第02回 学んだことの記録_フィードバック


図:第02回 学んだことの記録_共起ネットワーク
学籍番号:171033 (229文字 )
震災被害予想の数を見て自分が含まれるという意識はなかったことから、自分は死なないという正常化の偏見という心理を持っている。 メディアの報道情報の対象は社会全体を対象にしているため、私自身への話はしていないことをまず考える必要がある。情報から自分自身に置き換え危機感を持つことが必要だと感じた。 近所同士の助け合いである共助をするのは難しいと感じるが、隣人の存在やできる範囲の助け合いだけでも励ましになり、生き延びるための心の支えになるということを学んだ。
学籍番号:173072 (690文字 )
私は東日本大震災を経験し、その中で「自助・共助・公助」を目の当たりにしていたのだということに今回気づくことができた。当時、私は小学6年生で岩手県の県南、宮城県との県境に位置する集落にいた。小学校の体育館で卒業式の練習をしていた時に震度7の揺れに襲われた。ステージ上から必死に体育館の中央に集まって身を固めた。今となって考えればこれは「自助」に当たる行動だった。古い校舎だったこともあり当時はまだ耐震構造が施されていなかった体育館が悲鳴をあげているのを幼いながらに感じたことを覚えている。その後は約1週間ほど断水と停電が続き、オール電化だった我が家は調理や暖房もままならず、加熱処理が必要な食品や米などが食べられずに困り果てていた。その時にご近所さんがガスコンロを貸してくださったり、近所のケーキ屋さんや定食屋さんがどうせ腐るからとお店の食材を調理して無償で届けてくださったりした。そのお礼に我が家では断水するまでペットボトルに溜めていた水道水を分け合った。これは「共助」に当たる。復旧してからは、震災を踏まえ、校舎の本格的な「耐震工事」が進められた。これはおそらく「公助」に当たるのだろうと思う。授業内であった一例の通り、「励まし合う」のいうのは非常に大切なことであると私も共感する。こころの安全が確保されないと前向きな行動が起こせないからだ。復旧の目処が立たない状況で人と人が言葉を交わすことが、一早い「安心」になる。当時幼かった私は「受け身な共助」しかできなかった。こういった経験から私は自分の身を守ることはもちろん、「自発的な共助ができる、助け合える人間」になりたいと思う。
学籍番号:173091 (148文字 )
防災とは?のところでとても納得のいくものがありました。それは「人を育てる」ということです。もし自分の皆災害が起こった時、どのように行動するべきかなどは自分の判断によるものであり、知識や経験がとても重要であると感じました。そうしてその知識や経験は他人と共有することで「共助」にも繋がると思いました。
学籍番号:173115 (305文字 )
久しぶりに東日本大震災の映像を見たが、何回見ても締め付けられるような感覚や恐怖を感じるものであった。しかし、あの時の光景を実際に被災していない立場だからこそ忘れないようにしなければならないと思う。 授業の最後に見た昨年の履修者のレポートを見て、私自身も「共助」は自衛隊の人やボランティアの人たちがするような大きな支援を指すものだと考えていたため、声かけや励ましでも助けられる人はいるんだということに気づけたのは大きな変化になると思う。 私自身や家族が大きな災害を経験したことはないが、巨大災害の記録や被災した人たちの記憶は必ず役立つ時が来るため、今日の授業は改めて気づかされたことや得るものが多かったと感じた。
学籍番号:174030 (378文字 )
大規模で、想定していない災害の前に人は無力だと感じた。どんな人間でも等しく災害に遭遇する。自然災害の多発する日本だからこそ、地域の繋がりといった人同士の繋がりが大事であった。自然に感謝しながら同時に畏怖の対象としていた。グローバル化が進み、西洋の考えに染まった今の日本は自然災害に弱いのではないかと思う。日本人らしさというのは一長一短だが、その精神性はグローバル化が進んだとて決して捨てて良いものではなかった。大災害に遭遇するたびに、地域の繋がりの重要が叫ばれ、失われた精神性が顔を出し、日本人は互いに助け合う国だと報道される。しかし、「危険を防ぐ」という観点から見れば、災害後にだけ助け合うようではまだ防災の意識が低いと思う。常日頃から、地域の人同士で繋がり合うコミュニティ形成や、自然災害の恐ろしさを伝えあう風習を作り直さなければいけないと強く感じた。
学籍番号:181013 (361文字 )
「報道されている防災情報は自分のためのものじゃない」ということはなるほどなと思った。ニュースで取り上げられている場所などは自分の住んでいる場所ではない。そのため自分の身の回りは自分が能動的に必要がある。また、何が起こっているのかを理解した上で、すぐに避難行動に移る必要も出てくる。 東日本大震災のニュース映像を見て、津波の恐ろしさを再確認した。印象に残っているのは津波を目の前で撮影している人が多かったことだ。その映像を見ていて「撮影よりも今は早く逃げてくれ」と思っている自分がいた。 東日本大震災は2011年の出来事だが、私は未だに1、2年前のことのように感じている。不思議だ。もしかしたらまた震災を体験することになるかもしれない。そのためにも、東日本大震災で感じた危機感や知識、経験を決して忘れるわけにはいかない。
学籍番号:183006 (228文字 )
今日の授業で、2011年の東日本大震災のニューズ映像を見たけど、2004年のスマトラ島沖地震を思い出した。2011年の東日本大震災は直接被害を受けてなかったけど、2004年のスマトラ島沖地震は直接被害を受けて、その時の気持ちやトラウマを思い出した。それを思い出して、思ったことは、やっぱり、周りの声って大事だ。「大丈夫?」「困っているか?」「元気だよ」「大丈夫だよ」「ありがとう」のような言葉はすごく大事だと思う。言葉だけ声だけで、人は救われるよ、本当に。
学籍番号:183024 (292文字 )
「報道は自分のためになることは言わない」ということがとても印象に残った。災害が起きたとき、毎回私を含め家族はニュースやネットの情報を見てどう行動するかを考えていた。 なんでも調べれば出てくる時代だからこそ、自分で判断せず情報を探し判断をそれで委ねようとしてしまう。また避難しなくて大丈夫という安心が欲しくて都合の良い情報はないかと探してしまっている。 100 %大丈夫なんてことは絶対にない。自分の命を情報や周りに合わせて考えてしまっていると気づいた。自分は大丈夫、と客観的に見てしまっている。少しでも危ない可能性があるのならば、安心せずもしものことを考え行動すべきであると感じた。
学籍番号:183055 (183文字 )
今までのどの体験談よりも身近に感じ、災害を怖いと思いました。当時私も小学生で、震災のニュースはたくさん見ていましたが、私の想像するものとは違いすぎる現実がショックでした。私の知っていることは所詮災害は恐ろしいくらいのもので、ニュースの中で起こっているという認識でしかなかったのだと思いました。 体験していないからこれからも体験しないわけではないことを意識したいです。
学籍番号:183071 (314文字 )
今回の講義を通して、意識を変えることの重要性を学びました。 他人事として捉える感覚というのは、ある時は自分のメンタルを守るために無意識に働くことがあると思います。しかし、災害や、昨今のように感染症の注意喚起の報道に対してまでその感覚が働いてしまうと、メンタルの前に自分の生命に危険が及ぶことを、しっかりと認識するべきだと今回の授業で学びました。 自分事になった時には既に遅いのだと、全ての人が気が付けたなら、気が付いても尚まだどこかで他人事に思う意識を完全に無くせることができたなら、その瞬間から行動は変わると思います。これを現在の新型コロナウイルス感染症に置き換えると、密を避けることが自助であり共助になると言えると考えます。
学籍番号:183104 (294文字 )
地震や津波が起きた時、他者を助けることができると言いたいところだが、正直いうと子供がいたら助けずにはいられないと思うが、自分の命を最初に考えると思う。 熊本地震を経験した後も、学校は1ヶ月間休みだったが、他の人を助けることがあまりできなかったことに今は後悔している。自分には何ができるのかとよく考えることはあったが、何も思いつかなかった。 自然災害の映像を見るごとに毎回、自然の力は私たちがの想像をはるかに超えることに気づかせる。いつ起こってもおかしくないことなので、前からやろうと思っていた大事なものを一箇所に集めておくことはしたいな思う。また、自分が助けれる側になれるようになりたい。
学籍番号:192002 (314文字 )
今日の授業を受けて改めて自分が体験した新潟中越地震のことを思い出してみました。私は当時まだ4歳になったばかりで地震が何かもわからなかったけど、今思えばあの出来事が生まれて初めての恐ろしい体験でした。私はその時家に帰ることができずにとても不安だったことを今でも覚えています。ですが今回の講義を聞いていてもやはり自然災害を相手にして事前に予想して対処しておくことはかなり難しいと感じました。事前に準備していても必ず予想もしてなかったことが起きてしまうというのが現実なんだと思いました。今すぐにできることとしては、今回のアンケートにもあったように自分の身の回りにいる人との助け合いができるような輪を広げていくことが大切だと感じました。
学籍番号:192004 (280文字 )
私は最初の学びの軸のところで回答しているときに災害が来たとしても自分たちのできることをしていれば助かる可能性は十分にあるのではないかと思っていた。しかし今回の授業を受けてかなり甘い考えで自分がいたことが分かった。いざ災害が来た時に自分のできることはあるのか、それは何なのか、そしてそれを実践できるのかというところまで考えずにできることをすれば助かると考えるのはとても浅いし、そのままでは周りの人を助ける立場にはなれず助けてもらう側のままだと思う。まずは自分と自分の大切なものを守れるように、そしていずれは少しでも周りの助けになれるように考えを改めたいと思った。
学籍番号:192005 (145文字 )
報道される防災報道は自分のための情報ではなく街、国などの大きな単位で、個人の人としての情報がないことが分かった。そして守りたい大事なものを認識しないと災害の対策や防災意識が具体的にならないことを知った。災害が起きたら死んでしまうと考えることがないように災害対策をして助かるように努力したい。
