[box class=’box2′]学籍番号:192004 (131文字 )以前の講義の内容と被るところもあるが、私はやはり与える支援でなくて引き出す支援ということが一番興味深く感じる。もちろん金銭的な問題や物的な支援も必要だがどこまで行っても結局そこに住むのは人なのでその人のパワーや能動性を引き出す支援という観点がとても印象に残った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192013 (191文字 )現在の状況では災害が起きた場合、自分の命を守ることで精一杯だと思います。それに加えて感染症対策として人との距離を確保している状況では今までのようにボランティアの人などが助け合うことがどうしても難しくなるのかなと思いました。避難所の状態も悪くなると予想されますし今大災害が来たらと思うとゾッとします。だからこそ今できることはどういったことなのか日頃から考えることが重要だと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193011 (127文字 )阪神淡路大震災で167万人ものボランティアをした人がいることに驚いた。学生連盟のことも初めて知り、自分の学んでいる専門分野で身近に人助けをしているのがとてもいいと思った。自分も身近に災害が起こった時に自分ができるデザインの分野で何か力になりたいと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194004 (182文字 )学生さんがボランティアや被災地などで活躍するということはよいことだなと思うし私自身も被災地に出向いて何度かボラアンティアをしたいと思ったりはしていましたがなかなか距離も遠いし実行もできなくて行動にうつせたことがないです。私はいろいろ工作するのも絵を描くのもすきなのでどこかで機会をつくって出向き、すこしでも傷ついた人たちを何気なく支えられるようなことをしたいです。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:181013 (325文字 )災害は地域の過疎化を加速してしまう。また、コロナウイルスが問題となっている中、水害が起こってしまうことがある。このことから、自然災害はどんな状況でも(朝でも夜でも、どこでも)起こりうることが改めて分かった。
「防災」と一言で言っても、災害前、災害時、復興時などで様々な防災活動があることを改めて学んだ。
自分でもできる復興のためのスキルとして、「作る」ことができることに気づけた。できることから問題が解決できれば、とても嬉しいと思う。
福本先生の東日本大震災のボランティアの話を聞いて、自分にできることは何かを能動的に考え行動することの大切さを学んだ。専門の知識(医療や建築など)がなくとも、それをサポートすることはできる、それに気づくことができた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192044 (169文字 )今回の講義を受けて、何事にも土台となるものがとても大事で、災害時に誰も被害を受けないようにするにはその場所の現状、弱味などを知る事がとても大切だと分かりました。災害のタイミングによってどのような行動をするのが最適なのか、能動的にその活動に参加できるように、自分の興味、関心のある出来事と結びつけてボランティアにも参加する事が私の目標です。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192029 (360文字 )阪神淡路大震災のボランティアの人数には驚いた。こんなにたくさんの人がいろいろな所から集まって行動しているんだと考えたら、自分もぼけっとしていられないという気になるのでこういった話が聞けるのはよかった。でも私は自分から新しいことをしたり、新しいところに入ったりする勇気がいつになっても出なくて、始めたら面白いと思えることが多いと分かっているのに怖くてなかなかできないので自分自身ともっと話し合わなければいけないと感じた。稲垣先生の講義の時にも話していた様になんでもボランティアがやりすぎてしまうと自分は何もできないという気持ちにさせてしまうので、給食の素材を渡して自分たちの力で作る、自信を取り戻すボランティアはやはり大切なんだなと感じた。自分は何をするべきなのかよく考えて自問自答してから行動できる様になりたいと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:173115 (164文字 )東日本大震災の際のボランティアについてのお話の中で、イスラエル出身の医師の方々がご年配の患者さんたちから怖がられていたというものがあった。
それを聞いた時に、精神的に参っていたという要因もあったのかもしれないが、ボランティアに参加する人たちは誰かを助けたいと思って行動しているのに、それをよく思われないという状況を歯痒く感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193074 (202文字 )いつも指示待ち人間なのでボランティアでは自分の意思で考えなければいけないものもあると聞いて驚いた。考えてみれば自らの考えでボランティアに参加したのだから自主的な行動をすべきなのは当たり前なのだが、ボランティアに関して造詣が深い人間でないとなかなか知らない場所で不慣れなことに挑戦するのは勇気がいることだと思う。とりあえず行こう!という勢いも大事だが、自分が現地で何ができるのかよく考えておくことも大事だ。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192050 (278文字 ) 南九州の豪雨について授業で触れた。老人ホームで14人が心肺停止した件は、コミュニティ防災の取り組みが充実していれば守れた命なのではないか。詳しい状況はわからないが(施設自体が水没したらしい)、避難するのが遅れたのか?避難の手助けをする人が足りなかったのか?老人ホームが、災害時はその地域での救助の対象だと近隣住民が理解していれば、避難の仕方も変わっていたかもしれない。
ここ数年豪雨による被害が毎年もたらされている。人間はこの状況から自分の命を守ることが防災のゴールではない事など、安全確保のその先でできることに目を向けていかなければならないと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:183006 (124文字 )災害が起きたら、できればまわりの人も助けたいなとずっと思ってる。しかし、実際に災害にあって、本当にそうできるかどうかと改めて思うと自信がなくなった。結局自分の命しか守れないじゃないかなと思ってしまった。どうすればまわりの人の力になれるでしょうかね。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192027 (271文字 )学生ボランティアとは学生の身として今勉強していることを生かす活動をすることが貢献になると聞き、デザイン学科の我々が今すぐに向かって出来ることは何だろうかと考えたが、やはりできることはまだまだ限られているなと思う。出来て重い荷物を運ぶことだろうか。
