第01回 学んだことの記録(回答)

最初に行ったアンケートで、安全とは何だと思うかという質問に対し、安全と似た安心という言葉を思いついたけれど、安心や安全とふつうに口に出して使っていたにもかかわらず、その言葉の違いや意味をしっかり理解していなかったなと思いました。たしかに、安心や安全と人々が言っているこの言葉は、主観的なものがあって、自分が安全だとしても、誰かにとっては危険な場合ももしかしたらあるのかなと思いました。この講義を受けていく中で、自分の安全、空間に対する意識が高まることを期待しています。
これまで簡単に「安全」という言葉を使ってきていたが、「安全」という言葉を事細かに分解して考えてみると、とても簡単にはいかない現実があることがわかった。 自分の建築設計の中で「安全」を、意識したことはこれまでなかったので、これから学ぶことを生かして設計する事が大事になると思った。
みんながなにをやってみたいかというアンケートで、一人一人が夢をもっていて、とてもいい大学だと思った。切磋琢磨し合える友がたくさんいることは幸せだと感じた。 また、東日本大震災の津波前と後の写真を見比べてみると、漠然とした差があり、津波の恐ろしさを再確認した。
空間安全論がどういう分野なのかということを講義前はあまりよく理解していませんでしたが、ガイダンスを受けてこれからどのようなことについて学んでいくのかがよく分かりました。教育とeducationの違いや、空間の意味、安全と安心の違い等が面白いなと思いました。
最初のアンケートで、災害が起きたときのために準備している人が予想以上に多くて、自分も何かしなければいけないと感じました。起こってからでは遅いので、今は必要ないと思っていても準備をしなくてはと思いました。
今は家に親がいて、災害が起きたら親に頼りっぱなしだったけど大学を卒業して1人暮らし、もしくは10年か20年後に自分が親となった時に自分を含めて家族や子供を守っていくために空間の安全を確保しなければならないと思うと自分の課題だけではなく将来に生かしていけるようにしっかりと学習していこうと思いました。
自然軸、空間軸、生活軸+歴史軸によって地域を読み解くということ。これからの建築演習や都市について考えるときに生かしていきたいと思った。 また、安全の定義が人の感覚によって決められていることに怖さを感じた。安全なんてことは生きてる間は無いのではないかと思った。
安全は科学的に決められ、安心は主観的な部分が大きい。安全における安全な部分を決めるのは結局人なので、なんとも言えないということ 空間とは、何も無いところのこと、そしてそれらが何と何の間の場所なのかということ。言葉の意味がわからない時は、分けて考えることが大事。
空間安全論という名前から建築に関する講義だと自身で思っていたが、防災や安全という観点から人とのコミュニーケーションを取ったり人と人を繋いでいく事を学べる講義だと感じました。 防災について学ぶことで自身の身の安全が守れるのは勿論友達や家族の身を守る手助けにもなり、更には自身の製作や今後の就職先などでのプロジェクトや作品にも防災という観点から活かせる事もあると思うので積極的に講義に参加し防災について深く知りたいと思います
安全の基準は人が決めているということ 深く考えたことはなかったが確かにそうだと納得した 今まで災害対策等々必要だとは思っているが行動に移したことがなかったので今後自分の生活の中に安全を取り入れるためのアイデアが産み出せればいいと思う。
安全について、自分が今まで知らなかった色々な視点から考えることができるんだなと思い、面白かった。特に私は東日本大震災を経験していないため、具体的に当時の様子や復興までの道のりが今回の授業で学べたため、自分もより安全についての意識を普段から高めていきたいと思った。
安全は必ずしも自分が思っているほど安心ができるものではないと知って少し不安に感じました。今後、国が定めている「安全」を信じない訳ではないけれども自分自身でも「安全」について考え、それを確保できるような生活をしていきたいと思いました。
今回の課題で1番印象に残っているのは、安全と空間の漢字の成り立ちや意味についての話です。普段意識せずに使っている言葉ですが、改めて深く意味を考えてみると感じるものが違うんだなと思いました。また、災害についての話を聞いて、自分のデザインやアイデアが今後の防災に繋がったり役立つことができるようにこの講義をしっかり学んでいきたいと思いました。
今回から学んでいくことは主に自然軸と空間軸の2つの軸についてだということで、課題を考えて行く時にもその2つの視点から見れているか注意しようと思う。 また、安全というのは科学的な客観性だけでなく、実際には基準を決める人々の心理などが絡んでいるため、全ての人にとって安らげる訳では無いということが学べた。
人それぞれ「安全」の意味の認識が違い、簡単に「安全」と言っても様々な方向性の安全が存在することがわかった。 また、やりたいことの大半が「防災」や「安全」と結び付けられることがわかりこれからの作品作りへのヒントになったと思う。
今回の話を聞いて、私は今まで大きな被害や災害にあったことがなありませんでした。ですが、最近私の家の近くで家事が起きて初めて身近な所にある危険を感じました。安全という言葉はよく使われがちですが人が感覚的に決めている部分がある。全てにおいて安全ではない。という話を聞いて、少し怖くなりました。 なので、そう少しでも思わない為にも自分でできることから準備をしようと思います。災害用持ち出し袋さえ作れていないので、何が必要なのか、今のうちに出来ることは何か。この講義を聞いて対策を考えていきたいです。
はじめは、空間安全ってなんだろう、安全安全っていわれてもよくわからないなって思っていたけれど、改めて授業を受けて、ただ身を守るとか、平和に生活できるとか、そいういうことだけではなくて、自然環境や人間の性質が大きく自分達のみにも関わっていると考えると、なんだか少し面白そうだなと感じできました。
分かりにくいなと思う物事は分解して、それぞれの意味を理解し、もう一度まとめて考えると理解しやすく、またその物事の問題点なども考えやすいのかな、と思った。そうやって見つけた問題点や疑問に思ったことなどをそのままにせず、改善策をみつけて実践し行動するところまでできたらいいなと思う。