学籍番号:192007 (153文字 )
自助、公助という言葉について深く考えたことが無かったが、この講義を聞いて改めて考えた。 自分1人がどう行動するかは自由に考えられるが、 周りの人達の事含めた行動をするとなると制限がかかってくると思った。 1人1人の考えや動きが変わってくるからこそ、自分本意だけで動くのはあまり良くないのではないかと思った。
学籍番号:192008 (408文字 )
昨年の台風で、信濃川が造形大横にある土手の本当にギリギリまで水位が迫っているのをみた。私はその土手沿いに住んでいるため、もし越水したら絶対に被害が大きいし、ひどい場合助からないかもしれないと感じた。本当に危険が迫って初めて、被害を想定したり、何を備えたらいいか、どこに行けばいいか、という災害に対する意識が強まった。 しかし東日本大震災をみてわかるように、災害は突然起こる。身の危険を感じてから備えたり、避難経路を確認するのでは間に合わない程の被害が襲う可能性もある。 地元では避難訓練があったり、大雨の経験で水が溜まりやすい場所や、避難場所など知ってることも多いが、長岡に住む今、確実に自分の命を守るので精一杯だし、ましてや助けてもらう立場かもしれない。だからこそ、自分の命は守れる備えをしたいし、その上で「共助」ができたり、他者を助ける立場にもなれたらと思う。そのために今何ができるか災害を身近に考えていきたい。
学籍番号:192011 (280文字 )
自助と共助という話を聞いて、過去に災害に直面した際に、自分はどのような行動をとったのか記憶にある災害の中越地震、18年豪雪、東日本大震災の三例を顧みてみたのですが、最も近年の東日本大震災ですら小学六年生というのもあり、現場もそれぞれ自宅、保育園、学校と頼れる大人がいて、自分は指示に従うだけだったので実際そこまでの恐怖はなかったのではと思います。それに対して一人暮らしの現在は頼れる大人どころかむしろ助ける側に回る可能性すらある今、励ますことが共助になると納得しながらも果たしてそれが可能なのか、正常性バイアスに打ち勝てるのか、見つめ直すいい機会になりました。
学籍番号:192013 (144文字 )
防災についてのお話でしたが、特に印象に残ったのがお互いに助け合うというのは大それたことではないということです。少しの行動が誰かの大きな助けになるということがわかりました。もし災害に遭ってしまったら私はどうしたらいいかわからなかったと思います。今日からは昨日とは違う行動ができる気がします。
学籍番号:192014 (441文字 )
常日ごろから災害に対して、目を向けること。向き合っていくことはとても大切だと感じました。近年南海トラフ巨大地震が起きるのではないかといわれており、その南海トラフ巨大地震は、1000年に1度以下の低い確率で発生すると言われているものの最悪の場合、全国で死者約30万人、避難者は約900万人に上ると予想されていると言うニュースも聞いたことがあります。 このような大規模災害が発生すると、道路や上下水道などの公共的なものをはじめ、物流が途絶え食料や水などが手に入りにくくなり、 各家庭では1週間分以上の食料や水の備蓄が必要 であり復興や回復にも時間が必要だと感じました。 自分は津波の経験や災害で困った経験はありません。だからこそ、災害にたいしてメディアがどんなに危険視したとしても心のどこかでは余裕の心があると思っています。 けれど、今回の講義を聞いて、共助とは難しいものですが、ささいなことでも困っている人のためになることであれば思いやり、励ましとして、助けになるとわかりました。
学籍番号:192015 (141文字 )
実際に被害にあった方達の声などがデータでみれて非常に納得しました。何が誰のためになるとか、私には何もできないとか、変に堅苦しく考えるよりも先に少しの良心で誰かを救えたら、と思いました。そのためにももっと地域社会と密接に関わっていきたいし知識や経験もたくさん積み重ねていきたいです。
学籍番号:192016 (209文字 )
東日本大震災の映像が何度見ても衝撃的です。 自分も東北に住んでいたため、強い揺れが起こり、本当に怖かったことを今でも覚えています。この地震が起きるまで、防災という意識はなかったのですが、この地震を経験したことで防災の意識が芽生えました。人間というものは体験してからじゃないと正常化の偏見が起こり、未然に防ごうという意識がないのだと感じました。これから直下型地震等も起こる可能性があるため、防災の意識をさらに高めたい。
学籍番号:192019 (184文字 )
正常化の偏見の話を聞いて、ドキッとした。確かに私はこうして安全のことについて考えていても、どこか他人事のように捉えていた。災害の映像を見て、自分がその場にいたらと想像しても、あまりリアリティがなかった。災害を自分の身に降りかかるものだと思うには、実際の親しい人の災害の経験を聞いてみるといいのかと思った。身近な親しい人の話なら、本気で対策を考えることができると思う。
学籍番号:192020 (322文字 )
死者数などの数字を見たときに、自分がこの数字に含まれることは全然想定できませんでした。でも、津波の映像を見て、もし自分が大きな災害にあって避難することになった時、1人だとパニックになってしまうだろうと思いました。そんな時に声をかけ合うことで少しだけでも冷静に行動できるかもしれないと感じました。まだ私が実家にいた頃、災害時に私は近所に住む祖父母だけと安否の連絡を取っていたのに対して、祖父母は向かいの家の人とも話し合って情報を共有しているところを見かけたのを思い出して、普段の近所の人とのコミュニケーションが生かされていたんだと感じました。近所の人と困った時に何か言葉をかけ合うことができる関係を築けるように、自分に出来ることを見つけたいです。
学籍番号:192022 (523文字 )
今日改めて感じたのは、人々の危機意識の低さです。被害者の数字を見せられたとき、そこに自分が含まれていると感じる人は少ないという話を聞いて、たしかにその通りだと思いました。災害のニュースを見てもどこか人ごとのように見ている人ばかりだと思います。僕も昔は地震や洪水が起きても気にも留めない様子で遊び続けているような子供でした。東日本大震災の時も、小学校の体育の時間だったのですが、着替える時間をもらえなくて、雪の中半袖短パンで帰って寒かったという記憶しかありません。しかし震災から1~2年たった頃、保育園から仲が良く、小2で宮城に転校した友達が亡くなったと聞いて、当時は全く実感が湧かなかったけど歳をとるにつれて少しずつ飲み込めてきた気がします。たぶんみんな、自分だけではなく自分の家族、友達が被害に遭うとは考えていないと思います。僕は友人が亡くなったことで劇的に考えが変わったとは言わないけど、少なくとも自分の周りでも災害で死ぬことがあるという事実だけは理解できた気がします。実際に自分がそのような状況になったとき、どうしたら助かるのか、どうしたら周りの人を助けられるのか、考えていくことが重要だと思いました。 なんか文が変な気がしますすみません。
学籍番号:192023 (573文字 )
 私は山形県出身で小学4年生の頃東日本大震災が起こり、山形県では震度5強の揺れを体験しました。3日ほど続いた停電のなかで、ワンセグで三陸沖が津波に飲まれている映像を家族と豆炬燵で団をとりながら見たのを覚えています。その時の自分は幼く、災害と言うものを体験したことがなく、身近な人が被災したということもなかったので山形県に住んでいてよかったとしか思ってなかったかもしれません。  しかし、段々年齢が増えていくにつれ、この災害に対する恐怖心が大きくなってきました。理由は大きく二つあり、その一つは津波を経験した友人ができたことです。その友人は石巻出身で震災の時は命からがら避難したそうです。その人の体験談を聞いていくと、もし自分がその場にいたらどうなっていたのだろうかと自分の身になって考えるようになりました。  二つ目は、守られる側ではなく、守る側になったからです。震災時は小学4年生だったために何かあったら親が守ってくれるという甘い考えがありました。しかし、私も19歳となり家族や友人の存在がとても大きく感じられるようになりました。もし災害が起こったとしても私は一人でも大切な人々を失いたくありません。大人になった今自分がどのような行動をすべきなのか、どんな人間であるべきなのかしっかり考え、共助しあえる関係、環境を今からでも気づきたいと思います
学籍番号:192024 (122文字 )
自分の大事なものを考えた上で自助、共助できるかと聞かれたらわからなくなりました。実際に震災を受けたにも関わらず年々災害への恐怖心や関心が減ってきているのがわかりました。この気持ちを継続させるにはどうしたらいいのか自分で考えてみようと思いました。
学籍番号:192025 (210文字 )
今日の授業を受ける前は共助について、医学知識がある人が怪我をした人の手当てをしたり、力のある人が動けない人を背中に背負って避難所へ連れて行ってあげたり、きっと私にはできないことなんだろうと思っていました。でも、実際被災した学生の文章を見せてもらって、声を掛け合い励まし合うだけの小さな事で自分の近くにいる数人の心を助けることができるのだと知りました。私にはできないと思わず何か小さなできることを探してみようと思いました。
学籍番号:192026 (179文字 )
僕の地元は地震も少なく、海もないので津波の心配もなく、防災に関して意識が低いまま育ちました。そのような地で育ったこともあり自分が災害で死ぬとは思っておらず、「正常化の偏見」について聞いたときは図星でした。先輩の経験談を聞いてみて共助と言って大きなことをするのではなく、少しの声かけが励ましになるというのを聞いて、それなら自分でも人の救いになれると感じました。
学籍番号:192027 (315文字 )
私自身大きな災害を経験したことは無いのですが、もし身近に災害が発生したら、まず周りを考えることは難しいだろうなと、なりふり構わずまずは自分と大切な家族のことを優先した行動に出るだろうと思います。なので、共助とはなかなかハードルの高い行動なのではと考えてしまいます。 ただ、そんな中でも、私たちを「共助」しようとする人は出てくるのではないでしょうか。もしそんな人たちが出てくればただ、何もしないと言うことはきっと出来ないだろうし、こちらも助けてあげたいという心理に動かされると思います。結局、同じ災害を経験した人にしか共助というものはできないんだろうな、と思います。(心理的な意味で。外野が励ますというのはただのエゴだと思うので。)
