強く感じました。 長岡市の地域防災計画を読んだ時、最初に資料を開いた時の132というページ数で読む気がなくなってしまった。最初の方は読めていた気がするけど既に内容はほとんど抜けているのと、途中から情報が右から左に流れていく感覚があったので内容が難しく多いと理解するのが難しく感じた。 長岡市の地域防災計画を読んで、元々長文を読むのが苦手な私にとっては、全てを読むのがとても億劫だと感じてしまいました。また、文字ばかりの資料だったので、とっつきにくい部分もあると想います。そのため、イラストを交えた資料にすればもっと多くの人が防災に関する正しい情報を理解することができると考えました。 今回の授業では、地域防災計画とは何かを知ることが出来ました。言葉では聞いたことはありましたが実際どんなものかを詳しく知りませんでした。授業の途中で本文を読む時間があり、全部読めるように頑張りましたが、とにかく長く、こんなにも情報が多いものとは知りませんでした。それでも集中して読んだ部分で分かることも沢山有り、県や市、町村でそれぞれ災害時の役割がしっかりと位置づけられているということが分かりました。 防災知識の普及について詳細にまとめられたものがあったとしても、長かったり、簡潔でなかったりするとそもそも読む気が起きなかったり、頭に入ってこなかったりと結局なんのためにもならないので、読みやすく要点をまとめる、絵や図をつけるなどしてもっと簡単に理解できてスッと頭に入ってくるものにすれば良いのかもと思いました。ただ、読みやすさを優先するばかりに省かれてしまう内容があっていいのか、とも思いました。 地域防災計画について、知りたいと思う人がいてもなかなか関わりにくいのではないかと今回の授業で思いました。そういった情報を多くの人にわかりやすく伝えることがデザインとして大切なものだと改めて感じました。 今日の講義では防災計画について学びました。長岡市の防災計画を見るのも存在を知ったのも初めてでした。実際に読んでみると、まずは市民自身が行動する必要があると書かれており、災害時に自分がどのような行動をとるべきかよく考えさせられました。 長岡市の地域防災計画を読んで、小中学生の時授業で習ったことが思い出された。私の地元は阪神・淡路大震災で被災して、ちょうど冬だったこともあって、建物の倒壊後電気が復旧した時につけっぱなしだったストーブから木造に火がうつって大きな火災が発生したのがとても印象に残っていた。その教訓から、地震が起きて避難する時はブレーカーを落としてからということをずっと教えられてきたから頭に残っている。災害に合わないことが一番ではあるけれど、被災したことで学び、教訓として残り次に救われる命があるというのは良い事だと思う。 「私たちの地域は私たちで守る」という意識を持ち、緊急時にお互いが助け合える 身近なコミュニティの形成を目指すと防災対策の本文であったが、確かにその意識を持つことが防災対策の1歩目なのではないかと感じた。その点において福本先生がよく話題に出される防災トランプは老若男女関わらず防災についての意識を高めることができ、始めやすいため教育の面で鳥居テレ見てもいいのではないかと思った。 今回の授業で印象に残っているのは『見やすさがどれだけ大事か』です。役所など、お堅い文章ではそういった資料をまとめるための共通のルールがあるのかもしれないので難しいですが、あれでは一般の人見ようとしても読めないと思います。記録用の内部文章なら良いのかもしれませんが、一般の人向けに広めたいのなら再構成して情報を絞り、デザイナーに依頼すればいいのになと思いました。もしくは、書いてはあるけど内容が内容なので、読みにくくしてあまり一般の人の目に触れないように仕向け、有事の時の責任逃れのための文書なのかとも思ってしまいました。
授業で使用する資料
学んだことの記録
防災トランプで能登の話が出ているのに驚いた。自分の地域について話す中にもあのレベルで役立ちそうな話が隠れていると思うと、意味があるのだなととても感じた。その話題とするためにも、もっと身近に、天気予報ぐらいの感覚で見れる防災情報をデザインしたいなと考えた。 この授業で自分が今までボランティアを全くしてこなかったことに気づきました。被災地へ行ってボランティアするのは余震などもあって怖いと思うのですが、安全を確認できている場合は能動的にボランティアに参加してみたいです。 ボランティア元年の話が興味深かった。ボランティアというとごみの片付けや補充、救助等が思い当たるが、自分の得意分野をいかして自分なりの支援ができるという新しい視点をもつことができた。長岡造形大学の学生ならそれぞれの学科が協力しあえば効果的なボランティアができるだろうと思った。わたしは視覚デザインを学んでいるため案内看板や地図などの作成をすることで活躍できるのではないかと思った。 計画ではタイムラインの具体化が大事であるというお話がありました。大学の課題ですらギリギリになっているのに、しっかりした計画を立てられる気がしません。しかし、住んでいる地域の環境によって、起こりうることが変わってくるとしり、もしもの時に、迷う時間が減るということが一番大事なのかもしれないと思いました。 災害や防災を学ぶことによって自分が誰かを助けられる立場になるかもしれないと思いました。自分の命だけでなく、周りの人も助けられる人になりたいです。東日本大震災の時小学生だった私はわけもわからず学校内で避難をしていましたが、小学生でも避難経路など把握しておく必要はあると思いました。避難経路が書いてある地図はわかりづらいと思っていたので、小さな子どもでも理解できる避難経路地図があればいいと思いました。 冒頭で防災の情報を「自分にとって必要な情報」に加工することができていないなどとお話しがありましたが、確かに災害は必ず起きるけどいつ起きるかわからないという不確かなことが多い点で、対策しようとする人は少ないように感じます。私の地元は神戸なので学校でも防災の教科書が配られるなど防災に関しては学んできましたが、実際に防災リュックを用意したり、授業時間外で防災の取り組みをおこなっている人は少ないと思いました。教育をもっと能動的に行うことができれば、防災を自分ごとに考えれる機会も多くなると感じます。 自分の中でボランティアは災害が起きる前でも地域の中でのコミニティを繋げるために必要なものだと考えています。災害が起こった際、地域住民の方々で団結力を作るためにも自分が今できることはまず地域イベントに参加したりだとか主催することが災害予防につながるのかなと授業を聞いて学びました。 “与える支援・引き出す支援という言葉がとても印象に残っています。与えられるだけではなく自分達で作っていくということはとても大事なことだと感じました。災害などの際は支援として食べ物など頂けることが多いけれど、もし自分が与えられる立場になったときに「申し訳ない。」という気持ちが強く芽生えてしまいそうだなと思いました。そのため、食材などを頂き自分達で作っていくというのは料理に没頭することで寂しさなども紛らわすことが出来そうでとても良いことだと思いました。 また、学生連盟の自分達の学んでいる分野の特技や能力を活かした支援をしているというのもすごいなと思いました。自分の特技や能力を災害の際に生かして行動することができることに本当に尊敬します。私もデザインについて学んでいますが災害が起きてしまった際に何かできることはないか授業を通して考えました。それらを行動に移せるようにしていきたいです。” 例えば自分が被災地に行ってボランティアをするとして、何もかもがわからなくて逆に助けてもらう立場になってしまいそうだと感じる。どれだけ住み慣れた土地で被災したとしても自分のことに精一杯になってしまった経験があるので、共助に関してはまだ難しい行為であると言う認識が拭えていない 今回の話で印象的だったのは学生セツルメントやボランティアについてです。私は被災地に実際に足を運んで支援することを経験したことがなく、いつも募金や物資を送ったりなどの間接的なことしか行ったことがないのですが、学生のそういった団体があることや福本先生の経験などを聞いて実際に足を運ばないと分からないことがほとんどだということを知りました。助け合いだからこそたくさん動ける若いうちに活動したいと思いました。 震災後のニュース映像を見ていると炊き出しの様子は出来上がった豚汁とかご飯を配っているイメージが強くあるが、与える支援・引き出す支援の話を聞いてそういう日常生活の作業を取り入れていくことも大切なんだと思った。もし自分が被災者側だったらと考えると非日常的で普段の生活が送れない中で野菜を切ったり調理したりという極めて日常的な行動は落ち着けるし安心すると思った。 80年以上前の支援活動の充実さに驚きました。当時でここまでその先につながる支援ができるのであれば、今現在ではもっと違う視点での支援ができるのではと前向きに思える様になりました。また今回の講義中で、「能力ではなく姿勢と態度が重要」という先生の言葉に納得しました。それが本当に困っている場面であればあるほど、アイデアを考える頭数が増えるだけで成し得るものはより良くなります。加えて物事に対する姿勢、心の持ち方が支援している際に伝わると「技術」の面だけでなく「精神」の面でも被災者の方にとって支えになるのではないかと感じました。 被災地の方に完成した食事を届けるのではなく、食材を届けて、「料理をする」ことを通して精神的にもいつもの生活を感じてもらうという考えはとてもいいなと思いました。ボランティアをする立場になったと考えた時、被災地の人々にとって何が必要なことで、どんなことをしたらいいのか、ありがた迷惑になるようなことをしてしまうのではなど、正解がわからなくなって、とても難しいです。やはり実際に行って自分の目でみる事が大切だと今回の授業で感じました。 最後のボランティアを通して得られたことにおいて、私も何度かボランティア活動をしたことがありますが、この経験は自分にとって大きな自信に繋がっています。ボランティアをすることは、もちろん1番大切なのは誰かの助けになることですが、自分の自信をつけるため、自己満足のために活動することは間違いではないと思います。それを偽善ではないかと考える人もいますが、私が過去に印象的だった言葉で「やらない善よりやる偽善」というものがあったことを思い出しました。 私は今回の授業のワーク8-1で、自分が首都圏にいても家や地元にいても人を助ける立場になる、または支援すると答えた人がとてもたくさんいたことに驚いた。私の地元が福島県いわき市であり、東日本大震災を身で経験したので、大地震がきたらやるべきことや気をつけるべきこと、どう人に助けてもらうかなど、普通の同い年の子よりは知ってると思う。だからその経験を人に話すことで、周りの人が非常時に少しでも最適な行動ができるようにしてもらうことで、周りの人を助ける支援になると思う。つまり、災害でも犯罪でも、普段から周りの人たちと自分の経験を話したり、話してて気になったことは一緒に調べたりすることが大切だと改めて感じた。(300字) 現地特有の臭いの話が印象に残っている。場所に限りがあるから遺体を近くに収容する、独特な臭いを放つ点は、無宗教でもある程度宗教的な考え方や倫理観を持ち、高温多湿な日本だからこそ起こる現象だと感じた。コロナウイルスの蔓延以降、日本人は確実に不衛生等に不寛容になり、またストレス源としての割合が増えているように感じるので難しい問題だが対策は必要だと考える。 