どこからが安全かは人が決めている、というのは今まで気が付きませんでした。偉い機関が決めていればそれは絶対なんだと思っていたからだと思います。 また、震災で被災した町を安全以外の観点からプロデュースしている事は初めて知りました。最近はAIが人の仕事を奪うと言われているけれど、これは人間同士のコミュニケーションがなければ出来ないことだと思いました。
安全とは人が感覚的に決めていることとありますが、確かにそうだと思いました。しかし、それで許されるのは一般市民の話で、私たちの役割は出来る限り正確な安全を作り出すことだと思いました。この授業を通じて考えていけたらいいなと思います。
ウェブサイトを使って授業を行うことで、飽きることなく取り組むことが出来たと思う。すごく授業として良いシステムだと感じた。 また、スクリーンを使って統計の結果をすぐに見ることができるので、同大学の近い世代の人たちの思っている災害への意識や対策、自分とのギャップが一目で分かるのでその点も勉強になった。 災害の対策の紹介の時に少し目に入った、「ベッドの側にスリッパを置いておく」だったり「非常食の場所を確認しておく」のような小さな対策を自分も少しずつしておきたいと感じた。
安全というのはよく使う言葉だけど、今までちゃんと今を考えたことがなかった。しかし、今回の講義で一言で「安全」と言ってもあやふやなんだと思った。だから、自分の身を守るにはまず身の回りの環境について理解し、そこからどうすれば良いかしっかり考えることが大事で、そうしてやっと安全について考えることができるんだと今回の講義で学んだ。
一口に「安全」と言っても、危険だと言う人もいるということ。私の価値観や視点では安全な状況であっても、別の視点から見れば危険な可能性があること。初めて聞く話ではありませんが、改めて理解出来た気がします。恐らく100%誰もが安全だと言いきれる空間は存在しないのだと思いました。なので、その100%安全な空間を作ることを目標にするのではなく、自分以外の人の視点からの危険予測というものに対する対処法を用意出来る空間を作ることを目標に、今後の作品作りや日々の生活環境作りに役立てていきたいと思いました。
災害での被害とか現状とか自分なりに考えてたつもりだったが、今回の講義でより深く説明を受けて、色々考えた。自分が被災地に住んでたらどうなってたかとか、そしたらその後どうしてたかとか、そもそも生きてられるかとか、この考えをそれだけに留めず、今後の創作活動に活かすことが出来ればいいと思った
安全という言葉の意味を知ろうなんて今までなかったので今回の授業で安全でいることの大切さや意味が知れました。これまでの日本では沢山の自然災害や事故などがあってこれからのそういった災害から身を守るためには自分自身で身を守るのも大事だし、せっかくデザインの学べる大学に来たので防災マップや崩れにくい家、防災関連のプロダクト製品など世界の人が安全に暮らせるようなモノを作るのも大事なことだなと思いました。災害などでは死にたくないなと思いました。
空間安全論とは?という感じで受けていたが、自分の出身地である宮城で起こった災害の東日本大震災の話を多くされていて危険は身近にあるということを改めて感じました。またそれを防ぐために学び、提案をするための授業であるのかなと思ったので身近にあった東日本大震災のことを思い出しながら授業を受けようと思いました。また、先生が東日本大震災の復興に深く携わっていたことを知り驚きました。当時のわたしは何もすることができず、ただ復興されてゆく街を見ていただけなので今度はわたしたちが何か恩返しできるような安全の対策を提案できるような人になれたらなと思いました。
日頃から安全について考えることは少なかったので、いいきっかけになった。自分のやってみたいことと安全が繋げられそうで、色々な可能性を感じている。 正直意外だったのは日照りを災害と考えていない人が多いことだ。実家が農業を営んでいるので、長雨でも日照りでも大変なことになる。そのあたり、災害や安全の認識は育った環境によって左右されるということではないだろうか。
世間一般で言われる「安全」を信じてしまいがちだったが、これに科学的根拠はなく社会的合意に基づく約束事であるため全てにおいて安全ではないという事が印象に残った。私がデータをもとに安全だと判断しても私が感覚的に決めている部分があり、一部の人にとっては安全ではない可能性がある事を踏まえて考えていこうと思った。
受講前は、空間安全論って何をやるんだろう?災害の対策とかかな?とぼんやりとしか考えていませんでした。しかし実際に講義内容の説明や言葉について考察した時、安全、安心という一言にもちゃんと深い意味があるのだと改めて認識することができました。先生がこれまで取り組んできたことの説明を受け、今後どんなことをやるのか、どんな知識が得られるのか、とても楽しみです。
今回の授業を受けて、空間にはいろいろと種類があることや、物事を考える際には文字から考えることなどいろいろと学べました。 そして、安心、安全とはなにか?そう考えたときに私は個人に危害が加わらず不安にならない状態のことだと思いました。しかし、世の中では安全とは社会的合理に基づく約束ごとであり、本当に安全なのかどうかは自分で見極めないといけないと思いました。
災害などのニュースをテレビでよく目にするが、それが自分や家族の身に起こるかもしれないなんて想像すらしたことがなかった。そのまるで他人事かのように流している油断がいざ自分が災害などに巻き込まれた時の生死を分けるかもしれないと思うと防災意識の重要性が感じられた。災害は余地できないし、阻止することもできないのでせめて対策や心構えを自分の周りの人と共有しておくべきだと思った。
今回の講義を通して、「安全」という言葉が持つ意味や、皆がどのように安全について考えているかを認識できました。 この機会で、もともと自分が持ってい安全という言葉のイメージを再確認し、見直すことができたと思います。
私たちが生活している生活軸(人、物)は、自然軸(地形)、空間軸(建造物)が土台になっているということを初めて考えた。 また、安全と安心の違いを初めて知った。今までそういったことを考える意識を持ったことがなかったので新鮮に感じた。