学籍番号:192028 (784文字 )
<学んだこと> 災害:害をもたらす原因、害をうける対象 がある 自助・共助・公助は、タイミングによって必要バランスが変わってくる 報道されている情報は、個人のためになっていない。 人間の心理的現象で、正常化の偏見、というのがある(自分は対象内でないという認識) <感想> 報道されている情報は個人のためのものではない、ということと、人間には正常化の偏見ある、ということが印象に残りました。 東日本大震災の時、私は小学校中学年でした。両親が共働きでお家にいなかったので、一人でお菓子を食べながらテレビを見ていると、突然揺れ始めました。そのうち全部の番組がニュースに切り替わるまでずっと揺れは続いていました。窓やドアを開けて下さい、とニュースで言っていたので窓やドアを開けました。地震は間を開けて何度もありました。ニュースでは、身を守ってくださいとしか教えてくれず、ドアと窓を開けた以外には何もできませんでした。お母さんに電話を何回かけてもつながりませんでした。 この経験を今振り返ってみると、ニュースの報道は確かに私のためではありませんでした。身を守ってください、危ない場所に近づかないでください、とニュースでは伝えてくれます。でもどうやって身を守ったらいいのか、どこが危ない場所なのか、小学生の私には全くわかりませんでした。家の前には川があって氾濫する可能性もあるけど、マンションの6階にいるので避難する必要はあるのか、なんて私の状況にあったニュースが流れることはありません。報道はみんなに伝えるもの。何かあったときには報道は参考程度のもので、自分で考えることが大切なんだと思いました。また当時、お母さんが帰って来なかったらどうしようと不安にはなりましたが、自分が死ぬかもしれない、とは思いませんでした。今考えたらありえないけど、正常化の偏見を実感できました。 [/box] [box class='box2']学籍番号:192029 (461文字 )
自助、共助、公助は一年生の時のデザイン概論ではじめて聞いた言葉で、その時に1能動的になれる場2時分と家族のための防災訓練3ご近所さんと助け合う関係が必要であると学びましたが、私はあの授業を受けてから対策を特にしていませんでした。理由はなかなか実家に帰らないと話し合う機会がないということもありますが、心のどこかで大丈夫と思ってしまう自分がいるからだと思います。小学5年生で東日本大震災についての学習発表会をして同じ学年のくろさわかいとくんの話を聞いて泣いていました。岩手の祖父母と遊んだ海の小屋がなくなっていて心が痛くなりました。被災はしていないけれど色々なことを感じて、ブラックアウトも経験したのに何もしていないのは意識の低さや、根拠の無い「自分は助かるだろう」という気持ちは予期しない、想像できない、抗えない自然を前にして大切なものを失ってしまうのだと感じました。自分の身は自分で守るための準備や、下に住む大家さんや近所の高齢の方を助けてあげられるような避難場所の確認などを自然災害が起こる前にやるべきだと思いました。
学籍番号:192030 (468文字 )
無力。でも人の役に立ちたいです。 大学に進学して生きていく中で、初めて地震の揺れを感じました。私はシェアハウスに住んでいて、その時はただうずくまって誰かにくっついていることしかできませんでした。とても怖かったし、これでは誰かを助けるどころか、自分のことも助けることができないと思いました。 所詮ちっぽけな生き物。だからこそ集団としての繋がり、一人一人が助け合うことが今回の授業を聞いてすごく大切なことだと思いました。 もし、最悪な状況になっていても、ただ慌てる、現状を受け止めて失望するだけてはなくて、その前にとりあえず行動すること。私はそれを頭の中に入れて生きていきたいと思います。とりあえず助かってから悲しもうと思います。実際起きてしまったらどうなるのかわからないけれど、たとえ無力でも。 そして、そんなことが起きる前に何かできることをやりたいです。地元では地域の人に挨拶ができた。今はできません。できるような、できなくても把握できるような繋がりを持ちたいです。そのための小さな動きのきっかけを何かできるのではないかなと感じました。
学籍番号:192031 (215文字 )
自分の災害に対しての意識の低さを痛感しました。自助、共助、公助、知らなかった言葉ですが、この概論で理解することが多くありました。震災の時の動画は何度見ても初めて見たときのように、衝撃的でした。私があの状況に置かれたら、逃げることしかできず喪失感や悲しみで溢れていたと思います。被災地の方と話したり、近所の方同士で助け合うことの大切さを学びました。私もボランティア活動に興味があるので、もっと知りたいと思いました。遅れてすみません。
学籍番号:192033 (196文字 )
東日本大震災の映像をみるたびに震災のことよりも自分の小学生だった頃を思い出している時点で私はそこまで自分ごとと思えていないのだと思う。私が当時住んでいた場所はそこまで揺れなかったし、テレビで流れる”激ヤバ映像”に驚いていただけで、被災地にボランティアに行くほどではなかった。このように物事を理解していない小学生など小さい子供に体験なしで伝えるというものが本当に難しいことなんだろうなと思った。
学籍番号:192036 (380文字 )
今回の講義で久しぶりに当時の映像を見ました。当時茨城の小学校にいた私は体が、目の前が大きく揺れ、モノが落ちて割れる音、どこからか聞こえる不快な地響きに必死に唇を噛み締めて耐えていたことを思い出します。しばらくして母が来て抱きしめてくれた時の安堵感はしっかりと覚えています。私の地域では、倒壊や地割れはありましたが幸い命に関わるようなことは起きませんでした。しかしあのことは忘れたくても忘れられない、忘れてはいけないことだと思っています。今でも時々思い出し身震いし目の前が歪む思いをします。心の余裕は大切ですが、災害の前では皆無力です。常に最悪の状況を想定して行動することが大切なんです。いつ何があってもいいように準備はしていますが、実際は人の、一つの声掛けが大きく、状況を、気持ちを動かします。一人でも意識が変わり、私を含め能動性が高まればいいなと思いました。
学籍番号:192037 (413文字 )
災害はいつ起こるのかはわかりません。いつかは起こる。でも今は大丈夫だろう。もし起こってもなんとかなる。そう思ってしまうことが、私たちにとって今一番危険なことであるということがわかりました。その『正常化の偏見』を生み出してしまう理由の一つとして、災害を実際に体験していないことが挙げられると思います。被害にあってからその恐ろしさを学ぶのです。私は海の近くではなく、どちらかというと山の方ですが、そこでも特に災害に遭うことはなく平和に過ごしてきました。東日本大震災での映像が全国で流れていた時は、小学生で実感もなく、とても恐ろしいことが起きたんだということはわかっていても、どうしても本当のことのようには思えませんでした。しかし今こうしてもう一度見てみると、災害のことを学んできた今だからこそ現実味が湧いてきました。よって、まだ知らないことが多い子供達に私たちが根気よく伝えていくことが被害が少なくなる第一歩だと改めて感じました。
学籍番号:192039 (490文字 )
今回の講義を通じて、主に「自助」「共助」「公助」の3つの単語の意味を実際起きた東日本大震災に関連づけて理解することができた。講義内で東日本大地震の発生時間のニュース映像や2日後の津波の動画などをまとめた映像を見て、当時10歳だった自分と今の自分では全く感じることが違った。地震発生当時の私は連日報道されるニュース映像を見ても現実味を感じることができず、どこか違う国で起きていることのように感じていた。自分の身には起こり得ないとも感じていたのかもしれない。しかし、今回、映像を見たり、先生が講義内で行ったアンケートなどに震災を身近で経験した人が回答していたり、今の自分の近くにそういった経験している方がいるということを感じ、紛れもなく自分の住んでいる国で起こったことなのだとひしひしと伝わった。「自助」「共助」「公助」は決して簡単なことではない。しかし、自ら行動しなければ何も変わらないので自分のできる行動を調べようと思った。また、実際に震災を経験した方の言葉を見て、たった一言の声かけでも人を安心させることができ、少しでも平常時を取り戻すことができるということを学ぶことができた。
学籍番号:192042 (302文字 )
私は授業中のアンケートで災害が起きても自分は助かると回答した。しかし、東日本大震災の映像を改めてみた時、実際に自分の目の前でこのような大きな災害が起こったら、きっと冷静ではいられずパニックになると思う。実際に起こった事を事実として捉え、またこのような災害が起こったらまずは自助する行動をとり、自分に余裕があるのならばできる限りの共助をしたいと思った。 また、 正当化の偏見 というワードが頭に残った。きっとこれが正しい!と自分の頭の中で勝手に正当化しているだけであって、それは偏見だという事。自分自身そのような事が多々あるので、本当にそうなのか一旦冷静になり、自分に問いかけてみることも大切だなと思った。
学籍番号:192044 (819文字 )
 ”防災とは?” 私にとってそれは小学校にやってきた、中学校でやってきた、受動的にしかやってこなかった夏休みの課題の様なものです。やらなければいけないのに中々手につかず、夏休みが終わる当日、または終わってしまった後に、後悔するんです。なんでもっとコツコツやんなかったんだろう、もっと早くやっておけばよかった。虚しくも夏休みはオレンジ色の夕焼けと寂しいカラスの声で終わっていきます。次の夏休みは、初日に課題を終わらせよう、コツコツやろうと決意して、何度同じ夏休みを過ごしてきたことでしょう。 実際に私は危機意識がかなり低く、防災に限らず、課題、受験勉強も崖っぷち状態です。なんでこんなに出来ないのか自分でも驚く程にです。しかし、一度だけ本当に危機を感じたのが(災害の話とは趣旨が変わってしまいますが)高校受験でした。人に頼っているだけではいけない、自分にしか自分を変えられない事を痛感しました。 そういう気持ちは災害時と似ている部分があると思いました。災害時に重要なことは、自助、共助、公助。東日本大震災の動画を見て”ああ、スーパーヒーローっていないんだ”。自分の身は自分で守らなきゃいけない、誰も助けてくれない。そう言われている様に感じました。人間は所詮人間で、いつも誰かがそばに居て助けてくれるわけじゃない事をしっかり心に留めて、能動的に災害の恐ろしさ、危機感を感じなければいけないと思いました。  自分の大切なものは何なのかを考えた時、一番に家族のことを思い浮かべました。 私が生まれてからずっとそばにあって、あたたかくて、きらきらしていて、ずっと心の中にあった、そしてこれからもずっとあり続けるもの、私にとっての”平和”であって、”幸せ”です。そんな宝物を失うのは絶対に嫌です。 今のご時世だからこそ防災について一人一人が能動的に捉え、他人事ではないことを感じ、 自分に出来る範囲内で行動に移していくことがとても大切だと学びました。