ボランティアを通じて人生が変わったという話が印象的でした。実際には見返りを求めてボランティアに参加する人がほとんどかと思いますが、そうではなく、困っている人を助けたい、なんとかしてあげたいという純粋な姿勢・態度で参加することが必要なのだと思いました。そういう心をお持ちの方であるからこそ、自分にとっても良い見返りが得られたのではないかと思います。あとは、計画を立てる時は具体的にまとめた方が後々役立つと認識するようになりました。 これまでの災害に対する復興の様々な例を学ぶことができました。個人的に「与える支援・引き出す支援」という言葉が印象に残りました。助けられ続ける立場というものは感謝の気持ちだけでなく、申し訳なさや後ろめたさがどうしても生まれてしまうという視点を新たに持つことができました。食事を作ることが自分たちも復興に参加している前向きな気持ちになれる効果的な例だと学びました。実際の現場で復興支援に関わった福本先生の話も聞けて興味深かったです。においがメディアを通して見るだけでは感じとることのできない災害の生々しさを表していると感じました。 災害によって受ける被害は地域によって異なり、回復速度、意見の対立による話し合いなどの進行、完了速度は自治体によって違ってくることを学んだ。また、災害が小規模であっても、大規模であっても行政で対応する人数は変わらず、限界があることを知った。行政では対応しきれないところを埋めるためにはコミュニティやボランティアの存在が重要になってくることがわかった。まだボランティアという言葉がなかったときに人のために無償で動くことのできる人たちもいたことを知り、感動した。学生連盟では、学生の特技や、能力が生かされていて、彼らの支援で助かる人もいて素晴らしい活動だと思った。また機会があればボランティアに参加したい。 今回の授業で、福本先生がボランティアを行なってきたことで得るものがあったとおっしゃっていたのが印象に残りました。私は、東日本大震災で被害をうけました。東日本大震災が起こった後はどこのテレビ番組でも特集が組まれ報道がされていましたが、正直どの番組も最後は感動する話に持って行ったり、ボランティアの特集でも綺麗事を話ているような印象を持ち被災した側の人間としてはみたくないなと思うような内容ばかりでした。ですが福本先生がボランティアをしていくことで得るものがあった、ボランティアをしてよかったと言う旨をおっしゃられていて、被災した側としても素直にボランティアしていただけたことに嬉しさを覚えました。なので私もより多くのボランティアをしたいなと思いました。 “災害ボランティアに参加する人はどのような人か気になりました。仕事や学生が合間に来るのか、時間の使い方を知りたくなりました。四六時中瓦礫の撤去や物資の配布をして、仕事など手につかないような状況を予想しています。少し調べてみると「ボランティア休暇」なるものがあったのでそのような制度があることにも驚きました。 自炊をすることで元気になる、被災者も「かわいそう」という感情を押し付けられ与えられるばかりだと心が疲れてしまうのだろうと思いました。誰かと一緒に作って食べるという料理は人と繋がる良いコミュニケーションの手段だと思いました。私も現在シェアハウスをしていてシェアメイトと一緒に料理をして食べる時間が大好きです。” “今日のwork-1の結果に少し驚いた。それは、現在住んでいる場所の方が首都圏よりも”自分の命を守る”と回答した人が多かったことだ。 出先の首都圏で地震に見舞われたならば、例えば自分の家財が被害を受けているということはないと考えられる。故に、私としては、状況を冷静に分析し、助ける側に立ち回れたらと思った。とはいえ、私は幼少期神奈川に住んでいたことや、両親の友人が首都圏に多いことにも起因しているとは思う。私自身も、東京に行く頻度が多く、ある程度の土地勘もあり、自分の友人が多い。私の大切な友人を助けたいという気持ちがある。自分の家財・物が影響を受けていないからこそ、立ち回れる立場にあり、大切な人のために動きたいと考える。 一方で、私が住んでいる場所で大地震が起きた場合には、家財を含めて直接的に自分自身が被害を受ける可能性がかなり高い。故にまずは自分自身の命を守ることを考えたい。私の場合駅前に住んでいることもあり、周辺のお店の人など知り合いが多い為、自分の命を守ってから、連携を取り合って共助へと動いていきたい。 アンケート結果を見て驚いたが、思い返してみると同じworkを前に回答した際には、自分の住んでいる地域の方は”他者を助ける立場”として回答していたことに気づいた。しかし授業を通して、災害現場の凄惨さを資料で目の当たりにしたことで、自分が住む地域で起こる方が恐ろしいと感じた。家財を失い、住む場所が無い状況では未来を見ることは出来ないと思う。その先の見通しが立たない。 家財も住む場所は何ら影響を受けていない、出先での災害ならば、自分自身も被災者でありながらも幾分か身軽である。 色々と書いてみましたが、自分本位の考え方かもしれません。しかし、授業を通して考え方が変わったというのはあります。ショッキングな映像や画像、様々な視点での資料で、ここまで自分の考え方が変わってくるのだなと……。 自分本位かもしれないと思いつつも、このように考え方が変わったことは良い方に捉えています。しかも無意識に。私の上記の考え方が正しいのかは分かりませんが、客観的に第三者から見ても良い変化であると捉えられるならば……災害への意識というのは、もっと無意識的に、その人自身の中へ何となく浸透していき、それが当たり前になっていくことなのかとも、少々飛躍的過ぎますが思ってしまいました。” 学生の特技や能力を活かした創造的な支援をするのはとてもいいことだと感じました。自分は過去に子供会で招集されてボランティアに参加”させられた”という気持ちでゴミ拾いをしていたけど、自分から参加”したい”と思って参加するのとでは全く感じ方も変わってくると思うので、積極的にどんなボランティアがあるのか探して参加したいなと思いました。ボランティアに参加して自分の人生を変えるきっかけになったら嬉しいです。 “災害時の支援というと何かを与えることばかりを想像してしまっていたのですが、何かを引き出す支援もあると知り、内側から元気が出そうでとても良いと思いました。被災地の子供に対して〇〇をしてみよう、といった形での支援をしているのは時々見かけますが、被災地の大人に対してもそのようなアプローチがもっと増えても良いのだと思いました。 津波の被害で、同じところから撮影したとは思えないほどの惨状が印象に残りました。せめて川が見えていればもっとわかると思ったのですが、こんなにもがれきで埋め尽くされているとは思わなかったので、今までは津波の恐ろしさを分かった気になっていただけなのかもしれないと気づきました。 授業中、通信環境が悪く接続が切れてしまい何度も入退出してしまいました。すみません。” “先生が最後におっしゃっていた、助けるつもりが自分も助けられていた、というのがすごく共感できました。私はまだ災害に関するボランティアに参加したことはないのですが、それでもやはりボランティアで色々な人と出会い、触れ合っていくと精神的にもスッキリするような気持ちになります。震災を体験した身ですが、被災していてもずっと下を向いて立ち止まっているよりも辛いからこそ前を向いて行動していた方がずっと早く復興も進んで、周りの人たちも活力を取り戻していっていました。公助・共助の話にも通じると思うのですが、やはり人は一人では生きていけないと思います。これは物資的な意味ではなく精神衛生的な意味です。 気になったのは『学生連盟』のお話です。個人的に興味があるので、調べてみようと思います。” ボランティア活動で大事なのは能力ではなく姿勢と態度、と福本先生に仰られてハッとしました。確かに能力はいらないし、能動的にさえなればできることだけど、普段から定期的にそういった活動をしていないとなかなか行動に移せません。初動の勢いが大事だと感じているので、防災とは違いますが7月にある寺泊清掃ボランティアに行こうと思います。 復旧や復興をしていくためにはその地域にあったやり方で計画していくことが重要なのだと知ることができました。また、それらを進めていくためのコミュニティの形成や地域住民の連携を高めておくことも大切だと思いました。ボランティアはあまり参加したことはないのですが先生の話を聞いて観光などでは知れないその地域の深いところを知ることができそうでいいなと思いました。 今回学んだこととして印象に残ったのは『ケースバイケースであること』です。災害も時期や地域、天気・人口や地形などたくさんの条件が積み重なっていて同じケースは存在しません。だからこそその地域をよく分析したり、地元の方と交流して聞いたりしなければ良い支援はできないなと感じました。また、私は中学生の頃老人ホームのボランティアに参加した事があるのですが、実際に行って行動して見てみないと分からないことは多いなと思いました。自分の身を自分で守ることは前提としつつ、色んな状況を想像してみて、ボランティアに参加して自分の視野を広げて見たいと思いました。 “災害死ゼロを達成する仕組みとしてコミュニティ防災がある。災害のリスクから、リスクの学習力や緊急対応力、そして、コミュニティの防災力があることで安心感を形成できる。 1991年はボランティア元年と言われている。1991年雲仙岳災害がきっかけだが、1995年阪神・淡路大震災で話題となり始めた。それ以前の災害ボランティアは、日赤奉仕団・宗教組織・青少年があり、1932年関東大震災では東大の学生が給食素材の提供活動を行った。学生連盟が結成され、子供たちの青空教室など学生の特技や能力を生かした創造的な支援が行われた。ボランティア活動として、中学校でJRC活動というのに参加したことがありました。活動として、缶やペットボトルの回収、募金活動以外にも地域の老人ホームへ訪れ清掃活動や交流をしていました。しかし、中学校卒業後ボランティア活動の参加が低下してしまったので、学生でも気軽に参加できるボランティアを紹介して頂きたいです。” ” 与える支援と引き出す支援というのが印象に残っています。支援を受ける側が申し訳なくなってくる気持ちもわかります。そして被災者は何もできないわけではありません。普段の生活が送れるように、一歩手前まで支援してあげるのは彼らを日常に近づけるうえで大切なことだと思いました。支援というのはすべてやってあげることではないと気づかされました。 ボランティアの話を聞くと年始に発生した石川の地震のことを思い出します。ネットで、地震が発生してすぐに個人が被災地にボランティアへ行くことに賛否両論ありました。一般人、インフルエンサーや著名人、善意での訪問ではあっても素人の無計画なボランティアは批判されていました。食料やガソリンなど被災地の貴重な資源を物資を置きに来たボランティアが消費してしまったこともあったそうです。そもそも被災直後の道路は危険で、一般人が自己判断で来るのはかえって迷惑になることもありました。古着、生鮮食品、千羽鶴など送られてきてかえって迷惑したという記事も見ました。これらのニュースをみたとき、あえて現地には赴かずボランティア団体や被災地の設ける募金をする、離れた場所からの支援も十分な助けになると思いました。” 災害ボランティアのうちの一つの、給食素材の提供活動についてを初めて知り、印象に残りました。ボランティアと聞くと、私は被災者の方に支援をする、何かを与えることばかりをイメージをしていました。