安全は完璧な安全ではなく、人が決めたある一定ラインでの安全だということが印象に残った。この事を理解して自分でも安全かどうか判断しないといけないし、その判断ラインをどこに決めるかも自分で調べて考え決めないといけない。そうして、初めて安心できるのだと思った。
安心と安全は少し違うこと。また、安全とは皆が思うような絶対的なものではなく、人の感性で決められたフシがある社会での合意であるということ。自分も勘違いしてたところがあったのですごく新鮮だった。それと同時にすこし安全という言葉に不安になった。この不安をよりなくしていくにはどうすればいいかを考えるのがこの授業ならやりがいがありそうだと思った。
様々な災害が起こったときに復興を待っているだけじゃなくて、そこに住んでいた人々自身でも協力して回復していくことが大事ということが印象に残りました。気分とか気持ちが晴れなくてももとの安全な暮らしに戻るためには自分たちが動かなければならない、それを手助けするには被害者以外の周りの人も提案したり、安心させるような事を行っていくべきなんだなと思いました。
空間とは何か、安全/安心とはどういうことかを言葉を分解してするこで分析し、改めて知ることが出来た。 また、アンケートを皆で一斉にこたえて、それを見ていくことで皆がどのようなことを思っているかや感じているかを知ることが出来た。
安全という言葉をよく聞くが、そもそも安全とは何なのか、どうやって確保できるものなのか考えられたし、考えていきたいと思う。災害の多い日本で、過去の教訓をどう生かすかや、防災を広めていくためにどんな活動が必要かを学びながら、自分なりに考えていきたい。
自分では防犯・防災意識は高い方だと思っていたが、改めて考えると全然足りていないと自覚させられた。 実家は福島にあり、川が目の前に位置しているが、あまりに無防備な状態にあるのではと危機感を抱いた。 この授業を通して自分に何が足りていないのかを考え、身の回りの地域・施設の安全性を確認していきたい。
今まで私は大きな災害には合わずに23年間を生きてきました。私の家族も親族も同じです。なので災害に対してあまり関心を持っていません。しかし災害はいつどんな時に起きるか分からない恐怖はいつも持っています。今回の講義で改めて災害の種類を認識することができました。それに伴った防災対策をこれから学んでいきたいと思う。
安全は客観的な観点で、その基準は人によって決められている。一方安心は主観的な観点で、人の心理によって左右される。アンケートでは災害を経験している人が多いにもかかわらず、災害への対策をしている人が少ないという結果になり意外だった。この授業を通して災害に怯えることなく安心して生きられる環境について考えていきたい。
最終的に、今まできちんとは知らなかった「安全」の意味や、これから学んでいく災害や防災に絡めたその意義を学べたと思う。最初は、防災や災害についてどういったことを学ぶのか疑問に思っていたが、今回の授業で少しは理解できたと思う。例えば実際の被災地域に行って復興を手伝うなど、私が思っていた復興の仕方とは大きく異なっていた。その地域の地形や歴史などを理解し新たな街をデザインする際に役立てることが可能なのかと驚いた。今までデザイン領域とこういった分野のからめ方はよく分からなかったが、今回の事例でよく理解することができた。
今まで「安全」という言葉は絶対的にどのような状況でも安全が揺るがないものだと思っていましたが、今回の授業で「安全」は人が感覚的に決めているものだと知り驚きました。これからは言葉だけに頼らず自分でその媒体を深く知ることで自分の中に「安全」の基準を設けることが出来ればなと思いました。
私が印象に残ったのは安全と安心の違いについてです。似たような言葉であり、日常で生活するには無くてはならない存在ではありますがハッキリとした違いは理解していませんでした。少しの時間ではありましたがなんとなく違いが理解出来ました。もしその事柄が「安全」だったとしても、関わっている全ての人が「安心」と思えるとは限らないと改めて感じました。今後は意識を持ち使い分けようと思いました。
どこかで聞いた話より自分の体験から考えることが大事だと思った。自分が体験したことしかわからないので。最近気になっていのが主観と客観の見方だったので印象に残った。自分の防災や安全に対する意識はあまり高くないと思うのでこの授業を通してみ直したい
分からない言葉を画像検索すると良いというのはこれから実践してみたいと思った。私は英語圏に住んでいた事もあり、日本語も英語も分かりきっていない。どちらの言語でも分からない言葉は検索しても分からないことが多かったので、検索することさえもやめていた。しかし、この授業を通して言葉の意味の理解のしかたの1つの方法を学ぶことができた。
安全であるという基準は人間が規定した基準を数値が超えているか、超えていないかという判断に基づいており、それが本当に「安全」であるかどうか分からないということがとても新鮮に聞こえた。放射線の安全規定であったり、身近なところでは食品の賞味期限、消費期限であったり今まで自分が安全だと思っていたことは他人や組織が決めたことであり、それを少しも疑うことなく鵜呑みにすることは少し怖いことだなと思いました。
災害の国と呼ばれる日本で、安全に暮らすためにデザインの力が必要であると福本先生の研究成果などを通じ感じることができた。また、教育(education)を人の資質を引き出すと考えているところに関心をもちました。
アンケートの中で中越地震の話が直前に出たこともあるとは思いますが、予想通り地震に対して不安を抱える人がやはり多いのが印象的でした。私は神戸出身なので、幼い頃から学校などで阪神・淡路大震災を中心とした防災教育が1月17日が近づくと行われていました。直接震災を経験した年代ではないですが、いくつも当時の状況を聞くことが多かったのでそれも思い出しながら課題に取り組みたいと思いました。
国の考えや意味の上では「安全」という言葉に決められた定義があるが、そのなかには定義を決めた人の主観が入っているため、様々な立場の人が広く使う「安全」の意味とは遠くかけ離れている可能性があるのではないかと気付かされる授業だった。人それぞれに安全の基準が存在しているのだと思う。