学籍番号:192045 (426文字 )
私は高校3年生の時西日本豪雨を体験しました。テレビで報道されていた真備町に比べれば大した被害ではなかったのかもしれませんが、外に出れば膝まで水が溜まっているという状況、降り止まない雨を見てとても不安な気持ちでした。しかし家族という存在は偉大で一緒にいるだけで不安も和らいで行きました。被害もある程度で治ったものの真備町では死者が出てしまったり家を失う人がいたりなど大変大きな被害を受けられました。自分は真備町のボランティアに参加して被害に遭われた方の支援を行いました。ともにボランティアに参加した人の中には県外から来られた人が多くいました。被災者の方からしたら県外から自分たちのために足を運んでくれたと考えるととてもココロの支えとなったと思います。授業内で福島県の学生の言葉にあった通り、大袈裟なことでなくても人助けになるんだとボランティアで実感しました。またそのような支援ボランティアが災害に対する心構えとなり防災へとつながるのではないかなと思った。
学籍番号:192046 (395文字 )
災害とは異なりますが、私も一度だけ被害者になったことがあります。 幼い頃から「不審者に気を付けましょう」「暗くなる前に帰りましょう」と何度も注意喚起されてきたにも関わらず、「自分は大丈夫」という根拠のない自信が原因で、被害者になってしまう事件がありました。その時の周りの方々の迅速な対応や、励ましの言葉が大きな支えになったことを今でも覚えています。 自分にとって「不審者に遭遇する」ことは、現実味のない出来事だったので「まさか自分がこんな目に合うとは思わなかった」というのが第一の感情でした。この話とは比べ物になりませんが、津波の被害にあわれた方もそう感じていたと思います。 被害にあって学ぶということはとても悲しい事です。今後、人災・災害は突然に現れると思います。その様な出来事遭遇したとき、自分の身を守れるよう、誰かの助けになれるよう、備えられることをしっかり備えようと思いました。
学籍番号:192047 (379文字 )
昨年一人暮らしになってから初めての地震を経験した。 その時思いだしたのが東日本大震災のあの時の大きな揺れと、もう何年も前に見た津波の映像だ。津波に追われながら走る軽トラ、揺れる車内の中で死にたくないと叫んでいる女性をはっきり思いだした。揺れは大したことはなかったはずだが、親元を離れひとりになって初めて不安と恐怖を感じた。 もし震災を経験していなかったら、あれほど地震に恐怖を感じたかと思うとあまりそうは思わない。あの時あの大きな揺れと何度も来る余震や生中継を見ていたから災害がどれほどのものを奪うのか想像できた。 経験があったから自分を守ろうとした行動がとれたと思う。震災を経験した私たちはこれまで経験をしたことがないひとたちに伝えていく必要があるように感じる。忘れないで伝えることも自身を助け、周囲の人を助け合うことができる共助になると思うからである。
学籍番号:192050 (226文字 )
授業中にとったアンケートで東京・横浜で災害が起こった時自分はどの立場かを聞かれ、自分は自分の身だけを守る立場と回答した。よく知らない土地での災害だから地元の人達はそのまとまりで助け合うだろうから、自分がそこに割り込む必要はないと考えていた。しかし、アンケート結果には誰かの為に行動を起こそうとする人がそれなりにいて、それが考えを改めるきっかけとなった。自分にできる最大限のパフォーマンスを常に考えて行動することが、共助の意識にも繋がっているのだと思う。
学籍番号:192051 (362文字 )
今回の講義で、公助とはご近所さんでお互い助け合う行動だと学んだ。その意味を知り、私は祖母の行動を思い出した。私の祖母は、昔から付き合いのある近所のお爺さんの家の鍵を預かっている。それは一人暮らしのお爺さんの身に何か起きた時のためである。家の明かりが見えない時や、県外で暮らす娘さんから連絡が取れないと電話が来ると、祖母はすぐに様子を見に行く。この行動は信頼関係があるからこそできることであり、これも公助に当てはまるのではないかと思った。今日、近所付き合いが希薄化している中で、自分は有事の際に誰かを助けることができるのか不安になった。しかし、地域の人への声がけも公助に当てはまると知り、これであれば自分も実践できそうだと思った。挨拶を交わし、同じ地域に住む人を知ることが、将来誰かを助けることに繋がると信じ実践していきたい。
学籍番号:192052 (289文字 )
今回の講義で東日本大震災の映像を見て、10年近く経っているため、ほとんど忘れかけていたのですが、改めてこのことは絶対に忘れてはいけないものだと思いました。自分は当時小学生で記憶もあまり残ってないのですが、周りの人たちが泣いていたのは覚えています。今回の講義でもあったように、いざ実際に災害が起こると自分の身を守るために精一杯になって、周りのことなんて考えられなくなってしまうのかなと思いました。今は自分の身になにも起こってないから人を助けられるとか言っていられますが、実際と想像では全く違う世界なんだろうなと思います。なので、共助できることは素晴らしいことなんだなと思いました。
学籍番号:192053 (560文字 )
今回の授業で、自分の「大事なもの」と「危険」を常に結びつけて考え生活することの重要性を学びました。 私の地元栃木県は東日本大震災で震度6強という強い揺れを観測しました。揺れ自体は本当に恐ろしいものでしたが、栃木県には海がないため津波のことなど一切考えもせず、ニュースで東北の津波の映像が流れても、大変そうだなぁと完全に他人事でした。しかし今回の授業で「大事なもの」と「危険」を結びつけて考えてることが重要と聞き、その後に当時の津波の映像を見たとき、涙が止まらなくなってしまいその後ビデオをONにすることができませんでした。あの津波の中に自分の大切な「家族」や「友達」が巻き込まれていて、もう二度と会えないとしたら、、、そう考えると胸が押しつぶされそうでした。当時見たときは涙は出なかったのですが、、。当時はまだ幼くてそこまで想像力がなかったり、そもそも親や友達の大切さが十分にわかっていなかったりということもあるかと思いますが、「だいじなもの」と「危険」を結びつけることの威力はすごいと思いました。それだけで人の心を動かし、考え方を変え、行動力を変える。私自身も、今後は色々な「もしも」を考え、自分自身は勿論、大事な人やもの、またできれば大事な人の大事な人まで少しでも救えるように防災について学び行動したいと思いました。
学籍番号:192054 (409文字 )
今回の授業で津波の動画をみて、もしあの津波が今自分が住んでいるところで起こったらと考えたらとても恐ろしくなりました。そして、もし大きな災害が起きた時、自分の身を守るために避難場所を確認することや、避難の準備をしておくなどの備えはすぐに思いつきました。けれど、自分以外の人を助けるという事にはあまり目を向けていなかったな、と思いました。迷っている人がいたら避難場所に誘導することや、非常食を多めに用意する事など、他の人のためを考えた備えも事前にしておくべきなのかもしれないな、と気づきました。 また、今デザインの勉強をしている私たちは、将来災害を未然に防止する策を自分の勉強している分野を生かして考えていくべきなのではないか、と思いました。東日本大震災の時のようにいつどこで大きな災害が起こるかは誰にもわからないので、起きる前に起きても災害の影響の少ない街づくりなどをしていくことに、いつか携われたらいいなと思います。
学籍番号:192055 (223文字 )
自助、共助、公助、これらの言葉を今日初めて知りました。しかし、自分の生活の中にそれらがあることに気づきました。例えば中学生のとき行った、地域の方と合同で防災訓練をすることがありました。ここでは防災の知識を身につけることができまた、地域の方との交友関係を築くことができました。また近隣の消防隊の方をお招きして、災害の危険を教えていただきました。この経験は、今日知った3つの助と深く結びついていて、日常生活の中に大切なことが詰まっていると思いました。
学籍番号:192056 (597文字 )
私は宮城県出身です。授業中に被災し、二週間ほどして電気が通ってからはずっとテレビを観ていましたが、流れるのは津波の映像、新たな死傷者数ばかりで、テレビ=娯楽の認識があった私にとってはショックでした。それ以来テレビはあまり観なくなりました。 そして去年、台風19号で地元が被災しました。ヘリで運ばれる知人、変わり果てた地元を見て、唯々呆然としました。私は長岡にいたため、情報を集めて家族に伝えることしかできず、3.11のときには助けられるばかり、今回は遠くからニュースを見るだけ、無力さを強く感じました。 防災の話にあった堤防の例で思い出した出来事があります。 3.11の後、沿岸部の堤防を今以上に高くしなければ、再び地震が来たとき同規模の被害が出てしまう。行政はまちの安全を考えての提案でしたが、住民からは反対意見が多く出ました。高すぎる堤防は景観を損なう、高くする以外にも方法があるはずだ、結局まちのことなんて理解していない…というものでした。 無力だと嘆くだけの自分が、まち全体の防災を考える側になったら、一体何ができるのか。3.11被災地も、まだ復興途中です。自分に出来ること、役目は何か、授業を通して見つけ出したいです。起こらないのが一番です、起こらないことを願って、起こったときの行動を普段から考えることが大事だと思います。毎日毎日増え続ける死傷者の数は、もう見たくありません。
学籍番号:192501 (444文字 )