デザイン科として実用的なプランを考えて提案できる様になるには、思考の練習が必要だと思う反面、その現場で受ける空気感や状況で考えた事が通用できるようにするためには数多くのボランティアをこなして、多くの失敗を重ねていかなければ、少しでも上手くいく計画を立てられるようにはならないのではないかと思う。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193084 (138文字 )今日の講義で印象に残っているのは、自助共助公助のバランスの話です。大きな災害になれば公助が難しくなるのはなんとなく理解していましたが、改めて話を聞いて納得しました。また、自助できる人が増える必要があるという話でも、私はおそらく自助ができないのでちゃんとしなきゃなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193018 (230文字 )私は今までボランティア活動をやったことがありません。なのでどのようなことをするのか、ボランティアによって街がどのようになるのかなど知らないことが沢山ありました。今日の講義でボランティアという言葉は30年弱前から使われ始めたまだ新しい言葉ということや、与える支援だけではない自ら動けるように支援をする方法もあることを知りました。ボランティアは知識や経験値があって被災者のお世話ができる人がするものだと思っていたので考えが違ったんだなと改めて学ぶことが出来ました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193091 (183文字 )以前答えた同じアンケートでは、私は確かどちらも「誰かに助けられる立場」と書いた。今回は少し変わって、自分の住んでいる地域限定ではあるが「自分の身を守る立場」になった。前回より自信がついたから、という訳でもなく、無意識に選んだ結果だが、以前よりこの長岡のことを少しは知っているという自負があるのかもしれない。とはいえ身を守ると書いたものの、実際守れる自信はあまりない。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192016 (211文字 )もし、災害が起こったときに自分も誰かを助ける側になりたいと思うが、いざ災害が起こってしまうと自分はパニックになってしまいそうだと感じた。そうならないためにも、普段から防災計画を行いたいと思う。最近では、コロナのこともあり、なるべく食料を備蓄したり、日持ちのするものを意識して買うようになった。コロナ渦の中でも災害は起こる可能性はあるため、日々意識して行動したい。誰かを守れる立場になれるように様々なことを経験したいと思う。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192033 (251文字 )東京帝国大学の学生セツルメントの話は初めて聞いた。少し調べてみると、イギリスから風潮が伝わり、大正時代日本で流行ったらしくとても驚いた。炊き出しではなく、食材を与えて手を動かして元気にするという考え方がとても現代的で驚いた(最初から狙ってやっているかは不明ですが)。ボランティアというのは余裕がないとできないものだと思っていて、平和でないと生まれないものだと思っている。我々はそれくらいの余裕をもって生きていくべきだと思う。このようなボランティアができる社会というのは豊かな国の一つの指標かもしれない。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193036 (195文字 )災害が起きた時、人を助ける側の人間になりたいとは思いますが、実際は難しいものだと思いました。生活の面や食料の面で支援を受けることになると思います。災害時に、全ての面で助けられる側にはなりたくないなと考えているので、何か1つでも自力でできたり、誰かを助けられれば誰かの負担が減ったり誰かを救えるのかなと思いました。学生にしかできないこと、自分にしかできないこと、今一度考えてみたいと思います。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193024 (666文字 )福本先生の経験を聞く中で、「その時の状況を把握して自分のやるべき事を見定める」力が先生は本当に強いし、それをちゃんと実行出来ているのが改めて凄いと思いました。自分がやりたいから、自分がしたいから、という自分本位で動くと、集団行動する状況では崩壊することが分かっているからこそ取れている行動だと思います。
私は演劇部に所属していますが、人数が多いだけに意見が分かれ、対立することもあります。ここで思ったことがあります。デザインを学んでいる私たちですが、授業では「あなたのやりたかったことは何だったの?」「あなたがやりたいことは何?」と、演習等で問われることがほとんどです。「自分がやりたいことは何か」を常に考えさせられ、それを貫けと言われ続け、「自分の意見を通すこと」に否応でも慣れさせられているのではないか、そう思いました。大切なのは、それが「個人」というフィールドなのか「集団」というフィールドなのかをきちんと理解しているかどうか、という部分だと思いました。集団で動かなければいけない時に個人のフィールド内なら発揮する「自分の意見を通す力」ですが、集団のフィールドならデメリットにしかなりません。状況と場合を捉えて、私は今こうすることでこの状況が「好転」する、という冷静な観察力と思考力が必要なのだと思いました。特に災害時の状況では。
また、「インプットとアウトプット」がきちんと行われているか、またアウトプットされたものは、本当に適切かどうかを見極める力も養うことで、さらに貢献できるものを生み出せるのではないか、と思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:173091 (355文字 )今回の授業でまず自分が今までにしてきたボランティアを思い出してみました。今までして来たボランティアは部活の一環だったり学校の行事だったりとどれも自発的に参加したことはないということも気がつきました。そもそもそれはボランティアと言えるのか、とも改めて考えました。また、アンケートで、自分は災害が起きたときに「誰かに助けてもらう立場」であると回答しました。この回答も今まで自分が自発的にボランティアに参加していなかったことにも関係しているように思いました。そして自発的にボランティアに参加していれば、考え方も変わっていたのかもしれないと思いました。今後ボランティアの機会があれば自分から積極的に参加してみようと思いました。自分は災害が起きた時、守ってもらうだけではなく助け合うことができる人になりたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193082 (169文字 )救助される側にならず自助できるようにする、というのは災害時において重要だと思った。災害や事故が起きてから考えるだけでなく、いつ自分に起きるかわからないということを頭に入れて普段から災害時の対応を考えたり話し合ったりすることが大事だと思った。意識しておくだけでも何も対策をせずに被害を受けるより自助ができる状況につながるのではないかと思う。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192011 (205文字 )自分に出来ることとボランティアを関連付けて、という話でなるほどと思う反面、どういったことが実際に出来るかと考えてみると中々難しいです。実際の災害ボランティアに参加したこともなければ、自分自身が歴史に残るような大災害に直面した経験もありません。災害の内容でも支援の形は変わってくるので現段階でそこまでの想像が出来ません。知らないと出来ることも分からないので、もう少し踏み込んで調べてみる必要があるなと感じました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194003 (304文字 )自分が行ったボランティア活動と本日の講義で学んだ内発的な動機によって能動性を持ったボランティア活動とのギャップに大きな違いやズレを体感しました。自分の中に興味のあることや地域を深く考察することで、より主体的に防災ボランティアに取り組めるのだと学びました。福本先生のボランティアスケジュールを拝見して、現場の空気感を想起できました。報道の裏側、生の声を垣間見たようでした。また、イスラエル人の救助隊に被災者が難色を示したことが印象的でした。人が生きるための弊害を限りなく取り除き、被災者と共に過ごしながら復興する手助けに努めることに対し、あらゆる些細なことも弊害となり得るのだと驚き、そして新しい気づきでした。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192028 (398文字 )ボランティアは、重要だし、誰かがやる人達がいないと災害時、相当困ると思います。テレビで復興支援のボランティアなどを放送している様子を見ると、ボランティア行く人すごいな?と毎回思います(重要性はわかっていても、自分がボランティアに行きたい!となったことはないので)。福本先生の東北大震災の際のボランティアの話も詳しく聞いて、自分でできることを見つけて、行動する、ということは、実際とても難しいことだと思いました。ましてや被災地という、環境も住んでる人の状態もイレギュラーな中で、一日活動したらとても疲れそうだなとも思いました。ひどい話ですが、自分だったら、被災してその後ボランティアに助けられたような経験や、本当に大切な人が被災しているような状況がなければボランティアに行こうとはならないと思います。