ですが確かに、自分が被災者になった時のことを考えると、してもらってばかりだと申し訳ない気持ちになって、自分が何もできないことに不安になってしまうなと思いました。被災者を支えることは、何も与えることばかりではないことを学ぶことができました。それに、ボランティアをする人も、活動することで得られることもあるという話を先生がしていたと思います。私はボランティアをした経験がほとんどありません。ですがこの授業で、ボランティアをやることでしか学ぶことのできないことがあるんじゃないかなと思いました。これから私は地域共創の授業で長岡花火のボランティアをやります。なのでこのボランティアを通じて、他の人に何かを与え、自分も学びを発見しようと意識したいと思います。 “復興事業は、地域ごとに異なる支援が必要ようであることが頭から抜けていた。場所によって建物の数や高齢者の割合は違う。被害規模の大きさに、支援の規模を比例させればいいというものでもない。過度な負担にならない程度の支援とは何ができるのかと思った。 ボランティアが世間に認知されたのは1995年で、意外に新しい概念だ。まだ過去の支援情報が少ないため、市民が復興に協力したくても難しい。地域復興の情報を得やすくし、気軽に参加できる仕組みをつくれば、過度な負担は生まれない。参加できている効力感からさらに復興が進むと思う。” 今回の講義で福本先生がおっしゃったボランティア活動に参加すると、一見自分は困った人を助けたり、与えたりすると思いきや、逆に本来助けるべき人から何かしらのきっかけで精神的に助けられたり、与えられたりする場合もあるというお話を聞いた時に、本来の人間としての核心をつくような出来事としてとても素晴らしいと感じました。 始めにあった防災トランプの話がとても衝撃的でした。一般の人たちからのお話だけで事前に大体の被害や状況が想定できていたというのが驚きだし先生の話を聞くまでスライドの内容は石川地震の実際の状況のメモだと思っていました。確かに授業外で防災について考える機会はほとんど無いのでこの話を胸に留めてたまにはなんとなく考えられるようにしたいです。 “給食素材の提供支援について 被災者が自ら調理を行い、普段の生活を感じる(思い出す)ことで精神面でのケアにつながるというお話が印象的でした。被災というマイナス面からできるだけ苦労させないというような考えに行きがちですが、被災者目線で支援の幅を考えていくことが大事ということがわかりました。 災害だけでなく、支援でも自分事として考えることの大切さを再認識しました。” 復興のプロセスの話はとても興味深かった。復興するまでの流れで、最初に行うのがグランドデザイン策定期。次に被災者が描く復興まちづくり市民ワークショップの順番に意味があることもわかった。市民の方の描く復興には人により考えも違うことはもちろんの事、被災しているという冷静に自分や周りを含めた考えもとても出来る状況ではない事から意見の対立が起きてしまうのは当然。だからこそ、最初に土地の特性などを知るために専門家の人たちで復興のデザインを考える必要があることも理解できた。 今回の講義では防災計画について勉強した。初めに計画の意義として、質や実現性、期間においてより良いものにするためやいつ、誰が、何をするなどのタイムラインの具体化が挙げられた。実際にいわき市の復興のプロセスを拝見し、何年もかけて新しい住民協議会の発足にたどり着いたことに関心した。また、自分が災害時にどの立場・役割を担う人間になるのかで多くの場合に自分が助けてもらう側であることが分かった。迅速な復興のために自分から安全に行動するための知識をつけていくべきだと感じた。 今回の講義を受けて父が東日本大震災の際に宮城まで行っていたことを思い出しました。被災してしまうと何事も自分中心に全てを考えてしまいそうで周りの事まで考える心の余裕があるのか分かりませんが、地域の人や家族と声を掛け合い、自分ばっかりにならないようにしたいなと思いました。ボランティア活動も機会があれば行きたいと思います。 “私はまだボランティアに参加したことはないけど、今回の講義を聞いて、機会があった時には参加してみるのもありだなと思いました。参加することで実際に被害にあっていなくても被災した方達に寄り添うことができるし、自分たちも復興に向けて頑張ろうとしている人たちから勇気をもらうことができると思います。 また、首都直下地震とか、大きなは地震今後絶対に来ると思うのでその時に備えて幅広く知識を付けていきたいです。” 給食素材の提供活動について初めて知りました。それで、助けてもらうという制度ではなく、被災者の方々が自分達で立ち上がるという方法にすることで、自分達で立ちあがろうとする気持ちを作り出しているのはとても良いと思いました。なぜなら、被災に遭った時、人は自分で再起動始めることが何よりも難しいと思うからです。 確か災害のボランティアで自衛隊が介入してる状況なのにボランティアを勝手にやる団体もあって邪魔になってるというのを前ニュースで見た。自分達が何かしてあげたいと思ったら行って自分に何ができるのか、どの団体に入って協力すればいいのか目的を明確にしてやらなければいけないと思った。 大学生になるまではボランティアやイベントに自ら参加することは少なかった。しかし、大学生になり、またこの講義を聞いて、自ら進んでやることや人と関わることは自分を成長させるだけでなく人命に関わるようないざという時に行動できることに繋がると実感した。 “ボランティアに関して、今まで自分には無関係だと思っていました。というのも、私が想像するボランティアは肉体労働が大半で、体力の無い私はかえって被災地のお荷物になると考えているからです。すぐバテて動けなくなるような人間は災害時、かえって迷惑になってしまうのではないかと。なので、今までは募金などに協力する程度しか、被災地の方に協力してこなかったし、できないと考えていました。ですが、今回の、デザインができる人間は被災地でも役に立つ事ができるという話を聞いて、また、ボランティアは能力ではなく、姿勢と態度であるという言葉を聞いて、私にも何かできることはあるんじゃないかと思えるようになりました。 ものづくり、デザインの視点に立ったとき、どんなことが役に立つのか、最終課題までにじっくり考えていこうと思います。” ボランティア活動は善意の具現化のようなイメージで、自分がするとなったら「活動を手伝うことで有力な情報を得られるかもしれない」とか「良い運動になるから」とか、どうしても自分の利益になるようなことしか考えられなかった。 “今日の授業を受けて災害が起きた時の事を考えて私は自分の命を守るので精一杯だろうなと思った。対策を考えることはできても実際に災害が起きた時その行動をすることができるのかどうかは別問題だしきっと気が動転して何もできなくなってしまうと思う。 災害が起きて自分は特に被害合わなかった時被災地に対して起こす行動に関しては能登半島地震を含め今まで特に行動に移すことができなかったので今後も寄付をする、ボランティアに行くなどの行動も自発的にはできないと思う。” 自分はボランティア活動に参加したことがなかったのですが、周りの人たちの回答を見ていると思ったよりも参加経験があるのだなと驚きました。ですが、のちに災害に見舞われた際に、こういった経験が無いとあたふたしてしまう部分があるのかとも考えました。 復旧・復興の面で回復する町と回復しない町があり、その後の回復状況は自治体間に差が生まれることがわかりました。行政主導の限界がきた時の間に来るのがコミュニティ・ボランティアの役割ということも学びました。また、与える支援・引き出す支援というところでは材料などを提供して被災者自ら料理をするという間接的な支援の仕方もあるのだとわかりました。支援の仕方は様々であり、能動性を持つことが大切だとわかりました。能動性は自分で気づき、考え、行動することを前提に様々な人と協力しながら行うことで、私にとって苦手と思ってしまうことなのですが、人のために動きたいという気持ちはあるので苦手でもとりあえずやってみようと思いました。 先生が実際にボランティアに行った際に気づいたこととして、隣に死体安置所があるためその匂いが避難所までするという話をされていたのが印象に残りました。まさに現地へ足を運ばないと知ることのできないリアリティだと感じました。 ボランティアは参加したことがない。興味はあるがハードルが高く感じる。自分にできるのか自信がない。災害のボランティアだとよりライフラインが機能していなかったり、通常より厳しい環境で人のために活動できないと思ってしまう。もっとボランティアのハードルを下げて身近にいる人の困り事を解決していくところから始めたいと思う。 今回の授業で印象的だった言葉はペアリング支援というものでした。ペアリング支援を対象とするのは広範囲で被害があり地域ごとによって課題が異なることです。災害があった地域はそれぞれその土地によって必要とするものが違ってきます。そんなときにペアリング支援というものが効果的になってくることを知ることができました。 災害が起こったときにボランティアは、瓦礫の撤去意外にとてつもない量のやることがあることを知りました。食事の用意や住む場所の確保だけじゃ快適な避難所にはならないことを改めて感じました。思っているよりも過酷な避難所生活が待っていると思うともっと自分ごととして考えていきたくなりました。 共助がいいように捉えられているが、自助ができるならばそれが一番良いということにとても納得しました。確かにみんなが自助できるだけの能力があれば誰も命を落とすことはありません。しかし、現実では年配の方や、子供、体が不自由な人たちなど、どうしても人の助けが必要な方々がいます。自助ができる人たちでその方々を助ける。余裕がある人が助ける。非人道的に聞こえますが、これぐらいの心構えで挑まなければ生き延びれないのが災害なのだなと感じました。 ボランティア活動と聞くと漠然と若い世代を中心に人が任意でしているイメージでした。いつ頃から私の知っているボランティア活動の体系?になったのか考えたことは初めてでした。今年も正月に地震があってたくさんの人がボランティアに参加したと思います。災害で苦しんでいる人のために居ても立っても居られない人がいたりすると思うのですが、時には善意の押し付けになってしまったり、うまく言えないのですが、良いことをしたい欲・感謝されたい欲のために直情径行的にボランティアをしている人もいるんじゃないかと思いました。 “今回の講義の中で、可能性は、起こるかもしれないという前提の認識が必要だと思いました。 起こらないではなく、多様な要素があることを踏まえ、その可能性を視野に入れることが、防災への意識につながると感じました。こういった講義を考えるための機会としてとらえ、実際の災害時に混乱した頭で考えるのではなく、選べる選択肢のようなものを準備しておくと、少なくとも多少の自助になると思いました。 ” 東北の震災後人口の増減に町の復興のスピードや行政の動きが予想以上に影響していることが驚きだった。特に名取市は行政が市民に対する働きかけが他の地域に比べ圧倒的に多く行っており先生がおっしゃていた「災害の復興において行政だけの力では限界がある」という言葉がまさにその通りだなと思った。最近よく「人のために役に立つとはどういうことだろう」と考えるようになりこの夏休み初めてボランティア活動に参加することを決めた。私自身、自分と他人を切り離すことが苦手でさまざまなことに影響されやすい。