安全って、科学的だという定義にも関わらず人の感情が入りまくっているものだとわかった。でも、人の感情で決めてしまってもいいものなのだろうか。10万人に1人ガンになるかもしれないのにそれを安全と言うのだろうか。なる確率が低いから安全と言うのか。これもまた、人の感情がものすごく左右されるものだと思った。 たしかに安全とは何ですか?なんて聞かれても直ぐには出てくるものでもないなと感じた。 これからの講義で安全とはまた考えていけたらと思った。
「安全」が科学に基づく理論的なところからくるもので、「安心」が人間の心理的なものであること。辞書で出てくる言葉や定義されていることを知るよりも、漢字で考えるほうが何となくイメージが湧きやすいなと思いました。 防災などに対して備えた方がいいとは思うが何もしていないので何かしらの準備をしようという意識になりました。
わからない言葉は2つに分ける。空間安全論の場合だと”空間”と”安全”の2つに分けられる。安全は科学的根拠であり、安心は心理的根拠に基づく。この世には100%の安全は無く、社会的に基づいていたり、あくまでも科学的根拠に基づいて安全と言ったりする。
安全の定義を振り返ると、自分で安全だと認識していたのに、本当に安全なのか、不安に感じた。本当に自分に降りかかったら、それは安全だったと言えるのか自信はない。ひとりひとりの「安全」のラインに対応することは難しいので、災害が起こった後に役立つ提案をしていきたいと思った。
安全とは何かを考えるだけでなく、自分事として取り入れること。生活習慣の中だけでなく、自分の作品にも取り入れられるという点にハッとさせられた。特に自分は建築学科なので、設計をしていく上で安全面を考慮した建物を考えるときにこの授業で学んだことを活かせられたらと思う。また、安全とは何かという質問に対する他の人の回答も印象に残った。私は人や周りの環境に危険が近づいてる状態でないこと、というような回答をしたが、他の人が危険はあるが、それについて対策や備えが出来ていることという回答をしているのを見て、なるほどと感じた。何が安全か、どこからが安全かは人が感覚的に決めているように、安全とは絶対的なものではないが、その中でも対策や備えがきちんと出来ていれば、危険な状況下に陥っても、安全な状態・イメージに向かって行動できると思った。
私が今回の授業で改めて感じたことは、完全に安全な空間とはいつ出来上がるのだろうかということです。普段何気なく安全だと考えて生活してきていました。しかし、日本には沢山の自然災害等が起こり多くの人々が危険に晒されています。それらを含め皆が安全・安心を求めて日々研究し、安全な空間を作る努力をしています。 今回の授業で「安全」という言葉に対して絶対ということは永遠にないのではないだろうかと考えました。我々が今すべきことは災害に備えて今できる万全の状態で生活することだと考えます。
今回の課題で1番印象に残っているのは、安全と空間の漢字の成り立ちや意味についての話です。普段意識せずに使っている言葉ですが、改めて深く意味を考えてみると感じるものが違うんだなと思いました。また、災害についての話を聞いて、自分のデザインやアイデアが今後の防災に繋がったり役立つことができるようにこの講義をしっかり学んでいきたいと思いました。
普段は安全について考えることはほとんどないので、今日この講義を聞いただけでも、安全に対する関心が高まったのでこれからの講義を通してさらに安全について考えていこうと思った。この講義で学んだことを、自分が設計した建物に生かせられるように力をつけて行きたいです。
安全って言う言葉をいつも軽率に使っていたのかなと思いました。安全の意味は人によって基準が違うって言うことはやっぱり自分でどれくらいが危険でどこまでが安全かわかっている事が必要だと思いました。 私は消費期限を少しでも過ぎると食べ物が食べれません。お腹が痛くなってしまいます。でも、お友達は数日すぎてても問題がないそうです。ここでもうその食べ物の安全の基準が違うのだと思いました。これは例なのですがこんなふうに災害の意識も自分と人は違っていてもしかしたら災害にあった時自分はもう、危ないから逃げよう??ってなってもいや、これくらいならば避難をしなくても良いと思ってしまう状況もあるのかなと思いました。 その時に少しでも自分と周りの人との安全を上げるためにも正しい知識や避難の方法は当たり前のことかもしれませんがとても大切だなと改めて認識しました。 これからの授業で学んで行きたいと思いました。
人それぞれやりたいことなどは違っていたが、世の中の役に立つデザインをしたいという観点では一緒だと感じた。アンケートの結果を見ても、危険だと感じることはみんな共通なんだとわかった。今まで住んでいた場所や育ち方が違くても認識などはそこまでバラバラではなかった。
この授業を通して安全に対する意識を高めていこうと思った。特に今住んでいる長岡や地元である山梨で、どのような災害があるのか、どのような対策がとれるのかをよく考えて授業に取り組みたい。また、人それぞれでやりたい事は違うが、災害対策に結びつける事が可能だと気付かされた。思わぬ点から新しい解決策が出てくると思うので普段から色々な視点で物事を見ることを大切にしたいと思った。
日本には、災害、事故、事件などの様々な危険がある。それらから身を守り、安全に暮らすためには、それらのしくみを知り、原因と対策を考えて備えることが大事だと思った。自分の住んでいた場所や住んでいる場所についても考えていきたい。
安全というのは人間が感覚的に決めているところがあるということ。人それぞれに安全と感じるのが違うので色んな人の安全と感じる状態を知っておくことが必要だと思った。今まで災害にあったことや事故に遭ったことがないのでそういったときの感覚も理解できるようになりたい。
今回私が印象に大きく残った言葉は、「生活を営む空間に応じた災害」です。私的な考えとしては、これはランドスケープなど広い範囲から住宅または、部屋など様々な空間に置いて考えていかなければならないと感じました。起こってしまった震災のデータや話に向き合い、新しい街を作る際、ご近所の関係まで考えるということは、想像できませんでした。しかし、自身がその立場に立った時、周りの環境の良かったところというのは残っていると、過ごしやすく嬉しいと感じると考えました。