なぜあんなにもボランティアに参加する人が多いのか、参加に至る原動力はなんなのか、気になりました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192052 (212文字 )最近の熊本での大雨の映像を見て、いつどこでなんの災害が起こるかはわからないものだと改めて思いました。自分では、災害には巻き込まれないと勝手に思っていたのですが、やはりいつか自分も巻き込まれるかもしれないと思って準備をしておくべきだと感じました。また、近所の人ともコミュニケーションをしておくべきだと思いました。もしも災害が起こった時に、一番身近にいるのは近所の方なので、挨拶を積極的にするなどの取り組みが大切だと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193058 (411文字 ) 大震災の時などの復旧・復興計画のプロセスは地域ごとに全然違うということに驚きました。もっと行政が決めたルールにのっとるものだと思っていたからです。しかし、今まで経験したり、見聞きした災害を振り返ると、予想を上回る災害が起きたり、地域、それも細かい地区で考えると、被害の状況は全然違うのだから、地域ごとの計画のプロセスが違うことは当たり前なのだとわかりました。
こうやって行政など自分以外の人たちが決めてくれて、自分や周りの人が助けられることはたくさんあると思います。今まではそれが全てであるように感じていたし、それに不満を感じたりすることもあったけれど、まずは自分が行動してから判断しようと思うようになりました。加えて今は一人の大人として自分の身を自分を守れるように、そして大切な人を守れるようにしたいと思うし、学生という学びを得ている立場として自分の学んだことを生かしてできることについて考えていきたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192019 (109文字 )能動性は大切だと思った。防災も勉強も能動的でないと頭に入らないし実行しづらい。特に災害が起きてしまったあとは自分のことで手一杯になってしまいそうなので、誰かの助けを待つ受け身でなく、広い視野を持って能動的に協力したい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193079 (448文字 )たくさんの地域で、その土地柄にあった防災のための様々な取り組みがあるのを知ることができた。
アンケートの結果にも出ていたように、自分もボランティアには受動的にしか参加したことがなかった。しかし、今後被災地にボランティアとして出向く機会があった時、ニュースなどで情報も得ず、何も考えていないとただの足手まといになってしまうだろうなと、先生の体験談から感じた。
最近までテレビをあまり見ないし、新聞も読まない、ネットニュースも見出しにざっと目を通すだけだったが、何度かこの授業を受けて、今何が起きているのか、どんな状況なのかを最新の状態で知っておくことは第一に大切だと考えるようになった。それから、朝早めに起きてニュースをつけたり、夕方のゴールデンタイム前のニュースもついでに見たり、ネットニュースも記事を開いて読んでみたりすることが習慣になってきた。
ここ数日報道されている熊本の大雨による被害を受け、自分たちの身近にある信濃川もいつか氾濫してもおかしくないと思うので、しっかり頭に刻んでおきたい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193046 (428文字 )今日はボランティアの話が出てきましたが、私はこれまで何回かのボランティアに参加はしたとしてもそれら全て決して能動的に参加を決めたものではなかったことを思い出しました。それも所属していた生徒会の活動の一環のような感じだったため、嫌々参加している節すらありました。しかし、どれも参加してみたらやりがいを感じているのです。なんだか風呂に入るまではとても嫌だけど風呂を済ませてから「風呂めんどくさかった?」と感じた事はない、となるあの現象に似ていると感じました。話は逸れましたが、これは先入観によるとっつきにくさのようなものが原因な気がしてならないのです。能動性が大事、という点を考えると最初から私のような者はお呼びではないのか?とも思いました。しかし、そんなことを考え出したら本当に何もできなくなりそうだし、能動性は参加していく中で身につけるのもアリだと信じて、自分なりに「ボランティア活動に踏み込みやすくするには」ということについて考えてみようかと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193001 (242文字 )福本先生の体験談にあった「災害時のボランティアは指示待ちではなにもできない」ということに、やはりとは思いながらも軽く絶望しました。というのも、私自身、自分から動くことを苦手に感じており、よく他人に指示を仰いでしまうからです。これから自分も巻き込まれることになるだろう、地震をはじめとした災害で、自分はどうするべきで、なにができるのか。今から前もって考えていくとともに、その考えた結果などを、私と同じように「何かしたいけど、どうすれば良いかわからない人」へ何か共有できればと考えました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193096 (221文字 )前回アンケートを答えた時と今回ではだいぶ意識が変わったと思います。今までは、自分を守ることで精一杯でしたが、授業を受けてから事前の対策をするようになり、心の余裕が生まれました。小さいことですが、防災グッツを買ったり、水を大量に買ったりしました。またこの授業をきっかけに、地元で行ったボランティアを思い出しました。みんなのアンケートをみて、私もゴミ拾いやったり、川で外来種を探したりしたなと思いました。思い出を振り返る機会になって良かったです。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193010 (484文字 )今回の授業で学んだことは能動性の大切さである。問題解決をする際には、困っている人と一緒に生活し、常に寄り添いながら役に立つことは何なのかを自ら考えることがいかに重要なことかを学んだ。お話の中で福本先生の東日本大震災での活動を聞き、指示待ちではなく自分が今やるべきことは何なのかを常に自分で考えて行動しているという印象が強かった。そこで改めて自分がやってきたボランティアを思い出すと、ほとんどが学校や地域からの誘いを受けて活動した、受動的なものだったことに気がついた。しかし、それと同時に小学生の頃毎日のように遊んでいた近所の公園を二ヶ月に一回くらいのペースで自主的にゴミ拾いをしていたことを思い出した。今になって考えると、地域の誘いによるゴミ拾いと自主的にしたゴミ拾いを比べてみると、同じボランティア活動でも少し心持に違いがあるように感じた。前者の場合、少し「やらされている感」があったのに対して、後者は心から綺麗にしたいという気持ちがあった。ボランティアは後者であるべきだと思う。