災害や戦争のニュースを見るだけでかなり落ち込み、悲しい気持ちになる。先生はさまざまな災害ボランティアに積極的に参加しているがそのようなメンタルの落ち込みはないのかなと思った。また落ち込んだ時があったとしてもどのようにして現地で活動をしているか気になった。 “私は福島県出身のため、仙南地域は非常に身近です。震災後の人口変化を初めて知り、回復状況が自治体によって大きく異なる現状に驚きました。 私は建築設計演習のArt Centerの課題を通して、計画の重要性を痛感しました。復興計画など、様々な「計画」とつく行為は、社会の構造を理解した上で明確な主張でなければなりません。そうでなければ、ただの支離滅裂なヒステリックな主張として一蹴されてしまいます。被災者だったり、社会的弱者だったり、当事者の声こそ遠くまで届ける必要があります。そのためには、良質な市民たるべく論理的に物事を俯瞰できるようにならなければならないと思いました。 ・・・そうは言っても、様々な実体的差別の結果、社会の構造を理解するに足らない基礎学力の方もいます。そのような人たちの声を「社会(復興)の構造を理解していないんだから、計画に口出しをするな。構造を理解しようとしないあなたの努力不足。」と言って排除してしまうのは、共同体としてのまちの在り方には不適切なような気がします。 現実問題、そういった人たちの声を聴いていたら物事が進まないため、うまい折り合いの付け方を探らなければなりません。グラウンドデザイン策をいかに適切に、かつ誰にでもわかりやすいようにデザインするかが、その後の泥沼の事態を避ける鍵となると思いました。” 今回の授業で学びの軸を作る際に、災害時に自分に何ができるか考え直すことができました。現在新潟にいる際に都市直下が起きた場合、間接的に支援すると記入しましたが、実際は何もしないのかもしれません。実際に近くの能登で起きた時も現在も何もすることができていません。自分に何ができるのかわからないからです。募金するにしても半分は団体に取られて実際行く金額は数%と聞いたことがあり、募金はあまりしたくありません。現地に行って何かしようとも考えましたが、何をしたらいいんだろうとなり、結局動けずにいます。何をしたらいいのかなどの正しい情報を知りたいと強く思いました。能登に関してはまだ遅くないはずなので今からでも助けに行けるように知識をつけたいでです。 “復興したいと言う思いは皆同じなのに、衝突しなくてはならないという問題が起こるのは初めて知った。内陸と海沿いの違いなのではとも感じた。 豪雨の時地元のほとんどのリンゴ畑などがだめになってしまったこともあったが、復興について衝突することはほとんど聞いたことがない。海側に住んだことがないので憶測でしかないが畑の場合は再生に時間がかかるが海の場合はそこまで時間がかからないのだろう。海産物で稼ぐと言うのはそれくらい厳しい世界なのもあって住めるところよりも漁業を優先するのだと思った。” 災害が起こったとき、その情報をテレビ越しに見るのと、実際に現場で見るのでは感じ方が大きく変わるだろうと思った。私は災害が起こったときに現地にいったことはないのだが、もしかしたら不謹慎ではあるかもしれないがこれらは花火で例えることができると思う。長岡花火を直でみた人はわかると思うが、花火や観客の音や衝撃波、光など言葉では言い表せないものがある。これはテレビ越しには感じられないものだ。これと同じことが災害時に起こってしまい、あくまでもテレビを見ている人は第三者目線でその物事を俯瞰した気分になり、「大変なことになっているな」とは思うが心のどこかに「自分じゃないから大丈夫」と思っている。よって、災害が起こった当初はボランティアだ助け合いだとみんながやる気になるが、時間が経つに連れて被災者以外はどこかにある「自分じゃないから」という感覚が増え、忘れられてしまうのではないかと感じた。 被災後の復興にかかる時間も復興完了の定義も地域によって異なるという話が印象に残りました。私は普段テレビのニュース番組をみないので、たまにネットニュースなどで能登地域の現状を知るのですが、毎回まだまだかかりそうだな…とやるせ無い気持ちになります。東日本大震災の時は幼かったこともあり、あまり意識していませんでしたが、たった1日で失ったものをもう一度取り返すためには長い時間がかかると思うと怖いです。自分の地元や住んでいる地域がいざ被災した時、市や行政はどれくらいの速さで復興する力があるのかわからないので、不安だなと思います。 今回の講義で印象に残ったことは大きく分けて二つです。一つ目は「ボランティア」という言葉についてです。この言葉が明確に使われるようになったのが1990年代だと聞き、当たり前に使っている言葉が想像してたよりもずっと最近に発祥したということに驚きました。同時にそれ以前はそういった活動の事なんと形容していたのか興味が湧きました。二つ目は、給食素材の提供活動についてのお話です。避難をしている人が自ら食事を作るようにするという活動方針に感心しました。確かに親切心で行っている食事提供でも、完全に受け身の立場になってしまうより能動的に行った方が元気を取り戻しやすいかもしれません。このように被災者の立場に立ってボランティアを行うことは、非常に大切な事だと感じました。 今回の授業では、災害支援の方法が印象に残りました。ただ調理された食料を渡すのではなく、材料を渡して後は好きに使ってもらうと言うやり方は、おっしゃっていたように被災者にとっては何かやることがあると言うだけでもすごくメンタル的に楽になると思いました。ただ支援されていると生まれてしまう罪悪感のようなものを考慮しているのが、相手の視点に立って考えることができていて良いなと思いました。 今回はボランティア経験の有無に関わらず首都直下地震などの災害が起きた際に自分ができることは何か考えていきました。また、過去の震災での資料を追いながらボランティアの貴重さを学んでいきました。私は東京・横浜と、地方でできることは大きく変わってくると考えていて、周りの家との関係性、自分がその土地勘がどの程度なのか等で何をすべきか考えていくべきだと思います。 ボランティアに参加したことはありましたが、その時は特に目的を持たず、ただゴミを拾って良いことをしたと言う気分になっていただけでした。今回、岩沼市の復興理念を見て、自分がとても受け身でボランティア活動に参加していたことに気がつきました。なんのために活動をしているのか、もっとできることは無いかということを考えながら積極的にボランティア活動しないと意味がないと感じました。 自助共助の役割比率は、他者を救出できる人、他者救出を支援する人、自助できる人、他者に救出される人がそれぞれ1/4ずつ存在するということでしたが、私も災害や事故などに備え、どんな場所でもできるだけ自助を意識しようと感じました。(112文字) 今回の授業で災害時には「自分で課題を見つけて解決していく姿勢、能動的な意識」が求められていることがわかりました。災害時には地域やボランティアの方々と連携して互いに助け合いが肝になるので、その時は受け身ではなく自分で自分を守りつつ他の人も手伝うことのできる行動をしたいと思います。また、日頃からできる防災として車に食糧を積んで、車で避難する際や車に閉じ込められた時に備えようと思います。 “ボランティアに参加している人数を見て、心配するだけでなく行動に移すことができる人間があんなにいるということに純粋に感動しました。 実際に先生がボランティア活動に参加された話も非常に興味深かったです。私が普段ニュースなどで見ている活動とは違う側面を知ることができました。特に何時間も何日もお風呂に入ることができない人間がいるとか、ご遺体があるという理由で異臭がすることについては衝撃が大きかったです。自分のような第三者の立場からの表面的な心配では想像し切ることができないことを学べるのが、ボランティアをすることで得られる学びのうちの一つなのではないかと思いました。” 前回読んだ、地域防災計画を知ってもらうには、読みやすくすることが必要だと思います。また、自分自身が理解するために具体的に災害時を考えられるような説明があると、どんなときに役に立つのか分からないということがなくなると感じました。どこで、どんな時に災害が起きるのかで、必要な行動が変わるため、可能性を考えて災害に備える必要があると学びました。ペアリング支援を初めて知りましたが、取り入れることで被災地の状況を詳細に伝達でき、迅速な対応ができる仕組みだと感じました。人とコミュニティの防災力が、災害死のリスクを減らすことに繋がっていることが分かりました。災害ボランティアについて、あまり知らないため、学生の特技を活かしてデザインを行うなど、様々な面から支援を行うことができるという話が印象的でした。 “今回、共助は自助の上に成り立っているのだということに気づくことができました。 前回の地域防災計画に地域の職員も被災者であるという記述がありましたが、「学びの軸をつくる」の自分がいる場所で地震が起きた際どのような立場になるかという質問において、自分が周囲の困りごとを助ける立場になるためには、まず自助ができていないとできないということに気づき少し悩みました。そして、同時に、被災地ではない地域からのボランティアの支援が大きな力を発揮するのだ思いました。” よくよく考えてみると私自身ボランティアの経験が少ないと感じた。これは想いに対しての行動を起こせていないということのような気がする。世の中のことに対して想いはたくさんある。しかしそれを解決せさせるための行動を起こせていない。実際、災害が起きた時私は人の命を救うことができるだろうか。自分のことで必死になるのではないだろうか。協力が大事なことは理解しているが、少し不安になった。 復興する時の計画をたてていく際は、住人の意見を集めていくことから始まると思っていました。なので、住人の意見から始めると対立が起きてしまうことを想像できていなかったので少し衝撃的でした。個人の意見は復興計画を広げる為の役割なんだと知れてよかったです。もしも自分と縁深い地域の復興計画に携わる事になった時、計画を始める一歩をトラブルが少ない状況に持っていけます。また、地域の特色のよって復興のスピードが変わっていくのも初めて知ったのでそれぞれの地域の情報がキーポイントになるんだと感じました。 今回の講義で出てきた復興についての話で、高校の修学旅行の時に東日本大震災で被害にあった福島の小学校のことを思い出しました。その小学校は海のすぐ側だったのですが、街が津波でほとんど流されてしまい周りがほぼ何も無い状態でした。東日本大震災は10年以上前だけれどもまだまだ復興していない所も多くあることから、自分も何かできることを探していきたいと思いました。 さまざまなボランティアの例の一つとして出された給食素材提供活動は面白いと思いました。食事は被災者自身で作ることで元気を取り戻していることを感じるというのは自分には考えつかない発想で驚かされました。支援物資を届けるタイプのボランティアは生活に必要なものをとにかく届けるというイメージだったので、そういう支援もあるのかと学びになりました。 “自分のミスで出席登録をすることが出来ませんでした。ログやアンケートで足跡が残っているのならば考慮頂けると幸いです。 今回はボランティアの話でしたが、内申の為だとハッキリ答えた人にまず驚きました。中学の時に長岡花火のボランティアをしたのですが、学校内で内申が貰えると噂になっていて早朝にも関わらず、多くの人がいたのを覚えています。