自分だったらと言う思いを持つことの大切さを学んだ。 東北地震が起こった当時、小学生だった私の世界は狭く、被災地に大切な人や家族もいなく、人ごとでしかなかった。残酷だと思うかもしてないが、過去にあった事故や事件はもう過去のことは過去のことで自分には関係ないことだと思っていた。慰霊祭や体験談などやる意味もわからなかった。しかし、今日映像を自分自身や私にとって大切な人の身に起こったことだと思いながら観ると涙がでてきた。自分の大切な人がそこで助けを求めていたらどうしよう。いなくなってしまったらどうしよう。そう思いながら観ていた。きっと私は無力でどうすることもできない。体験したことを教訓に次に備えることはできるかもしれない。でもそのとき失った命は戻らない。だから、被災者は語るんだと思った。誰かの大切な人がいなくならないように、自分と同じ思いをする人がいなくなればいいと願って。過去の教訓は大事なんだと気づいた。今日からは誰かが体験したことは自分にも起こることなんだと思って生きていきたい。
学籍番号:193001 (538文字 )
提示された被害者数を見た時、漠然と「あぁ、多いな」程度にしか考えなかった。その後、「数字を見てその中に自分が含まれる可能性を考えられるか」という言葉を聞いて、ようやく気づかされた。私の防災意識とは現状こんなものなのだと。これは、大多数の人間にも同じことが言えるのではないかと思う。地震大国である日本。数年前、東日本大震災に見舞われた日本。その日本に住んでいるにも関わらず、災害を、画面越しに存在する世界の話のように感じている。しかも無意識に。これがどんなに危険なことか。「防災は大事」と、何となく認識していたとして、「自分は関係ない」という意識が存在していることに気が付かなければ、防災は意味を成さない。「防災の意識を高めましょう」と、親切丁寧に教えても、お洒落な防災グッズをデザインしても、結局それらを正しく受け取ってもらえなければ全く意味がないのだ。しかし、人間は命の危険にさらされて初めて気が付く。これが難しいところだ。「正常化の偏見」という言葉が授業中にあったが、この偏見を取り除くことが真の防災に繋がるのだと考える。そのための取り組みを、デザインの視点から何かできないかと、考え続け、行動していくこと。それが私の防災になり、誰かの防災に繋げることができれば、と思う。
学籍番号:193005 (212文字 )
共助について印象に残っている。東日本大地震で実際に被害に遭われた学生さんの体験談を聴いて、自分が災害時にどうすれば良いか知ることができた。まず自分の安全を確保し、そして余裕があればご近所さんに声かけをすること。私は自分が助かるだろうとはあまり思えないが、もし安全を確保できたとして、次に声かけ(=共助)をすることを頭に入れておきたい。小さなことでも力になる、共助は小さなことからで良い、このことを忘れないようにしようと思う。
学籍番号:193009 (1412文字 )
私が特に印象に残ったのは、共助の実態についてです。 共助の意味自体は知っていましたが、ご近所付き合いとか、普段からの交流がないと出来ないんだろうなと思っていました。進学の為に長岡にやってきたけれど、ご近所さん、つまり身近な大人の他人と関わることはありません。昨今言われている防犯という上での怖さがあり、地元と違って幼い頃から親しんだ人間が一切いないからです。実際関わるタイミングもありません。その状態で震災が起きてしまえば、なんとか自助するしかないのかなと思っていました。 共助の実態から、生徒たちの84.6%が共助(助けられた)という記述があり、さらにその中で30%近くが励ましが助けになったと述べていることに驚きました。大人に近付くほど、物理的な支援ばかりを考えてしまっていることに気づき、何だか恥ずかしくなりました。 私は青森県出身で、東日本大震災を経験しています。当時は小学5年生で、友達と下校している最中でした。突然大きな揺れがあり、防災訓練の知識を基に、電信柱や建物から離れて広い空間にしゃがんでいました。おさまった後、そのまま歩いて帰りましたが、色んな人が家から出て近所の人と話をしていて、全く面識がない子供の私たちに「今停電しちゃってるんだよ」「また揺れるかもしれないから急いで帰りなさい」と声をかけてくれました。恥ずかしい話ですが、それが初めて経験した地震だったので、「怖い」より「揺れてて面白い!」と思ったことを覚えてます。帰りながら声をかけてもらっても、危機感も持っていませんでした。でも、今改めて震災の映像を見て、こんなに恐ろしいことがあったんだよな、と強く思います。人間、天災に抗うことは出来ないものだと改めて認識しました。前回、「安全」自体は人が感覚的に決めていることというお話がありましたが、経験をすることで、その「安全」「危険」に対して重みをもち、現実味を帯びるのではないでしょうか。針で指を怪我してから、危ないものと認識するように。昨年秋の大型台風も、1度大きな天災を経験してるからこそ、きちんと対策しないと危ないと思って養生テープやダンボールで補強したり、備蓄したりしたのではないでしょうか。 私は塾でアルバイトをしています。小学生や中学生に勉強を教えています。ハサミで指を切ろうとする子や、息を止めてみたりする子もいます。そのような子たちは、「危険」がまだ分からないからやるのでしょう。経験や実感がないと、震災当時の私のように「危険」「怖い」がありません。わからないままでいたら、津波が来たら海に見に行ってしまうようなタイプでしょう。1つ、私ができることとして、子供たちに天災はあぶないんだよ、と教えられます。教えるだけなので実感がわかないかも知れませんが、何か天災があった時、「先生がなんか言ってたな」と思い出して、危険を回避してくれればいいなと思います。 もし実際にまた大きな災害が起きた時、学生の私は企業のように支援をすることは出来ません。きっと自分のことだけで手一杯になってしまいます。それでも、手の届く範囲ならなにかできるかもしれません。塾で関わりのある生徒なら励ましてあげられる。突然近所付き合いを始めることも、何かあった時に知らない人に声をかけることも、自分が人見知りということもあり、とても難しいです。それでも、自分のできる範囲で共助をできるようになりたいと思いました。
学籍番号:193010 (234文字 )
助ける行動には「自助」「共助」「公助」という3つの種類があることを学んだ。自分に置き換えて考えてみると、今の時点では、実際に災害が起きたら自分の身を守ることで精一杯になり、「自助」することしかできないのではないかと思った。しかし、実際に大きな災害を経験した方々は、困っている時や辛い時に「共助」が力になったというお話お聞き、初めて「共助」かいかに大切なことなのかを知った。たとえ大きな救助はできなくとも、励まし合いなどの小さなことでも大きな力になるということを学んだ。
学籍番号:193011 (161文字 )
自分の命を守るための自助は全員が出来れば死なないが、自然災害においてこれだけでは安全が確保できないことがわかった。近所同士の助け合いである共助は、個人の力では何とかできないことも協力することで助かる事もあるので難しいが重要である。自然災害において自分の事だけでなく皆が周りのことも考えることで助かる命もあるのだなと思った。
学籍番号:193012 (137文字 )
今回の講義で印象に残っていることは、災害にあって時間の経っていない学生の文集の中で励ましという言葉が多く使われていたことだった。最終的には、人と人が精神的に助け合うことも大切だと感じた。また、自助、共助、公助についても今回で初めて知ったので今度から意識していきたいと思った。
学籍番号:193018 (366文字 )
東日本大震災についての映像を見て、当時小学生で揺れもなかった地域に住んでいた私は現実味もないニュースをただぼーっと見ていたことを思い出しました。これは小学生だったとはいえ自分の中に「災害」「防災」という言葉がちゃんと認識されていなかったから現実に起こっていることだと実感出来ず、しっかり考えながらニュースを見れなかったのだと思います。そして大学生になった今でも、経験したことといえば昨年の6月ごろにあった地震ぐらいなので危機感をちゃんと持てていなかったと授業を聞いて思いました。なのでまずは、「自助」ができるように危機感の意識を持つこと。そして声かけ・励ましの大切さを実際に地震を経験された方の感想から知ることが出来たので、自分が出来ることは何かを考え最悪な事態を避ける為の「共助」ができるように意識改善をしていきたいと思いました。
学籍番号:193024 (631文字 )
今回1番印象に残ってるのは「正常化の偏見」で、多くの人は自分が災害で死ぬとは思ってない、ということです。これは今回の新型コロナウイルスの件でも明らかになったことです。新型コロナウイルスにかかった多くの人が「自分がかかるとは思ってなかった」と言っていたのをニュースで見ました。自分の身の回りに置き換えて物事を捉えることができないことは自分も気をつけなければいけないと思ったし、できればそれをきちんと発信していければいいなと思います。 死者数や被害者数をニュースで見た時、人数が大きすぎて実感として迫ってこないのが正直なところです。今回、東日本大震災のニュース映像を見て、当時は実感として迫ってこず「わぁ…凄いことになってる…」としか思えなかったことが、知らず知らずの内に泣いてました。現実としてその映像を自分の中に受け止めることが出来たからだと思います。 私は岐阜県出身で、ずっと言われてきたのが「南海トラフ地震がくるかもしれない」ということです。でも「来る、来る」と言われ続けたことで、それに慣れてしまって「来るかもしれない」ことに対する恐怖がおざなりになっている気がします。もちろん地震なんて起きない方がいいし、家族全員が幸せに安心して過ごせる方がよっぽどいいです。でも、いつ起きるかも分からない、明日来るかもしれない、もしかしたら数時間後かも分からないです。備えあれば憂いなし、と言われるくらいですから、きちんと防災意識を持って生活したいと改めて思いました。
学籍番号:193026 (864文字 )