空間安全論の最終課題では、自発的に人のためになることを考えて制作していきたいと思う。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193028 (242文字 )今回印象的だったのは、ボランティアにおける能動性である。ボランティアは今までに参加したことはあったが自主的に参加したことはあまりなく、どちらかというと強制的に参加させられているという意識の方が大きかった。その理由は、ボランティアが肉体労働や専門知識を必要としているものだと思っていたからである。しかし、授業で「雑用でもいい」「自分ができることをする」というのを聞いてボランティア活動に対する敷居が低くなった。これからは能動的に、自分に何ができるのかを考えて取り組んでいきたいと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194016 (474文字 )今回の授業で、助けを求めるだけの受け身の姿勢ではなく、自ら他の人を助る姿勢でいること、自助だけでなく共助をすることが震災の時に命を守るうえで重要だということが分かりました。私が4歳の頃、中越地震が起こって、自宅が崩壊し、私含め家族は二階のない少し広めの車庫と車の中でしばらく生活をしていました。近所の人達は二階のある車庫しか持っておらず、二階がある車庫は崩壊の際に危険があるので、父は私たち家族がいる車庫に避難させ、お互い食料のシェアなど協力し合っていました。両親はお互い共働きで、震災直後も仕事にいかなければなりませんでしたが、保育園は休園でした。私と妹を預ける場所がなく困っていたらベビーシッターのボランティアの方が大阪から来てくださり、私たち姉妹の面倒を半日見てくださりました。私はその時の記憶はうっすらとしか思い出せませんが、多くの人の助けがあって今生きていると思います。中越地震のときは助けてもらうことしかできない子供でしたがまたこのような災害が起こった時には今度は自分のできることは何か?と考え、動けるように精一杯努めたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193039 (156文字 )今回の講義で、ボランティアに参加したきっかけで受け身の場合が多いとおっしゃっていたとき、確かに自分はボランティアのきっかけが自分からでないことばかりだと気づきました。私の妹は海のごみ問題の話を知って自分から海岸でのゴミ拾いに参加したそうです。兄も妹も行動力があって自分は本当に消極的に生きてるなと落ち込みました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193054 (271文字 )私は災害系のボランティアに携わったことが一度も無く、ありがたいことにひどい災害にもあったことがありません。テレビやネットで見る情報はどれも別の世界のことのようで同じ国で起きていることをいまいち実感できずにいます。きっとボランティア活動に参加することでメディアからではわからない災害の様子や状況の深刻さが分かるのではないかと思ったし、支援するがわ、される側の双方の気持ちを理解することにも繋がるのかなと思いました。ボランティア活動は人を救うのが1番の目的ではありますが、さらに相手や現状を知るという意味でも非常に大事な活動であるなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193072 (240文字 )前の講義でも扱いましたがボランティアで与えるだけではなく、引き出すボランティアも大切であるということにすごく納得しました。また、大切なのは「能動性」である、ということは被災地復興だけではなく、日常でも同じだなと思いました。自分で気づき、考えて行動することは難しいし大変だけど、避難する際は真っ先に必要になる力です。普段から何事にも能動的に行動できるようになれば、被災した時もきっと役に立つし、人間的にもレベルアップできると思うので自分の中の能動性を伸ばしていけたらなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193107 (163文字 )最初の地域の防災のやつはみんな読みにくさを感じていたんだなぁと思った。自分だけじゃなくて少し安心した気がする。九州の方の大雨の災害で色々大変だなぁと思った。新潟は特にあまり大きな災害が起きないから少し自分の危機意識が足りないと感じた。今はコロナが流行るという特殊な時代になっているから自分で少しでも考えなきゃいけないと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:183104 (209文字 )元気を引き出す支援という言葉が印象に残りました。私は去年ガーナの孤児院で2週間ボランティアをしました。そこでは自分で考えて自分でやるっていうことがメインだったので大変でした。しかし、他の2人のボランティアと一緒に考え、折り紙を教えたり日本語やドイツ語の授業をやったり、新しい遊びを教えたりと子供達の元気を引き出す支援ができたので良かったです。今後、ボランティアをする時も引き出す支援という言葉を頭に置いてやりたいです。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194011 (523文字 )まず、熊本や鹿児島など九州の豪雨での災害についてですが、今感染症が流行っている中避難所に行くのも怖くて行動に移せず被害が増えている可能性もあると思います。プライベート空間も作れないのにソーシャルディスタンスを保てるような広い避難所を作ることはなかなか難しいと思うのでこの問題は今後withコロナの時代で生きて行かなければならないとしたら、しっかり考えないといけない問題だなと感じています。こう言った感染症が流行っていると人のために何かすることも、誰かの嫌な事、迷惑なことになる可能性もあるので、気持ちは大事ですが、軽くボランティアボランティア!と活動するのも少し怖さがあります。私は、空間安全論の授業を聞いていてボランティアに参加したいと思うようになりましたが、そんな中のコロナの流行により、今行くと感染してしまうかもしれない、させてしまうかもしれない危険、ゆえに一歩踏み出せない状況ができているので、なんとか少しでも力になれるように動きたいです。その気持ちもあり、医療従事者の方へ少ないですが募金をしました。自分には何もできない無力さを身に染みて感じています。授業を受けてから災害や感染症などに対する気持ちが変わりました。ありがとうございます。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:183055 (201文字 )一度もボランティアに参加したことのない自分としては話が具体的でとても興味深かったです。津波がくる前後の比較写真は本当に衝撃的でした。被災して最悪の場合、住む場所、親しい人、思い出の景色など全てを失った時の喪失感は計り知れません。悲しい時、慰めるくらいなら一緒に殴られろみたいな気持ちになることもあると思うんですが、ボランティアは一緒に生活してくれるし、痛みを分かつ点でもありがたい存在だなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193057 (362文字 )今日の授業の、もし直下型大地震が起きた場合あなたはどの立場になるか、という質問で私は迷わず自分の命を守る立場を選びました。それは周りに気を配る余裕はないだろうし、自分の命を守ることで精一杯になってしまうだろうと思ったからです。でも、講義を聞いていくうちに実際に大地震が起きた際、もしかしたら自分が誰かを助ける立場になっているかもしれないし、むしろ誰かに助けてもらう立場になっているかもしれないと思いました。私は今まで自分の生活が変わってしまうような災害に遭ったことがありませんが、普段の生活の中で目の前に助けを求めている人がいれば助けるし、私が困っている時は周囲の人が助けてくれました。だから、大きな災害に遭った際、目の前に困っている人がいたら思わず助けてしまう可能性もあるし、逆に私が助けてもらう可能性もあると思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193083 (168文字 )今回の授業で高校の時、祭りの翌朝に朝早くから神社の中のゴミ拾いをしたことを思い出しました。普段しないことをしてみてゴミが尋常じゃないほどの量あってとても苦労したことが蘇ってきました。自分が’ボランティアしなくても誰かがボランティアするから神社はいつも綺麗に保たれるけど、ボランティアをして神社を綺麗に使おうと思ったことを思い出しました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:183071 (414文字 ) 今回の講義を受講して、自分自身の課題とは何かをもう一度改めて考えることができた学びがあった。それは、「自助ができる人が増えないと、いつまでも人的被害は無くならない。」ということだ。
自助と共助の比率についての話題でそのことを考えたのだが、学びの軸を作るアンケートで自分のいる地域に直下型地震が起きた時、その場所によって自助する側になったり共助される側になったりと立場が変わることに気付いた。その要因はその場所にどれだけ詳しいか、避難訓練の経験はあるかなど、様々なことが関係する。きっと詳しければ詳しいほど、経験すれば経験するほど自助できる可能性は高くなるのは間違いないだろう。しかし、共助される側になる可能性がある人の中でもその場所にゼロの知識で訪れるのと、事前にいざという時の下調べを行って訪れるのとでは可能性に大きく差が出ると思う。