震災で被災地に出向くボランティアの様子をテレビで見たりしたことはありますが、正直自分が赴く想像が出来ませんでした。今までの講義で震災の手一杯さを学んできましたが、実際に行動に移すにはまだハードルが高いようにかんじます。” “授業用のフォームからの連絡で申し訳ございません。福本先生にお伺いしたいことがあり、大学の教員のメールアドレスから福本先生のメールアドレスを探しメールを送らせていただいたのですが、福本先生のアドレスへのメールはブロックされていると表示されてメールが送信できませんでした。そのため非常に申し訳ないのですがこちらから連絡させていただきます。 以下はメールの文書をコピーしたものになります。 ワークショップについての相談/デザイン学科2年笹木瑞希 福本先生 突然の連絡失礼いたします。デザイン学科2年視覚専攻の笹木瑞希です。 私事なのですが夏休みに小学生向けのワークショップを開催しようと考えており運営について福本先生にお伺いしたくて連絡させていただきました。現在の進捗としては企画の計画、開催場所の予約は完了していて補助金申請の面接が終わり合否待ちです。 予約制のワークショップなのですがどのようなシステムを使って予約を取ればいいのか、告知はどのようにすれば良いのか、どのくらい告知すればどのくらい集客できるのか分からず困っています。また、ワークショップの企画が初めてで運営などに穴が無いか助言していただきたいと考えております。 統計学や社会企業の授業を受けて福本先生であれば良いアドバイスをもらえるのでは無いかと思い連絡させていただきました。もしよろしければ今週中か来週あたりに直接伺ってお話をしたいのですがご都合はいかがでしょうか? よろしくお願いいたします。 笹木瑞希 メール: a239080@st.nagaoka-id.ac.jp 電話:080-8498-2059” 今日の授業ではペアリビング支援について取り上げられました。「自治体連携元年」と称される契機となった関西広域連合の対口支援や名古屋市のカウンターパート方式は、自発的な協力方式によって迅速に災害に対応するものでした。これにより、政府は自治体間の連携協力の確保を東日本大震災復興基本法に明記しました。しかし、それにもかかわらず、能登半島地震が発生した際には、救援と復興が滞り、能登半島地震復旧・復興支援本部の会議が第7回まで開かれました。より完成度が高く、詳細で即座に実行可能な救援・復興テンプレートがあれば、災害後の政策策定による時間の延長を短縮し、より迅速に多くの人々を支援することができるかもしれません。 コミュニティ防災について、災害死ゼロの壁として社会的脆弱性と地理的脆弱性があった。山間部や海沿いの町は、自助が難しい高齢者が多い上に土砂崩れや津波の恐れがあるという極めて危険な状況あり、安心へと導くことが非常に難しい地域なのだと改めて感じた。若者を集める、斜面補強や堤防建設を行うといった対策をすれば良いのだろうが、それも簡単ではない故に進みが遅いのだろうと察した。また、東京帝国大学の学生達が被災した人々自らが食事を作るための給食素材を提供したり、先生の復興支援のように助けているつもりで自分も変わることができたりするという事例から、助ける、助けられるという関係に留まらない双方向の共助ができれば精神面での復興がより進みやすくなるだろうと思った。疑問点として、ペアリング支援が検索しても理解しきれなかったため、もう少し詳しく知りたい。 学びの軸を作るのアンケートで、長岡で災害に合ったら自分は助ける立場にあると回答した人が思ったより多かったのが驚きでした。造形大生は色んな都道府県から来ていて、長岡が地元だという人は少ないと思うので、意外でした。その前に関東などの都市部で災害にあった場合の質問があったので、知っている土地だということが強調されたのだろうけれど、私はまだ長岡は知らないことばかりという意識なので、地元の人に助けられるイメージが強いです。 今回は安全なまちづくりのための取り組みについて学びましたが、その中で印象に残ったのはペアリング支援についてです。今日初めてその言葉を聞きましたが、災害などで広い範囲に被害が出た時には、それぞれの地域の被害状況に合わせた対応を行わなければならないため、どの県がどの地域の支援を担当する、ということを定めることが有効だということが分かりました。また、支援内容も仮設住宅の建設や心のケア、農作物被害に対しての支援など分けることが必要だということが分かりました。 ” 今回の講義を通じて、学んだ事及び気づき ペアリング支援 地域ごとに復興の課題や特製が異なるからこそ、文脈を踏まえて行う ペアリング支援の考え方が学びになりました。 行政主導の限界 小規模でも大規模でも、対応人数は変わらない。 あまりにも大きい際は行政が機能しないことから、 コミュニティ防災が必要 災害死ゼロを達成する仕組みづくり 地理的情弱性 →例:氾濫しやすい感がある 社会性情弱性 →高齢者のみの地域 ①平常時 ②発災直前 ③災害時 ④復旧・復興時 どのフェーズでも対応できる人材育成が大切 という視点が大変学びになりました。 避難者は自ら食事を作ることで元気を取り戻してる。 与える支援・引き出す支援 学生の特技や能力を生かした創造的な支援 の発想の着眼点に感銘を受けました。” 私は今まで被災地などのボランティア活動の参加した経験は一度もありません。この講義を通して自分が少しでも役に立てるのであればそのようなボランティア活動に参加してみたいなと感じました。ボランティアとして自分に何ができるかを考えることももちろん大切ですが、自分が支援される側の立場であった場合、「申し訳ない」という気持ちが少なからず生まれるなと感じました。そういった意味で給食素材提供の支援の仕方はすごく理にかなっていてあくまで素材を提供するだけであって被災者自らが調理をすることで生活を維持するという考えは新たな取り組みとして学びになりました。 グラフィックデザインを学ぶ身として、何か防災のために役に立てることがないか、改めて考えてみようと思いました。地域の人にもっと防災意識を持ってもらうためには、やはりパッと見て情報が伝わるようななにかおもしろいポスターやパンフレットなどを考える必要があると思います。 関東大震災で学生ボランティアが行った、給食素材を提供し被災者には自分たちで作ってもらう、引き出す支援という在り方が、今まで思いもよらなかったもので驚きました。福本先生が訪れてこられた被災地の生身の惨状が、自分が今まで知り得なかったものであり、報道だけでは感じ取れない実態にもどかしさを感じました。 防災に対する事のみではなく、倫理観やリテラシー、物事への関心は生まれ育った環境が非常に重要だと考えます。なので、地域をもってそういった価値観を根付くようにしていくという活動は重要性が高いなと思いました。私は周りに防災に対するリテラシーが高い人があまりいなかったので、あまり関心がないまま育ってしまいました。 震災廃棄物を用いて丘を作るというのが感動した。震災で壊れてしまった建物などはどうなるんだろうと思っていたので、すごくスッキリした。地元の大阪では埋立地が多いので、埋立地の上にさらに廃棄物で盛ることができるのかなと疑問に思った。埋立地は地盤沈下がしやすいので上にどんどん重ねていくと沈むかもしれないと思った。 災害は思ったよりたくさんあり、その度に学生を中心にボランティアが立ち上がってると知り、同じ学生として誇らしく感じた。まだ自分ごととして、ボランティアを考えることはできないが、卒業までにもし機会があれば積極的に行いたいと思った。また、実際に被災地に訪れた際の、匂いについての話が、実際に行かないとわからない被災地の過酷さで、想像がつかない部分だったので驚きました。 “計画の意義についてが印象に残りました。目標と過程をより良いものにするためには、いつ、だれが、どこで、何をするかというタイムラインの具体化をすることが大切だと分かりました。 また、災害ボランティアとして給食素材の提供があり、食事を与えるだけでは申し訳ない気持ちが生まれてしまうため、避難者自身で料理して普段の暮らしを再現しながら暮らすということも印象に残りました。” 今回の授業では学生救護団や学生連盟など自主的で小規模な支援団体に心を打たれました。被災者の助けになるため今の自分に出来ることを考えると、京都で出会ったグループ展の入場料を能登本島に寄付する団体や画塾の先生の「アーティストは社会に深く関わっているから社会を支えていかなきゃいけない」という言葉を思い出しました。 ボランティアに参加する事で、映像や画像では伝わらない現地の雰囲気を知れるという観点が特になかったので大切なことだなと思った。中学生までは内申のために地域のボランティアに参加していたが、楽しくなかったわけではないので長岡のことを知るという意味でも参加してみたい。 “「被災地の支援を通じて自分の人生も変わった」というお話しに関して、災害は起きないに越したことはないが自分が被災するあるいは被災地を自分の目で見ることをしないと防災の意識や困窮されている方たちに共感することはできないのではないかと感じた。 だが、被災地の支援ボランティアの募集を見ても力仕事が多いため力のない私が行っても逆に迷惑をかけてしまうのではないかと思い踏み切れない。 学生連盟のような学生の特技や能力を活かした自分でも支援できる形があるとわかり被災智慧支援へ参加したいと感じた。” 今回の講義を通して、ボランティアは100パーセント人の役に立つものではなく、場所やタイミング、内容によっては救命などの妨げになってしまうものもあることを知った。私たちが実際にボランティアや災害時の人助けをする際に、状況や役割をよく考えて行動しなくてはならないなと思った。 “長岡には花火後清掃ボランティアがあります。小学生の時授業で習ってやろうと思っていました。ですが、毎年毎年早く起きれず参加することができなかったのを思い出しました。 長岡に住んでいるうちに一回だけでも参加したいと思い出しました。” カルタで予想されていた被害がそっくりそのまま起こった事実はとても驚きで、カルタをしたことがある人にとっては、災害後も迅速に救助に動けるいい素材になったのではないかと考えてます。私はボランティアは地域の清掃くらいしか行ったことがなく、災害に関わっているような活動は行った事はなく、昔から関心はあったので、今からでも石川の災害に関われるような活動があれば目を通してみたいと思っています 今回の講義で自治体ごとに災害からの回復状況が異なるということを学べました。災害の復興と言っても、自治体ごとに状況が異なるため全体の復興状況を見て終わりにしてはならないと思いました。また、学識経験者によって作られるグランドデザイン策が印象に残っています。いきなり市民中心で進もうとすると理想が先行したり、方向性が分散したりしてしまうと思うので、まず知見のある人で土台を作るというのは災害後という特殊な状況下では必須であると思いました。 今回の講義に出てきたボランティア元年(1995)における支援法が印象に残りました。それは、ボランティアの人たちが救援物資として送るのが、「食料」ではなく「食材」であったことです。その理由として、支援を受ける側が申し訳ない気持ちになってしまうからという理由や被災者たちが活動することで精神的に立ち直るきっかけを与えるというものがありました。とても素晴らしいと思いました。