目次
竹森史の編集にあたって
- 竹森史
- 序
- 沿革
- 面積
- 田方入付米一般額
- 畑方入付米一般額
- 旧地図字名
- 戸口の動きを見る
- 行政
- 産業
- 治水灌漑
- 教育
- 警備・警察
- 衛生
- 兵事
- 道路交通
- 農業団体
- 家畜
- 災害
- 神社仏閣
- 名所旧蹟
- 宗教
- 人
- 伝説
- 古溜のこと
- 位置
- 溜池当時の状況
- 生産物
- 溜にまつわる奇談
- 開墾計画
- あとがき
- 道場米の取立
- 竹森村の年貢
- 江戸時代の竹森村経費の経費内訳
- 九ヶ村立合溜池御普請諸入用
- 三月割
- 五月割
- 九月割
- 小物成銀割賦
- 暮雑用米割
- 極月割
- 明治の村経費
- 九ヶ村溜をめぐる求草と九ヶ村の争い
- 竹森地区住宅配置図
竹森史
昭和四十四年一月記
宮田貞治郎記述 小田二三男 編
序
滝山は古代よりの集落なりし事は既に知られている処なるも、それを裏付けるもの即ち布目瓦、或は前の根石にしても、明治初期には労せずして集められしが、考古学の研究等進むにつれて、近時殆ど採集困難となり、又これ等に関する記録も無く、遂には大場博士が証言されたる奈良朝時代の建造物廃寺跡、古代聚落の跡なりとの言も疑問視されるであろう。 其の他古代の寺院にかんする竹森地内の地名等も時代と共に変名煙滅するであろう、 愚老是れを憂い少しでも其の知れる一端を記録し、後世の参考にせんと。
沿革
竹森を記すに当ては、先ず横滝山を中心として記せざる可からず。
滝山を始め数ヶ所の丘陵は共に、部落の周辺に散在しあるも年月を経るに従い、縮少しつあり 此の中にあって幸いにも、横滝山の中程、諏訪平と称する処は、奈良朝時代の廃寺あと、又北方に耕地を距て、戦国時代の城跡が残存する事は誠に意を強くせるものなり、又地名に関しては京田、垣ノ内、 寺畑、鐘田、大仙坊、諏訪田等、古代寺院と関係を物語るもの数多し。
大字野中才には竹森より出土せる八角鏡を祭り呉武神社と称して作神様となす小社あり、分水開鑿後、 野中才の本
社に合祀せたり。五千石の人耕地開墾の意欲に燃え、十二ヶ村に渡り、高五千石を開くたる功により、苗字帯刀、
入口門を許されたりと云う、現常昌寺の山門之なりと。又城の山の周辺にある字名、小矢場は矢の練習場跡なる
か 兵庫の兵庫は兵農処たりし時の兵庫の跡と目される点あり、研究の余地あり。
面積
明暦三(一七五三)年御検地
村上城主 松平大和守領地
石高 五三八石二斗〇九合
田 三四七五七七合 畑 一六六石二升八合
外山林九〇歩 (検地なし)
慶應四(一八六八)年宗門改帳
石高 五五三石三斗二升五合(田畑の記入なし)