天災を確実に予見することはできないからこそ、備えられることは徹底すべきだと実感した。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192005 (154文字 )ボランティア活動をする人はとても行動力があると感じた。あれをしてこれをしてと言われるのを待っていてもだめで、自分から必要なことは何かを考える必要がある。特に被災地のボランティア活動は一刻を争う場合もあるし、被災された方々の心の傷と向き合うことが必要でしっかりと考えて行動しないと迷惑になることもあると感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193120 (132文字 )熊本県の豪雨について思ったことは、都市計画はどうなっているんだろうということである。毎年、九州地方は大雨が降っている気がする。雨が降って土砂災害などは起きるほどになった時、今回の授業のようなここには人が住まないほうが良いなどという基準はあるのだろうかとふと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192023 (190文字 )ボランティアというものが本格的に広まったのが阪神淡路大震災の後をいう割と最近の出来事だったことに驚いた。日本という災害大国では国の救援だけで難をしのぐのは無理があるのでよりボランティアなどの重要性を感じた。しかしボランティアが増えることはとてもいいことだが場所によってはより混乱を招く可能性もあるため、自分ができることと、相手に必要とされていることの区別をしっかりつけて行いたい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192020 (219文字 )ボランティアという言葉が世間に広まる前も、セツルメントとしてボランティアのような活動を学生達がそれぞれ自分の分野を活かして行っていたことに感心しました。まだ私は学校の取り組みの一環としてゴミ拾いをしたことしかなくて、能動的にボランティアに参加したことがないので、地域の人々との交流やどのようなことをすれば人々の役に立つのかが分からないままになりそうだと感じました。自分で考えて行動するという面でもボランティアに参加してみたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192002 (243文字 )自分はゴミ拾いなどのボランティアには参加したことがあるが災害などの人を助けるボランティアに今まで参加したことがないです。今回の講義の中でもあったように私には能動性が足りないと思います。私は今まで自分が言って何ができるんだろうとよく考えてましたが、行動に移さなければ意味がないのでもっと積極的に行動したいです。中越地震の時のボランティアの話でもありましたが、災害に遭われた方はとても不安な気持ちだと思うのでそういった人々の話相手になるなど心の支えになることもとても大切になると思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193056 (175文字 )私は地元が東北で、中学校の時に何度か東日本大震災のボランティアをしに行ったことがある。肝心な奉仕活動の内容はほぼ忘れてしまったのだが、それでも記憶に残っているのは地元の人たちの温かさだった。現地の食堂で昼食をとった際に、逆に色々とこちらをねぎらってくれたりととても元気だったことを覚えている。ボランティア活動では、こうした人の強さを知ることが出来た。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192039 (546文字 )
授業内のアンケートでボランティアについての質問に自分が参加した活動についてぱっと思い出せるものがなく、答えることができなかった。やはり自分が参加したことあったボランティア活動(川や地域のゴミ拾いなどであったが)というものは学校側から半強制的に参加を求められていたものであり、そこには「能動性」がなかったからだと思う。実際に現地では主催している人や大人からの指示を待っていた記憶がある。
福本先生がやられていた東日本大震災の際のボランティア活動のお話を聞いて、もちろん直接的に被災した方の支援をする人(医療関係者の方、瓦礫などの撤去作業をする方など)も大事であるが、そういった活動をスムーズに進行するためにプランニングする役割を担う人の存在も重要になってくることが分かった。復興が進む速度も大幅に変わってくるだろうと思った。第七回の空間安全論の稲垣先生のお話にもあったが、心身的なケアだけでなく、精神的なケアを求めいてる方も多いということもわかった。ニュースで報道されるのは表面的な情報ばかりで(もちろん被災地から離れて暮らす人にとっては需要があるものではあるが)現地の人々の雰囲気や心情などは実際に足を運ばなければわからない。またここにおいても「能動性」が重要になってくると思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192014 (223文字 )私は地域のためになるようなボランティアにはあまり参加しないひとでした。その理由はめんどくさいからです。当時の自分としては参加しても意味ないなどの卑屈の考えしかなかったと思います。けれど今となれば、そういった地域のボランティアに参加することは内容だけではなく、地域の人と交流をすることで、いざ災害や何かしらの被害にあったときにあかの他人として助け合うのではなく、最低でも顔見知り程度のレベルで助け合うことができる。こういった差は大きいと感じました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:173072 (510文字 )まさにタイムリーだと思って熊本での水害が発生したニュースを見ていたら、「震災がつなぐ全国ネットワーク」というサイトを見つけた。このサイトは阪神・淡路大震災を機に過去の災害による課題を共に学び、提言し、緊急時にはともに動くことを目的としたネットワーク組織でだそうで、恥ずかしながら今まで知らなかった。サイトの中には被災地での支援経験をもとに作成された、被災した場合の行動の手引きが誰でもダウンロードできるPDFファイルにまとめられている。その中に「水害にあったときに」という記事が載っていて、試しに閲覧したところ、やるべきことが明確で、図も多く使われており、わかりやすい手引きだと感じた。実例の経験をもとに作成されているという点が大きいので、保険はどうすればいいのか、汚れてしまった家具やお金はどうしたらいいのかなどといった、被災者が今すぐ欲しい情報がぎゅっとつまったものになっているという印象を受けた。安全なまちづくりと聞くと、交通や建築やランドスケープのイメージがあったのだが、防災といった面ではこういった「人の行動や暮らし」も大きく関わってくるため、復興への手引きといった情報はとても重要であるのだなと改めて感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:174030 (204文字 )災害からの復興は、政治や行政の働きかけに注目がいきがちだが、復興の核となっているのは被災地に住んでいた人の思いや、周囲のボランティアによって成り立っていることを感じた。誰もが他人に救いを求めていたら、被害は大きくなるばかりだ。自分が被災者になった時に誰かを救う立場に居られるだろうか。ひょっとしたら難しいかもしれない。だったらせめて、自分が安全な立場な時に誰か被災者がいるなら手を差し伸べてあげたいと感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192024 (115文字 )高校の時ボランティアをしましたが、もらった仕事をこなすという感じで自分で考えて行動していなかったなと思い出しました。今度ボランティアに参加する機会があれば自分が出来ることを自分で考え周りの人を支えることかできたらいいなと思います。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192042 (250文字 )私の住んでいる地域は高齢の方が多く、町内会での避難訓練に参加した際、自分と同じ位の若者は誰も居ななく小さな子供、その親、あとは高齢者の方だった。