支援する側は出来る限り最大限与えてあげたいという善意のもと行動しているため、受け取る側の本音を汲み取りにくい気がしました。 地域ボランティアに私は参加したことがない。アンケートの結果を見てみるとボーイスカウトや自主的に参加している人が自分が想定していた数よりもいた。私が今出来るボランティアはなんだろうと考えてみた。一番に思いついたのは能登半島の災害救助支援ボランティアだが、いかんせん距離があるので車を持っていない自分にはまだ参加しづらいと感じた。なので長岡市の街づくりや青少年支援ボランティアなど身近に参加できるところをまずは調べてみることにする。 昔から計画を立てるのがあまりうまくなく、立てたとしてもそれ通りに行った試しがなく、災害が発生した時には自ら行動する「能動性」が求められるものなので、目標と過程をより明確にするためにも計画の習慣化を目指して、だんだんと具体的な計画を立てられるように練習をしていきたい。 “私はボランティアに参加したことがありません。なかなか参加するタイミングも勇気もなく出来ませんでした。先生のボランティアについての詳しい話などを聞いて大変そうだなと思うこともありますがそれ以上にやりがいや受け取ることが多かったなどたくさんのものが得られそうだと思いました。自分でももっと注意を向けていきたいとおもいました。 今までずっと言われ続けている災害にあった時にどうすればいいのかなど分かるけど分からないようなもやっとしている部分をどう対策していくのかとても難しいと思いますがデザインを通してそのもやっとを少しでも解消できるように考えたいです。” 後回しにしてしまいがちな防災対策を、危機を感じて早くに済ませておくということが大変難しいとわかったので、どんな取組があればその問題を解決できるかもっと深掘りしていきたいと思いました。良い目標を掲げたとしても、良い手順、みんなが行動してくれそうな手順でないと口だけになるので、質・実現性・期間を意識した取組を生み出せるように考えていきたいです。 今回に授業では、先生の経験を元に復興するまでにどんな工程があるのかの話を聞いた。その中でも1人が決めてしまってそれに向かって突き進むといいうような話があった。それは課題をグループで行う際にも考えることで、いろいろな意見を取りいえれるのはいいものの、それがまとまらないことが多々あるので、先生が言っていたことを意識して課題をしていきたいと思った。 震災が起きたときに自分がどの場所にいるかで立場が変わってくることに気づくことができました。長岡にいるときならば周りに同じ大学生の人がいるから大丈夫だと思っていたけれど、駅にいるときならば条件が変わってきます。また、東京にいるときに起きた場合は実家があるから大丈夫だろうと思っていましたが、実家が被害を受けていないとは限らないです。自分がこの場所にいるときだったらこの行動をとると決めておく必要性を強く感じました。仮に私が長岡にいるときに首都直下地震が起きたとしたら、家族のことが心配で心配で仕方ないです。逆もそうであると思います。1月1日は実家へ帰省していたので心配はかけませんでしたがいつ起きるのか分からない地震に備える意識を持ち続けることが大切だと思いました。 コミュニティ防災、災害死0を達成する仕組みづくりがとても印象に残りました。災害リスクのある、社会的脆弱性や地理的脆弱性に対して人の防災力である、リスク学習や緊急対応力、環境改善力をするのみならず、コミュニティの防災力である連携力と拠点力が安心感の形成につながることを学びました。確かにその通りだと思いますが、なかなか行おうとすると大変だと思います。だからこそ自助共助というものを大切にしていきたいと思います。 今回の講義では、コミュニティ防災について学んだ。被害とその回復状況は自治体間に差が見られるとのことで、地域間でのコミュニティの形成が被害における対策と行動に大きく起因していることを学んだ。災害死ゼロを達成する仕組みには、コミュニティの防災力が必要不可欠、よって普段の地域活動が肝になってくると思う。今回の講義で出た給食素材の提供活動のように、地域での活動そして与えるだけではなく引き出す。そこを意識したコミュニティ防災を形成したい。 “私は災害に関するボランティアはしておらずはじめのアンケートではボランティアをした事がないと答えていました。 話を聞き、公助や自助というものは必ずしも災害時のような直接的なモノではなく、知識を得たり興味を持ったり、また声をかけるなどの交流でも十分関係のあるものだと思いました。 もしかしたら私が良く参加していた地域の清掃活動や生物多様性保護などのボランティアも十分自助や公助を行うきっかけにもなるのだと思い、少し自分の行動に自信がつきました。” 今までの授業でも、自助、共助、公助についての話があったけど、私は一人暮らしをしていて地方から長岡にきた側なのでご近所さんと日頃から仲良くして、災害時に助け合える関係というのは難しいけど、避難場所に行く途中や、避難先で困っている人の手助けをすることはできるなと気づきました。だけど、実際自分で手を差し伸べられるかと言ったら不安なので、ボランティアで経験しておくと実際に災害時にすぐ行動できるのかなと思いました。 ボランティアに参加したことがない、と回答してしまったのですが、小学生の頃に海岸清掃をしたことを思い出したのでこちらに記載しておきます。その際に離岸流や津波の話を地域の方からしていただき、ボランティア活動を通して自分の近くの海岸や川の危険性や仕組みを知ったので、自分の身を守るために活用できる情報はこういったところからも入手できるのだなと今回思い出して感じました。 今回ボランティアの話題が出ていましたが、ボランティアの経験があるのとないのとでは、災害時の対応に差が出てくるのではと思いました。というと、災害時というのはみんな心に余裕がない状態であり、経験がない人からするとなにをすればいいかさっぱりわからない状況に陥ると思います。僕は少しだけボランティアの経験がありますが、そこで培った経験は災害ぎ起こった際に力を発揮してくれるのではないかと期待しています。 今回の授業では復興計画のプロセスとボランティア・コミュニティについて学んだ。復興計画の計画の内容を重視するよりかは、タイムラインを明確にして実行することが大事だと知ったし、地域の自治体ごとに進み具合が違うので時間がかかることも知った。そして、震災からの復興にはボランティアやコミュニティの活動が大いに役立っていたことも学んだ。行政の支援も重要だけれど、ボランティアで現地の人と関わって手伝うことで能登半島地震の置いてけぼりにされた思いを抱える人も減るのではないかと思った。震災の被害にあった地域の特産品などを購入して間接的な支援しかしたことがなかったけれど、実際にボランティア活動をすることで人との関わり方についても学べるのではないかと思った。 “今回の講義を通して、災害発生時に自分がどのような立ち回りをするかを改めて考え直すことができた。特に印象的であったのは福井地震において、学生連盟が活躍した事例である。電気器具の修理や青空教室といった、学生ひとりひとりの得意なこと、勉強していること、強みを活かした支援(創造的支援)の存在に衝撃を受けた。 ワーク8-1において、都市部または長岡で直下型地震が起きた際にどのような立場になるかという質問があったが、回答時点では他者を助けるということは「何か大きなことを成し遂げなければならない、自分にはできない」と思っていたため、自分自身は自分の命を守ることしかできないのではないかと考え、そう回答した。しかしこの学生連盟による支援事例を知った今では、自分の得意なコミュニケーションあるいはデザインの力を使って人々の助けになることができるのではないか、災害発生時において自分がとることができる行動選択の範囲を大幅に広げることができたと思う。また、自分が被災するよりも前に他の地域で災害が発生し、支援を要している際は積極的にボランティアとして参加し、いつか自分自身が被災した時にすぐに他者の救援に回れるようにしていきたい。” 被災地の現状で遺体留置所と避難所が同じ施設で、異臭がしていたという話が印象に残りました。自分自身、一人暮らしをするときでさえ新しい環境によるストレスで食欲が無くなったので、安全が脅かされ、見知らぬ人との共同生活という状況はとてつもないストレスだと想像します。私自身被災地へのボランティア経験はなく、ニュースから被災者の方の気持ちを想像するだけで終わっていました。しかし先生が支援を通して人生が変わったと仰っていたのが印象に残っていて、一人の人の人生を変えるような経験をしないでどうする!と思ったので、大学生のうちに被災地のボランティアは経験しておこうと思いました。きっと空間安全論を取っていなかったら行く勇気は湧かなかったと思うので、いつも先生が仰る自分ごととして考えることができるようになっているのだなと実感ました。 スライドにあった東日本大震災の現地の写真が印象に残りました。川が瓦礫に埋もれる前と後の比較で、遠くの木の位置でしか判別がつかないほどに跡形もなくなっていたことにとても衝撃を受けました。その後のスライドで、写真だけでは現地の匂いや気温などはわからないという指摘をされ、見ただけで悲惨さを分かったような気になっていたので図星を突かれドキリとしました。授業内課題で「災害時に誰かの困りごとを手助けできる立場にいる」と回答しましたが、実際の被災地の現状も知らずになぜ手助けできると回答できたのか今になって疑問に思いました。 “冒頭での話についてですが、防災の知識や対策自体はしっかりしているのに一般向けに情報が加工されていないため届いていないというのは確かに感じました。自分にとって防災の話がしっかり入ってくるのはわかりやすくイラストや図式で視覚化されていることが多いです。防災という多くの人がとっつきにくく感じてしまうテーマだからこそ、デザインが役に立つ場面は多そうだと感じました。 もし自分ならどうするか考えてみたのですが、意外と場面を想定するのが難しいと感じたので、それを逆手に取り、小学校の頃に遊んだ5W1Hゲームと組み合わせたら相性がいいのではないかと思いました。例えばカードゲーム式にして、時・場所・場合・災害の種類でそれぞれのカードを一枚ずつ引き、それらがランダムに組み合わさった場面での避難や対応についてみんなで予測するゲームというのがあったら、面白さもありつつ予想外のタイミングでの防災について考えることができるのではないでしょうか。仮に答え合わせがあれば、ゲーム性も確保しつつ、正しい知識も身につけられそうです。今度自分用にでも、時間が空いた時に作ってみようと思います。” 今回、公助の重要性をより深く理解しました。最近は能登半島地震や火事がありましたが、知る機会が少なくなっているだけで、現状はまだ完全に良くなったわけではないことを思いしりました。また、災害は起きてしまうと復興に本当に多くの助けが必要なことを痛感しました。被災地へのボランティア活動は今までやった事は無く、自分が出来ることは何も無いと思っていましたが、少しずつやれることを探そうと思います。 “今回の講義を受けて、能登半島地震で芸人のやす子が投稿したTwitterを思い出しました。「自家用車で支援をしに行くと道路が混み、緊急車両の邪魔で助かる命も助からなくなるので…」という投稿です。 助けたいと思う気持ちは大切であり行動に移せることは素晴らしいけれど、それをどう表現するかが大切だとその時に思いました。 