今後の活動、取り組みにおいて安全について少しでも考えるべきだと感じた。また、どのようなモノ、コトにおいても安全について考えられているものであればそれを使う人は安心することができるのだと理解できた。空間と安全についての関係性についてもっと学びたいと感じた。
「安全」について、私はただ単に「危険ではない状態」のことだと考えていました。しかし、今回の講義を受講して、そんな簡単なくくりではないのだと感じました。「安全」は私たちにとって、必ず向き合わなければならないことだと思います。災害の多い日本に住む者も、戦争が頻発する海外の人も、それぞれに合った安全についてこれからも考えるべきだと感じました。
安全が人の感覚で決められているっ部分があるということを今回初めて知りました。何でもかんでも安全安心だとかうたっているものは生活の中に五万とあって結局安全って言うのは自分が信じるかどうかになってしまうこともあるんだと思うと他人にいくら説明されたとしても自分で考えて決めること見て決めることに勝る安全はないしそのための知識を常に積極的に求めていかないとなと思います。
安全=科学で決まる。客観的なもの ★社会的に合意に基づく約束事 しかし人が感覚的に決めている部分がある。全てにおいて安全ではない 安心=心理で決まる。主観的なもの 安全な空間とは、ということについてまだわからない事が多いが大まかには理解できた。街や都市の安全性や災害についてこれから勉強していき、作品の制作に活かせたら良いと思った。
わからない言葉は画像検索によって感覚的に解釈しやすくなるということと、安全も安心も大体人の感覚で定められがちだということです。闇雲に安全であるという表記を頼りにする前に、自分がどう感じたかを考えて行動したいです。
福島県出身なので、放射線のニュースを多く見ましたが、私は安全と言われてもあまり信じられませんでした。いろんな情報があるけれど最終的には安全かどうか自分で決めて行動していかなければならないのかなと思いました。
わからない用語が出てきた時の調べ方が印象に残りました。画像検索はよく使っていますが、辞書の言葉をもとに検索するやり方もあるのか!と発見がありました。また、漢字の成り立ちも、言葉の意味を調べるヒントになると聞いて興味が出てきました。漢字辞典ももう一回読んでみたいです。
私たちはいつ起こるか分からない災害や事件・事故の可能性に常に晒されており、誰もが意識しておかなくてはならない防災に関してもっと積極的に取り組む必要があると感じた。また、安全の定義は人によって決められる部分もあり、より生き残りやすい空間造りや安全確保について自らの頭で考え、疑う事も重要だと考えた。
安全という言葉は普段深く意味を考えずに使っていたが、今思えば安全の基準や定義とは何だろうと不思議に思った。災害や事故以外でも、例えば建築物や道路、日常品などの道具も作られる時に安全基準を満たした上で設置されたり発売されたりすると思うが、その安全も場所や使うタイミング、人によって定義がさまざまに分かれるなと思った。
その地域ごとの文脈を読み解いていく中で、三つの軸があってその中で生活軸の中における安全について学んでいくこと。また安全についてや災害に対する意識経験も人それぞれで、一人一人が安全について考えそれを自分の作品などに反映させることで、より安全な社会になることができる。ただ安全かどうかを決めるのも結局は人間なので全て安全にはなかなかできない。
災害、事故、事件はまず自分には起きないだろうと思っているところがあるので、その考えから改めないといけないなと思いました。私も何度か怖い経験をしましたが、忘れてしまっています。まずは改めて身近な危険から考え始めて、この授業を履修完了する頃には防災ばっちりになっていればと思います。
アンケートで、今後どんな活動をしていきたいかという質問についての回答。私は絵画なと趣味で絵を描きたいとずっと思っていたので「絵を描きたい」と回答したが、こういった分野に携わってみたいという人や、私と同じうに靴を作りたいなど作品についての人がいたりとみんなそれぞれやってみたいことが違って面白いと思った。
自分の考えだけでは納得できないことが多々あるので他の人の意見も一緒に見られるのがとてもためになると感じました。特に地震の揺れでは人に影響はないが、まわりの環境によっては人に害を及ぼすというのが確かにそうだと思いました。災害に関してもこれからひとつずつ生活に応用できるよう学んでいきたいと思います。
今回の講義を通して学んだことは日本には多くの自然災害や人災がつきまとっているという危機感を持たなければならないと言うことです。私は事故や、自然災害などを経験したことがないので他人事のように思っていました。しかしこの講義中にあったアンケートでは半数もの人が経験したことがあると言う事実を知りました。なので自分自身にもいつ降りかかってくるかわからないと考えました。ですから、そう言うことに対しての意識を高め、対策を考えていきたいと思いました。
安全が社会的合意に基づく約束事であるということが印象に残った。テレビのCMや雑誌の記事などでも、専門家が話していたり、このような研究によって安全が証明されていると聞くと信用したくなるが、必ず絶対に安全ということはないのだなと思った。情報を鵜呑みにせず、自分でよく考えて、判断して、行動することが必要なのだなと思う。
まずはじめに先生が3児のパパだという事に、びっくりしました。正直あまり年齢が離れていないと思っていました。自分のつくりたいものと安全や防災とを合わせて考えた事がなかったので、とても興味が湧きました。先生がおっしゃっていたように、人を笑顔にする事が大好きなので、是非この授業の中で、学んでいけたらと思います。ありがとうございました。
どのようなこと(地震、日照り、戦争など)に関心があるかのアンケートで、いかに自分が、身の回りの危険について普段は考えずに生活しているのかがわかった。関係ないことには無関心になってしまうものなのだなと思った。しかし災害は忘れた頃にやってくるともいうので、このままだと痛い目を見るような気もする。私は、人々がそれぞれ、安らかな気持ちでいることがいることが世界平和だと思うので、それに貢献できるようなことが、この授業を通してできるようになるといいと思う。