参加して感じたことは、もし自分の地域で大きな災害などが起こった場合、親世代の人達と自分のような若者が動かなくてはならないなということ。これまで地域の方々と関わるようなボランティアはいくつか行ってきたが災害などのボランティア活動の経験はない。何か大きな行動をすることは難しいけど、コミニュケーションをとることでボランティアのような事が出来ればいいなと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193041 (172文字 )自分の特技や技能を生かした支援ができたらすごく素敵だなと思いました。ボランティアと聞くと、自分にできることはなさそうで積極的に活動してみようとはならないのが現実です。そんな中で、今回の授業で自分の特技や技能を生かした支援という言葉が心に響きました。自分のできることが誰かの役に立つのならボランティアに対して前向きに考えることができる気がします。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193093 (279文字 )被災地では精神科医が不足していた話が印象に残った。被災地の医者というと震災による怪我の手当てがほとんどだと思っていたが、言われてみれば映像を見るだけでも衝撃的な出来事を、実際に体験をした人にはメンタルケアも当然必要である。しかし、精神的なものはどうしても他者からはわかりずらく、軽視されやすいのかもしれない。それは、被災した人としていない人とのギャップからくるものだろうか。学生ボランティアについて、各専門を活かした活動が行われていたこと知って、自分も学んでいることを活かして、先に挙げた人と人との間で生じる問題に関して何かできることはないだろうかと考えた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192030 (428文字 )今回の話を聞いて、
もしも、実際に災害にあった時、私は助けられていたり、自分は助かっていたりしていると嫌な気持ちになるなと思いました。私に近い年齢の人は誰かを助けているのに私は何も行動ができなかったと嘆くのではないかと思います。高校生の部活(私は剣道部でした)の時、一年生の頃は特に自分で進んで仕事を見つけて雑用をしたり、先輩が重い荷物を持っていると変わったりしなければいけませんでした。でも私は、自分なりに動いてみるものの、他の同級生が先に見つけて仕事をしていて立ちすくんで、嫌な気持ちになる、そんなことばかりでした。別に仕事がやりたくないわけでもないのにちょっとの気づきの遅さに何もできなくなる。結局行動しなければ誰も自分の存在を気づいてくれない、強くなれない。この時のなんとも言えない気持ちは今も根強く残っています。
だから、そんな気持ちになるくらいなら私は人の役に立てるように行動がしたいです。これは自分のためですね。私にできることはなんだろうか。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192042 (250文字 )私の住んでいる地域は高齢の方が多く、町内会での避難訓練に参加した際、自分と同じ位の若者は誰も居ななく小さな子供、その親、あとは高齢者の方だった。参加して感じたことは、もし自分の地域で大きな災害などが起こった場合、親世代の人達と自分のような若者が動かなくてはならないなということ。これまで地域の方々と関わるようなボランティアはいくつか行ってきたが災害などのボランティア活動の経験はない。何か大きな行動をすることは難しいけど、コミニュケーションをとることでボランティアのような事が出来ればいいなと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192038 (188文字 )自分は災害に遭遇した時、周りを見て行動はできないと思いました。他人の命を助けようと動くことはできるかもしれませんが、それは目の前に機会が訪れたらであり、支援やお手伝い、指示を出したり、率先してそういうことができる人でないと適切に命を助ける活動はできないと思いました。他者の命を助けようとすることはハードルが高いですが、せめて自分の命は自分で守れるくらいにはしたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192047 (601文字 )危険な状態に陥った時、どうしてもパニックになって冷静にいられなくなります。先日、第三者の立場からそのような経験して、冷静を欠くことが状況を悪化させてしまうことの要因になりかねないと痛感しました。私自身もその起きている状況から死を感じて怖かったですが、周りのパニックになっている様子をみて不思議と冷静にやるべきことを順序立てて対処できたように思います。なぜ私が対処できたのかを自分で分析すると日頃から無意識に対処法を目にしていたからだと気づきました。私の場合Twitterで毎日医療や防災、緊急時の対処法などをツイートしている専門家をフォローしていて、タイムラインを流し読みしていても無意識のうちに目に入り情報が刷り込まれていたことが大きかったと思います。しかし、状況は対処できても周りのパニックになっている人のケアまではうまくできませんでした。目を見て名前を読んで具体的な指示をすることができたらもっと早く状況が好転したかもしれません。助ける側になったとき相手の心情をくみ取って支えられるようにならなければいけないと反省しました。それと同時に支える人間の活動を支えるものとは何かと考えました。自分で考えて行動するにしても軸になるようなもの?情報?が必要ではないかと思います。うまく言えませんが、非日常的なときに専門家以外の人でも対応できように心のケアマニュアルみたいなものがあればいいのにと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192012 (219文字 )前にも今回やったアンケートをやったような記憶がありますが、その時より少し防災に関しての知識がつき、回答に変化が起きた気がします。でも、改めて考えてみると、たとえ自分の地元でも災害が起こった状況では自分が知っている街とは別世界のような状況なのかなとも思います。そしてそのような状況では、パソコンの前で冷静に身につけた知識はおそらく頭に浮かばないのではと日々感じてしまっています。現在災害が起こっている九州の映像を見た時さらにそう感じました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193105 (185文字 )先生のボランティア活動の様子を聞いて、私が今までに取り組んでいたものは本当にボランティアと言えるのか疑問に思えてきた。先生は、やれることはなんでもひたすら能動的に行動なさっていたが、私は、周りからやることを分け与えられ、何も考えずただこなしていただけだった。被災地では、メンタル面に傷を負った方が多い。ボランティア員一人一人が、被災者に対し心から向き合うべきだと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192008 (181文字 )長岡でもボランティアに参加したことがあるが、大学や普段の生活とは違った人との関わり方や体験ができると感じた。災害ボランティアの経験は長岡ではまだないが、地元とはまた違って、長岡だから感じられることもあるだろうと思った。今、コロナの影響を考えて学生の力になろうとしている人たちがいるように、災害も含め様々な場面で、私たちがどのように力になれるかというのも考えたい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192007 (135文字 )小学生の頃、通っていたピアノ教室で毎年防災グッズの配布がありました。
小学校でも災害時にどう動くべきかの授業があり、大学生になった今よりも災害に対する意識が高かったと思います。自分が所属している機関や場所で、災害に対する学びをする機会をもっと増やして欲しいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194013 (130文字 )災害の有無に関わらず(東京五輪などで)ボランティアに携わりたい!という方々を見るとおぉ…と感嘆を漏らしてしまいます。どうしても行動力ゼロという自己評価をしている人間なので尚更そう思うのですが、直下地震に拘わらず 行動すること について考えるべきだと感じました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:183024 (548文字 )高校生の帰り道を思い出しました。ある日いつも通り帰っていると、学生の帰り道の真ん中の車が入ってこないようにする石の上に座っている65歳ほどのお婆さんがいました。椅子でもない場所に座っており、何をするでもなくぼうっとされていたので少し心配になって気になり声をかけたところ「家にいても一人で寂しいからね。」と言われました。