また、被災者や被害者に一方的に与えるのではなく、被災者自身に食事を作らせることで元気を引き出すという活動が印象に残りました。” “今回印象に残ったことは過去の震災によるボランティアについてです。阪神淡路大震災のとき、都心であるのも相まって160万を超えるボランティアが集まったことに驚きました。ボランティアの中でも役割がたくさんあり、現地に行くことができなくても遠くから支援することができることを知り、自分もボランティアに参加したいと思いました。 学生セツルメントの話を聞き、やはりピンチの時に大きく活動できるのは若い人が直接的な支援に大事な人員となるなと思いました。” みんなが自分の命を守ることが出来れば共助という言葉は存在しないという先生の言葉を聞いて、助け合うことの重要性を自覚した。災害が発生した際に他の人に手を差し伸べられる人は、自分自身をしっかり守れていて本当に凄い。空間安全論の授業を取っているからには、自分の身を守るのはもちろん自分が周りの人を助けられるような存在になりたいと思う。 “最後の先生のボランティアで与える以上に与えられる、受け取ることが多かったということが印象に残っています。 また、防災トランプも興味深かったです。それが人の防災意識にどう影響を与えるか分からないが、何かを始めるきっかけになるのは凄く重要なものだと思いました。” “今回学んだことは、ボランティアへの重要性です。私自身参加した回数は少ないですが、ボランティア経験があります。障害者が参加するイベントでの受付や対応です。知的なものや体が動かなかったり、様々な障害を抱えたお子さんとその御家族が参加していました。その方達とお話をしたり作業の手助けを1日して、とてもやり甲斐と楽しさを感じました。 災害がもし自分の身に降り掛かっても、かからなくても、誰かを助けようと動くことはとても素晴らしいことだと思います。私も今後チャンスがあるならば災害時のボランティア、是非参加したいと思いました。” “ボランティアについては自分がやったことのあるのは災害にはあまり関係のないものだったが、中学の時に被災地の小学校に花の種を届けるというものを生徒会が主催して行っていたのを知っていた。小さなことでも被災した方たちには心の支えになるのだろうか。 災害のボランティアとなると敷居がとても高く感じるが、その場で自分のできることを見つけたりもしも当事者になった際しっかりと動けることを身に付けたい。が、その行動ができるように身につけることを模索したい。” 皆が自分の命を守ることができたら共助は必要ないという話や、助けられる人と助ける人がいるという話が印象に残っている。当たり前のことだが、自分が災害に巻き込まれた時に助けてくれる人は同じように被害を受けた人であり、大変な状況の中で自分以外のこと考えて行動するのは簡単にできることではないと思う。いざ災害が起こった時にどうなるかは分からないが、同じ立場でもただ助けられるのではなく、声を掛け合うといった自分にできることを実践できると良いと感じた。 自分の住んでいる地域や外出先で直下型大地震が来たらと考えた時に、住んでいる地域であれば家での備えがあったり場所の特性をある程度わかっている状態であるが、外出先や場所の特性が複雑でかつ馴染みのない東京や横浜では自分の身を守るだけでも難しいなと思った。災害時のボランティアについても、普段の日常からボランティアは受け身でしか参加してこなかったため、自分にもできることがないか調べて見ることから始めて、参加した経験や参加出来なかったけど得られた知識を実際に被災してしまった時に生かせるのではないかと感じた。この授業も含めてもう少し主体的に災害について学んでいきたい。 福井地震の時に学生連盟が電気機器の修理や子供たちに青空教室を開くなど、学生それぞれの特性を生かした支援をしていたという話が印象的だった。災害ボランティアというと瓦礫の撤去や炊き出しの手伝いなどのイメージが強かったがそれだけではなく、自分にできることを様々な面から考えて支援に協力していきたいと思った。 今後東京などで仕事をする際に、あの人数と狭い空間では自分の力がどれほど出せるか分かりませんが、誰かを支える立場になれればいいなと思います。その為には災害が起きた際に取る行動をあらかじめ理解しておかないといけないなと思います。 AMDA調整員のはなしがすごく興味深く、印象に残っています。どういった活動をしているのかということしか知らなかったので実際の活動の流れや動きを時間単位、画像付きで見れたのはすごく貴重だし、より興味を持つことができた。 今回の授業で特に印象に残っていることは災害死をゼロにするためのコミュニティでの防災の話です。この話を聞いた時に地理的な防災は地元でないこの長岡や旅行先でも下調べをしてしまえば避難場所や経路は確認できそうだなと思ったのですが、社会的な部分は一人暮らしをしているアパートのお隣や近隣の方と関わりが全くなく旅行先となればもっと交流の望みが薄いため連携力や緊急の対応が地元よりも上手く形成されずにどうしても私の中で安心感に繋がらないなと感じてとても恐ろしく思いました。 共助はみんなで助け合うという意味で良い事ばかりだと考えが強かったが、考え直すと他者に救助される人と他者を救助する人という大きな違いも存在することに改めて気付かされた。また、救助する側とされる側の差を感じさせない支援が必要だと知った。必要な支援と過度な支援の境の正解はないと思うので、臨機応変に支援する側だけでなく支援される側も能力を発揮できる「引き出す支援」をすることが重要なのだと感じた。 私たちが美大に通って美術をしていても被災地の人のお腹を満たせるわけでも瓦礫を片付けられる訳でもありませんが、例えば防災マップを見やすくしたりだとか、必要な情報を必要なところにわかりやすく届ける…みたいな事前の準備なら役に立てるかもしれないと思えて、良かったです。 “今日の講義を受けて、与える支援.引き出す支援の大切さを学びました。 全てを提供するのではなく、日常的生活で行っている行動や習慣になるべく近づけるような手助けを行うことで避難者は元気を取り戻したり、災害による影響を少しでも緩和できるのだと思いました。 過剰に提供するのではなく、日常的に行っている行動(食事、団欒)などを大切にし、それに向けて、地域の人々と協力することで、いち早く復旧に近づけると考えました。” “計画についての話がためになりました。目標をたて、それを達成するために計画を立てるので、まずは目標を明確に立てること、そしてその過程をしっかり考えることが計画だと仰っていましたが、本当にその通りだと思いました。今回は防災について、よりよくするためにタイムラインの具現化が大事だという話でしたが、私達一人ひとりがまず何をしているのか明確であること(いつどこで誰が何をするのか)を考えるということは、全ての計画に言えることだと思います。私個人に対しても、復旧に関しても、これらひとつひとつを明確にして道筋をたて、ゴールに向かっていく必要があるのだなと感じます。 その後の仕組みづくりについても、この話を意識しながら聞くと、全ての目標を立て達成しようとすることは計画なのだなと思わされました。いつどこで誰が何をするのか以外にも、自分に何ができて何ができないのか知ることも計画に入れると良いと考えます。” “私はこれまで自主的なボランティア活動には参加したことがなく、小中学校で学校側から主導されるような形での参加ばかりでした。しかし、今回の講義の中で、「ボランティア」という言葉が出てき始める以前から、同じ内容の活動自体はあったというお話を聞き、自分も「ボランティア」だとは思ってはいないままに同様の活動をしたことはあると感じました。 大きな災害などに関わる救助や支援でなくとも、もっと身近な部分から人を支え助ける活動を意識的にしていけたらいいと感じました。” 小学生のころ、学年ごとにエリアを分けてゴミ拾いをしました。その時は授業の一環としてやっていたため、ただただやっただけという風に終わってしまいました。高校生まではあまり考えていなかったのですが、最近は時間も作れるようになってきたため、手話などを学んだ上で何かボランティアに参加してみたいと最近はふわっと考えています。 印象に残っていることは、授業の最後に先生が東日本大震災での匂いの話をしていたことです。今まで災害が起こっても匂いのことを全然考えていなかったので衝撃を受けました。確かによく考えると独特な匂いが充満しているだろうなと感じました。実際に現場にいないと感じられないことは多いだろうし、現場を目の当たりにして言葉が出てこないだろうなと思いました。私は被災したことがないので想像ができない部分があるのですが、先生が感じた話を聞けることでこれから起こりうるかもしれないことに知識がついて心強いなと感じています。 “今回の授業を受けて、災害の被害がこんなになるのかと、実際にはに見てみないとわからないなと思いました。 私はまだ、地域のリサイクルやゴミ拾いなどしかしたことがないので、災害やもっと深刻な被害のボランティアに、もっと積極的に参加したいと思いました。 南海トラフでは、地元の被害がかなりひどいと予想されているので、ボランティアに参加して、少しでも力になりたいと思いました。” 地域ごとに復興計画を立てる理由として、それぞれの土地や被災状況、事業の完了速度は場所によって異なるため、安易に他の自治体と同じようなものを採択しては適切な対応をすることができないからということがわかった。また、基本方針を決めずに市民からの声を優先すると、対立が生まれてしまうため、学識経験者による知見をもとにしてからの方が堅実な復興を進めることができるということも理解した。安直な考えの上では、より良い復興のために、市井から意見を募って人々が安心できる環境を第一に整えたいと考えるが、まずは支えとなるベースが存在してこそ復興というものが成り立つということは尤もなことだと感じた。 自助共助の話が印象的に残っています。災害が起こったり話題になったとき、漠然と何か助けられることはないだろうかと考えますが実際に行動に起こすとなるとハードルがぐんと上がってしまうような気がします。他者救助やそれを支援することは人の命や健康への責任も伴うため、軽率な行動は却って妨げになってしまうのではないかと考えてしまうからです。それを念頭において自分に出来ることは何か考えていきたいと感じました。 今回の講義を聞いて、学びの軸を作った時にボランティア活動は好きになったきっかけは中学の部活の延長でお手伝いに行っていたのですが、このおかげで地域の人と関わることができ顔を広げることが出来たので大学でもそういう活動を行えたら何かあった時安心だと感じました。 今回の講義を通して、災害時のコミュニティやボランティアの重要性をよく理解することができた。その中でも、学生連盟の存在が印象に残っている。学生が災害時の復興活動で自分が学んでいる専門分野がどのように活かされるのか実体験を踏まえて学ぶことができる点がとても良いなと思った。 今回の授業では、過去に起きた大きな地震で出た様々な被害の量とその後の対応などを学び、自分たちが災害にあった場合や災害にあった地域、人に何が出来るかを考える良い機会になった。いずれか起きてしまう新たな大災害に対し、どれだけ事前準備を出来るかが大切になってくると考えた ペアリング支援というものを学びました。震災直後はそれぞれが別々に支援しているのが、しばらくするとグループをつくり活動するようになり、しかし、多くのボランティアが待ちの状態になってしまいます。