今回の講義では、防災について学びました。前回の講義で、安全を確保するには『自分はどう行動するか』と考えを持って動くことが大切だと学んだので、防災についても自分事で考えなければと講義を聞いていました。しかし、講義の途中で、死者数や負傷者数を見た時、その数に自分は入らないだろうと思うことしかできませんでした。そもそも、その膨大な数が本当に亡くなられたり、怪我をした人の数だということが想像し難かったです。思考すらも止まってしまうほどの災害では、人との関わりが生死を分けることにもなると感じました。避難を呼びかける人、身を守ろうと行動する人、ショックで動けなくなってしまう人、現場が気になり自ら危険なところに行こうとする人。災害時には、個人の持つ防災への意識の違いがはっきりと出てきます。 実際に、東日本大震災が発生した時、私の住む地域では震度5強が観測されました。地震発生直前までは小学校で授業を受けていました。地震発生時、まともに立てないほどの揺れと、揺れの音なのか強風の音なのか、とにかく大きな音に驚き、ただただ混乱していました。しかし、小学校からは避難指示が出されることはなく、保護者のお迎えを待つという形での待機のみでした。その中で、先生たちが学校の天井が崩れないか見回りつつ、クラスに安否確認の声をかけていた事、一人ではなく友達と待機できた分、まだ良かったと思ったことを覚えています。結果的に、小学校が新築だった事もあり、建物が崩れることはありませんでした。そして、5強であったにも関わらず、最大震度を観測したのが県外で、大きな津波にのまれていく映像をニュースで見て呆然としていました。 共助がいかに大切なことなのか、講義の最後に紹介されたレポートを見て実感することができました。声を掛けることが、『人の声が聞こえる』と平常心を取り戻すための大切な行動に繋がると知ることができてよかったと思います。このように自分にできそうなことを考えつつ、非常事態に共助ができるように、地域の人との繋がりは大切にしていこうと思いました。
学籍番号:193028 (350文字 )
今回の授業は、“正常化の偏見”というのが一番印象に残った。自分にとって都合の悪いことや情報を無視し過小評価してしまうことで、防災に対する意識が低下しているのではないかと自分のアンケート結果を振り返り思った。自分は今までに大きな災害にあった経験がなく、過去の大きな災害を見てもどこか別の世界で起こっているような気がしていた。今回の震災の映像でも、「ああ、大変だな」くらいにしか思えずにいた。それは、災害に関する情報を自分には関係のないことだと思って、今まで聞き流してきたからだということに気づいた。この考えはおそらく実際に被害にあってみないと変わらないのではないかと思うが、災害に対する自助・共助の重要性について知ることができたため、”正常化の偏見“というのを意識した上で今後学習していきたいと考える。
学籍番号:193034 (482文字 )
どこで被災するか・どんな目的でその場所にいるのかで、自分の防災に対する考え方が違う事がわかりました。東京などに旅行に行った時は「守ってもらう立場」長岡にいる時は「自分の身を守る立場」になると考えてしまうと思います。 その後に、自助は自分の命を助けるための行動、共助は近所の人とでお互いに助け合う行動である、先生の「自助に近い共助ができればいい」というような言葉を聞いて、何か災害が起きたときに、どんな場所にあっても自分の足で立ち誰か人の救いになれるようにならなきゃ、と思いました。 でも東日本大震災の映像を見て、実際に被災した人の言葉を聞けば、どんな屈強な精神を持ったとしても自分の身の丈を軽く超え襲ってくる津波には勝てない、自分の考え方はとても浅かったと思いました。 「励まされる、人の声が聞こえる」被災された方のこの言葉は他のどんな言葉よりも日常を非日常に変えることだと思います。励まされる事が生きている証になり、数秒後を生きる活力になる、その積み重ねを共有する事が共助でもあると言うことを少し深く学べ、あるかもしれないこれからに活かしていきたいと思いました。
学籍番号:193036 (478文字 )
 災害時に、自分は助かると思う。と答えた人が多く、私も大した備えをしているわけでもないのに、そのような考えを持っている。資料映像や写真、災害を経験した人の話を聞く、などでしか身近に災害を感じたことがないことが要因だと思う。この心理のことを「正常化の偏見」ということを初めて知った。  だが、今日、大震災の時の映像を見て、自分が被災者になった時、お互い助け合う行動(共助)は疎か、自身の命を守る行動(自助)がとれる、とは思えなかった。  私は東日本大震災が起きた時、小学5年生だった。学校から帰り、家族が見ているニュースで何が起きたのかを知った。その年の夏に、陸前高田市にある広田小学校の被災した子ども達との交流会に参加したことを思い出した。当時小学生だった私には、被災した子ども達と一緒に、楽しい夏の思い出を作ることや、励ましのメッセージを書いた手紙や花の植木鉢を贈ることでしか力になれなかったと思う。  大学生になった今、自分も含め、皆が今まで「他人事」だと感じていたことを「自分事」に感じられるような具体的な提案をすることで社会の力になりたいと思う。
学籍番号:193039 (114文字 )
自助、共助、公助の詳しい意味が分かりました。被災し自分の命を守らなければならない状況で、お互いを助け合うのは確かに難しいことですが、自分がそのような立場になった際に励ましの言葉だけでも周りに伝えられるように気を強く持ちたいです。
学籍番号:193041 (851文字 )
今回の授業では、防災に対する意識、共助がいかに重要であるかを知ることができました。 最初のアンケートで、災害に直面した時自分が助かるかどうか?という問いに対して私は、助かるか助からないかは分からず、時と場合によると思いました。自分が災害や防災に対する知識が十分にあるとも言えず、保証がないと感じたためです。 また、直下地震が起きた時の自分の立場に対して、自分の命を守ると回答しました。災害が起きた際、若い力が必要とされるであろうと思ったのですが、今の自分にできることがあるか?と考えたら誰かの命を救うことよりも自分の命を守ることの方ができる可能性が高いと感じたためです。気持ちとしては、誰かの役に立ちたい、助けたいと思いますが気持ちだけではどうにもならない部分もあるのではないかと思いました。 しかし、アンケート後の授業を受けてマイナスな考えではなくもう少し前向きな考えをしてみようと感じることができました。 特に、共助というものがどれほど大切なのかを感じることができました。共助と聞いて初めは、なかなか難しいと思いました。自分が社交的でないため、近所の人との助け合いにピンときませんでした。しかし、東日本大震災の映像と昨年の先輩の実体験を聞いて、人と人とがともに助け合うことがいかに必要であるかがわかりました。あれだけの災害を目の当たりにして、1人でどうにかなるとは到底思えませんでした。また、共助を受けた中で「励まし」が助けになったことに驚きました。物資や施設のように物的なものでなかったからです。また、先輩の体験談にも「大丈夫ですか」という一言に共助の大切さを実感したと書かれていたことから、災害時には必要不可欠だと感じました。さらに、自分のできることを無理せず行うことで十分だという言葉が心にささりました。 自分のできる範囲で、自分の身を守りながら、人を助けられるようなりたいと感じました。また、災害が起きた際に、絶対はなく、これから起こることを予想して自分の身を守る必要があると感じました。
学籍番号:193046 (401文字 )
私は西日本の中でもかなり自然災害が少ない地域出身の者なので、今回の授業の中で見た映像に強い衝撃を受けました。勿論、当時のニュースで震災時の様子はテレビ越しに見ていたけど、改めて見ると本当に絶望的なものだな、と恐れながらも考えていました。大きな地震も津波も経験したことがないというのは幸運なことですが、それゆえに災害に対する想像が乏しいので、実際自分があの場に居たら自分の身を守ることすら危ういのではないだろうか、と思ってしまいました。また、一人暮らしをしている身で、無駄な警戒心が強いので近所の人との関わりはほとんどゼロに近いです。だから、「共助」というのは私のような者にとってはより一層ハードルが高そうだな、と考えました。いきなり共助を完璧に、というのは無理な話ですが、防災に関して日頃からできることを少しずつでも取り組まなければ…という危機感を持てたのが今日の私にとって大きな収穫だと感じています。
学籍番号:193052 (172文字 )
今まで自助、共助、公助という言葉をなんとなく聞いたことがあるだけで意味がわからなかったのですが、自助が自分の命を守る行動で、共助がご近所さん同士で助け合う行動で、公助が公的な救援、復旧支援であることを学びました。災害時に全員が自分の命を自分で守ることができれば誰も死なないのは確かなので自分の命を自分で守れるように対策を考えるべきだと思いました
学籍番号:193054 (460文字 )
防災の取り組みに関して、人の意識を育てるというのは非常に大事であると思いました。地元が静岡県で大型地震・津波・富士山の噴火など、これから起こるかもしれないと言われる大災害があります。東日本大震災以降は防災活動が頻繁に行われ、防災活動が身近な所にありました。しかし、地元を離れ、大学に入ってから全く防災について関わりがなくなりました。講義で述べていた通り、残念ながら多くの人が災害者数を知ってもどこか遠い話のようで自分とはかけ離れたものに感じがちです。堤防を作ることや安全な環境を作ることは人の意識から生まれるものです。多くの人が危機感を持たなければ安心した都市は成立しないでしょう。また、災害が起きたら共助が理想でありますが、本当にどうしようもなくなったとき共助が成立するのかという不安があります。果たして人に目を向ける余裕などあるのか、自分のことで精一杯にならないかどうかと考えてしまいます。自助はそういった人のためにも必要な行動であると思いました。共助をより実現化させるには自助がまずはその第一歩になると思いました。
学籍番号:193056 (243文字 )
今回授業の中で東日本大震災の映像を見て、震災当時の生活を思い出しました。自分は東北出身ですが内陸の方だったので酷い被害を受けたわけではありません。けれども同じ県内、親戚の住んでいる沿岸部の壊滅的な状況をラジオやテレビのニュースで見てとても悲しい気持ちになったことを覚えています。あれから9年が経ち、段々と自然災害に対する危機感が薄まっていました。自分が災害で死ぬなんて思っていない、本当にその通りでした。ですので、今回この授業で改めて防災意識が大切なんだと思うことができてよかったです。
学籍番号:193057 (322文字 )