ニコニコしていて可愛らしい方で、しばらくお話しすると「若い人とお話ししてみたいけど昔と違って今はなかなかできない。あなたとお話し出来てとても嬉しい。」と言ってくださいました。同じような経験がこの他にもあります。
”人と繋がりを持ちたいけど、どう繋がっていいかわからない”というのが現状であると思います。若い人でも同じように歳の離れた人と交流を持ちたいと言う人を何人も見かけましたが、実際交流を持てたと言う人は聞いたことがありません。
私も長岡でも近所の方と交流を持ちたいと思い挨拶を何度かしましたが、一度しか会ったことがない人ばかりで浅い関係(良い意味で)になれていなく、交流を持つことは難しいと感じています。
どのようにこの問題を解決したら良いかはまだ分かりませんが、もっと自分できちんと交流を持ってみてから双方にとって良くなる解決方法を見つけれたら良いなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192020 (219文字 )ボランティアという言葉が世間に広まる前も、セツルメントとしてボランティアのような活動を学生達がそれぞれ自分の分野を活かして行っていたことに感心しました。まだ私は学校の取り組みの一環としてゴミ拾いをしたことしかなくて、能動的にボランティアに参加したことがないので、地域の人々との交流やどのようなことをすれば人々の役に立つのかが分からないままになりそうだと感じました。自分で考えて行動するという面でもボランティアに参加してみたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193041 (172文字 )自分の特技や技能を生かした支援ができたらすごく素敵だなと思いました。ボランティアと聞くと、自分にできることはなさそうで積極的に活動してみようとはならないのが現実です。そんな中で、今回の授業で自分の特技や技能を生かした支援という言葉が心に響きました。自分のできることが誰かの役に立つのならボランティアに対して前向きに考えることができる気がします。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192037 (408文字 )人の命をより多く守るには、という質問がありましたが、先生もおっしゃっていた通り自助ができる人が増えることだと思います。災害に対しての危険意識を持ち、命を守るための知識と万全な準備があれば助かる命が増えます。県外から引っ越してくると、自分が生まれ育った土地との違いに慣れず、小学校などで習ってきた災害に関する授業などと多少変わってくることもあるのではないかと思います。引っ越してすぐに、家族も近くにいない中災害が起こってしまっていたらどうなっていたんだろうと思い怖くなりました。また、先生が参加されていたAMDA調整員の活動では「指示待ちでは何もできない」という言葉を聞き、いざ人を助け用としても誰かが指示してくれるわけではないし知識があれば助けられていた命も失われてしまうなんてことにならないように、この授業で災害に対する情報収集の仕方を学べたのでいざという時のために調べておかなければいけないなと改めて思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192036 (637文字 )実際の被災地に足を運び、「みて、感じてきた」先生。報道では伝わってこない匂い、粉塵、気温、人々の雰囲気、報道の人の違和感、情報の錯綜…。現地の人は勿論、関わる様々な人が医療の面であったり、環境面、人と現地、人と人を繋ぐ人など、いろんな面で動いていたことだろう。
しかし、それらは「見えることはせず」ほんの一部も私たちは事実を知らない。やはり物事を知るきっかけはマスコミの影響が多いと思うが、故意かそうでないかは分からないが、人の手により実際のことと異なったり歪みは必ず生じる。全てのことを鵜呑みにはしないが、危険な状況によっては人々の心は簡単に操作されてしまう。
当時「これから津波の映像が流れます」字幕後の津波映像と、しばらく時がたった後の記者が現地の人にインタビュー。「復興頑張りましょう!」という報道陣総出でつつくような画面。緩く妙な歌を歌い永遠と流れるCMにはとてつもない嫌悪感を感じ、トラウマになった。
私はそれからマスコミ等に疑問を持ち、自分お目で見て聞いた情報以外は、常に半信半疑の気持ちで見るようになった。
「能動性が必要で大切」と今回の講義で深く納得したが、私たちがボランティアなど、何かを行う際で第一に必要なことは、なるべく「事実、現状を理解する」ことではないだろうか。
画面でも、噂でも、不透明なことでしか見れないものに初めから気持ちの全てを預けてしまうのは、情報が半可視化され技術が進んできた今だからこそ余計に心配であるし、なんだかな…。と感じる。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193034 (266文字 )自らの意思で問題点を観察したり、その問題点を改善するためのモノ・コトを考え実践したりするボランティアを積極的に取り組むことで、日常生活の中のありとあらゆる事柄に対しての問題点や改善点を見つけやすくすることができるのではないかと感じた。こういうものがあればどんな人たちが助かるか、逆に、こういう人たちが今よりもっと幸せになるにはどんなことができるか、私たちの様なデザインを学ぶ者はこの様なことを考えることがまず大前提で、先生がおっしゃっていた、「これからのデザインに安全論的な考えを取り込んでいく」という言葉がとても印象に残りました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:171033 (195文字 )昔から大きな災害があれば学生による支援活動が行われていたということを学んだ。いざという時、自分の得意分野を生かせるとしたらどんなことが出来るか考えること、そして被害のさなかにある人たちの気持ちに寄り添いながら行動していくことが大切なのだと分かった。簡単なボランティアしかしたことの無い自分にはなかなかハードルがあると感じるが、小さくても支援に繋げられる自分の得意とは何かを意識していきたい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193026 (255文字 )ボランティアだからといって特別なことをしようと身構えるのではなく、自分にできることや相手が何を求めているのかを考えることが大切なのだと思いました。私も小学校でのボランティアチューターを経験した時に大きなことをしようと考えたのではなく、どうしたら子供たちと一緒に楽しくコミュニケーションが取れるか、笑顔になってくれるかなどと身近なことを考えていたなと思い出しました。それと同じで、どんなボランティアをするにしても『こうしたい』という理想で考えるのではなく『何ができるか』を考えた方が動きやすいのだなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192045 (309文字 )今回、安全なまちづくりに関する取り組みというテーマで学んだが、過去に西日本豪雨で隣町が大きな被害を受け、多くの人が家を失いました。当時、建築に興味を持ち始めていた自分は建築的視野で何かできることはなかったのかと考え現地のボランティアも参加し被害を受けた人に話を聞きました。当時の思ったことと今回の授業を受けた自分なりの安全なまちづくりとは被害を最小限に抑えるのももちろんだが被害を受けてしまった後の対応だなと感じた。岡山の真備町にもきてくれたが坂茂さんが紙管を使ったプライベート空間を作ってくれたうように被害を受けた人の心の支えとなること、そんな心を持つ人が増えてくれるのが一番の安全なまちづくりではないかなと感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192051 (325文字 )空間安全論の講義を受けてから家族と防災の話をするようになりました。