【みんなの意見】第09回 学んだことの記録 ピックアップコメント

学籍番号:193024 (666文字 )
福本先生の経験を聞く中で、「その時の状況を把握して自分のやるべき事を見定める」力が先生は本当に強いし、それをちゃんと実行出来ているのが改めて凄いと思いました。自分がやりたいから、自分がしたいから、という自分本位で動くと、集団行動する状況では崩壊することが分かっているからこそ取れている行動だと思います。 私は演劇部に所属していますが、人数が多いだけに意見が分かれ、対立することもあります。ここで思ったことがあります。デザインを学んでいる私たちですが、授業では「あなたのやりたかったことは何だったの?」「あなたがやりたいことは何?」と、演習等で問われることがほとんどです。「自分がやりたいことは何か」を常に考えさせられ、それを貫けと言われ続け、「自分の意見を通すこと」に否応でも慣れさせられているのではないか、そう思いました。大切なのは、それが「個人」というフィールドなのか「集団」というフィールドなのかをきちんと理解しているかどうか、という部分だと思いました。集団で動かなければいけない時に個人のフィールド内なら発揮する「自分の意見を通す力」ですが、集団のフィールドならデメリットにしかなりません。状況と場合を捉えて、私は今こうすることでこの状況が「好転」する、という冷静な観察力と思考力が必要なのだと思いました。特に災害時の状況では。 また、「インプットとアウトプット」がきちんと行われているか、またアウトプットされたものは、本当に適切かどうかを見極める力も養うことで、さらに貢献できるものを生み出せるのではないか、と思いました。
学籍番号:192028 (398文字 )
ボランティアは、重要だし、誰かがやる人達がいないと災害時、相当困ると思います。テレビで復興支援のボランティアなどを放送している様子を見ると、ボランティア行く人すごいな?と毎回思います(重要性はわかっていても、自分がボランティアに行きたい!となったことはないので)。福本先生の東北大震災の際のボランティアの話も詳しく聞いて、自分でできることを見つけて、行動する、ということは、実際とても難しいことだと思いました。ましてや被災地という、環境も住んでる人の状態もイレギュラーな中で、一日活動したらとても疲れそうだなとも思いました。ひどい話ですが、自分だったら、被災してその後ボランティアに助けられたような経験や、本当に大切な人が被災しているような状況がなければボランティアに行こうとはならないと思います。 なぜあんなにもボランティアに参加する人が多いのか、参加に至る原動力はなんなのか、気になりました。
学籍番号:193079 (448文字 )
たくさんの地域で、その土地柄にあった防災のための様々な取り組みがあるのを知ることができた。 アンケートの結果にも出ていたように、自分もボランティアには受動的にしか参加したことがなかった。しかし、今後被災地にボランティアとして出向く機会があった時、ニュースなどで情報も得ず、何も考えていないとただの足手まといになってしまうだろうなと、先生の体験談から感じた。 最近までテレビをあまり見ないし、新聞も読まない、ネットニュースも見出しにざっと目を通すだけだったが、何度かこの授業を受けて、今何が起きているのか、どんな状況なのかを最新の状態で知っておくことは第一に大切だと考えるようになった。それから、朝早めに起きてニュースをつけたり、夕方のゴールデンタイム前のニュースもついでに見たり、ネットニュースも記事を開いて読んでみたりすることが習慣になってきた。 ここ数日報道されている熊本の大雨による被害を受け、自分たちの身近にある信濃川もいつか氾濫してもおかしくないと思うので、しっかり頭に刻んでおきたい。
学籍番号:193046 (428文字 )