今回授業で多くの人が災害にあっても自分は助かると思っているという話を聞き、少し驚きました。アンケートで自分が災害に遭遇した場合どうなるかという質問に、私はその他の考えを選んだのですが、私は助かるか助からないかはその時の運次第だなと思っています。 そう思うようになったきっかけは、私の実家の近くにある川が氾濫してしまったことです。奇跡的に私の住むところには氾濫しなかったのですが、向こう岸が氾濫してしまい、色々なお店や住宅地が浸水していました。実家は運よく何の被害もありませんでしたが、浸水していたらと思うとゾッとします。災害は実際に何が起こるかわかりません。だから、自分が助かるか助からないかはその時の状況によってちがうのではないかと思います。
学籍番号:193058 (568文字 )
 まず1つ目に印象に残っていることは、報道される災害の情報は”自分のため”ではないということだ。現在のコロナ禍において、どのくらい感染者がいて、どのくらい医療現場がひっ迫しているかなどが報道されている。しかしそれ以上に必要なのは、支援を受けられる方法のような具体的な情報ではないかと考えるようになった。これからは、自分や自分の大切な人を守るために、必要な情報提供を政府やメディアに求め、また自分でもよく調べるようにすることが大切だと思う。  2つ目に学んだのは、「共助」の大切さである。東日本大震災が起きた当時、私は福島県に住む小学生だった。今思い返すと、様々な人に助けられていた。バス停にいた私に、みんな校庭に集まってるよ、と呼んでくれた男の子。ひどい道でも家まで送り届けてくれたバスの運転手さん。帰り道に心配して声をかけてくれた隣の家の人。そして家族。今思うととても心強かったと思う。授業で紹介された先輩の考えの中で、自分のできることしかしなくていい、小さなことが人の助けになると知ることができた。自分が災害にあった時、無力だったとしても、少しの声かけや、情報共有など、自分のできることからしていきたいと思う。また、この授業を受け、安全についてさらに考えを深めることによって、もしもの時に行動できるよう対策を考えていきたいと思う。
学籍番号:193061 (320文字 )
今回の講義では防災についてと自助、共助、公助、について学んだ。防災について今までぼんやりとした印象しかなかったが、災害に強い空間、人を作る、メカニズムを調査するなど防災についてのカタチがしっかりと見えてきた気がした。「励ましの大きさ」についてだが去年、新潟で少し地震があり、長岡も揺れることがあったがその際、高校の友人から「大丈夫?」と連絡がきて、一人暮らしでの地震ということもあり心細く不安だった私だが、ものすごく救われるような気持ちになったのを覚えている。たとえ小さな一言でも言葉の力というのは場合によってはものすごい力を発揮するものだとこの時感じた。私も被災にあった際や友人の地域で災害が起こった際には人を励ませるような行動をしたい。
学籍番号:193064 (120文字 )
防災、そして自助・共助・公助という言葉が指すものについて考えた。それから正常化バイアスについて学んだ。私はいまだに大災害が起きたとしても「なんとなく自分は生き残っているだろう」と思って生きている。この感覚に危機感を持って生活しようと思った。
学籍番号:193072 (281文字 )
まず東日本大震災の津波の映像を見て災害の恐ろしさを感じました。私の地元は北海道なので揺れはほとんどなく、あの時もニュースで繰り返し被災地の映像を見ているだけでした。今回の授業で自助、共助、公助について学んで、この三つがいかに大切か、そしていざ自分が災害に遭ったときに実際に行動できるのか考えさせられました。また最後の概論を受けた人の感想で、「共助はなにもおおげさなことではない。声をかけるだけでも救われる。」というのを聞いて、確かに難しいことではなくて、一人一人が互いに気を遣えるということだけでも十分共助になるんだと思い、災害時自分もそうありたいと思いました。
学籍番号:193074 (339文字 )
東日本大震災の映像を久しぶりに見た。小学生の頃、帰ってきてテレビを見たらまるで映画のような光景がニュースで流れていて驚いたのを今でも覚えている。 私たちはいつもだいたいなんとかなるという無根拠な自信で生きている。今津波の影響を見て、去年の台風で川が氾濫した街に住んでいる私地震津波が来ることや信濃川がまた氾濫する可能性に何も怯えていないし避難所の確認もしていない。日本は地震を中心に災害が頻繁に起きているので、防災の設備が他国より整っていても国民の防災意識自体は低いのだと思う。そんな状態で災害にあっても自分のことだけで精一杯になってしまうだろう。追い込まれた人間は何をするかわからない。何があっても冷静に対処できるように普段から心の準備をして防災の設備を整えておく必要がある。
学籍番号:193079 (932文字 )
前回の授業でも今回でも、自分の災害に対する考え方、態度が浮き彫りになったと感じた。 今日強く印象に残ったのは、死傷者、負傷者などの想定数の中に、自分が含まれていると考えられるかどうかという問いだった。まず画面に数値が表示された時、漠然と大規模な災害だなあという感想が第一で、無意識に、自分とは無縁のどこかの話と捉えていた。その次のスライドの言葉にハッとさせられた。 地元は周りに特に何もない田舎で、地震や台風が来たとしても、大きな被害は受けにくいと考えられるようなところだった。そのためか、自分の命が危険にさらされるような災害は自分の身には降りかからないだろうという意識があったと思う。そんな環境で経験した、3.11 。自分にとってかなり衝撃的で、今でも鮮明に覚えている。小学校での授業中、揺れを感じた。避難訓練の時のように、地震が来て、机に潜って、みんな無事。それで全部だと思っていた。いつもと同じように家に帰って、テレビをつけて唖然とした。同じ日本で、車や家が流されている。迫り来る水流から人が逃げている。思わずああっと叫んでしまった。でも、それが実際に、しかも自分が暮らしている国で起こっているとは受け入れられなかった。映画のワンシーンのようにしか思えなかった。 あれからもう9年も経って自分も成長し、改めて考えてみると、自分は想像しえない危険に対して免疫がないなと感じる。直面したことのない津波や地震の映像をみるととても不安な気持ちになる。昨年、初めての一人暮らしで経験した地震も、それほど大きくないのにとても怖かった。一人で聞くスマホから流れる緊急地震速報の音が怖くて、あれ以来ずっと鳴らないように設定している。そんな中、大学の友達やバイト先、ニュースを見て心配した地元の友達、家族から一気にLINEが入った。その時の安心感、緊張が緩んだ感じは、本当に大きなものだった。今回の授業で、共助、災害時の人の繋がりの重要さを再確認できた。 いざ大きな災害にあった時、自分は恐怖で正しい行動ができないだろうなと思ったけれど、ただ怖いと思うだけでなく、日頃からできる備えや、困った時声を掛け合える近所の人たちとの交流を、ちょっとずつでもちゃんとしておこうと思った。
学籍番号:193082 (224文字 )
首都直下型地震の被害想定の数字を見て、自分がそのうちの一人に含まれているかもしれないと言われるまで思わなかったのが怖かった。災害に限らず事件のニュースなどでも、自分が実際に体験していないと他人事のように感じてしまうことが多く、自分は大丈夫だと思ってしまっていることに気づかされた。自分の身に災害が起こらない日が続くと安全であることが当たり前のように感じてしまうが、いつ誰が被害を受けるかわからないという意識を頭に入れて過ごさないといけないと思った。
学籍番号:193083 (290文字 )
もしも巨大地震のような災害が身に降りかかってきた時、私はどこかで1人でもなんとかなる、他の人がいると自分の足手纏いになると思っていました。それは自分の体力に少しだけ地震があったからです。しかしそれは違いました。私が考えていた周りからの助けは肉体的なものだけだと思っていたのですが、実際は何気ない優しい言葉や心配り等の様々な助けがあるということを知りました。もしも私が被災した立場になったらそのような助けは傷ついた心を癒すと思いました。また自分自身もそのような状況下で助けが必要な人がいたら、肉体的な助けだけでなく優しい言葉をかけてあげたりするなどして共助していきたいと思いました。
学籍番号:193084 (242文字 )
今回印象に残っているのは自助、共助、公助、についてです。 名称は知っていましたが意味は知りませんでした。 説明を聞き、意味を知ることができました。 私は幼少期に中越地震を経験しており、その時は家族の言われるがまま生活していました。 詳しくは覚えていませんが、その生活の中にも自助、共助、公助があったと思います。 例えば、自宅の比較的立て付けがしっかりしている車庫で生活していたのは自助で、避難所で集団生活をしたり炊き出しや寄付の食料を食べていたのは共助や公助だったのかなと思いました。
学籍番号:193088 (299文字 )
共助の話を聞いて、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、アルバイト先でマスクをつけることが決められたとき、忘れて出勤してしまったことがあった。どうしようかと困っていたらパートの人が一枚マスクをくれて助けられたことを思い出した。マスクを忘れたことも「自分はかからない」という無意識の正常化の偏見をしていた油断から来たものだと思う。 有事の際だけでなく、生きていく中で他人の力を借りずに生きていくことは不可能なことだと思う。だからこそ普段から起きるかもしれない災害の可能性に目を向けたり、自分のことだけでなく、知り合いやご近所さんと助け合ったりすることは災害時に安全を守るために大切なことだと思った。
学籍番号:193091 (549文字 )
今回は防災、自助・共助についての講義だった。最後に紹介された震災時の体験談を聞いて、当時の自分がテレビ越しに見ていた震災をより身近に感じた。 近所の人と助け合う「共助」が、災害から生き延びるためにいかに重要であるかもよく分かったが、今、長岡に住んでいる自分ではとてもできそうにないと感じてしまった。近所の人どころか隣の部屋にどんな人が住んでいるのかでさえよく知らない。おそらく今の私なら、夜中に大地震が起きて避難しようとする時、隣の人の安否確認をしようという考えは全く頭に浮かばないだろう。新しい地に来たばかりの一人暮らしの学生にとって、近所づきあいというものは非常にハードルが高いと感じる人は私だけではないと思う。 近所、というほど近くはないが、同じ大学に通う友人となら同じように助け合うことができるだろうか。去年長岡でかなり大きな地震があった時、LINEで友人達と連絡を取り合い、また揺れる前にどこかに集まるべきか、何を持っていけるようにしておくべきか話し合った。その時は大きな被害は出なかったが、次このようなことがあった時のために、日頃からお互い情報共有をしておくことで被害を最小限に抑えられるのではないか。これは「共助」と言えるか分からないが、自分以外の誰かを助けることに繋がると信じたい。