頻繁に災害の報道がされている中で、防災について話し合うチャンスはいくらでもあったのですが何処か自分は大丈夫だろうという意識があり今まで話し合うことはありませんでした。講義を受けて、災害が発生した際にこのままでは自分も家族も助からないと強く認識しました。現在では毎週夕食を食べながら講義で学んだことを家族に話し、避難所の場所や住んでいる地域の浸水エリアなどを一緒に確認しています。実家がある地域は大きな災害を経験したことがありません。だからこそ正常性バイアスが働いてしまうのだと思います。防災について関心が薄い人がどのようなきっかけがあれば対策に一歩踏み出せるのか考えたいと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192501 (140文字 )最初の振り返りの時に、この授業を受けて近所の方にあいさつ回りをしたと聞いて、学んだことを行動に移すことができていてすごいなと感じた。長岡にいるのはこの大学4年間だからご近所さんにあいさつ回りはしなかったし、あまり会うこともないが、今度会ったときはしっかり目を見て挨拶しようと思う。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192056 (424文字 )震災当時、テレビが見れるようになってから報道とACのCMしか流れず、ACに至ってはただただ煩わしく思っていた。話題性があったとしても、福本先生のおっしゃったように、被災地から見れば一体何の意味があるのか分からなかった。
(また関係のない話だが…)
最近、東京の美大教授の差別的・侮蔑的な発言や、レジ袋有料化で店員に怒り罵倒する人が話題になっている。空間安全論を受講していて考えるようになったのが、そういった人間的に問題のあるような人を、周りの人々は積極的に助け合いたいと思うのだろうか。主観的な話になってしまうのを避けられないが、私は多分見向きもしないだろう。しかし、そういう自分こそ、同じように感情をコントロールできていない人間だ、とも思う。
災害時の共助の円滑化のためにも、他人を蔑むような態度は取らない、普段から周りに気を配る、などは当たり前だが大事なのだと思った。自分への戒めとしても、感情的になるというのは、防災において相応しくない。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193061 (234文字 )ボランティアと聞いてまず思い浮かべたのが、東日本大震災だ。自分はまだ小学生で、何かできることはないかと考えたときに、学校で被災地復興の募金活動をしていた。そこで小さな私は何かあったときの公衆電話代、10円玉を握りしめ、募金した。大した額ではなかったが、校内放送で総額一万円以上集まっていたと流れた。一人一人は小さなものでも、大勢でやれば、大きなものとなる。何からでも良い。どんな小さな事でもボランティアに参加する事で救われる人というのはいるのではないだろうかと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193005 (132文字 )動機づけの要因は外から与えられる外的報酬に基づかないものを指す、内発的動機づけというものがある。内発的動機づけは内面に沸き起こった興味・関心や意欲に動機づけられている状態のことである。内発的動機づけが、ボランティアに繋がるのだと思う。私も何かボランティアをしたい。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192040 (218文字 ) 自分自身ボランティア活動というものをあまりしたことがなく、地域のゴミ拾い活動などしかしたことなかったが、その中ので地域の人と会話をすることや一緒に作業などをすることで地域間のふれあいの増加や新たなコミュ二ティの形成などに活きていたのだなと感じる。いまでもその時のつながりは残っているし、もっとあのときにコミュニティを広げておけばよっかたなと感じている。ボランティア活動に人を助けるという目的以外にもそういった目的もあるのだなと感じた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:194037 (101文字 )私はボランティアに行ったことがないけれど、ボランティアに行く機会があって行ったとしたら、説明を受けた通りに動く事ももちろん大切だけれど自分からボランティア出来ることを探して能動的に振る舞いたいと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192031 (115文字 )今回の講義を聞いて、被災地ボランティアでの能動性の重要さを知りました。自分は被災地に行ってどういった手伝いを出来るかわかりませんが、自分が出来る、と思う事を自主的にしていけばそれは被災地でのボランティアに繋がるのだなと思いました。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:181013 (325文字 )災害は地域の過疎化を加速してしまう。また、コロナウイルスが問題となっている中、水害が起こってしまうことがある。このことから、自然災害はどんな状況でも(朝でも夜でも、どこでも)起こりうることが改めて分かった。
「防災」と一言で言っても、災害前、災害時、復興時などで様々な防災活動があることを改めて学んだ。
自分でもできる復興のためのスキルとして、「作る」ことができることに気づけた。できることから問題が解決できれば、とても嬉しいと思う。
福本先生の東日本大震災のボランティアの話を聞いて、自分にできることは何かを能動的に考え行動することの大切さを学んだ。専門の知識(医療や建築など)がなくとも、それをサポートすることはできる、それに気づくことができた。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:193088 (128文字 )地域の安全を守るために、いざという時自分にできることをすること、日頃から備えておくこと、災害の被害を人ごとだと思わず行動することの大切さを改めて学んだ。災害ににただ怯えて人に助けられるだけではなく、能動的に人を助けられる立場になれるようになりたいと思った。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192054 (215文字 )福本先生の震災のボランティアで、雑用係をやったり、翻訳のお仕事をしたり、とにかく自分に出来ることをしていたというお話を聞いて、能動性をもし自分の身の回りで災害が起きた時や、普段の生活でも生かしたいと思いました。どういうことかというと、自分にはなにもできない、と初めから決めつけないで、自分にもできることがあるかもしれないとなにかできることはないかと考え、行動することが何かプラスのことに繋がる可能性はいくつでもあると思うからです。[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192025 (172文字 )
災害が起こってしまった際に、少しの被害だけならすぐに行政が対応できるけれど、大規模な災害となった際は被害状況の把握や何が必要なのかを考えるために対応が遅くなり、すぐに対応出来なくなる。それは悲しいなと思いました。でも、行政がすぐ対応できるように被害に直面した被災者が少しでも自分にできる情報収集などすれば、少しは改善されるのかな。と思います[/box]
[box class=’box2′]学籍番号:192046 (312文字 )私はクラブ活動や学校行事でしかボランティアに参加した事がありません。中学3年の頃自主的にボランティアに参加しましたが、それは内申点を上げるためであり、ボランティアに自分への何らかのメリットを求めて参加していました。しかし、動機はこのようであっても、参加することにより地域との交流が楽しくなり、次も参加したいと思うようになりました。あまり自分の住んでいた地域に魅力が感じていなかったので、ボランティアに参加することにより魅力に気づくきっかけになりました。このような体験から、ボランティアとは困っている人々を助ける目的の他にも、住んでいる住人同士のコミュニケーションの場となり、その地域の魅力を発見できる場なんだなと思いました。[/box]