しかしそれが1ヶ月後になるとペアリング支援でボランティアにそれぞれ違う役割ができて、復興するために活動するようになることがわかりました。このペアリング支援は全てが連携している感じがして、効率的だなと思いました。最初からこのような動きができると、復興のスピードも上がると考えました。 自分がよく知る土地と見知らぬ土地で比較すると自助・共助における立場が変化するという話は改めて考えるととても恐ろしいことだと思う。自宅は海と川の近くに位置しているため水害についての知識は多く学んできたが、例えば竜巻・台風といった新潟ではあまり大きな被害になりにくい・発生しづらい災害や、高層ビルにいた時、坂や山がちな地形が多い土地で災害に巻き込まれたとしたら、自分自身のことも安全に避難させられるかどうか正直自信が無い。去年の9月末に仙台の友人の家に遊びに行った時に大きな地震が来たこともあるので、慣れない土地で災害に遭う可能性を考えなければならないと感じた。 父親が地元で土砂災害が発生したときにボランティアに行っていたことを思い出した。私は大きな災害に遭ったことやボランティアに行ったことは無いが、もし身近な場所で発生した時は自分の命を守りつつ助けられる人を手助けしたりしたい。自分にできることは少ないかも知らないが、少しでも被害を減らせるように考えて動くことが大事だと考えた。 今回の授業では、原体験について学んだ。自分は小学生の頃にレディー・ガガのMVをみたことがきっかけで現在の芸術系の道へ進むことになった。1MVをYouTubeでパッと観ただけでその人の人生を変えられるのは凄いなと思ったし、クリエイションの力を感じた。 長い目で被災地の支援を見たときにペアリング支援の重要性について理解できました。今回の講義で初めてペアリング支援を知りましたが、ペアリングすることにより多くの行政や産業が協力することで復興を大きく後押しできる仕組みだと思いました。 私は今までボランティアに参加したことがないのですが、この授業のアンケートで半数近くもボランティア活動に参加したことがある人がいて驚きました。能登半島地震のあと、地元が近い上に強い震度の割には少ない被害で済んだことが幸運であったと感じました。少しの差で助かったと感じたのでボランティア活動などを通して貢献したいという思いがあります。今は募金でしか貢献できていませんが、自分ごととして考えて行動できるようになりたいと感じました。 ボランティアのアンケートで災害ボランティア以外に参加してても、参加したことあるに投票できるようになっていたので、皆んながボランティアでどんな事をしたのかが知れて良かったです。学校の行事の一環として参加した人もいれば自主的に参加して面白いと感じた人もいて、周りの人や環境を良くしたり助けることで良い気持ちになれるのは素敵だと感じました。 与えるだけでなく引き出す支援という話が印象的でした。この話を聞いて以前本で読んだ高齢者施設での取り組みを思い出しました。外国のある高齢者施設では以前と変わらない暮らしをさせるために、施設内で買い物をさせるそうです。そうすることで認知症の進行を遅らせる効果があるそうです。災害時と高齢者施設で状況は違いますがいずれも精神を安定に保つために必要なことだと感じました。 “今回の授業後にもうちいど長岡市地域防災計画を読んでみた。授業で、安全なまちづくりをするために計画をたて、目標を、過程をより良いものにすることが軸となっていたからだ。そうすることで前回の授業で読み落としてしまっていた部分に気がついたり、新しい考え方が生まれるかもしれないと感じた。前回は10分位で読んでみるとあったので初めからざっと読み始めたのもあり、全体の概要が掴みづらかった。今度は細かいところではなく、太字になっていたり大きい文字になっている見出しや小見出しに気を配って読んでみた。 平常時や災害時などと場合分けがされ、医療、通信、鉄道、各種施設の対策と分類があらゆる想定でされていることに気がついた。その中でも共助がしにくい孤立集落への対策まで記載されていて驚いた。そして市民や組織ごとにそれらが分けられ、まるで樹形図のように思えた。計画を立てるということは、時や場所と、取りこぼしなく事を遂行する為に必要不可欠なのだと再認識することが出来た。” 自分は災害の時にどの立場になるのか、また今どの立場なのか考えさせられた。実際この場で災害が起こったらあまり土地勘があるわけでもなく自助に徹する立場になるとは思うが、災害の当事者ではなくてもボランティア支援などで共助の立場にはなることはできるんだなと感じた。 ボランティアといえば長岡花火の運営のボランティアに行ったことを思い出しました。私はアンケートで30歳未満がボランティアで活躍していると回答しましたが、実際には三十代以上の現役バリバリの方が、学生ボランティアを牽引していました。若い力は必要ですが、それをうまく扱える方たちがいるからこそ成り立っているんだなと感じました。 今回の授業で災害時の対策やどう事前対策しているのか、色々学びましたが、あまり長岡市がどんな事をしているのか知ろうと思ったことも知ってもなく、調べると色々な事が行われていて、これから少しは調べてみようと思いました。 今回の空間安全論で、ボランティアの話が出てきました。私は一度、母の会社で行われていたボランティアに参加したことがありますが、コインの仕分けをする簡単で楽しい内容でした。ボランティアと防災を考えた時、自分の命を守りつつ、自主的に人の命を守ることが必要なスキルであると思います。これは非常に大変で、体力や気力がいくらあっても足りないと考えます。この防災のボランティアのハードルを下げることが大切だと思います。ボランティアを行う人数が増えれば一人ひとりの負担は軽減されます。そのためにはやはり、災害が起きた時でも万全な状態にすることが大切になってくると思いました。 “先生の被災地にボランティアに行った話が特に印象に残った。 夕方から夜にかけては不審者が出るため活動を控えたという話を聞いて、避難所での性被害や盗難被害を防ぐためにプライベート空間を作るテントが必要であるという被災者の話を思い出した。災害で困窮している状況で犯罪が起きてしまうのはなぜなのか、テントの設営以外に対処法はないのか、疑問に思った。” ペアリング支援に関しての話がとても興味かかったです。東日本大震災での宮城県岩沼市のペアリング支援の例ではその地域の人たちが積極的に街づくりの話し合いに参加していてとてみいいなと思いました。ジェイコブスの街計画みたいに素敵な街づくりなんだろうなと思いました。 “今回も含めた今までの授業を聴き、自分の災害に対する認識の甘さを思い知りました。 正直怖くて今までは想定することからも逃げてしまってしまっていましたが、親元を離れている今被災する可能性だってあるし、自分の身は自分で守らなければいけないのだと覚悟しました。そしてその為にも防災バッグの中身をきちんと用意し直そうと思ったのですが、何を入れればいいのか中々分からず悩んでいます。色々なサイトを見てみても持ち歩けそうもないほど大量だったりして、何を優先すればいいのかが分からなくなってしまいました。 もしよろしければ、先生のおすすめを教えてもらえると嬉しいです。 また、家に備蓄しておくと良いものについても知りたいです。” 私は学校の授業の一環でしかボランティア活動をしたことがなく、自主的にも取り組んでみたいとは思っているのですが、なかなかハードルが高いように思ってしまい、行動に移せていません。授業内課題の結果を見ると、私と同じように思っている人が多いということがわかりました。先生のおすすめのボランティア活動や団体があれば教えていただきたいです。 “災害時に地域の博物館等が行う文化財保護活動ボランティアに関して学んだことをきっかけに被災地復興支援ボランティアに参加したいと真剣に考えたことがあります。その講義の直後に能登地震が発生し、文化財保護のみならず復興支援ボランティアに参加できないか真剣に考えていたのですが、時間と金銭的な余裕がなく、またそもそも混乱を避けるために民間人の立ち入りを禁止していたことでいまだに伺えないでいます。 少しでも助けになりたい気持ちはあれど、ボランティア活動に参加するには職場の理解や生活に余裕のある方でないと難しいのではないかと感じています。 石川県産の野菜や水産品を買ったり、少額ではありますが募金をすることで応援していきたいと思います。(本文311字)” 今回の講義で、地域の中を深めることは大事だなと思いました。地域の仲が悪いという脆弱性によって、災害リスクに影響すると知り、コミュニティを大切にしていかなければならないなと思いました。また、被災した地域の人々が、提供した給食素材で自ら料理をつくることで、それによって元気を取り戻しているということを知りました。自分自身で命を繋いでいるという感覚が大事なのかなと思いました。 今回、学びの軸を作るにあたってヴォランティアに関する質問があった。私はヴォランティアをする動機として通知表などに書けるからという下心丸出しのことでしかなかった。実際、他の人もそう書いている人が複数人見られて、やはりそうだよなと思うところがあった。実際、私たちの世代の人が自ら進んで下心が無い理由でヴォランティアをやっている人がどのくらいいるのだろうか。もしかしたらヴォランティアをやることに理由などいらないのだろうか。困っている人を助けるのに理由はいらないと言う人もいるし、理由があるから助けるという人もいる。考えてみたらヴォランティアをする理由は倫理的なものであるなと感じた。 今日の授業ではボランティアのお話しが出ましたが、実際に自分に被害があった場合、自分がどんな行動を取るか考えました。今年の能登地震の際に石川にいたのですが、私は必死に逃げるだけだったのですが、両親は近くの液状化にハマった車を助けに行ったり、身近な助け合いが以下に重要かわかりました。なので、被災地はのボランティアという少し他人行儀な助け合いではあるかもしれないけど、ちょっとでも被災地の方の助けになるように活動したいと思いました。
授業で使用する資料
授業で使用する資料
授業で使用する資料
- キャンパスマップ
- キャンパス内GoogleMapストリートビュー
- work12-1 学びの軸をつくる
- work12-2 逃げ地図・避難地図
- STEP1 1分間歩行(外に出て30秒歩いて帰宅する)し、歩けた道の範囲を覚えておく
- STEP2 地理院地図で歩いた道の範囲を計測し、「1分間の歩行距離」として記録しておく
- STEP3 対象とする危険の原因(大地震や洪水等)を決め、よくいる場所から近い避難場所の位置を調べる
- STEP4 よくいる場所をスタート地点とし、調べた避難場所の位置をゴールとした場合の地図を画面保存する
- STEP5 よくいる場所をスタート地点とし、調べた避難場所の位置をゴールとした場合の最短ルートの距離を計測する
- STEP6 計測した距離を「1分間の歩行距離」で割ったものを「避難にかかる時間」として記録しておく
- STEP7 通れなくなる箇所を1つ設定し、迂回ルートの距離を計測・避難にかかる時間を記録する
- STEP8 保存した画面(マップ)に最短ルートと迂回ルートを色分けし、それぞれの所要時間を描き加える
- STEP9 最短ルートと迂回ルートを実際にstreetviewで歩いてみて、危険な箇所がないか調べる
- STEP10 STEP8で作成したマップに危険な箇所を描き加える
- work12-3 第12回 学んだことの記録