学籍番号:193093 (537文字 )
自分は東日本大震災当時、新潟県内の小学校に通っていた。地震はあったものの大きな被害はなく、小学校では授業を切り上げ、各保護者が小学校に迎えに来る策がとられた。そこで、親の迎えを待つ間泣き続けている子がいた。親が共働きで、すぐには迎えに来てもらえないことが不安だったらしい。先生や友人が声をかけてもなかなか涙は止まらなかった。しかし、自治体ごとに教室に分かれて、弟と再会した途端にその子が泣き止んだ。安心したのか、使命感でも芽生えたのかは分からないが、これが東日本大震災に関して自分の体験の中で一番記憶に残っている出来事かもしれない。励ましなど、物質的なものじゃなくても助けになるということで思い出した。 東日本大震災の映像はニュースなどで当時何度も見たが実際に起こったことだというのが上手く飲み込めなかった。今回久しぶりに映像を見たが、やはり実感が伴わない。高い映像技術が日常の中にあるからだろうか。 自分が被災したとして、共助の助ける側になれるか分からないが、なろうとする意識は持ちたいと思った。実際そうなれば自分のことで手一杯になるだろうが、周りにも気を向けることで状況を理解し微量ではあっても余裕が生まれ、それが自助へ、そしてまた共助へと繋がればいいと思うからだ。
学籍番号:193096 (175文字 )
今日の映像を見て私は実際に災害にあったとき、自分から動ける人間では無いと感じた。本当にその被害を受けたわけではないのに、映像を見ただけで心が辛くなり何も考えられなくなってしまったからである。現場では若く体力のある人が能動的に動かなければいけないが、できる自信が無い自分が悲しく思った。しかし、今日の授業をきっかけとして変われるように努力したいと思う。
学籍番号:193105 (182文字 )
報道される防災情報は、社会に向けたものであり、私個人に向けられたものではないと聞き、ハッとした。もし、災害にあったら報道を頼りに行動すればいいと思っていたが、状況を把握して自身で判断する力が時には必要だと感じた。また、実際に被災された方の話を聞いて、共助の重要性に気づかされた。今まで地域のコミュニティに参加してこなかったが、これからは、取り組んでみようと思えた。
学籍番号:193107 (120文字 )
今回の授業で防災についての考え方、自助、共助、公助の意味がわかった。特に周りとの助け合い、信頼関係の大切さが印象に残った。助ける側と助けられる側が必ずいるので自分がどちらかの立場になった時の自分の対応ができるように心がけていきたいと思った。
学籍番号:193110 (234文字 )
?授業のはじめにアンケートを答えている時に、自分が誰かを助けるような立場になれるとはとてもでは無いけれど思えませんでした。何故なら災害は酷く恐ろしく、下手に他人に目をかければ相手も自分も共倒れになってしまうと思ったからです。ですがそれは津波から避難している間、地震が過ぎた直後だけでなく、災害が過ぎ去った後に周りの人に声をかけるだけでも誰かの心の支えになれるかもしれないと聞いて、考えが変わりました。? ?非常時にも周りに目をかけることのできる人になりたいものです。?
学籍番号:193112 (161文字 )
津波の映像を見て、当時も恐ろしいと思ったはずなのに、すっかりその恐怖が抜け落ちていた自分が怖くなりました。あんなに生き物のようにうねって家屋をなぎ倒して行く映像は忘れないと思っていたのに、記憶はこんなにも早く風化してしまうのだと思うと、やはり危機感の継続は相当難しく、しかし成し遂げなければならないものだなあと思いました。
学籍番号:193120 (247文字 )
 確かに、ニュースやラジオで報道されるのは国や県などの大きなコミュニティに向けて発信される情報だ。だからこそ、「どこか、違う場所で起こっていること」だという感覚に陥りやすい。実際に東日本の時は、そレが一因となって逃げ遅れがでたのではないかと考える。現代は情報を大量に、瞬時に手に入れることができるが、あーそんなことがあったんだなと他人事で済ませがちである。本当の意味での防災というのは、自分の大事な人、もののためにどう行動するか考える、自分のことに置き換えてみることだとこの講義を通して思った。
学籍番号:194003 (325文字 )
災害や防災は人が生きていく上で必要不可欠なものだと再認識しました。にも関わらず、平穏な明日が来ることに慢心していたことをコロナウィルスで体感している日々です。 私は東京に実家があり、春休み中も帰省していました。感染者多発都市の中で生活し、気づいたことが多々ありました。連日の報道に懐疑的心を抱いたり、買い占めによる不都合、また人々の防災意識から派生する攻撃的な一面などどれも今までにない体験でした。連日の満員電車での通勤により私自身の防災意識も麻痺していたように感じます。 実家にいる家族にとって、私自身がウィルスという災害をもたらす要因になっていたことをこの授業で痛感しました。 人の害にならぬ行動を取るということも、ひとつの防災だなと思いました。
学籍番号:194004 (353文字 )
昔、風が吹くことが何にも邪魔されないような原っぱで地震が起きたら、何も起こらないのではと考えたことがあります。人も建物も無いところでは災害という概念さえ生まれません。人々が文明を築き上げ時代が進んだからこそ人工的な、便利なものが増えましたが時としてそれは人を死なせる道具にもなります。建物は瓦礫になるし、アスファルトは洪水にもなりうるし、自分の大切にしているものが、もしかしたら自分が作ったもので壊れてしまうかもしれません。そう望んでなくとも、地球はそんなこと知らないので容赦なく災害が降り注ぎます。人が自然に太刀打ちできるのはほんの少しかもしれませんが、それでも、大切なものはずっと守っていけるように、自分の身は自分で守り、人と助け合い、何度つぶされても立ち直っていけるような社会でいたいなと思いました。
学籍番号:194011 (659文字 )
今回の授業では防災についての色々と学べたと思う反面、最後の東日本大震災の映像ばかりが頭から離れず辛くなりました。 自分の身を自分で守れる事で誰かが助かるかもしれない。自分が人を助けられるかもしれない。のならば、その努力をしたいと思いました。 東日本大震災から9年も経っていた事、いつのまにか風化していて気付かない被災地の大変さなどを自覚しました。最近は当時にくらべ東日本大震災に対する報道などは無く、いま被災地がどれだけ復興されているかも分からないのに、東日本大震災の事を思い出すタイミングも少なくなっていると思いました。 当時は小学四年生で自分にはなにもできなかったけど、自分ができるだけの募金をした記憶があります。そういったほんの少しの力でも被災地の力になれていれば良いなと思いました。 この映像をこの授業を通して久しぶりに見て、こういった被害は自分が受ける可能性がある事、自分の身近な人に起こる可能性がある事を自覚しました。富山県は地震が少ないからと安心するのでは無く、最後の文章にもあった通り、最悪の事態を考えて行動することを大切にしたいと思いました。 空間安全論という授業の中で東日本大震災の映像を見た事は、言い方が悪いかもしれませんが、自分にとって凄く自分のためになったと感じました。被災者の方々の恐怖は私には想像もできないのだと思いますが、これからも自分にできることをする努力と少しでも人のために行動する事を心がけたいです。 見ていてとても辛かったですが、今回、東日本大震災の映像を見れてよかったです。
学籍番号:194013 (150文字 )
正常化の偏見、という言葉が印象に残っています。以前「謙信公が守ってくれるからこの地域は大丈夫なのよ」と近所のおばあちゃんがいっていたのを思い出し、いつ聞いても面白い迷信だな、と思うのですが、それ抜きにしても心のどこかで自分は大丈夫、と思っていることに気づき、改めて危機意識の低さを考えさせられました。
学籍番号:194035 (463文字 )
 前回授業についてのコメントで、”何が正しいのか分からず考えることを放棄し世の流れに流されていることこそが安全ではない”という言葉にハッとしました。私の家では、父の影響で朝昼晩とニュースを見ます。また、ニュース関連のバラエティも好きで池上彰さんの番組などを分からないなりにも考えながらよく見ていました。しかし、最近の私は”自分が考えられることなんてたかが知れているし、自分が案じるようなことは専門家がとっくに考えているだろう”、”私が考えたってしょうがない”と考えることをやめていました。あのコメントでまさに私のことだ!と思いました。また考えられる私に戻ろうと考え直しました。  また、日常を支えているものは?というアンケートでの”余裕”というコメントを見て確かに、と思いました。余裕がなくなったらあっという間に普段の自分ではなくなると思います。生活の中にある余裕は時間からくるものだったり、お金からくるものだったり様々ですが、もしもの時でも自分が確信を持てる根拠による余裕を、少しでも持てるように備えていきたいと思いました。
学籍番号:194037 (355文字 )
今回印象に残っていることは津波です。私は津波を実際に経験さした事が無く、テレビなどのCGの動画などのイメージがあり恐ろしい物と分かっていつつもそこまで恐怖心がないのだと思います。講義中でのアンケートでも自分は大丈夫だと思い込みやすい傾向にある事がわかりました。人間は物事が起きてから焦り出すので、何かが起きてからでは遅いです。やはり事前に避難場所、災害グッズを手元に用意しいつ何が起きても逃げれるように準備しておく事、災害はいつ起こるかわからないので災害が起きても自分は大丈夫ではないことを頭に入れて危機感をもって過ごす事が大事だと思いました。講義中の津波の動画を見てあんなにも勢いが強く高さのある津波が来たら怖いし低階層だと助からないので家に居ても自分は助かるだろうという思い込みはやめようと強く思いました。