最初のアンケートの隕石。安全は人が決めているから絶対ではない、皆の考える安全、安全と安心とか…。隕石落ちてくるとか絶対確信できないし、宇宙人攻めてくるかもしれないし、安全も安心も求めればきりがない。絶対、完璧じゃなくても、人間だから人間の心理的な、っていうとりあえず基準があることはいいことだと思った
空間安全論という授業は何を学べるのか受けるまでよくわかっていなかったが、なんとなく掴めた。安全という言葉は日常的に使っていたが、 社会的合意に基づく約束事であり、人が感覚的に決めているということから、あまり理解しないでこの言葉を使っていたのだとわかった。
福本先生の博士論文において住民と行政の間に入って以前の住民同士の関係や街の名残を残す開発についての話がとても印象的だった。寄り添う安全というものを知った。今回の講義で安全というものを意識するようになった。
履修者のアンケートで自分が災害や事故、事件に遭いそうになってひやっとしたことがあるかという問いに対して多くの人がはいと回答していた。改めて私たちは日頃から危険な目に遭う可能性があることに気付かされた。だが、私は災害やなどに備えて普段から気を配ってはいない。実際にそのような事態になった時にどのような道を通ってどこに逃げればいいのかすら分からないでいる。この講義を通して、非常時の備えの大切さを改めて考えていき実生活に生かしていきたいと思う。
私は車を利用しています。毎日通学したりバイトに行ったりする時に使っていますが、何度か危険を感じたことがあります。今日の授業のアンケートで危険を感じたことがあると回答した人の中に私と同じような人がいるのではないかなと思いました。ですが危険を感じる、ヒヤッとするということを事前に防ぐのはとても難しいと思いました。車を運転している時に他の車や歩行者が予期せぬ行動をとることもあるからです。だからこそ常に気を配って運転しなければいけないのだなと再認識しました。
空間安全論という言葉を漠然と考えていたが、今回の講義で「空間とは?」「安全とは?」を噛み砕いて理解することができた。安全と一言で言っても個人の状況や環境によって変わり、全てにおいての安全というのは無いことに、いかに自分が普段の生活をボーッと生きているかを自覚した。講義の内容を他人事ではなく、自分のこととして考え15回の講義の中で防災意識を高めていきたい。
私は地域と関係した活動をしてみたいと思っているが、やはり安全ということが関係し、1番大切なことになっていくというのが改めて分かった。授業の最初に震災の被害があった市の再建について講義してもらい、再建の流れには被災者の考えや思いを聞くことが私は最も重要だと思った。私の住んでいた地元も人が減少していってるので何かプロジェクト的なものが出来たらいいなと、この授業で考えた。
「安全」とはなにを意味するのか、文字をそれぞれの分解と分析によって省みることができた。また、安全を構築することや維持すること何よりもまず定義することから結局は人間の手によるものであることが当たり前ではあるが改めて学べた。
最初のワークで安全とは何かを書く時に、全ての人がということを前提に考えていたが、そうではないということが分かった。被害は生活を営む空間によって変わるというとはとても納得した。前回、建築環境の概論で講義を受けた時も防災について考えたが、そのあとも行動できていなかった。この講義を受けて、安全についてよく考え理解を深め、実家や今の家の安全や危険についてよく考えて行動に移したい。
今、自分が普通の日々を送れるのもたまたま大きな災害や事故、事件が起きていないと言うだけで、必ずしも明日が平和な日が訪れる訳では無いと思った。平和な生活を遅れていることに感謝しつつも、常に自分の身の安全を考えていきたい。
空間という言葉を空と間で分けて考えてみると捉えやすい。安全という言葉は誰もが知っているような言葉であり、今まで深く考える事は無かった。安全という言葉を信じ安心してしまう事が多くあるが、それは人が感覚的に決めている部分がある訳で全てにおいて安全ではないことを知れた。安全の定義は人が決めてしまっているので災害等が起こった際も安全は保証されないのでは無いかと考え、安全とは何かということを初めて考えるような機会となった。
最初のワークで安全とは何かを書く時に、全ての人がということを前提に考えていたが、そうではないということが分かった。被害は生活を営む空間によって変わるというとはとても納得した。前回、建築環境の概論で講義を受けた時も防災について考えたが、そのあとも行動できていなかった。この講義を受けて、安全についてよく考え理解を深め、実家や今の家の安全や危険についてよく考えて行動に移したい。
身近にある建築などの生活する空間は、必ずしも安全であるわけではない。例えば家にいるときに大きな地震が起きて、家が崩れてしまったら危険である。災害から身を守るというイメージのある家はもしかしたらさらに危険なものになりうる。そのような設計をしないようにこの講義をしっかり受け、安全というものを理解し、安心できる空間を設計したい。
これまで20年平凡に生きてきたつもりだったけれど、思い返してみると中越沖地震だったり7.11洪水だったり豪雪で家から出られないなど意外にも多くの災害に遭ってきていると感じ自分でも驚いている。授業を通して自分ゴトとして考え行動に移していきたい。
私は、安全や安心の概念についての話が印象に残りました。今まで、これらの言葉は特に深く考えはしないで生きてきましたが、人それぞれの感性にもよってしまうということに新たな気付きがありました。これらに関わる時には、様々な人を想定して行っていこうと思います。
今日の授業で私は福本先生が東北地震の際に現場に行って超雑用係をした話が印象に残りました。最近は災害も多く、一昨年も学生ボランティアで被災地に行き誰かの役にたてるようになりたいと思いつつ、行っても私にできることなんて少ないと思い悩んで結局実行出来ずじまいでした。しかし福本先生が一緒に被災者の傍にいて雑用した話を聞いて、傍に寄り添ってあげるだけでも被災者のためになれるなら、私にもできることだろうか、と思いました。もう一度考えを治したいと思いました。