今日はボランティアの話が出てきましたが、私はこれまで何回かのボランティアに参加はしたとしてもそれら全て決して能動的に参加を決めたものではなかったことを思い出しました。それも所属していた生徒会の活動の一環のような感じだったため、嫌々参加している節すらありました。しかし、どれも参加してみたらやりがいを感じているのです。なんだか風呂に入るまではとても嫌だけど風呂を済ませてから「風呂めんどくさかった?」と感じた事はない、となるあの現象に似ていると感じました。話は逸れましたが、これは先入観によるとっつきにくさのようなものが原因な気がしてならないのです。能動性が大事、という点を考えると最初から私のような者はお呼びではないのか?とも思いました。しかし、そんなことを考え出したら本当に何もできなくなりそうだし、能動性は参加していく中で身につけるのもアリだと信じて、自分なりに「ボランティア活動に踏み込みやすくするには」ということについて考えてみようかと思いました。
学籍番号:193001 (242文字 )
福本先生の体験談にあった「災害時のボランティアは指示待ちではなにもできない」ということに、やはりとは思いながらも軽く絶望しました。というのも、私自身、自分から動くことを苦手に感じており、よく他人に指示を仰いでしまうからです。これから自分も巻き込まれることになるだろう、地震をはじめとした災害で、自分はどうするべきで、なにができるのか。今から前もって考えていくとともに、その考えた結果などを、私と同じように「何かしたいけど、どうすれば良いかわからない人」へ何か共有できればと考えました。
学籍番号:193096 (221文字 )
前回アンケートを答えた時と今回ではだいぶ意識が変わったと思います。今までは、自分を守ることで精一杯でしたが、授業を受けてから事前の対策をするようになり、心の余裕が生まれました。小さいことですが、防災グッツを買ったり、水を大量に買ったりしました。またこの授業をきっかけに、地元で行ったボランティアを思い出しました。みんなのアンケートをみて、私もゴミ拾いやったり、川で外来種を探したりしたなと思いました。思い出を振り返る機会になって良かったです。
学籍番号:194016 (474文字 )
今回の授業で、助けを求めるだけの受け身の姿勢ではなく、自ら他の人を助る姿勢でいること、自助だけでなく共助をすることが震災の時に命を守るうえで重要だということが分かりました。私が4歳の頃、中越地震が起こって、自宅が崩壊し、私含め家族は二階のない少し広めの車庫と車の中でしばらく生活をしていました。近所の人達は二階のある車庫しか持っておらず、二階がある車庫は崩壊の際に危険があるので、父は私たち家族がいる車庫に避難させ、お互い食料のシェアなど協力し合っていました。両親はお互い共働きで、震災直後も仕事にいかなければなりませんでしたが、保育園は休園でした。私と妹を預ける場所がなく困っていたらベビーシッターのボランティアの方が大阪から来てくださり、私たち姉妹の面倒を半日見てくださりました。私はその時の記憶はうっすらとしか思い出せませんが、多くの人の助けがあって今生きていると思います。中越地震のときは助けてもらうことしかできない子供でしたがまたこのような災害が起こった時には今度は自分のできることは何か?と考え、動けるように精一杯努めたいと思いました。
学籍番号:183104 (209文字 )
元気を引き出す支援という言葉が印象に残りました。私は去年ガーナの孤児院で2週間ボランティアをしました。そこでは自分で考えて自分でやるっていうことがメインだったので大変でした。しかし、他の2人のボランティアと一緒に考え、折り紙を教えたり日本語やドイツ語の授業をやったり、新しい遊びを教えたりと子供達の元気を引き出す支援ができたので良かったです。今後、ボランティアをする時も引き出す支援という言葉を頭に置いてやりたいです。
学籍番号:193120 (132文字 )
熊本県の豪雨について思ったことは、都市計画はどうなっているんだろうということである。毎年、九州地方は大雨が降っている気がする。雨が降って土砂災害などは起きるほどになった時、今回の授業のようなここには人が住まないほうが良いなどという基準はあるのだろうかとふと思った。
学籍番号:192047 (601文字 )