安全という言葉を見ると、そうなのか、それなら良かったと鵜呑みにして安心してしまうけど、人が感覚的に決めている部分があるということだったので、これからは少し注意してみてどういう考えで安全だとしているのかを、考えてみたいと思いました。 あと、今まで設計演習の時に、地震とか土砂崩れとかあまり考えずにやっていたけど、先生の話を聞いて、もっと防災の考えを取り入れていかなくてはいけないなと思いました。避難経路とか意識してやっていきたいです。
安全とは、何も恐れることがないところに身を置くことだと自分の中で定義していました。今日の授業を受けて、どちらかというとそれは辞書での安心の定義に近いかな?と思いました。恐怖の対象というのがそもそも人それぞれですもんね。だから私が「安心だ」と思う状況でも、他の人にとっては「全く安心できない」と思う人も沢山いると思います。そういう観点からいうと、安全は社会の決め事ですからより客観的で、安心の一般化が図られているのだと感じました。それでも安全の網から漏れてしまう人も沢山いて、その結果被害が出ています。この講義を学ぶことで、より多くの人を安全に守れる社会を作れたらなと思います。
空間については何処かで聞いた事があったが、安全について詳しく聞いた事はなかったので今日の説明を聞いて驚きました。よくテレビで科学的に、、、と聞く安全が、自分の思っているよりずっと、人によって決められていると思っていませんでした。今回の授業で自分が普段何気なく使っている言葉の意味をしっかり考えて、テレビなどで聞く情報に耳をたてて今後の自分の安全を考えて行きたいと思いました。
授業終盤の安全という言葉の意味について、私は安全とは危険のない状態のことだと思っていました。しかし、安全の定義は社会的合意に基づく約束事ということで、人が感覚的に決めている部分があるため、全てにおいて安全ではないということを知り、とても驚きました。安全という言葉が少し曖昧なものだと感じました。
「安全」ということについてその言葉の意味をこんなにも時間を使って考えたことはなかった。安全とはなんとなくの大衆の共通認識で、人が感覚的に決めている部分があるということに対し、確かにそうだなと思った。事件や事故、災害が沢山起きているが、それに対する意識をもっと高めなければならないと感じた。
今まで自分は安全とは安全と言いきる根拠が明確に数値として存在している上で安全と言っていると思っていたので、今回の講義で安全かどうかは最終的に人間が判断しているということがとても印象に残りました。また、意味があまり理解できない単語を分解して調べるという方法を初めて知ったので自分でも使ってみようと思いました。
建築の区分だった講義なので、視覚の私がついていけるか心配だったが自分にも十分に関係のある授業だなと感じた。振り返ってみると、今までに安全の定義とは何か、考えたことがなかった。「安全」という言葉の意味が、被害がないということではないという事をなんとなく理解も出来たが、絶対的な定義ではなかったんだなと不思議な感じがした。 自分で自分の身の回りの安全を作らなければいけないんだと改めて感じることが出来た。
どう防ぐかということを考えがちだったが、回復力という考え方を知った。街の軸が生活軸と空間軸と自然軸に分かれていて、分けて考えることで考えやすいし対策しやすいのかなと思った。みんないろんなやりたいことがあるけど、いろいろなことを安全につなげることができるのだと気づいた。
言葉の意味を知るための手段や方法が面白かった。辞書の項目で画像検索。覚えておきたい。 安全ってすべての人に関わることなのに、自分を含めてみんなそこまで意識は高くない。みんな死にたくないし、痛いのとか苦しいのは嫌だと思う。安全な空間を考えるのは今はちょっと難しい。ひとが大切にしてるものを知る、守るとかだったら少し想像しやすい。
私は今まで大きな災害や事故にあったことがなかったので、あまり深く考えるようなことがなかった。アンケートをして、そういえば実家ではどんな災害が起こった、また起こりかけただろうかとあらためて考えるよい機会になった。そういえば、実家にいたとき地区の防災訓練にほぼ参加したことがないと思った。最後の課題では防災訓練の参加を促すような企画を提案してみてもいいのではないかと考えた。 また、私は今まで「安全」という言葉を信用しすぎていた部分があったと思う。人が感覚てきに決めているものだという側面があることに気付かされた。
安心は人の主観によって変わるが、安全は客観的に判断することができるという点が印象に残った。どんな環境を安心と感じるかは人によって異なるし、誰にでも安心できる空間づくりをしようとすれば際限なく出来ることはあるのだと感じた。
今回の授業で安全についての基本的な知識などについて学び、先生が自分の体験に基づいて学習してほしいと言っているのを聞いて、自分の地元の北海道について考えました。去年大きな地震があり、自分は長岡にいたので被災はしなかったのですが、実家の周りが被災しているのを写真やテレビで見たり帰省した時にいつも通っていた道路が陥没しているのを見て当たり前は一瞬でなくなるんだなと思いました。自分がや周りの人達が災害にあった時に被害を最小限にできるよう、これからの授業で災害について積極的に学びたいと思いました。
安全の基準が明確に目視できるわけでは無いから、気をつけなければならないと思いました。絶対ない、絶対に安全はありえないとは思っていましたが、今回の安全の基準で更に認識が強まったと思います。安全というだけで安心せずにしようと思います。
生活軸・空間軸・自然軸に分けてまちを見る、という考え方が今後に生かせそうだと思った。また、「安全」は社会的合意に基づく約束事だと知り、個人的な主観で決められるものではないということに驚いた。 アンケートでは予想よりひやりとしたことがある人が多く、気をつけて生活しようと思った。
それぞれがやりたいことと防災を結びつけるとやりたいことが広がるなと感じました。視点がまた広がった気がします。 そして、安全、空間という言葉の仕組みを分解して読み解くというところから、物事に対しての理解の新しい方法を知りました。 また、安全ということが100パーセント安全なのかというとそうでもないということも知ることができました。
この講義内でのアンケートから、学科、出身地ともに幅広く、多様性があるなと感じた。また、それぞれが今後取り組みたいことで、「防災」に絡んだ事柄を挙げていて、興味があり、それが建築の人のみでないことが意外であった。私自身にも今後良い刺激になると思う。
普段の生活において防災について考える機会というのはとても少ないと思います。実際、私自身もテレビのニュースなどで災害について報じているのを見たときくらいしか防災のことを考えていないです。年齢を重ねるほどに防災訓練などの機会が減ってきており、ますます関心がなくなってきている実感があります。今回の講義を聞いて、もう一度自分が災害に会ったときにどうするかを考える良い機会になりました。
私の家は川沿いにあり、昔浸水したことがあると祖母から聞いた。生まれる前なので経験してはいないが、家にどこまで水が来たのかなど印がつけられていた。大雨で川が水でいっぱいになることは多く、全然危ないとおもってはいなかったがいつ浸水してもおかしくないことを知った。よくあることは警戒が薄れるものだ。今日の講義をきいて安全の定義がむずかしいことを知った。もっと意識的な安全を目指せたら良いなと思った。
空間と安全の言葉の意味について知った。空間は空と間、さらに空は穴と工に分けられ、間は門と日に分けられる。空間は何もない空と、物体との関係が生じる間で成り立っている。安全は安と全、安は家と女、 全は人と工で分けられる。つくられた中でつまりやすらげるということ。こうした元の語源を考えようと思うことがなかったため印象に残った。
空間安全の言葉の理解の仕方が印象に残りました。言葉を分けたり、漢字の成り立ちから意味を考えることは私もよくやるからです。空間というのが人工的に作られた何もないところと、それを挟む人、モノの関係性というのはなるほどなーと納得しました。また、安全が約束事というのも印象に残りました。
今日の授業では、安全という普段何気なく使っている言葉について深く考えることが出来たように思います。授業を受ける前までは、ただ「危険がない状態」としか考えていませんでしたが、空間、安全と単語を分け、深く意味を追求していくとそんな意味があったのか!確かに!と面白く感じました。また、自然現象という現象についても見つめ直すことが出来ました。東日本大震災の時、急な災害で学校の椅子の下に隠れたのを思い出しました。今後もしも災害が起こった際、迅速な対応が出来るよう、もう少し普段から対策について考えてみようと思いました。第1回講義ありがとうございました。これからよろしくお願いします。
私は今回特に印象に残ったのは初めのアンケートの結果だ。それは災害に対する準備がしっかりできていない人が多かったことだ。私は災害に対する備えは水と缶詰くらいはしているが、実際に災害が起こるとは夢にも思っていない。 しかし、世の中を見ると、自分が経験していないだけで、日本各地で毎年災害の驚異にさらされている。 だから、自分はいま学んでいるデザインの分野を応用して災害への備えを促すような活動をしたいと思った。
色々な災害や事故事件などの影響する被害について、沢山話しが聞けたので今回改めてとても良い勉強になりました! これから先長く生きていく為の準備とか、いつ発生するわからない災害や事件事故などの被害に出来るだけ合わなくする為の準備や対策の仕方を学んだので、これから沢山この授業で学び、少しずつそれに向けての対応をしていきたいと思い始めました
わからないことがあった時、言葉を分割して調べることで理解を深めることができるということ。今まではなんとなく調べて大まかな意味を知る程度のことしかしていなかった。 街をよく知るために生活軸、空間軸、自然軸が必要なこと。これらを知ることで確実性の高い対策を立てやすくなると感じた。また、いつも同じ状況とは限らない(机の下に隠れられない状況)ことに今日気づき自分の災害に対する意識の低さを思い知らされた。
学習するにあたってまずさまざまな意味を持つ言葉の定義を知る必要があること。 安全は科学的な根拠から言えるものであり、安心とは心理的な状態を指すものであるという定義の違い。 自分のやりたいことと防災意識を絡めて新しい方法を見つけていきたい。
講義の導入として「安全」の定義について考えていく中での、「安全かどうかを決めているのもまた人間である」という事が印象的に感じました。公的に安全であるとされていても、自分自身がその安全の範囲に必ずしも居るわけでは無い場合も十分にあり得るという事に気付かされた時、今の平穏な生活は案外ほんの少しのきっかけで崩れ去る事もあるのだと思いました。 この講義の中で、安全について改めて考え、自分の作品の中に還元できるようなアイデアを見つけられればと思います。
安全とは何かを学んだ。まず、言葉の意味を理解するには単語を分解すると分かりやすい。安全には社会的合意に基づく約束事という意味があるが、人が感覚的に決めている部分があり、全てにおいて安全ではないことがすごく納得できた。
私はドキュメンタリー番組を見ることが好きで、地域密着した映像や、インタビューも撮りたいと思っています。今日は安全を通して災害に会った人に、もし私がインタビューをするのなら、生活軸からのアプローチだけでなく、生活軸、空間軸を調べることでより深くインタビューをした人の話を理解をすることが出来るんだと勉強になりました。自分は経験談系のドキュメンタリー鑑賞ばかり興味がありましたが、この授業を受けることで災害系のドキュメンタリーにも興味が湧いてきました。
福本先生の携わってこられた取り組みの紹介の中で石川先生も登場していたのが印象に残っています。被災された方の集団移住に関して、住んでいた街の面影を持つ街並みをつくったりすることを計画する人がいることで別の人の良い生活が創られているのがすごいなと思いました。ランドスケープだけでなく他の建築の分野の研究などに複合させたら新しい考えやものが生まれそうだなと思いました。
一口に「安全」と言っても、危険だと言う人もいるということ。私の価値観や視点では安全な状況であっても、別の視点から見れば危険な可能性があること。初めて聞く話ではありませんが、改めて理解出来た気がします。恐らく100%誰もが安全だと言いきれる空間は存在しないのだと思いました。なので、その100%安全な空間を作ることを目標にするのではなく、自分以外の人の視点からの危険予測というものに対する対処法を用意出来る空間を作ることを目標に、今後の作品作りや日々の生活環境作りに役立てていきたいと思いました。