危険な状態に陥った時、どうしてもパニックになって冷静にいられなくなります。先日、第三者の立場からそのような経験して、冷静を欠くことが状況を悪化させてしまうことの要因になりかねないと痛感しました。私自身もその起きている状況から死を感じて怖かったですが、周りのパニックになっている様子をみて不思議と冷静にやるべきことを順序立てて対処できたように思います。なぜ私が対処できたのかを自分で分析すると日頃から無意識に対処法を目にしていたからだと気づきました。私の場合Twitterで毎日医療や防災、緊急時の対処法などをツイートしている専門家をフォローしていて、タイムラインを流し読みしていても無意識のうちに目に入り情報が刷り込まれていたことが大きかったと思います。しかし、状況は対処できても周りのパニックになっている人のケアまではうまくできませんでした。目を見て名前を読んで具体的な指示をすることができたらもっと早く状況が好転したかもしれません。助ける側になったとき相手の心情をくみ取って支えられるようにならなければいけないと反省しました。それと同時に支える人間の活動を支えるものとは何かと考えました。自分で考えて行動するにしても軸になるようなもの?情報?が必要ではないかと思います。うまく言えませんが、非日常的なときに専門家以外の人でも対応できように心のケアマニュアルみたいなものがあればいいのにと思いました。
学籍番号:192036 (637文字 )
実際の被災地に足を運び、「みて、感じてきた」先生。報道では伝わってこない匂い、粉塵、気温、人々の雰囲気、報道の人の違和感、情報の錯綜…。現地の人は勿論、関わる様々な人が医療の面であったり、環境面、人と現地、人と人を繋ぐ人など、いろんな面で動いていたことだろう。 しかし、それらは「見えることはせず」ほんの一部も私たちは事実を知らない。やはり物事を知るきっかけはマスコミの影響が多いと思うが、故意かそうでないかは分からないが、人の手により実際のことと異なったり歪みは必ず生じる。全てのことを鵜呑みにはしないが、危険な状況によっては人々の心は簡単に操作されてしまう。 当時「これから津波の映像が流れます」字幕後の津波映像と、しばらく時がたった後の記者が現地の人にインタビュー。「復興頑張りましょう!」という報道陣総出でつつくような画面。緩く妙な歌を歌い永遠と流れるCMにはとてつもない嫌悪感を感じ、トラウマになった。 私はそれからマスコミ等に疑問を持ち、自分お目で見て聞いた情報以外は、常に半信半疑の気持ちで見るようになった。 「能動性が必要で大切」と今回の講義で深く納得したが、私たちがボランティアなど、何かを行う際で第一に必要なことは、なるべく「事実、現状を理解する」ことではないだろうか。 画面でも、噂でも、不透明なことでしか見れないものに初めから気持ちの全てを預けてしまうのは、情報が半可視化され技術が進んできた今だからこそ余計に心配であるし、なんだかな…。と感じる。
学籍番号:192033 (251文字 )
東京帝国大学の学生セツルメントの話は初めて聞いた。少し調べてみると、イギリスから風潮が伝わり、大正時代日本で流行ったらしくとても驚いた。炊き出しではなく、食材を与えて手を動かして元気にするという考え方がとても現代的で驚いた(最初から狙ってやっているかは不明ですが)。ボランティアというのは余裕がないとできないものだと思っていて、平和でないと生まれないものだと思っている。我々はそれくらいの余裕をもって生きていくべきだと思う。このようなボランティアができる社会というのは豊かな国の一つの指標かもしれない。
学籍番号:192011 (205文字 )
自分に出来ることとボランティアを関連付けて、という話でなるほどと思う反面、どういったことが実際に出来るかと考えてみると中々難しいです。実際の災害ボランティアに参加したこともなければ、自分自身が歴史に残るような大災害に直面した経験もありません。災害の内容でも支援の形は変わってくるので現段階でそこまでの想像が出来ません。知らないと出来ることも分からないので、もう少し踏み込んで調べてみる必要があるなと感じました。
学籍番号:193039 (156文字 )
今回の講義で、ボランティアに参加したきっかけで受け身の場合が多いとおっしゃっていたとき、確かに自分はボランティアのきっかけが自分からでないことばかりだと気づきました。私の妹は海のごみ問題の話を知って自分から海岸でのゴミ拾いに参加したそうです。兄も妹も行動力があって自分は本当に消極的に生きてるなと落ち込みました。